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サヴァンブラタンナ  作者: 皆月 おき
第1章 朽ち果てた先で
18/22

1.18 プロローグ

 その日に自分は死んだ。


 町にも野山にも雨が降り注いだ。河川は氾濫し、轟々と音を立てて、建物の屋根から滝のように水が落ちていく。

 それはもう朝から酷い土砂降りの日だった思う。


 ドサリと自身の体が倒れた。

 ふと分かれ道に差し掛かって普段なら通らないであろう方の道を選んだ。

 迂闊だった。本来なら、避けるべきことだったのに………。血を吐き付ける。血が地面を掠めて散開した。

 寒い……。


 地面に打ち付ける大粒の雨は濡れた体を一気に冷たくする。太陽が分厚い雲の層に隠され、真昼間だというのに夕暮れ時のように周囲は薄暗い。脇腹に触れた手は真っ赤に汚れた。止まない雨とともに大量の血液が垂れ流されていく。泥と溶け合って、辺り一面の水溜まりを赤く赤く染め上げる。大きく息を吸っては吐いた。


 目の前には女児が一人立っていた。こんな大雨の中で傘も差さずに。手には赤く濡れた短剣が一本。

 刃にはひびが入り、最後には粉々になった。


 一目散に彼女が逃げていく、びしょ濡れの明るい色の髪から水しぶきは飛んで。


 目の奥が乾いていくようだ。歯が震える。

 明日は………、仕事があるんだった。あぁ………、そうだ…。

 せめて傷口を抑えた。


「あ――ぁ…、寒いのは苦手なんだけどな………」


 段々と呼吸が早くなる。指先が鈍い。体を引き、歩みを進めた。不協和音を払って立ち上がる。

 明日は、ナナを他国に送り出して、それからしばらく会えなくなって……。恙なく終わったら、少しゆったり過ごせる。舞踏会の準備があって、来賓とコネを作って、それから……。

 去年の今頃には何をしていたんだろう……。………皆で、歌を一つ学んでいた。テオが古文書を漁ってきて………、そこから学んだ。相変わらず自分は下手くそで、ナナなんかは笑っていて……。全く知らない言語で歌詞の意味も分からない。大変な仕事だった。けれど、間違いなく自分は楽しんでいたんだ。


 こんな所で死ねない……。死んで堪るものか。奥歯を噛んだ。張り裂けそうな瞳孔を前に向ける。左脚を前に出す。首筋から雫が滴る。右脚を前へ。あの日も、あの日も、いつだって自分は………。


「ハァ………ハァ…、ハァ……」


 体が重い……。息をすることが辛い………。苦しい……。すぐに膝から崩れた。痛みが一向に絶えてくれやしない。腹の中で内臓が動き回っているようで、刻まれているようで……。口内に血の味が染み渡り、鼻腔の奥を血の臭いが刺激してくる。喉よりずっと奥の方から込み上げ、溢れて。

 暑い……。傷口から凍えそうな全身を炒り付けてくる…。


「――――っ」


 突然のことだった。斧が振り下ろされてきた。地に付いた手首に斧の刃は入り込んだ。最初は少女が戻ってきたと思ってた。でも、違う。明らかに違う人だ。


 手首は折れて湾曲しているのか。妙に柔らかい潰れかけの薬指。これが自分の手。本当に酷い。見る影もない。

 恐らく相手は成人男性だろうか。一体、何が目的なのか。


 何もしてこない。どういうつもりなのか。立ち尽くしたまま。その足元から影がもう一つ増える。どうやら一人ではなかったようだった。背後の方にももう一人。いるのは三人か。

 …………もっとずっと多い。


 何本もの足が泥濘を踏み荒らし、どこからともなくぞろぞろと。建物の奥や死角だった方から。横からも正面からも。自分を取り囲むようにして数十人もの人々が立ち並んでいるのが見て取れる。

 伸びてきた手が胸倉を力強く掴み、仰向けに倒される。


 相手は大人たち。自分よりも断然、体格が良いのがちらほら。一人の持っていた刃物が肩を貫く。反動が後頭部を打ち付ける。腱に杭が刺さる。

 彼らは何を言っているのだろう………。


 よくよく見れば、全員が同じだった。叫んでいた。皆が皆、顔を皺くちゃにして、怒りを吐き出していた。


 別に考えてこなかったわけじゃない。いつかは必ず自分の番がやって来ると分かっていた筈だ。


 ただ死後の世界を連想し、まだ自分には時間があるんだと言い聞かせてきた。

 もうとっくにいつ死んでもおかしくはない年齢(とし)になったというのに………。


 斧を振り下ろす痩せこけた老人。腹を突き破った。

 若い女性は岩を落とし、骨を叩き割る。



 もう二度と自分は何かを思うことは出来ない。

 もう何か触れることは出来ない。

 胃袋が爛れていく感触。



 引き摺られていく自身の体。

 不自然なぐらい頭部が狙われない。



 昔、どこかの物語で死後の光景を見た。そこには何かがあるわけではない。ただ、霧に覆われていた。どこもかしこもが濃霧で溢れ返っている。そんな場所……。

 ………もう十分ではないのか。これ以上に何の意味がある。


 ………そもそもどうして自分はここまで来たのか。

 何故、自分はあそこまで死に物狂いだったのか。

 一体、何のために……。

 何故―――……



 ◆



「―――――■■■■■■」


 声とともに眩い光が横切る。

 流れていくように広がって、火の手が彼らに迫っていく。何人かは吹き飛んだ。その場にいた全員をそれはこちらから切り離した。

 焼かれた者たちが逃げ惑う。あたふたと人々は騒ぎ立てるが、それも静まる。目の前に彼女は立っていた。


 毛先に黒を含んだ赤い髪。手に灯る炎は大雨の中でも決して衰えることはない。

 雨に打たれてなお、負けじと炎は力強く輝きを放っていた。

 それはまるで星空のようで―――……



 ◆



 視界が揺れる。自分を背負いながら彼女は―――、ナナは走っていた。ひたすら前だけを向いて。躓いては転んで泥だらけになろうが、すぐに起き上がった。

 息が荒くなり、何度か白い息を吐いた。焦燥も狼狽も全部、飲み込んだ。ただただ何かから逃げるようにして自分を連れていく。



 ◆



 どうして彼女のことを忘れていたのか………。それだけは許させないことだ、絶対に。

 まずは親指の付け根から。自身の手首より先が地に落ち、液状となって潰れた。



 ◆ 



 濡れた小さな花畑。その隣。木の幹に凭れる自分の体にナナは手を差し出した。

 途端に辺りに露になる白い光の粒子。その一粒一粒があたかも意思があるが如く光の筋を描きながら、彼女の手元に収束される。

 こちらの体に手を当てた。


 手も脚ももう殆ど残っていない。袖の中はもう半分程、中身がなくなった。皮膚が禿げ、ドロドロに溶けていった。骨さえ残ることがない。


 収束した光球は最初に二つに割れ、再び一粒一粒に分かれて全身に吸い付いた。繊維を繋ぎ合わせ、注ぎ足し、貼り付けては、切り開いて絡まった部分を配列し直す。目に付く全ての傷を塞いだ。どんな小さなかすり傷でもこれ以上壊れてしまわないように徹底的に塞いで補強した。


 消えかけた心音が息を吹き返す。順調だった、ここまでは。

 途中でナナの手が止まった。


 傷を塞いだ箇所の一つに発疹が浮き出る。それが全身へと向かい、浸食を繰り広げていく。せき止めていたものが雪崩れ込んだ。

 発疹の現れた所から形を保てなくなって崩れる。細胞が(ほど)け、中も外も全部が混ざり合って溶けていく。

 折角、治してもらった体がまた傷だらけになる。ほんの小さな綻びから決壊が始まった。 


「やっぱり…、これって呪物の…………」


 濡れた髪を彼女は搔き上げた。



 ◆



 何度目かの意識の暗転。間隔は狭まるっていくばかり。

 もう次はないのかもしれない………。



 ◆



 額から彼女は汗を滲ませる。より強い光が自分の前で発せられる。かつてこんな形相の彼女を見たことがあったか。持てる分のありったけの力をナナは注いでいた。


 ………それでも、明らかに釣り合いが取れていない。修復していく分よりずっと多くが剥がれ、肉が落ち、血袋たる自身の体からずっと多くが流れ出る。

 継ぎ足す。肉を、骨を、編んでいく。血を通わせる。


 力無く垂れる萎れた裾。周りはヘドロのような赤い液体で満たされる。僅かに体が傾く。今、衣服の下にはどれだけ残っているのか。ゆっくりとゆっくりと自分の一部が死に絶え、赤い液体へと変えられる。

 重みから(こうべ)を垂れた。直接、見るのは初めてだろう。自分自身の眼が片方、地面に転がった。


「××××………?」



 ◆



 どうか自分のことなど忘れて欲しい、たとえそれが自分の本心でなくとも…。


 自分はもうここまで。ただ、せめて謝る機会は欲しかった……。



 もっと聞きたいこともあったし、やりたいことだってあった……。





 ―――――プツリと糸が切れた。どこでそんな、音がして……。



 ◆



「ああっ……、駄目……」


 心音も呼吸も完全に止まった。そう時間が掛からない内に崩壊することになる。それこそ原形を留めない程に。まだ人間の形に見えているだけ……。


「心臓だって動かしてるんだ。だからさぁ……、また目を開けてくれるだけでいいからっ……」


 袖を液体を浸される。指の隙間を抜けていく。

 生気をなくして、こちらに向かって彼女は頭を倒した。無言のまま涙を流した。肩からも力は抜け、光の粒が一つ残らず露散する。

 唇が震えていた。皺だらけになるぐらい衣服を引っ張った。


 生命として機能することは二度とない。この体を元に戻すことは叶わない。全てが徒労に終わる。全力を尽くしてなお、足りない。




「だって、そんなの…………」


 ここが自分の終着点………、そうなる筈だった…。下唇を噛んだ。何やら一言二言だけ彼女は独り言を呟き始める。何度も何度も瞼を擦っては、涙を拭おうとした。触れてはならないと知っている。どうなるのかも。けれど、どうしても必要だった。


「多分…、怒るかな………。それでも……」


 やがてまだ真っ新な首元に触れる。

 目の下を赤くした顔でこちらの目を見た。


「………君()に出会えて、ボクは本当に良かった」


 ―――――やめろ。


 もしその時に口を聞けていたのなら、間違いなくそう叫んでいた。掴み掛ることさえあるのかもしれない。だって、ナナは自身を切り捨てようとする顔をしていたのだから。

 以前は決まってそういう顔をしていた。


「君にとってのたった一人になれてボクは幸せだったんだ。君のおかげでボクはボクになれた」


 つらつらと聞きたくない言葉が並べられる。理解することを拒もうともした。容認出来るわけがない。


「愛してるよ、ずっと」


 そう言ってナナは笑ってみせた。それは擦り切れてしまいそうな声で……。

 彼女の頬に亀裂が入る。首にまで亀裂が到達し、それがらさらに手の甲にま広がった。彼女を彼女たらしめていたものが徐々に失われる。

 あの時、ナナが何をしたのかは分からない。たが、確実に自分に何かを施した。


 白い肌が割れ、細かく小さな透き通った色の破片が足元に落ちていく。次々と体にひびが及んだ。自身の領分を越えて、彼女はその先にまで手を伸ばした。誰も止めてくれない。

 左手が割れ、首元に触れていた右腕がガラス細工のように砕ける。それでも、ナナはどこか儚げに笑った。

 最後の最後まで笑いながら―――――……


 ……―――――彼女は塵と化していった。


 ナナの残骸の前で自分の死体が崩壊を繰り返されていく。世界から色が抜け落ちる。視線が切って落とされた。首を繋ぎ止めていた最後の一枚が切れ、かつて自分だったものの中に沈んだ。

 波紋を立てて、暗く深い奥底へと沈んだ。記憶を蓄えていた脳は溶けて、流れていった肉塊は戻ることはない。


 それが自分の中にある二つの記憶。一方は自分の目を通して見た光景。もう一方はナナの目を通して見た光景。


 それからほんのひと眠りから覚めるようにして、目を開けると暦は数字を大きく増やしていた。ざっと五百年程。

 周囲は口々に言った、とある女性から自分を買い取ったと。


 それが只人でしかなかった自分が力を手に入れた経緯。

 泡沫のようで、それでいていつまでも色褪せることのない記憶。

 それが始まり。

実を言うと目覚めたばかりこの頃の主人公は髪はまだ焦げ茶色でした。三か月間でじっくりと色が抜け落ちていった感じでしょうか。


交互に視点が切り替わって二人の記憶が混ざり合っていく感じが書きたかったのですが、分かりづらかったら、すみません。

聴覚の表現がある方がナナ側の視点であると最初は考えてましたが、まあその辺りは無駄に思えて削ぎ落しちゃいました。


兎に角、この作品を読んでいただき誠にありがとうございました。


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