1.10 決着と反省
間合いは一気に詰めた。
アルマもまた向かってくるが、今度は下がることはしない。
下に潜り込んでからの蹴り。出来るだけ胴体の中央から離れた端の方。そこを狙う。
よろめいた。本来ならよろめくだけで済むものではないのだが。
なら、もう少し強く打ち込んでも問題ないようだ。
長引かせただけ自分の方は不利になる。やるなら短期間で決着を付けなければならない。
一発二発、三発四発と続け様に左拳を打ち込む。顔を覆い隠すように彼女の手がそれを防いでいる。びくともしない。どれも有効打になっていないのだ。
やはり何かが違う。まるで歯車が上手く噛み合っていないような感覚だ。
腕の隙間からアルマが目を覗かせる。
咄嗟に首を傾けた。すぐ横を突き出した彼女の拳が過ぎる。こちらの連打の合間を付いてきたものだった。間一髪でかわせたが、逃げ回っていた時より神経を使う。
直ちに薙ぎ払われる彼女の蹴り。後屈させた上体のすんでのところを突っ切る。
相変わらず澄ました顔を彼女はしている。本気で固められてしまえば、こんなものか。
左手を突き出し、アルマの体を押す。
だが、ちっとも動かない。それにこれも違う。すぐに次に移る。まず一歩引き下がった。
刈り取りにくるような左腕を潜り抜ける。真っ直ぐ突き出された蹴りを跳躍して躱し、そこらからさらに左に逸れた。放たれた大振りの彼女の右拳を避ける。そして、背後に滑り込んだ。
そこからアルマに向かって――――…
もの凄いスピードで頭上を何かが通過していく。即座に身は屈めた。両手と両足、四本で体を支える。
裏拳。彼女は殆どこちらを見ていない。ここまで対応してくるのか。いや、違う。いくら何でも早過ぎる。動かされたのだ、自分がここまで。
そして、突如、眼前に出現した二発目。振り返るとともに死角から放たれた不可避の一撃。
思ったより早かった。
「かはっ…………」
全身にまで衝撃が走り、体が引き摺られた。たった一撃がここまで重い。
でも、これでいい。敢えて避けようともしていない。逆に拳を掴み、押し込んでねじ伏せた。
痺れるような感触が左手にはある。やはり一発だけならまだ何とかなった。恐らく二発目は凌げないだろう。
透かさず掴んでいるアルマの腕を引っ張り、足を引っ掛けて体勢を崩す。少しばかり呆けていた彼女に対し、思考が追い付いてくる前に追い打ちを掛けた。
如何にして相手の虚を衝くか。如何に自分が有利なように事を進めるか。それが勝つための秘訣らしい。
アルマに向かってグルグル巻きの右拳を振り翳す。強引に掴まれた手を振り解き、アルマは防御に徹しようとした。でも、そうはさせない。
このまま渾身の一撃を食らわせる、完全に固められてしまう前に。
―――――そう見せかけた。
大きな隙が出来た。踏み込んで進行歩行の軌道をずらし、加速する。
もう自身の紐には右手の指が掛かっている。指一本、動かすだけでいい。勝負から降りる準備はとうに出来ている。
最初っからアルマと真正面から遣り合うつもりなど毛頭なかった。ベットの上で吉報を待つなんて冗談じゃない。回復が遅れるのも、悪化するのも、増えるのも。全部、真っ平だ。
伸ばした左手に紐は触れ、引き抜―――――
―――――刹那、背筋に冷たいものが走った。
―――――ドスッ
首筋から痛みが全身を駆け、鈍い音が頭蓋骨を殴り付けた。力は抜けていく。このまま気を抜こうものなら意識が落ちてしまいそうだった。
……まだだ。何もかもが見え辛くなってなお、落ちていくだけの体になけなしの力を籠める。まだ右手、或いは左手のどちらかを――――
―――――森から空、地表……。
見えている景色が二転三転した。二度に渡って胃が揺さぶられ、中身が曝け出されそうになる。
腹部に二発、顔面に三発。合計六発を貰って、上半身から崩れ落ちていく。
息を吐くこともままならず、地に伏した体は動いてくれない。
何故だ…。何故…。意味が分からない……。確かに体勢が崩した筈だ。なのに、今のアルマは平然と立っているようだった。一体、いつの間に立て直したのか。
後になって蝕むように痛みは体を襲う。だが、それどころじゃない。一切、衰えることもなく息が詰まるような重圧がゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
何かの皮が剥がれていくようだった。
今の自分の体勢で見えるのは彼女の足元だけ。顔など見えやしない。指先がブルブルと震える。悪寒が止まらない。
何か恐ろしいものがやって来る。
―――――パン、パン
「はいはい、ストップ。そこまで」
手を叩きながらルイスはアルマの前に立った。
「疲れた…………」
あの重苦しい空気が嘘だったかのように立消える。足元からアルマは崩れていく。丁度、自分の目の前に倒れ込み、彼女の薄紅色の髪が地面に散る。
やっとだ。やっとその時、自分は一息を吐いた。
肺に溜めていた空気が咳とともに吐いた。
「二人とも熱くなり過ぎだよ。いざって時には止めるのは僕なんだから。いや、止めなかった僕のせいか……」
「すみません………」
困惑しているルイスに対して謝った。肩を貸してもらい、体を立たせてもらう。手はだらりと垂れている。現状では立つのもやっとのことだ。安心したせいか意識が朦朧としてきている。
「それで勝った感想は?」
「特に何も……。ああ。でも、中途半端に動けるから余計に面倒だった……」
「そう…」
アルマにルイスは聞いた。完全に脱力し切って彼女は地面に寝そべったままだった。ピクリとも指は動かない。指先に掛けてまで力が抜けていることが窺える。
「もう私には関係ない……。どっかで勝手に二人が野垂れ死んでも……」
「…………。そこまで言いますか……」
「別に。そういう場所だって分かっていくんでしょ……」
眠たそうに瞼が垂れ下がった彼女の半眼がこちらを向く。
「だったら、覚悟の上だよね……?」
両足を抱き抱え、自身の顔を覆い隠すようにアルマは蹲った。深々とフードを被り直してなお、飽き足らずにさらにしわくちゃになるぐらい引っ張る。
「…………私にそんな覚悟はない」
腹の底から絞り出した擦り切れるような声音でアルマは言う。先程からずっと彼女はどこか淡々としていて他人行儀だったのに、最後の一言には力が込められていた。
数刻前の自分と何ら変わりはない。ガタガタと歯を震わせ、何かを彼女は恐れていた。
「…………アルマさん?」
最初に異変に勘付いたのはルイスだった。そんな彼の反応に自分は釣られただけ。すぐさまルイスは駆け寄り、アルマの体を起こした。
ぐったりとしていた彼女はしているにもかかわらず、妙に息だけは忙しい。顔は火照り、尋常ではない量の汗を流している。瞼も開けられず、目は瞑ったまま。
「凄い熱だ……。 ごめん、ナナシ君。一人で歩ける?」
「ええ。今の所は差し支えないと思います。調子も戻ってきたので」
「なら、いい。それじゃあ急いで戻ろう」
ルイスはそっと自分から手を放し、アルマを背負うと踵を返して来た道を戻っていく。慌ただしくも森の中を抜けていった。
「戻ったら、三人で話でもしよう。出来るなら腹を………やっぱりナナシ君は外で待っててくれないかな?アルマと二人っきりで話をしたいんだ」
「……………? 別にいいですけど」
◆
目には人工物ばかりが映る。多くの住居が隣接していた。にもかかわらず、少しも緑は損なわれていない。逆にどこもかしこも緑で溢れかえっている。のどかな場所だった。
ふとドアの開く音がして建物の中からルイスが出てくる。
「アルマさんはどんな感じでしたか?」
「逆に色々と言われたよ。色々と言うつもりだったんだけどね」
「良かったんですか、アリッサさんを呼んでこなくて」
「大丈夫大丈夫。二、三日くらい寝かせておけば、そのうち元気になるだろうね」
「それでいいんですかね」
「………。そこはアルマ自身の問題。彼女の精神次第だろうから。 それと、やっぱり一緒には来てくれないそうだ」
「そうですか………」
「まあ、まだ十五歳の女の子だし、そんなこともあるんだろうね」
「十五歳ですか…。大体、僕の中身の年齢と同じぐらい」
「ああ…、やっぱりそんな感じか……」
てっきりもっと上だと思っていた。どうもこの体からだと色んなものが大きく見え易くて敵わない。
何故かルイスは顔色を変える。
鼻の奥がツーンと刺激が走った。何となく痛いと思って擦ってみれば、案の定。指には血が付いていた。
「やっぱり怒ってたりする?」
「別に。続けることを選んだのは自分ですし。それにそんな気力もありませんよ」
勝てば、力を貸す。自分はアルマの人柄をよく知らない。彼女がそのような約束を守ってくれる人かどうかも分からなかった。元々あまり期待していなかったことだ。
精々、あわよくばぐらい。二回とも勝てると思っていたからやった。
だが、所詮、自分のやったことなど欲張って有り金を全てギャンブルに注ぎ込むに等しい行為だった。自分の力をよく考えずに根拠のない自信を振り翳した結果だ。
もう二度とやらない。やるべきではなかった。
「他に怪我とかはしてないよね?」
「………? そういえば、痛みは殆ど引いていますね」
体も問題なく動く。当初はかなりの衝撃を体に与えられ、同時に痛みも感じたのだが。顔面も腹部も包帯が巻かれた所から綺麗に外れている。あとは口の中はちょっと切った程度。
「加減はしてくれたみたいだね。し切れなかった部分はあるみたいだけど」
「加減って………」
まさか手加減までされていたとは………。
「……何なんですか、彼女。普通の人間なんて言いませんよね?」
周りに複数いはしたが、本来なら普通の人間は素手で岩を割ることなど出来ないのだ。
「ナナシ君、この薬は知ってるかな?」
「…………! どこでそんな貴重なものを? しかも、そんなにたくさん」
彼が取り出した四角いケースの中にはジャラジャラと数十粒の丸薬が入っていた。自分としても見覚えのある代物だ。
「いや、これぐらいさして珍しいものでもないよ」
認識がずれている………?
年月の壁は自分が思っている以上に厚い。過去には栄華を誇っていた二つの宗教があった。それらは潰し合って片方は今では表舞台から消えている。よくあることだと受け入れることにした。
「まさかこの時代の人間は全員、あんなのばかりなんですか」
「いや、それはアルマが可笑しいだけだ。アルマとあれぐらい戦えたなら、戦士として十分過ぎるくらいだよ」
「そうですかね……?」
俄かに信じ難い。
もっとずっと上がいる。あの異常な怯え方。圧倒的なまでに脅威に感じたアルマをあれ程まで追い詰められるだけの者がいる。教団、或いは樹海の怪物たちがそれに相当する可能性も。
「結局、二人で行くわけですか」
「そういうことになるね」
やはり多少は出発の日取りをずらしてでも、アルマを引き入れるべきか。少なくとも自分よりは戦力として役に立つ。強引な手段でもいい。力で言うことを聞かせるのが無理なら、騙してでも。
上手くいくだろうか。いずれにせよ、今の自分は手段を選んではいられない。使える物は何だって使う。目的のためなら何だってやるつもりだ。手だっていくらでも汚す。それでいい、それが最善な筈だ。
「……………。はぁ――…、二人でも問題はないんですよね?」
「一応、そう考えてるよ」
「あとは明日になるのを待つだけですか。やりたいことはやったので、それでいいですけど」
袋から飴玉を一粒、取り出して口の中に放り込んだ。
出来れば、教団と衝突するのは避けたい。
「その前にまだ君の装備を整えておきたいところだよ。靴とか防寒具、あとは武器とか色々」
「あぁ…、それもそうか」
そういえば、危険地帯に出向くというのに、今の自分はシャツに半ズボンとかなりの薄着だ。
「必要なもの直ぐに買え揃えられるだろうね、ここで」
「ここでって………」
そう言って彼が指したのは自分が眠っていた建物。丁度、彼が出てきたばかりの所だった。建物に沿って彼は歩き出す。その後を追う。
「ここって診療所じゃないんですか」
「裏手の方はね。でも、表の方は雑貨屋になってるんだよ」
建物の前には品物が並んでいた。パッと見、用途が分かるものから分からないものまで。掲げられた看板の下にはどこぞの民族のお面と思しきものが置いてある。魔除けか何かだろうか。
裏手の雰囲気とかなり食い違っていた。
この作品を読んでいただき誠にありがとうございます!!
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