第61話 次元の砂漠
今日のナイターは雨天中止。ビールとの出会いがなくなって悲しみですね。なけなしの腹筋を鍛えてました。
※2021/10/28より改行修正入れております。内容には変更ございません。
精霊暦10,501年・5の月・14日。
アリオたちがアインに入国し、約1年後。
早朝。エリアーデは砂漠の真ん中に座り込み、ため息をついていた。
「今日は休養日だというのに、何故私がこんなことを…」
そう呟きながら、リーシャから教わった魔法陣を出し、擬似餌を砂の中へ潜り込ませる。魚の群れを察知すると、素早く目の前の砂丘へ誘い出し、隣に立つアリオに向かってヒラヒラと手を振った。
「行くぞ!」
彼が得意げな顔で聖剣を振ると、剣身から出た光が目の前の砂丘を切り裂き、轟音と共に砂煙が上がる。
切り裂かれた砂の表面には水の膜が張っており、その上をピチピチと銀色の小魚が跳ねていた。
「良くやったアリオ!」
グアパはタモ網を取り出すと、手袋をせずに走り出し、魚を掬ってはソリに積んで行く。
「手ぶらじゃあ、帰れねえからな」
魚がソリに山盛りになると、グアパは満足そうに笑った。アリオはエリアーデに礼を言うと、嬉しそうに魚に布を掛けるグアパを、疑わしそうに横目で見た。
「本当にターコイズ・オルカが出るのか?」
「分からん」
エリアーデはもう一度ため息をつく。彼女は諦め気味に足元に向かって話し掛けた。
「サニータさん、今日もダメですか?」
『あなたたちもしつこいですね。私はあの女も、あの女が作ったその悪趣味な魔道具も嫌いなの』
頭の中に落ち着いた女性の声が響く。最近はアリオも姿の見えない精霊の声が、はっきりと聴き取れるようになっていた。もっとも、砂の精霊はいつもうんざりした様子だ。
『コーデリア、あなたが勝手に私の名前を教えたりするから、毎日毎日煩くて敵いません。覚えてなさい』
話を振られた水の精霊は、聖剣の中から姿を現すのが面倒なのか、やはり声だけを響かせて会話を始めた。
『あら、この2人結構面白いわよ。ゴシップ好きなあなた好みだと思うけど。私知ってるんだから。あなた砂漠に居るの退屈だから、あいつについて行ったんでしょ』
『違います。私はフランチェスカが心配で、あの女の誘いに敢えて乗ってやったの』
『はいはい。それに入りたくない気持ちは分かるわ。けど相手はフランチェスカの仇なのよ? 私と違って、あなたは数多ある砂の精霊の1人なんだから、外の世界へ出て、直接彼女の仇を取れるわ』
亡くなった王妃の仇と聞いて、砂の精霊はしばらく押し黙った。しかし、よほど大賢者に対する嫌悪感が強いのか、重苦しい口調で言い放った。
『……嫌なものは嫌。あなた何も分かってない』
そんな精霊のやり取りはグアパの耳には入っていなかった。エリアーデがまた大きくため息をつくので、グアパは申し訳なさそうに声を掛ける。
「すまねえ。流石に魔力感知が出来ねえと危ねえし、リーシャは休養日に起こすと機嫌が悪くなるもんでな」
彼女はグアパには精霊の声が聞こえていないことを思い出し、慌てて笑顔を取り繕う。
「いえいえ! このため息は別の話ですので、お気になさらないで下さい…でもグアパさん。何故突然、ターコイズ・オルカを探す気になったんですか?」
座り込んだまま膝に肘をつくと、彼女は首を傾げた。グアパは「ちょっとな」と歯切れの悪い返事をする。
「また親父の仇打ちか?」
以前ハンスが話していたことを思い出し、アリオがそう尋ねたが、グアパは首を横に振ると、ポツポツと喋り始めた。
「いや、そんなんじゃねえ。あの時は、まだ俺も若かった…実はな。俺の親父も、死んだもう1人の頭も、ターコイズ・オルカが直接やったわけじゃねえ。聖遺物の爆発に巻き込まれて死んだんだ」
エリアーデは少し驚いたようにグアパを見上げると「では何故」と聞き返した。グアパは言うべきかどうか迷っていたが、しばらく考えて口に出した。
「聖遺物が出る時の砂の目ってのがあってな。奴が出るのは決まってそう言う時だ。20歳の時、奴に立ち向かおうと思って、魔道具持って意気込んで行ったら、俺も聖遺物の爆発に巻き込まれた」
聖遺物の爆発というのは想像もつかなかったが、グアパの背中に大きな傷痕があるらしいという噂は、漁師たちの間では有名だ。
とはいえ、日差しの強いこの砂の国では、外で服を脱ぐことはないので、噂の真偽は定かではなかった。
「その時、奴は俺を庇った…ように見えたんだ。けど俺は俺で必死でよ。持ってた魔道具で奴の目に傷を付けちまった。それが今も気になっててな…」
珍しく真剣な表情の頭を見て、アリオは口に手を当てて考え込んだ。
「つまり、ターコイズ・オルカってのは、人間を守るために出て来るのか?」
顔を撫でるそよ風は、すでに砂で熱されて生暖かくなっている。遠くの地平線がゆらゆらと揺らぐ中、"守る"という言葉に確証を持てない様子で、グアパはぽつりと呟いた。
「………俺にはそう見えたってだけだ。後から聞いた話だが、スヴェン・ベルガーが来た時も一緒に爆発する聖遺物が出たらしくてな。医師は当時片言で"鯱"を見たって話してたらしい」
唐突に医院のベルガー医師の話になり、エリアーデは不思議そうに尋ねた。
「片言で?」
グアパは「そうか知らねえか」と言い、エリアーデに向かって説明し始めた。
「異邦人てのは、俺らとはまるで違う言葉を喋るんだとよ。だから、ゴージャ王の所まで連れて行くと、特殊な方法でこの世界のルールについて説明するって話だ」
「この世界のルール?」
初めて聞く内容に興味が湧き、アリオも話に乗ってきた。グアパは何から言うべきか少し考えてから、こう切り出す。
「この国では、異邦人をサバーハ砂漠の外に出すことは禁止されてる。子供や子孫は別だがな。基本的に聖遺物と同じ扱いなんだよ。だから、アインの外に出られねえようにゴージャ王が古代魔法を掛けるんだ」
また古代魔法かとアリオは思った。神々が地上にいた頃からある魔法で、古代語の詠唱を用い、契約した精霊の力を最大限に使うことが出来るらしい。
1万年以上前から生きているゴージャ王は、当たり前のように古代魔法を使っているが、詠唱しているのを見たことがなかった。無詠唱で精霊魔法を使うよりも、さらに難しいのだと、以前エリアーデが説明してくれた。
「この魔法に掛かると、たちまちこの国の言葉を喋れるようになる。ほとんどの人間は、死ぬ思いをしてこの国へ来てるらしいから、すぐに了承するんだが…」
「そう言えば『科学屋』の皆さんが仰ってましたね。私たちはきっともう死んでいるんだと」
彼らには元の世界へ戻るつもりが毛頭ないことを、エリアーデは聞いて知っていたが、そういうことだったのかと納得した。しかし、ベルガー医師は彼らとは違うのだとグアパは説明を続ける。
「でもあの医師はそれを嫌がってよ。絶対にこの国の外へ出ないから、魔法を掛けないで欲しいと懇願したらしいぜ」
そんなことが許されるのだろうかと、2人は疑問に思ったが、その謎はすぐに解消された。
「王はその場合、ルールを犯すと死ぬって説明をちゃんとしたんだけどよ。結局、奴の願いを聞いてやったんだ。だから奴ぁ、独学でこの国の言葉を覚えたってわけさぁ」
それを聞いて、エリアーデは驚いた様子で立ち上がった。
「あの流暢な言葉を独学で? そこまでして何故…」
「信じてえんだよ。元の世界へ帰れるって。もちろんそんな例は建国以来1件もねえ。聞いた話だが砂漠に来る直前、医師は妻と子供と生き別れたって話だった」
グアパはゆらゆらと揺れる地平線を眺めながら、目を細めた。地平線すれすれの歪む景色の向こうに、アインの城壁が小さく霞んでいる。
「休養日になると、奴は元の世界に戻る方法を探して、城壁の周りをうろついてやがるのよ。『科学屋』のクリスが来た時に何か話した後、あんまり来なくなったけどなあ…」
グアパはソリの準備が一通り終わると「そろそろ帰ぇるか」と言って、遊ばせていた砂イルカを口笛で呼び寄せた。精霊に頼れない彼は、砂避けのゴーグルを装着する。
「朝飯は奢ってやるよ」
「申し訳ありません。今日はアリオと、この後用事がありまして」
説明しづらそうなエリアーデを見て、グアパは面白そうに笑い掛けた。
「なんだ、デートか?」
2人揃って「違います!」「違う!」と叫ぶと、彼女は心外だという様子で、すでにアリオが乗っているオタリナの後ろに跨り、手袋を装着した。
そして、ニヤつきながらこちらを見てくるグアパを睨み、アリオの腰に手を回す。
準備が整うと、それぞれ砂イルカの手綱を引いて帰途に着いた。アインの城壁が大きくなると、エリアーデは砂イルカの手綱を操るアリオへ声を投げ掛けた。
「城壁が見えると安心するね」
「急にどうしたんだ?」
彼は前を向いたまま、不思議そうに返答する。
「この砂漠の真ん中に居ると、時間の感覚が狂う気がして…『科学屋』の人たちも言ってたけど、彼らの中で1番新しい時代から来たナズナさんが4年前、その10年前の時代のロティさんは何故か2年前に流れ着いてるみたい」
異邦人が流れ着く時間や時代には法則性が無く、『科学屋』の4人のように近い時代から流れ着いているだけでも奇跡に近かった。
「この砂漠では、時間の定義が安定しないということが…なんだか怖くない?」
「なんで?」
ピンと来ない様子の彼に、彼女は分からないように小さくため息をついた。
「なんでって…時々、自分が誰なのか分からなくなりそう」
エリアーデは彼の返事を待ったが、それきり何も答えないのでなんだか不安になり、彼の背中に張り付く。
ふとアリオの背中から前を覗くと、右側の視界に人影が歩いているのが見えた。ベルガー医師だった。
スヴェンではなく、ベルガー医師と呼ぶようにしたのは、『科学屋』の人たちからのアドバイスだった。親しくない人間からファーストネームで呼ばれることを彼は好まないらしい。
身分制度の衰えた今の外の世界では、ファミリーネームはほとんど意味を成さない上、ファーストネームしか持たない者も少なくない。
彼らの世界とこの世界は名前1つ取っても、随分とルールが異なる様子だった。
城郭都市の周りを彷徨う彼をどう思っているのだろうと、エリアーデはグアパの方を見たが、ゴーグルで表情が読み取れない。しかし、何か遠くを見ている医師に、声を掛けるつもりはないようだ。
城壁まで到着すると、3人は手袋を外してそれぞれの砂イルカから降りた。先ほどから黙ったままだったアリオは、考え続けた結論を述べた。
「さっき言われて考えたんだけど、俺がお前のこと覚えてるから大丈夫だよ」
彼女はきょとんとした表情になった。それは先ほど彼女が不安に思ったことに対する、彼なりの回答だった。
「黙ってると思ったら、ずっとそんなことを考えてたの?」
アリオはそれを聞いて、不満そうな顔になる。
「そんなことって、エリーが聞いたんだろ? ていうか、お前イルカに乗る時にあんまりくっつくなよ…」
「…なんで?」
グアパがそんな2人のやり取りを楽しそうに眺めていると、徘徊を終えたベルガー医師が近づいて来た。
「おはよう。精が出るな。君が医者要らずなのは良く知っているが、そろそろ自分の歳も考えるように」
彼は白髪混じりの金髪碧眼をしている。すでに70歳を超えていると聞いていたが、グアパより身長が高く、その眼光は鋭かった。
「おう。ありがとよ。言ってもあんたの方が歳なんだ。そろそろ外回りは控えたと思ってたんだが」
「なに。早朝の散歩だよ。クラーク君を見掛けたので、レポートの進捗を聞こうと思ってね」
エリアーデは服に付いた砂を慌てて払うと、ベルガー医師の質問に答えた。
「遅くなっていて申し訳ありません。昨年の夏までしか資料が揃っていませんが、近日中にお持ちします」
ベルガー医師は無表情のままゆっくりと頷く。アインの城壁同様、聳え立つという表現がしっくりくる佇まいは、彼に堅牢な印象を与えていた。
「それは仕方がない。結局、去年の夏以降は行商人が来ていないからな。楽しみにしているよ」
彼女にそう告げると、医師は通行手形を翳す。彼はエリアーデと同じく行商許可を取得しており、外の世界へ出ないという条件で通行手形が支給されていた。
観音開きの鎧戸が現れると、それぞれが向かう場所へ向かった。




