第72話 誰かの鼻唄
昨日のナイターは悲惨でしたね。。。いえ、そうではなく。宝物殿侵入計画は、着々と進みますー!
※2021/10/28より改行修正入れております。内容には変更ございません。
日が暮れる頃になると、全員が訓練を終えてそれぞれ帰途に着く。石段に腰掛けて汗を拭くアリオと、酷くうな垂れた様子のエリアーデにマックスが声を掛けた。
「じゃあ、予定通りお前らは今晩、飯は要らないんだな?」
「ああ。悪いけど伝えといて貰える?」
アリオが彼に謝ると、マックスは「いいって。任せろよ」と返す。思い出したようにエリアーデは顔を上げ、帰り時刻を伝えると、彼は嬉しそうに手を振って帰って行った。
その背中を2人が見つめる。
「下宿させて貰ってるのに、夜にけっこう外出するの、本当に申し訳ないね……」
宝物殿の侵入計画を立てるため、2年前から2人は王城を出て、マックスのパン屋に下宿していた。
名目上は謎の皮膚病について、市井での蔓延状況を調査するためということになっており、ゴージャ王もマックスも略奪のことは知らなかった。
「そうだな…。さて、早く風呂借りないと集合時間に間に合わないぞ」
アリオは両膝を手で叩くと立ち上がった。
落ち込んだ様子のエリアーデは、とぼとぼとアリオについて行く。深いため息をつく彼女にアリオは「どうしたの?」と一応声を掛ける。
「魔法と魔術ならなんとかなるけど、どうしても護身術が…上手く行かなくて……」
あまりにも予想通りの回答に、さして驚くことも無く「ああ…」となんともいえない相槌を打つ。その反応にエリアーデはむくれた顔になった。
「どうせアリオには分からないでしょ。昔から運動は出来なかったし、別に良いの」
そう言いながらアリオを睨み付けると、歩みを早めて彼を置いて行く。彼女の背中を見つめながら、アリオもため息をついた。
「俺、何も言ってないだろ。めんどくさいなー…」
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アリオが湯浴みを終えて外で待っていると、エリアーデが脱衣所で歌っている声が聞こえて来た。彼女がよく歌っている唄だった。
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北の森の石の塔
小さな塔の中は広いお屋敷
お屋敷の中には黒い猫と白い犬
箱庭の鳥籠には青い鳥が1羽きり
なんでも見えるきらきら水鏡
何処にでも入れるふわふわ羽衣
今日のパイは柘榴入り
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歌声が鼻歌に変わり、エリアーデが長い髪を拭きながら出て来た。彼女の機嫌が直ったことに安堵しつつ、アリオは濡れた髪をあまり見ないようにしながら尋ねる。
「その唄ってよく聞くけど、修道院で習うの?」
「え? ああ、これは母がよく歌ってたの。死んだ父が、私に聞かせてやって欲しいって言ってたらしくて。意味の分からない歌詞なんだけど、懐かしいというか、なんか変な唄だよね」
母と聞いてアリオは身構えた。エリアーデの母親の話は、彼にとってすっかり禁句になっていたのだ。慌てて歌詞の内容に話を逸らす。
「ふーん。じゃあ歌詞の通り、北の地方の唄なのかな」
「……そうかもね」
アリオとエリアーデは並んで歩き始めた。
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正面階段を降りていると、2階でゴージャ王と出会した。
「おお、久しぶりだな。研究調査は進んでおるか?」
アリオたちが王城を出た理由を、本当のところ王がどう思っているのか分からなかった。
もちろん全てが嘘というわけではなく、マシューたちが訪れた後に再び皮膚病が蔓延したため、その情報収集を兼ねて下宿先を探したのだった。
下宿先にはサラマーラたちの家を勧められたが、ゴージャ王の子孫の家系では、情報が漏れる可能性があるので別の家を探した。
すると、マックスがそれはもう張り切って家族の許可を取り付けてくれたのだ。
「はい。ベルガー医師と順調に仮説の裏付けを取っています」
突然現れたゴージャ王に狼狽えることも無く、エリアーデは淡々と答えた。嘘を言っているわけではないが、彼女のこういう所は肝が座っているとアリオは常々思っている。
「その仮説とやらは、まだ儂やユリアンには話せないのか?」
「仮説の裏付けに手間取っていまして。確証がないので、今年の夏に最後の検証を予定しています」
これは嘘だった。宝物殿への侵入まで、あと1週間程なので、それを気取られないように言っているに過ぎなかった。
彼女の回答にゴージャ王は「楽しみにしておるぞ」と満足そうに頷いた。そして、王はアリオへ目を移すと「お主はどうだ?」と尋ねる。
「俺はその…まだ3つ目の試練が分からない」
言いづらそうに肩を落とすアリオを見て、王は小さくため息をついた。彼の背中の聖剣をゆっくりと覗き込む。
「シャーリーン。あまり焦らすでないぞ。お主、まだシアンのことを引きずっておるのか」
後ろめたいことがあるのか、聖剣の魂は姿を現す気はない様子だった。
『そういうわけじゃない。…なんかやだ』
「困った奴だ」
そんなシャーリーンが少し心配になったのか、エリアーデもアリオの背中を覗き込んだ。
「嫌なら無理にとは言わないけど、あなただって外の世界について、思うところがあるんじゃない?」
『私は……』
何かを言いかけた光の魔物は、そのまま押し黙った。ゴージャ王とエリアーデは、アリオの背中越しに目を合わせる。
「…まあ、その調子だとお主はもう気付いておるようだし、時間の問題だろう」
アリオはその言葉に、そして王へ頷くエリアーデに驚いた。彼女は自分になんでも話してくれていると、そう思い込んでいたからだ。少なくとも聖剣については。
「それよりもお主ら、今宵の夕食はどうするつもりだ?儂と食べるか?」
2人はハッとして姿勢を正すと、王へ向き直った。
「王様、ごめん」
「申し訳ありません。すでに夕食が用意されていると思いますので、私たちはこれで」
ゴージャ王は残念そうに肩を落とすと「ではまた会おう」と静かに微笑んだ。
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正面階段を駆け降りながら、アリオはエリアーデへ不満そうに声を掛けた。
「試練の内容気付いてたなら教えてくれたって良いだろ?なんで?」
期せずしてアリオに知られてしまったことを、エリアーデは申し訳なく思った。決して隠していたわけではなく、完全に伝えるタイミングを逸していたのだ。
「ごめん…隠してたわけじゃなくて。予想通りなら、3つ目の試練は後戻りが出来ないの。シャーリーンが嫌がってるから、やっぱりそうなんだと思う」
アリオはそれを聞いて「後でちゃんと説明してね」と言い含めた。彼女はそれに無言で頷いた。
賑やかな飲食店通りを過ぎ、『科学屋』のある通りに出ると、すでにほとんどの店が閉まっていた。灯りが点いているのは夜行性の異邦人や種族の店だけだ。
『吸血・輸血します』という看板を出した気味の悪い店の前を通り過ぎると、エリアーデが小さな悲鳴を上げた。
「ねえ。いま女の子の血が不足してるんだけど、協力してくれない?」
露出度の高い服を着た、緑色の肌の女性がエリアーデの腕に絡みついていた。彼女には腕が4本もある。
アリオは咄嗟にその緑の手を2本掴むと、エリアーデの腕から振り解いた。慣れない様子で、エリアーデがもう1本の腕を解く。
最後の1本の腕をアリオが掴んだが、女はなかなか手を離してくれなかった。
「悪いけど、『科学屋』に用があるから」
「男の子の血も歓迎だよ」
彼は不愉快を露わにして女を睨み付ける。
「何をやってる」
騒ぎを聞きつけて、店から責任者と思われる長身細身の男が出て来た。
ナズナのような真っ白な肌に、襟足の長い金髪をなびかせた男は、真っ黒なローブを着ていて得体が知れなかった。爛々とした紅の瞳に、口元には鋭い牙が覗いている。
もしかすると古代種かもしれない。アリオは身構えた。男は女に掴まれたエリアーデを見ると、凶器のような爪が生えた手で、緑の腕を掴んで引き離した。
「ちょっと痛いんだけど!」
「うちは外の非合法店とは違うんだ。異邦人だからって例外は認めないぞ」
女は紫色の瞳で男を睨み付ける。
「ふーんだ。分かってるよ〜」
とぼけた様子で店の中に入り、扉を乱暴に閉めた。最初に抱いた印象とは打って変わって、男はエリアーデへ丁寧に非礼を詫びる。2人に助けた礼を言われると、男はアリオへ尋ねた。
「『科学屋』に泊まるのか?」
「…いや、そういうわけじゃない」
首を横に振るアリオへ、男は少し険しい表情で警告した。
「いつも見ていたが、帰りが遅いだろう。この店の前は通るな。血の気の多い奴ばかりだ。法律が厳しいとはいえ、同胞は今まで何人が国外追放処分になったことか」
この男は思ったより良識人だったようだ。アリオは偏見の目で見てしまったことを申し訳なく思いつつ頷いた。
「分かったら、彼女を連れてさっさと行け」
言われたとおり、エリアーデの腕を掴んで先を急ぐ。まだ日が沈んだばかりだが、目と鼻の先の『科学屋』が遠く感じた。
『科学屋』に辿り着くと、暖簾は下げられ『閉店』の札が掛かっていた。しかし、彼はいつも通り引き戸を開けて中へと入っていった。




