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サヴァンブラタンナ  作者: 皆月 おき
第1章 朽ち果てた先で
15/22

1.15 腐りかけの腑で

取り敢えず出来上がった分だけ。

「………、教団は君にとってどんな場所だったんだい?」

「何ですか、急に。 その件は粗方、話したと思いますが」

「でも、まだ話していないこともあるよね? 例えば、ほら君の主観的な感想だとか」

「そんなの役に立ちます?」

「まあまあ、取り敢えず口に出してみよっか。些細なことでも何でも」


 何かあっただろうか。恐らく深い意味などないだろう。出来るだけ遡って最初の方から思い起こしてみる。


「強いて言うなら………、自然を慈しんだり、生活の一部に落とし込んだりすることでしょうか」

「へぇ――…、それはまた珍しい」

「ええ、教団に来たばかりの頃に僕もそう思いました」


 硬く、歪んだ岩群の上を短く跳び移った。斜面を下っていく。何かの拍子に転倒しそうなくらいに足場の悪い。


「散々、苦しめてきた大自然を征服することで繁栄してきた、なんてよく言われるしね。ナナシ君の時代もそんな感じ?」

「大方、同じですよ。風は泥や塵を運び込んできますし、森の近くで暮らせば、獰猛な捕食獣に怯える羽目になりますし」


 街道が落ち葉に埋まって集落の行き来が困難になったり、帰路を見失って彷徨い、凍死するというのもあったか。


「これぐらいでいいですか? まあ、大昔の何の参考にもならない話ですが」

「そうでもないよ。三百年前、反乱を起こした頃の教団にもそんな傾向があったとか、なかったとか」

「随分と曖昧ですね」

「後々、色々と不可思議なことがあってね、当時だと説明のつかない」


 幹と幹の隙間から聳え立つ石垣が見え隠れする。先程より石の繋ぎ目はくっきりと見えた。


「不可思議なこと、ですか……。 例えば、どんな?」

「えっと……、ほんの噂だったかな。民間人が大勢、失踪した。何でも皆、自分の足でどっかに歩いていって」

「で、その不可思議なことも亡骸のせいだったと?」

「ん――――……、そう思わないよ。ただ、まあ……。いや、この話は今はいいや」


 石垣の前にあるのは堀だろうか。遠くからでは見えなかった。石垣からおよそ数メートルに渡って一切の樹木が生えておらず、代わりに広がる踝ぐらいの短草の草原。とうとう森を抜け出す。


 ―――――――トクン


「…………………?」


 捻じ曲げられてしまったかのように風向きが移り変わる。内側でものが跳ねた。

 それまでの音が静寂に塗り潰される。少なくとも自分にはそう感じた。戸惑いながらも、取り敢えずは自身の胸に手を当てる。




 ――――――――――トクン


 一拍、置いてさらにもう一度。何だったのか、今のは……。

 動悸?心臓が強く脈打ったのか。首を傾げる。自身の希薄な中身がぶれたような。それから胸の奥が直に締め付けられる感触。

 一応、これっきりで治まりはした。こうしている間も来ないということは次はもうないのか。ただ、何だか先程と打って変わって―――――


「え?」


 自身の身体を気にしている内に視界の隅にルイスの影がちらつく。それはあらぬ角度からのもので、見間違いではないかとそちらに目を向けようとした。視界の隅で彼は倒れていったのだ。


 目にしたのは膝を付き、その場に蹲るルイスの姿。それにそのまま立ち上がろうともしない。彼の所に駆け寄る。


「どうしたんですか、ルイスさん。何処か悪い所が…?」

「あぁ……、なんだろうね…。何だかいきなり眩暈がして。 ……うぅっ」


 上げかけた顔が再び俯き、より地面に近付く。瞠目して口元を彼は抑えた。どう見ても、大丈夫そうに見えない。血の気が引いた顔が蒼白になっている。


「これは、ちょっと不味いかな………」


 抑えていた手を退け、殆ど息を切らしながら口角を吊り上げたルイスは微笑んだ。明るく振舞おうとしているようだが、明らかに無理をしている。


「すみません、少し失礼します」


 そう言ってルイスの額に手を当てたが、熱はなかった。ただ、触れた指先の湿り気があることに気が付く。よくよく見れば、前髪に隠された額には滝のような汗が滲み出ていた。どう考えても、量が尋常じゃない……。ポツリポツリと垂れる。


 咄嗟に背後を振り返った。

 あったのは群がって生える木々や好き放題に伸びる草花だけ。そのまま自身ら通ってきた薄暗い山道だと思う。気配などはない。


 何かがいたように気がしたが、そんなのは気のせいだった。だが、このままではいけない。

 ルイスを担いでその場から離れる。


 先程まで飄々としていたのに、何故……。いや………、前触れらしきものはそれなりにあった…。袖で口を抑えるが、無駄だと気付いてやめる。


 何なんだ…、この周囲から纏わり付いてくる感覚は………。煩雑としていているくせにやたらと体の奥やら脳髄にまで深く染み渡ってくる。

 嫌な感じだ、それも確かにある。自身の領分に無遠慮に立ち入られる暴挙に等しいのか。なのに、何故だろう………。


 ―――――――何だかもの凄く()()()()()…?


 僅かばかりか高揚させられる。周囲に毒ガスが充満しているのかと疑ったが、違う。

 可笑しくなったのはもっとずっと曖昧で抽象的で形を持たないもの。空気や雰囲気といった類。もしくは自分自身………。


 自身の中で灯る熱がまた強くなった、この嫌な空気と相まって。全くの無関係というには些か無理がある。

 引き返して茂みの中へ踏み込んだ。相変わらず木の葉のざわめきや遠吠えは聞こえる。

 あの石垣の先で渦巻きながら漂ってくるものだ。あの先に自分の目的のものがある。茂みの中へ潜る。


 現時点では、然して不都合なようには働かない。きっとそれは自分にだけ。

 徐々に衰弱していくルイスの傍らで、相反して力は揺らぎ、自分だけが気持ちの高まりさえも覚える。

 ルイスの荷物を置く。自分の荷物を頭の下に敷いて彼を寝かせ、屈んで草陰に息を潜めた。


「――っ、成程…………。 呪い、か……」


 表情を歪め、小さく舌打ちする。

 そう表現されるのがずっと不愉快だった。嫌で嫌でしょうがなかった。だというのに、突き付けられたのだ、それが正しかったんだと。紛うことなき事実なんだと。一端、目を伏せた。

 ………今はそれを考えている場合ではないのか。


 横たわらせているルイスは憔悴し切っている。胃の不快感によるものか腹部に手が当てていた。時折、うつ伏せになっては吐き気を催す。強張った彼の背中を擦る。

 辺りを見渡した。


 果たして治まってくれるのだろうか。顔は青白いままだし、冷や汗も未だに止まっていない。汗を拭い去るが、気休めにもなっていないかもしれない。


 これらは自律神経の乱れによるものだと考えていいのか。

 ただただ見るからに痛ましい。

 頭を抱える。


 これからどうするべきか。ずっとこうしている訳にもいかない。この空気は止まる気配などなく、ずっと滞ったままだろう。猛獣の危機に晒されるまま。


 あの石垣の向こう側はどうだろう。もしかしたら敵地の中に踏み込むことになるのかもしれない。その場合、敵が猛獣から人間に変わる。或いは、一か八か。一端、この異質な空間から出来るだけ離れてみるべきか。

 木の葉が揺らぐ。


「―――――――――!」


 すんでのところで引く抜いた武器受け止める。茂みの向こう側から湧いて出てきたそれの口が短剣に喰らい付いた。

 いつの間にこんな所まで……。背後からそれは襲い掛かってきた。気付けなかった。ルイスの方に気を取られ過ぎていたのか。


 短剣にもう一方の手を添え、振り離そうとすれば、刃と牙は擦れる。身軽そうに後方へと跳ね、間合いを取られた。


 一端、ルイスの方を見る。切っ先を奇襲を仕掛けてきた主に向けた。相手は手入れのなされていない乱れ切った毛並みをした……………野犬?


 一回り小さな口に、痩せ細った体躯、揺れ動く左右で大きさの不揃いな瞳孔。

 こちらを睨んでくる。あの見た目は擬態ではないだろうか。


 狼のような吊り目に牙も鋭いものを持ち合わせているが、他の異形の怪物達と比べてしまえば、余りにもまともだ。それどころか、肩透かしさえ食らいそうになる。


 白い唾を牙の間から引っ掛け、爪が地を蹴る。息を吐く。

 前脚の片方が先行して楕円の弧を描くように回り込み、その様子を追う。かと思いきや真っ直ぐ跳び掛かり、一直線に刃が胴体目掛けて向かうが、直前でまたもや背後に回る。


 その軌跡を短剣が辿った。右から相手は左へ、左から前へ。再度、振るう。

 振り回した短剣は体毛を掠め、悉くが空を斬る。最初に着地した足を軸にさらにあらぬ方向へ。


「――――――――――っ」


 鉤爪が振り抜かれた、振り返った際に目の高さまで跳躍して。

 過ぎていく。


 コートの左肩部分が裂かれる。

 眼前でほつれた糸は靡いた。


 透かさず勢いと質量に任せて押し倒され、引き摺られ、泥に塗れる。


 歯肉や二対の犬歯を含めた並ぶ牙が眼前に迫り、短剣を地面に落とす。目と先にまで迫った野犬の顎を掴んだ。唸る。それでも、力尽くで動こうとしてさらにその奥の筋肉質の弁までもが見えた。丁度、爪が服に食い込んでいる。


 地面に叩き付けられ、数メートル離れた先へと野犬が転がった。蹴飛ばした、固定されて暴れる腹に向けて膝をぶつけて。そして、何事もなかったかのようにむくりと相手は起き上がる。


 泥を振り払って短剣を拾う。獣臭から鼻を軽く擦った。こっちは相手をしている暇はないというのに。


 肋骨の浮き上がる身を低くし、喉を震わせてくる。意外と丈夫なのか。当たりはしたが、直前で振り解かれてずれた。思ったよりすばしっこいが、まだ許容の範囲内といったところか。恐らく次こそは捉えられる。

 柄を握り締めた。左の方に照される光に片目を眇める。


「…!」


 離れた犬の背後で塵のようなものが舞っている。死に体の体を地面に伏せたルイスがそこにはいた。移動してきたのか、這いつくばって。指の末端まで伸ばし、広げた彼の掌の上で細氷が集まっていく。


 跳ねた野犬の二つの耳が動く。振り向くとともに駆け出す。気付かれた。身体をルイスは引き摺らせる。狼狽しながらも、移動した先へと照準を移した。

 両方を狙える位置に居座っている。ただ、現状では彼の方に寄っているのか。


 この距離ならまだ追い付ける。ルイスに対し、向こうが訝し気に目を細めた。もし彼の方を狙おうものなら、全力で追掛けて喉笛を掻っ切る。確実にやる。

 半歩足らず敵の方へ詰め寄った。 

 機敏に体は動いて爪先がこちらに捩れる。赤く濡れた牙を相手は剥き出しにした。


 ある種の規則に従って氷の粒が配列されていく。白い靄の中でその一粒一粒が太陽の光を受けて微細な輝きを放っている。

 出来上がったのは敵を貫かんとす一本の氷の杭。


 次はどこへ向かって動き出す。指先まで張り詰めた後ろ脚を地面から離さずに引いた。重心が移動する。


 砂利が飛んだ。

 僅かながら、空気が巻き込まれる。杭は撃ち出された、余りにも不規則な軌道を描いて。落ちて揺れ、地面をそれは穿ったのだ。対象には届くことなく、その手前で。

 失敗したのか………。ルイスの方を見遣る。


 横たわっていた。力の抜けた指先が仰向いている。ピクリともしない。眠っているかのように酷く物静かに彼は倒れていた。


 突き刺さった杭は形を保てなくなって砕けた。

 光の粒子へと変換され、搔き消えていく。


「………?」


 ルイスに向かった剥き出しの牙は仕舞われている。彼に襲い掛かるつもりはないのか。緩く前脚を伸ばし、ルイスを眺めていた。警戒心が薄れていると考えるべきか。尾が振れた。

 それもまたこちらを見るや否や、再燃する。


 鼻先に皺が寄り、吠える。

 まあ、いい。茶色の体毛が揺れる。脇目も振らず、大口を開け、身を乗り出した。周囲に近付いてくる気配はない。

 同様に自分も身を運ぶ。そちらの方が都合はいい。可能な限り早く終わらせる、向こうの気が変わってしまわない内に。


 犇々と近付いていく。

 四本の脚が地面の上で身体を走らせる、荒げた息でただただ低く。

 右側へと自身の体重を傾けた。


 跳び込んでくる大きく拗けた体。回り込み、こちらに向かった鉤爪を避ける。そして、先回りして野犬の進行方向を塞ぐ。正面からの衝突を避けようとする野犬に向かって腕を伸ばし、ある一点へ短剣を届かせた。野犬の首が仰向く。片目を潰す。

 数歩引き下がり、首を仰け反らせて真横からの牙を躱す。動き出そうとするあちらの地面に付いた足を引っ掛ける。そうして横転していく野犬が向かうであろう右の方へと。


 身を捩って左側に野犬は跳躍した。

 予期せぬ方へと擦れ違っていく。だが、眼は追い付いた。眼だけがその姿を捕捉し続けていた。大地を押し、殆ど正反対の方へ離されていく体を直視した先へと持っていく。


 ――――――追い縋る。


 並び立ち、そこからの悠々とした大振り。

 繊維に沿い、頸動脈に刃を挿し込む。


 そのまま深く押し込むが、歯止めが掛けられる。硬いものにぶつかった。恐らくこの辺りが骨。

 再度、力を籠め直して地面に打ち付け、手元で柄が動く。


 砕いた確かな手応えとともに勢いに引っ張られ、一気に下まで食い込んだ。

 反った首が宙で引っ繰り返り、胴体から離れていく。同時にその場から立ち去った。


 ルイスの体を起こす。相変わらず血色は悪い。肩で息をしている。

 今にも閉じてしまいそうな一方の瞼。もう一方はその瞼ですら持ち上がらず、垂れ下がっている。一先ずは安全そうな場所へ。


「……………!」


 閉じかけていたルイスの目は見開かれた。その時だけほんの少し。震える彼の唇。視線はこちらに向いている、訳ではない。それにしては焦点が合っていない。もっと別の何かを……。


 咄嗟に出せた左腕に(かぶ)り付き、跳んできたものに目を見張った。

 生首だ、自分が斬り落とした野犬の。

 首から下が見事にない。


 柄で頭を殴り付ける。一向に噛む力が緩まない。目はしっかりこちらを見据えている。腕を振るった、強く。上下し、その度に撒かれる血液の数々。


「あ、あぁ…………!」


 首だけになって尚、意志を持って喰らい付いているのか。

 噛む力は一層、強くなった。一体、どんな執念をしてるんだ………。

 地面に向かって血は流れる。これは自分のだ。腕を牙が直接、穿(ほじく)り返す。とうとう衣服を突き抜けた。短剣は片顎に突き刺した。


 多少、強引でもいい、引き剥がしさえすれば。首の後ろへ回し、手を突っ込む。こんな所で行き詰まっていて堪るものか。せり出すものを探り当て、引っ張る。皮膚がそちらに釣られる。犬歯が手首を引き分ける。

 毟り取った、自身の腕から。手の中でジタバタと荒ぶるのを余所に首を森に投げ付け、差し掛かった小枝が折れる。二度と戻ってこないようひたすら遠くへ遠くへ落ちていった。


 当然、自身の腕は抉れた。

 だが、直ぐに傷から泡が湧く。


 寝そべったままの野犬の胴体の方に刃を向ける。首なしに起き上がったりなどはしてこない。手足自体が動いたりも。というより、崩れている………?  いや、だが…。


 甘ったるいような生臭いような腐臭がツーンと鼻腔を掠めた。先程までの胴体がもうそこにはない。


 広がっていく澱みに押し流され、肉片やらが足元には転がる。体表が禿げた。皮が破けた。ひび割れた白い骨が露わになり、骨から肉が緩やかに滑り落ちていく。敢えて言うなら………。

 野犬の死肉は腐り果てた、ほんの少し目を離した隙に………。


 右の指の隙間には粘っこい感触がある。

 恐る恐る肉片を踏んだ。いとも容易く潰れる。弾力もへったくれもない。熟れた果実みたいに潰れ、体液を散らした。


 ドロリと肋骨からは半ば潰れた塊が零れ、糸を引く。

 これで終わり……だとは思う…。そういう生物、だったのか……………………。

 いや、そんなことより今はルイスの方を―――――


「―――――っ」


 歯噛みをする。

 足音だ、こちらに足音が近付いてくる。まだ何かいるというのか………。荷物を掴んだ。ルイスを背負って走っていく。冗談じゃない。

 積み立てられた石段に沿う。


 息吐く暇もない。二人掛かりでやってきた作業に斑ができている。やはり、自分だけでは荷が重かったか。


 自分の肩の上でルイスの首が垂れる。脈はあるが、乱れている。間髪入れずに来たかと思えば、次が中々やって来ない。

 粛然として石垣の向こう側で風車が回っている。

 だらりと首にに掛かっていたルイスの腕が解け、上体が偏っていく。背負い直し、手を肩に戻す。


 いずれにせよ、このままだとルイスの身も持たない。

 ずっとこの呪いとやらに触れ続けているのだ。いい状態だとはとても思えない。命の保証がない気さえする。


 でも、そうなると集落の人々はどうやって暮らしているのか。


 左手首の方からは中々、泡が引いていかない。塞がっていくのは浅い端の方ばかり。流石に限度があるのか…………。

 大分、先程の場所から離れた。接近してくる音などは聞こえない。


 仮にこの空間から出たとして、ルイスの体調が回復すればいいのだが………。……………。

 まだ話が出来るだけ人間の方が幾分かマシかもしれない。余所者に寛容ではない閉鎖的な空間である可能性も考慮に入れる。


 ペースを少し落とす。どうもこの辺りは比較的、静かな方だ。一先ずは安心と言うべきか。

 自身の肩に触れた。肩は中のシャツごと裂かれて肌が露出している。ただ、特に怪我などはしていない。それから袖からはみ出た手の甲に。短剣を押し付けた際に引っ掛かれたのだろう。


 肝心の左手首はどうだ。泡こそなくなった、縦に伸びる大きな傷を残して。治り切っていない。殆ど塞がっていないまま………。


 ……辛うじてだが、肉眼で視認出来る程度に傷口は動いている。

 恐らく修復が止まったわけではない……。


 入り口はどこだろうか。堀を滑り降りていくと、側から草原の中に埋もれる枯れ葉を払う。

 ずっと石垣が続いている。


 そもそもあの中で人は生きているのか。


 確か、鱗塗れの手足に破裂した首から上。最早、体内では収まり切らなくなった灰色の血管たち。

 全部、ルイスが見せてくれた光景だ。


 雨風に晒されて擦れた石垣の一部を白い苔が覆っている。さらに上を見上げてみる。

 塗り固められた上部は傷が少なくて、苔も大して生えていない。

 何となく色も違うように見える。


「…………」


 一応、あの箇所はごく最近に修復されたもののようだ……。


 底の方から這い上がって石垣へと近付いていく。

 一体、いつまでこうしているのか。上から見た感じでは大分、広いようだった。それでどれだけの時間を要する。

 いっそのこと、よじ登った方が早いのではないのか。


 石垣に触れる。左手は指まで問題なく動く。寧ろ、普段より指を動かす労力が少ない気もする。


「――――ウチだけそういうわけにもねえ……」

「―――そんなの人それぞれじゃない、かと?」


「…………!」


 上からだ。


「――白い目で見られたりしないのかよ」

「―下手にやると禁則事項に引っ掛かっちゃいますし」


 肩から力が抜けそうになって、徐々に鼓動が早くなる。

 声からして四、五人辺り。


 どこか隠れられる所は――――……

 足を止める。背と石垣の方、交互に意識を傾けた。


 ちっぽけな自分一人ではもうどうしようもない。出来ることなど殆どない。

 より確実な方を。この場合の最善は何か。それだけを考えて……。


 一息吸う。


「すみません…! 助けてください…!」


 出来るだけ声は絞った。老人のように腰を曲げる。 

 案の定、石垣の上から詰め寄る人影。それから見え隠れする何か細長い道具の一端。ざわつき始める。


「え――と……、いるのは君と……もう一人だけ?」


 真っ先に中年の男が顔を出す。


「……え、えぇ! あ…、それより彼の方が……! 何か急に倒れて……!」


 彼らからすれば、こちらは可哀そうに映るのか。それとも、さぞや滑稽に映っているのか。


「もうどうすればいいのか……! 怖くなって……。兎に角、逃げて逃げて逃げて…………」


 貴方たちにとって自分たちは全くもって問題にならない弱者だと、そう示すように。

 情に訴え掛ける。


「まあまあ、落ち着いて。入口はそっちだからって……そんな場合じゃないよねえ。えっと……」


 慌てて中年の男は何やら指を振って指示を出す。石垣の上からは梯子が降ろされる。そこから五人、棒状の物を手に降りてきてこちらを取り囲むように立ち塞いだ。

 両手ともに開いた掌をあちらの見える位置にまで上げる。


「気持ちは分かるんだけどねえ……。 いや、ほら。別に取って喰おうってわけじゃないしさあ」

「は、はあ…………」

「大変だったよねえ、こんなところに一人で」

「そう……ですね…。ただ、その前に。 彼は助かるんでしょうか…?」

「大体、症状は同じ。 おじさんたちで預かるよ」


 横にいたややがたいのいい男が両手を差し出してくる。


「詳しい人に診てもらわないと何ともねえ。まあ、最善を尽くすんだけど」

「…………、そうですか……。 どうか、彼のことをお願いします……」


 重みのあるように装い、ルイスの体を男へと預ける。今度は他の男が如何にも重たそうな荷物を預かろうとしたが、軽く遠慮した。


 ルイスの症状に関しては彼らの方が色々と知っていそうだ。とはいえ、まだ彼らにとってこちらは素性の知れない二人。出来るだけルイスから目を離さない所にいた方がいい。


「君かそこの彼、人外だったりする?」

「いえ…、普通に人間かと」

「そう。なら、いいんだけどねえ」


 そう言って中年の男はを往々と眺めてきた後、こちらの腕を持ち上げて袖を捲った。

 確認だろう、人らしからぬ部位がないかの。そういうのが必ずある。


 両脇に向こうは半々でばらけている。掘削の器具か何かか。矢が飛んでくるぐらいは構えていたのだが。それに比べれば、割と寛容な方だとは思う。


「………! 君のその首の印、いつからあるやつ?」

「………。物心つく前からですかね…。親が付けたものなので」


 歩みを止めて彼らは繁々とこちらを見つめた。向こうの一人がひそひそと何やら中年に対し、耳打ちをする。何を話しているのか。


 さり気なく片耳を指で塞ぐ。聞き取ろうとしたが、駄目だ。耳を澄ませば、どうしても雑音が入り混じって音が歪む。

 隠さないと不味かったか。だとすれば、完全に自分のミスだ。


()()()()()()()()()()()()()()()()

「………………は?」


 一人は袖に。一人は襟に。また一人は背に。場所こそ違えど、曲りくねりながら幾重にも重なり合い、上へ向かって伸びる線たち。炎を連想させて同時に心臓の意味合いも含む印。

 全員が教団の象徴を身に着けていた。

本当はこの章の最後まで書き上げておきたかったんですがね…………。

作者の実力不足で大変、申し訳ありません。


正直、私自身も困惑しています。何故、異能力バトル物で肉弾戦ばかりしているのか………。


とはいえ、順当にいけば、あと7話でこの章は完結かと。

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