1.16 薄皮を被って
「成程ねえ」
椅子に腰を下ろして男はこくりと頷いた。
「要するに、教団が解体された際もひっそりと教えを伝えてきたってこと?」
「まあ、概ねそんなところです…」
嘘を吐いた。
「でも、今代も人が離れていく一方で。時代の変化でめっきり少なくなってしまって」
「それで風の噂でこの集落のことを聞きつけて、やって来たと」
「纏めるとそうですね。噂というより、殆ど都市伝説みたいなものでしたが」
嘘を嘘で塗り固めた。
「それにしたって二人でねえ。ちょっと正気の沙汰じゃないよ、それは」
「僕の独断なんです。上手くいけば、教団の力になれると思って。結果、彼も巻き込んでこんなことになってしまって……」
部屋のベッドで眠っているルイスの方を見る。
汗は引いた。診察の際は特に薬品を投与したりなどはなかったが、呼吸のリズムも安定してきているとは思う。
「それより彼の容態は?助かるんでしょうか?」
「命に別状はないよ。この分だとまだ特殊な処置は必要ないらしい。ただ、体力の消耗が激しいから、しばらく寝たきりになるだろうけど」
「そうですか……」
大きな出入り口には物珍しそうにしている子供たちが貼り付いている。ただ、こちらがほんのちょっと視線を返すなりバタバタと引っ込んでしまう。
部屋の中央にベッドが一つ。それ以外に木製の椅子が幾つか。何とも簡素な部屋だった。
「彼の身に一体、何が? 倒れた原因は何なんですか?」
「そうだねえ。分かるかな、外でのあのひりついた感じ。ここいら一帯は土地柄、『氣』が乱れているそうだからねえ。慣れてない人には負担が掛かる。場合によっては生命維持に深刻な影響を及ぼすことだってある」
「へぇ…、『氣』ですか…。僕としてはそんなのがあるのを初めて知りましたが」
「巫女様がそう言ってるわけだし、間違いないんだよねえ」
そう言って彼は頬を掻いた。
「外の人たちは皆、そんな反応するよ、最初の内は」
「珍しい現象なんでしょうね。 にしても、今代の巫女の方が、ですか……」
控えめに男は苦笑いしてみせる。亡骸については何も知らないのか。それとも、惚けているだけか。
腕を組んで背凭れに寄り掛かった。
「でも、君の体調の方は大丈夫? 初めてだよねえ?」
「…。そういえば、大したことありませんね。 え――と、頭痛?はあって。といっても、船酔いを軽くしたやつのような感じで……。 どうしてなんでしょうかね?」
「まあ、そこは個人差があるからねえ」
取り敢えず頭を抑える仕草をしてみた。
症状にある程度のばらつきがあるようだ。こちらを眺めていた彼もまた他の男たちに声を掛けられ、後ろの方へ目線が移っていく。納得して貰えたようには見えた。ただ、あまりそんな気がしない。
「あの大きなのは彼の荷物?」
隅の方で立て掛けてある鞄を指して言う。
「そうですけど」
「ごめんねえ、規則で中を確認させてもらってもいいかなあ?」
「………。ええ、構いません」
恐らく武器の類は没収される。場所を考えると武器を所持していることは、何ら可笑しいことはない。問題は何が入っているか把握していないこと。
部屋にいる者たちがルイスの荷物の前で集まる。留め具が外されて中身の一つ一つが慎重に床に置かれていく。
ついでに自分の鞄も下ろして彼に手渡す。
「……その左手のどうしたの?」
「ああ、問題ありません。擦り剥いただけで意外と浅いですし」
袖は破けている。傷を負った手首が曝け出されている。これが向こうの目に留まったのだろう。
鞄から探り出し、消毒液を振り掛ける。包帯を巻いて覆い隠しす。それからそれら二つと一緒に鞄を渡す。
やはり若干、傷の範囲が狭まっていた。
可能な限り警戒は解いておきたい。とはいえ、外の世界のことはおろかルイスのことさえもよく知らない。限界がある。
集まっていた者たちの手が止まった。度々、数人が入ってきては入れ替わりになっている。頻度は治まってきているようだ。
「うん、これで全部かなあ?」
床に置かれた鞄とその中身。その中から瓶を一つ拾い上げられる。用途のよく分からない尖った金属の器具やら液体の入った瓶などが持ち出されていく。
「これとかは規則で預からせてもらうよ、ごめんねえ」
「…ええ、どうぞ」
格別に不味い代物は入っていなかったようだった。ルイスの鞄の方を見る。大きい割に大して物は入っていない。ただ、どういうことだろうか。ルイスの使っていたあの大剣が見当たらない。それにナズルも。見逃すようなことはないと思うのだが。
念入りに男性が持ち上げて底に触れたり、揺するが、特に中から音はしない。
そういえば、留め具が独りでに外れたり閉まったりしていた。他に何か巧妙な仕掛けが施されているとも考えられる。
何もないことを確認すると男性は元のように鞄を立て掛けた。
「検査は終わったし、荷物の中身も調べて……。他も大体…。次は……、えっと………」
「その後は私が引き継ぐそうですよ」
大人たちに混ざって少女がそこにいた。周囲を掻き分けてこちらに歩いてくる。十代前半辺りだろうか。周りと比べ、随分と若い。
「この分だとも今日は持ち場に戻る必要もないでしょう」
「あ、そう。じゃあ、これでもう解散?」
「まっすぐ帰った方がいいかと。 いい加減、奥さんに愛想尽かされちゃいますよ」
「あぁ…、うん……。そうかなあ…………。そっかあ……、そうだよねえ…………」
一人、また一人と部屋から人が出ていく。ふらふらと中年の男もまた出入口に寄り付いた。
「お待たせしてすみません、主に案内係を務めさせてもらうことになってます。至らぬ点は多々あるでしょうが」
「いえいえ、助かります。こちらこそよろしくお願いします」
彼女のしてきた会釈をこちらも返した。椅子の前を通り過ぎる。
「基本的にはここでの注意事項の説明になるんでしょうね。あとは色々と」
「そうなんですか、注意事項というとやっぱり厳しいんですかね?」
「……、そういうわけでもありません。あくまでも普通にしてればいいかと、普通に」
手元で何やら少女は筆を走らせた。時にそれとなくずれた視線はこちらの挙動の方に向けられているような気もする。見張りやら監視役とでも思った方がいいかもしれない。きっちり警戒されている。
「細かい箇所に関しては後程になりますが」
「聞きたいんですが、巫女の方に謁見等は可能なのでしょうか? 挨拶をしておきたくて」
「そうですね。丁度、お偉いさんがたが是非お目に掛かりたいとの申し出があるので、問題ないでしょう」
そう言ってメモを懐に押し込み、彼女は出入口の前に立つ。
「付いてきてください、集落については実際に見ていただいた方が早いと思うので」
「それだとここで彼が一人になっちゃいますが」
「時折、住人達が様子を見に来ることになっていますよ」
ベッドの上ではルイスが寝息を立てている。揺れた瞼で眉間に皺が寄ることもあるが、すぐに元のように力無く垂れた。本当に普通に寝ているだけのようだ。
これで一人っきりになったが、それでいい。元よりこれは自分の問題だ。自分でどうにかしなければならない。
没収されたのは消毒液、それから短剣。せめてそこにある物だけを鞄に戻し、少女の後に続く。
「彼はあなたの親戚か何かで?」
「………。いえ、恩師みたいなものですよ」
外に出て太陽の光を浴びる。もののついでとばかりに寒々とする首筋に触れた。小さく肩を回す。大分、長かったように感じる。本当に生きた心地がしなかった。僅かながらの解放感がある。
あからさまに他の家屋から離されていた。最寄りの建物で数十メートル先か。一切の舗装のされていない白色の草原を登っていく。四方は小高い山々に囲まれている。遠くに見えるのはため池だろうか。
「こうして見ると、意外と広々としているんですね」
「そうですね。数年前の工事で広げたらしいので」
凛と空は澄んで、子供達の声が飛び交っている。
追いかけっこをしていたり、中には木の棒を振り回す子供も。
囀りとともに小鳥たちは飛び立つ。
太陽の下で物干し竿に掛かった衣類。それらを住民は取り込み、新たに干された衣服が水滴を垂らす。
緩やかに風が草原を巡り、心地よい昼過ぎの香りが流れてくる。
日中でも涼しいと感じる。
のどかな場所だ。頬を緩めていたかもしれない。尤も、この異様な景色やら状態がなければの話だが。
ここだと何となく水底みたいな息苦しさがある。どこかで息が突っ掛かりそうになる。
「あ、もしかしてその子が例の?」
「ええ。 お仕事、ご苦労様です」
通り掛かった大きな籠を背負う男性はこちらを見た。
一先ずは笑みを作って、一礼。
「どうも」
「ようこそ、長旅で大変だったろ。ほれ」
そう言って男性は籠にたくさん入った果物から一つ取り出し、投げ渡してくる。
「食ってみろ。今日、採れた中で一番いいやつだ」
「え、いいんですか。そんなのをもらって」
「気にするな、それぐらいどうってことない。 あぁでも、飯もちゃんと食っておけよ」
「…ええ、ありがとうございます。 では、お言葉に甘えて」
…………。一応、敵意はないように見える。見掛け通り、気のいい人という印象を受ける。
それにしても、見たことない形をした果物だ。林檎にしては少々、細長いのではないか。一口、噛り付いてみる。
「うっ…!」
何なんだ、これは…………。思わず眉を顰めた。表情が引き攣った。酸っぱい……。口内の唾液が一気に吸い取られていく。口の中に入れた途端、強烈な酸味が溢れてきた。
「はははは、酸っぱいだろ?」
「ええ、まあ…………」
「ただな、食っていくとそれが病みつきになっていくんだ」
「成程………」
口の中に含んだ欠片をよく噛むと、確かに強烈な酸味の中に甘味が混じっているような気がしなくはないのか……? 相変わらず身の毛がよだちそうなぐらい酸味が強い。辛うじて飲み込む。
「んじゃ、俺はこれで」
「ありがとうございました」
もう一度、お礼を言う。手を振って男性を見送ると少女とともにその場を後にする。
さらにもう一口、その果物を齧った。
彼女に連れられ、建物を見て回る。それにしても壁にだったり扉にだったり。つい先程も見掛けたが、思わぬ所に教団の印が付いていたりする。丁度いい場所で腰を下ろす。
下りてくる風に吹かれて、段差の上の風車は回った。よく見ると支柱の部分から綱のようなものが伸びている。それに網目が動いていっている。
それは家屋の屋根の上を通って一回り大きな建造物のてっぺんを経由しして…………他の風車にまで。どこまで続いているのだろう。薄らとだが、その先が見える。
「あの綱は水を組み上げる役割を担ってます。偶にですが、それ以外の物資の運搬に使われたりしますね」
「へぇ―――」
ギシギシと音を立てて吊るされた桶のような物の一団が運ばれる。支柱にポッカリ空いた穴に入っては出ていく。屋根に上った住民が一つを別の桶に付け替える。そのまま一団は流れていく。
その横に見えるのが恐らく神殿だろう。全貌からして古い方の様式に採用されている、おおよそまだもう一方の宗教との関係がそれ程、悪化していなかった頃の。まだナナがただの巫女だった頃の。
あそこも調べておくとして。
「ところで………」
数人の子供達がこちらを覗いている。あれで隠れているつもりなのか。思いっきり見えているのだが。
好奇心によるものだろう。男の子が三人と女の子が二人。建物の陰に隠れていたり、草の中に隠れていたり。逃げた、頬杖をついて適当に横目で眺めていると。
気付かれたらしい。
さて、集落の全体像のある程度は把握出来た。ただ、そろそろ本格的に目的の事柄に纏わる収穫が欲しい。それが一番、大切だ、他の何よりも。
だとすれば、次は亡骸に関することで何か―――――…
「ありゃりゃ………」
男の子の内の一人が転んでいた。しかも割と盛大に。
最後の一欠片を口に放り込んで少年の元へ駆け寄る。
「うぅ……ぅぅ……」
「ほら、大の男がそう簡単に泣くもんじゃないよ」
出来るだけ優しそうな声音にして。ゆっくりと抱き上げ、座らせてやる。目線を合わせるとピョコ、と口元に小動物のような髭が浮き立った。
驚きはしたが、それについては感情の起伏が大きい子供にはよくあることだろう。
膝を擦り剥いている。まず傷口を洗っておいた方がいいだろう。鞄にあるのは包帯ぐらいか。消毒液は取り上げられないと踏んでいたのだが。
「うええぇ…えぇ……えええぇぇ…………うええぇえ………」
………どうしたものか。
この場合は……………………………………………………………。……………。
「あ、そうだ。実は今、いい物を持っているんだよね」
二重三重としておいた包みの紐を解き、中から一粒を取り出して彼の目の前まで持っていく。手を開いて指で摘まんだ飴玉を少年に見せびらかした。
「ほら、食べてみて。甘いと思うから」
袋の一部を剥いて彼の前に出すと、興味を持ったようで少年は飴玉を口に含んだ。
涙は止まった。完全に意識がそちらに向いたようだ。
こちらを見ている住人がチラホラと。騒ぎを聞き付けたのだろう。離れた所から女性が急ぎ足で近付いてくる。
自身の真後ろに目を向ければ、案内してくれている少女が立っていた。
「一応、聞きますが、今は断食中ではありませんよね、時期的に」
「そもそも子供は断食に参加しませんね」
「………!」
長い時が経つと、そういう変化もあるのだろう。
「手を差し伸べるんですね、外から来た人間の貴方が」
「えっと、教団の教義は人間にも人外にも平等に与えられるものだったのでは?」
「ええ、その通りです。ただ、近頃のやって来る人達は皆、初めはやたらと人外を嫌がるので」
「…………! …近頃というと最近、外から人が来たのはいつ頃でしたか?」
「確か……二、三年程前だったかと」
「二、三年前ですか……………」
「ごめんなさい、手を煩わせちゃって」
駆け足でやって来た女性が頭を下げた。
「ああ、お母さんですか。 それより彼が膝を擦り剥いてしまって」
髪の色合いがよく似ている。少年に対し、二言三言を話してから女性は立ち上がった。
「ほんとごめんなさいね」
「いえいえ、お気になさらず」
「でも、このあとすぐに謁見?だかを控えてるんでしょうに」
「………………?」
首を捻る。覚えがないことだ。どこかで勘違いをしていたのだろうか。そんな話は聞いていないのだが。
「謁見の話については、まだでしたよね?」
「はい、その筈です」
顔を見合わせると少女も同様に首を傾げていた。
「これも伝達ミスですかね……。 因みに、その話はどこから?」
「さっき、向こうで神殿の人が話していたんじゃなかったっけ?」
「そうでしたか……」
手を繋いで母親は少年を連れていった。手を振って見送る。
何やら少女は考え込んでいて、やや間を空けて口を開く。
「すみません、少しここで待っていただけますか?」
「ええ、どうぞ」
そう言って先程、女性が指差した方向へと彼女も去っていく。
もういいだろう。こうも運よく目を光らせている見張りがいなくなった。
「ほら、飴。君達にもあげるよ」
袋から飴を取り出し、その場に残った子供たちに配っていく。
こちらを見ている人はいる。下手な真似は出来ないにしても、多少は効率よくいける。
「巫女様っているよね。昔の巫女様で凄く有名な人っていない?」
「…………? なにそれしらな―い」
「う――ん、ご先祖様を祭る時、最後にいっつも聞かされる名前ってある?」
「おかあさんとおとうさんはよくおじいちゃんのこというよ」
「ぱぱままはみこ様のことなんてあんまりおしえてくれないもん」
どうも話に纏まりがない。目星い情報はなさそうだ。というより、最初から年端もいかない子供相手に求めるものではないか。
「じゃあ、今の巫女様ってどんな人?」
「え――…?やしそうなひと? ときどきおかしくれるし……?」
「どんなかおしてるかわからないし、みせてくれないから………」
「でも、それってまえのみこさまじゃなかったけ………?」
「あれ?そうだったかなあ………?」
何だかやけに言い淀んでいる。一度、立ち上がって子供達から視線を外す。
………まだ戻ってきてはいない。あと少しだけ……。
「へぇ、巫女様が交代したんだ」
「なんか気づいたら、ほかのひとになってた」
「そうそう、いつのまにかちがうおねえさんやってた」
仮にも教団の象徴に当たる役職なのだが。それがこぞってこの反応………。
この分だと大して信心深くなくとも、他を真似て行事には参加する者もそれなりにいるのか。
「いっつもしんでんにいてでてこないんだよね」
「まあ結構、立派な神殿だよね、あれ」
「あそこらへんこどもがちかづいちゃあだめなんだって、おとながみんないうんだ」
「あ、そう……………」
巫女との結び付きが薄いように感じる。ナナ程の力を持つというのは流石にない。子供達だって幼少の頃より教育を施されるというわけでもないようだ。案外、そんなに深く考える必―――――…
袋に手を突っ込む。飴玉を掴み取る。その場に集まる子供達に中身を残さず配っていく。
向こうで少女の影がちらついた。
「ありがとうね、色々と話してくれて。どうか、このことは秘密で」
人差し指を唇の前に出した。口封じはこれでいい。たとえ誰かに話されても、子供の証言だと多少の食い違いが生じる。正確には伝わらないだろう。
「すみません、待ちましたか?」
「いえいえ、意外とすぐでしたよ」
胸元に彼女は手を当ててゆっくりと切らした息を整えていく。子供達もこちらに関心をなくしたのか去っていった。それも大半はバラバラに散開して。もう後を追うことなど出来やしないだろう。
「ところで、謁見についての話はどうしたんですか」
「ああ、その件ですが。 急遽、予定を変更して今日中に謁見を済ませることになりました」
「そうでしたか」
「ただ、今すぐというわけではなく、夕方からとのことです」
これは予想外だった。しかも、こんなに急に…。
「時間はまだまだありますね。余裕を持ってあと一箇所だけにしておきますが」
「でしたら、年長者が集まる場所ってありますか? そちらにも挨拶をしておきたくて」
「それなら」
少女の後を付いていく。背を向けた方は何やら騒がしい。
「……………………は?」
何故、あれがここに。思わず後退りする。いや、本当にそうだろうか。目をぱちくりして見間違いではないかと疑った。
「あの犬は?」
「あれはお使い様ですね」
「お使い様、ですか?」
「主に治安維持の足しにでもと巫女様が放し飼いにしてるんです」
取り巻く人々に危害を加えようとする素振りはない。それどころか、子供とはじゃれ合ったりもする。
よく見ると大人達も止めようとする気配がない。
「大きな犬ですね………」
「そう心配せずとも、滅多に人を吠えたりしませんよ」
「滅多に?」
先程、襲われたのだが。滅多にというのだから、確実ではないと受け取るべきか。佇まいやら猟犬のように鋭い目つきがそっくりに思える。毛並みは綺麗だ。痩せ細ってもいない。
「……………? あの犬、どこかで……………」
どこでだろう。少なくとも自分はあんな茶色っぽい毛並みの犬など知らない筈だが………。
手首を擦る。
淡々と少女は歩いていった。一応、目に入らない内にさっさと自分も退散して、反対側の坂道の方へ向かう。
「ここにしたのは偏に一番、希望に沿う形になると判断したからです」
「そうなんですか?」
後を追って家屋の隙間を抜けるとそこにはシワクチャの老人が一人。
あとは手摺から見下ろしていたり、安楽椅子に腰掛けていたり。確かにここいら年長の人が多い。
「…ほう、その子かいな」
「ええ」
台に座りながら老人は煙管を吹かした。数歩、少女が引いていく。
「どうも、お初にお目にかかります」
「おっと、握手だけで結構。昔から堅苦しいのは苦手でのう」
「ああ、では」
手を出すと、老人と握手を交わした。握った手を強く握り返してくる。ヨボヨボの細い腕とは思ったが、これがまた力強い。
「苦労したことじゃろう、外界の方は『氣』は乱れてなどおらんだろうに」
「そこも大変でしたよ、初めてのことで。 これって元々こうなんですかね?」
「どうじゃったかのう…、確か儂の曽祖父はここでの最初の巫女がそうしたと言っておった。 当時は壁も何にもなかったでな、今も昔もこの空気は怪物除けに打って付けじゃった。 意図して生み出されたのじゃよ、集落を作るためにこの状態は」
「ほう………、教団がここの始まりに深く関わっていたんですね」
「そうじゃな」
逆だったのか。てっきり先に集落があって、そこに教団が亡骸を持ち込んだとばかり。
集落の成り立ちやら呪いの恩恵やら、それから巫女……。
「そのおかげで今はあるんじゃがな。 儂の曾祖父の頃はそれはまた酷いものじゃった。
とある事情から西に行けども東に行けども、一族は目の敵にされる毎日だったそうじゃ。 食うに困り、職にも有り付けぬ始末。 土を齧り、泥水を啜って飢えを誤魔化す日々……。
じゃが、とうとうそれも限界を迎えてしもうてな。
ある者は射られ、ある者は飢えに耐え切れず、またある者は病で一人、また一人と倒れていきおった。 そこにあったのは先細っていく一族の姿だけじゃよ。
………そんな折じゃったかのう、集落の噂を聞き付けたのは。 ほんの些細なものでしかない。それでも、それに縋る外はなかった……」
やがては煙管を口に付け、また煙を吐いた。
「放浪の末にようやく辿り着いた安息の地なんじゃ、ここは。 今はただこのまま平穏が続いてくれることを願うばかり………」
老人の目線の先に数人。服装も髪の色も目の色も違う。統一感というものがあまり見受けられない。
「おっと、すまんのう。歳を取ると話が長くなってしもうて」
「そうですか? とてもためになる話だとは思いましたよ」
「…そろそろ行きましょう」
もう時間か…。
「では、僕はこれで。貴重なお時間をいただきありがとうございました」
軽くだが、目の合った相手にはお辞儀しておく。
神殿の方へと。
「要所要所は無理でしたが、貴方から見てこの集落はいかがでしたか?」
「そうですね、いい場所だと思いますよ。 全体的にゆったりとしていますし」
「……………そうですか」
何やら少女はじっくり頷き、目線を下げる。やがてこちらを見た。
大きく見開かれた真っ黒な瞳が覗き込んだ。
「―――――――本当にそう思いますか? 本当の本当に」
「……………………」
戦慄した、とでも言えばいいのか。言葉より滲み出たものが重苦しいと感じて。威圧的で他を寄せ付けないような。何を思ってのことなのか……。
「えっと…、それってどういう…………」
止まっていた歩みを再開させる。
向こう側で喧騒が飛び交っていた。神殿と同じ方向。少女の後ろに広がる人集り。何かの催しでも―――――
「――――――――――っ」
人が…。人が、串刺しにされている………。横たわった体にそこに群がる何人もの人々……。頭部より突き出た幾つかの杭……。一人が近付いて新たに杭を打ち込む。
一人が視線を向けてくる。三人がこちらに気付いた。十人が気付いて……。その場の人々がじっと見つめてくる。
「どうも、お変わりないようで」
「そちらこそ、お仕事ご苦労さま」
少女に対し、男は和やかな笑顔で返した。口角を上げ、開い口からは白い歯を出して。
「やあ、歓迎するよ。困ったことがあれば、気軽に相談してくれるといい」
「はぁ、まあ……………。それより、お仕事中でしたか」
「ああ、この人のことだね?」
肩を組んだ状態で、寝そべった死体を男は立ち上がらせた。隠そうとする素振りはないのか……。
ぶら下がる半身の指先が赤く濡れそぼり、点々と地面に跡が残った。爪はないし、腱は切られている。
「彼は度重なって教団の悪評を吹聴してくれたよ。 一度や二度は許容しよう。でも、こうなると看過することは出来なくてね」
「それで………」
「巫女様の仰せの通り規則に則って、処罰させてもらったよ」
そのまま他に死体を預け、人混みを掻き分けてどこかへ丁重に運ばれていく。
揺らされても、表情は硬直したまま。殆ど動かなかった。恐らくあれが彼の……………。
「にしても、大きな斧ですね。狩りにでも使うんですか」
「ああ、これのことだね。 そうだなぁ……。これはね、戦争に使うんだよ」
「戦争にですか?」
「これから樹海の外に出て、まずは村を一つ、攻め落とすことになっているんだ。 だからね、狩には使わないんだよ」
となると、差し詰めここはその訓練場か。窪地の中央付近。束ねられた藁、布を巻いた棒やらが並んでいる。
それから端の辺り。あの一部分だけ傾斜にならず、そのまま地表が露わになっている方。あれは何なんだろう。その岩場の上で布らが旗めいている。
棘の壁。
防具。
「そして、外にも同志はいた。 是非とも君には期待しているよ」
「力になれますかね……? どうも住んでいた所との食い違いにもまだ慣れなくて……」
「そう焦らなくてもいいんだよ。 巫女様は慈悲深いお方だ。じっくりとここを知っていけばいいさ」
そう言って別の人がそっとこちらの肩に手を置いた。
「で、どこまで行く予定で? 資源でも取りに行くんですか」
「そんなものではないんだよ。巫女様は仰っておられた、これは聖戦なんだと。 失った誇りを取り戻すための戦いなんだとも」
「これで、より大勢の人々に教団のことを知ってもらえる」
「それはまた夢のような話だよ。 いずれにせよ、我々は巫女様の理想に準ずるのみだがね」
「そうそう、巫女様との謁見が決まってるんだったね。 とても光栄なことだ、代わって欲しいぐらいだよ」
「決して粗相はないよう気を付けるといい」
「長年の準備が身を結ぶ。あの方は、特別だ。 まさしく希望と言っても、差し支えはないだろう。 偉業がここに成し遂げられるんだよ」
「そろそろ時間ですね」
「では、僕はこれで」
自身の口を塞いだ。乾いた笑みばかりが出る。これではいけない。こうであってはならない。もっと上手くやれる。上手く笑える筈だ、もっと………。………………いや、これでいいのか…? こうあるべきではないのか。 分からない…。
…怪しい挙動をすれば、立場が悪くなる。
自分の時とも似た感じだ。スイッチさえ入れば、もう手を緩めることはないのだろう。恐怖も罪悪感もなく、さも当然のことのようにやってのける。本当に向こうはこちらを見ていたのだろうか。
いよいよだ。そう遠くはない。
「どうかしましたか?」
「あ、いえ。 …………………………。そういえば、教義で精霊と巫女はどんな位置付けでしたっけ?」
「…………? 確か精霊の導き手だと記載されてました。精霊と対話することで人々に様々な恩恵を授けるとも」
「成程、ありがとうございました」
教義では森林に宿るとされる精霊、それの導き手。破格の待遇だ。そもそもナナが巫女でいる間だけの特別な措置ではなかったか。偶然………………、ではないだろう。
「……………………」
結局、教団は当時のままなのか。一体、今はどんな人が巫女をやっている。あそこの神殿に何かあるのか。何となくそんな気がする。
ここまででおよそ九万文字。
取り敢えず目指せ、十万文字!!