第59話 祝宴の終わり
あら汁はともかく、ナイターの方はあと一息です。最初は今日はビール難しいかもと思ったけど。
※2021/10/28より改行修正入れております。内容には変更ございません。
「あ! 戻って来た」
サラマーラは階段を上がって来た2人を見つけると駆け寄って来た。全員食事が終わり、窓辺の長椅子やソファに腰掛けている。
いつの間にかマックスと王は話が弾んだのか、ダミアンも混ざって、1人で多人数を相手にする時の戦法について話し合っていた。
「残念ながら、今晩のアインの移動の時に、カンツォーネは出て行くことにしたみたいでさ。今から最後に唄ってくれるって」
そう言ったサラマーラの顔は、あまり残念そうではなかった。緑色の髪をした吟遊詩人は、端の方のソファに寝転んでいたが、彼女の言葉を聞いてゆっくりと起き上がる。
「私も大変残念なのですが、バテルマキアの護り神『不滅の滝』が枯れたという情報が入りました。仕事柄、これはどうしてもこの目で見なくてはと思いまして」
いつもなら気にも止めないところだが、不穏な地名を聞いて、アリオとエリアーデは心配そうな表情になった。
「バテルマキア……人身売買で悪名高い」
「お前1人で行くのか?」
珍しく自分を気遣う2人に対し、カンツォーネは汚れたとんがり帽子を被って微笑む。
「ありがとうございます。私は吟遊詩人ですから、昔から1人で上手くやって参りました。こう見えても一角の魔導士でもありますので、ご安心を」
全く安心出来ない表情のアリオたちを見て、彼はお決まりの弦楽器を取り出した。手で軽く鳴らすと、柔らかい音が流れる。
「皆さんが暗くなってしまうのも、あまりよろしくありません。よろしければ『不滅の滝』の物語など如何でしょう?」
カンツォーネは誰の返事も待たずに、颯爽と唄い始めた。
「これは約束の民と女神の物語」
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昔々あるところに、水の女神がおりました。
彼女は東の森の、海に近いところを住処に定めました。そうして毎日、海から登る朝日を見るのが彼女の習慣になりました。
ある朝、水平線の向こうから沢山の異国人が流れ着きました。彼らは戦争で国を追われ、命からがら船に乗ったのでした。
船の中のほとんどの人間は死んでいました。
女神は憐れに思い、彼らに1つだけ願いを叶えてやろうと言いました。
彼らは安住の地をと言いました。
女神は大地に大きな穴を開け、民たちをそこへ匿うと、自ら滝となって周りから誰も入れないようにしてしまいました。
民たちは女神に礼を言い、慎ましく幸せに生きることを約束しました。女神は大層喜び、約束を守る限り、永遠にこの地を護ることを誓いました。
こうして、東の森に不滅の滝ができ、民たちは慎ましく幸せに暮らすようになったのです。
めでたし、めでたし。
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それぞれが思い浮かべる女神の姿が、演奏の終わりと共に消える。その瞬間、全員が拍手を送った。彼の胡散臭さは筋金入りだが、聴くものを没入させる唄声は見事だった。
カンツォーネはアリオとエリアーデの表情を見て微笑むと、挨拶もそこそこのまま、足早に大広間を後にした。その背中に向かって、ゴージャ王は声を掛ける。
「素晴らしい演奏だった。これを呑んだら儂も向かう。また、いつでも来るが良い」
カンツォーネは大広間の入り口で振り返ると、いつも通り仰々しく王に一礼した。そして、エリアーデが後ほどするであろう質問に先に答える。
「ああ。エリアーデ。この唄は1万年以上前の骨董品です。質問があれば王の方が詳しいでしょう」
弦楽器を弾き鳴らしながら、ゆっくりと階段を降りて行く彼を見て、ゴージャ王はユリアンへ耳打ちした。
「出立前に、彼奴の部屋に報奨金を届けてくれ」
「かしこまりました」
ゴージャ王は杯を一気に呑み干すと、全員に言い渡した。
「アリオ、エリアーデ、今日は本当に良くやった。到着して1ヶ月でよくぞここまでやったものだ。アインはこの後、サバーハ砂漠を潜り、次の場所へ移動する。皆、今日はもう家に帰り、揺れに備えるように」
それだけ告げると、王は大広間を後にする。ダミアンも全員へ挨拶すると、マックスに帰る時間だと促した。彼を家まで送るつもりらしい。
「アリオ。今日はありがとう。兄さんや両親に土産話が沢山出来るよ」
マックスはアリオにそう言うと、隣にいたエリアーデの手を握り「また会えますか?」としきりに尋ねた。彼女が「もちろん」と答えるのを、アリオはあまり面白くなさそうに見つめている。
そんなアリオには、サラマーラがおやすみを言いに来た。
「アリオたちが来てから、まだ1ヶ月なんて信じられないね〜」
「いなくなる時は泣くんじゃない?」
憎まれ口がなかなか抜けない彼に、サラマーラは苦笑しつつ、祝いの言葉を述べた。
「言うね〜…今日はおめでとう。後で揺れるから…あと朝も1回揺れるから気を付けてね」
「うん。明日は漁がないらしいから、ゆっくり寝れそう」
それを聞いたダミアンが、大広間の入り口からアリオへ声を掛ける。
「それなら朝の訓練にも来たらどうだ?」
彼のしまったという顔を見て、マックスが吹き出した。そのままアリオの肩を叩く。
「やっちまったな。じゃあ、また明日の朝な! おやすみ!」
「おやすみ」
アリオは不思議な感覚で、ダミアンへ駆け寄るマックスへ手を振った。叩かれた肩は温かかった。サラマーラも「途中まで一緒でしょ?」とダミアンとマックスへ駆け寄る。
3人の話し声が階下へ消えて行くと、大広間にはアリオとエリアーデだけが残された。少し寂しげな2人へ、ユリアンが声を掛ける。
「あと1時間ほどで移動が始まりますので、こちらからご覧になりますか? よろしければ、お飲み物をお持ちします」
顔を見合わせて頷くと、2人はユリアンに飲み物を頼んだ。シャーリーンが出て来て、残り物を平らげて行く。ユリアンは2人の耳元へ、そっと囁いた。
「実のところ、シャーリーン様は王の秘書では無く、残飯処理係なのです」
それを聞いてアリオもエリアーデも笑い出したので、長身のメイド長は少し安心した表情になった。
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そのうち手持ち無沙汰になり、アリオはエリアーデと一緒に導きの聖本を読み始めた。テオがアリオの誕生日祝いをしている箇所を読んでいると、ユリアンが声を掛けに近寄って来る。
「もうそろそろで、ございます。あちらからご覧になれますよ」
2人は街側の景色を望むソファへ飛び乗った。ユリアンは2人のグラスから飲み物が溢れないよう、そっと下げる。
アインの城壁のその向こう。
星明かりに浮かぶ大きな黒い影。
5つの背ビレの真ん中のひとつに、巨大な人影が飛び乗るのが見えた。
その人影が天に掌を翳すと、城壁の上から白く光る巨大な文字や紋様が現れ、まるで大きなドーム型の天井のように国の上を覆って行く。
エリアーデの方を見ると、光のせいか表情のせいか顔が一層輝いて見えた。彼女は外の景色を見つめたまま呟いた。
「ここへ来て1ヶ月。楽しいことばかりでしたね」
それを聞いて、自然と口元が緩む。
「ああ、そうだな」
彼女はアリオが自分を見ていることに気付いて居なかったが、それで良かった。
次の瞬間、地震のように地面が揺れ、一瞬、城壁の向こうで鯨が砂へ潜るのが見えた。魔法の天井に砂が被り、だんだんと揺れが収まる。
その後は、空には魔法の文字が光るばかりで、空の背景は真っ黒な質感の星空に変わっていた。散らばる光は本当に星なのか疑わしかったが、天へ吸い込まれそうなほど美しい。
グラスを片付けたユリアンが大広間に戻ると、2人はソファでそのまま寝て居た。
彼女は当たり前のように、下から用意して来た毛布を2人に被せると、大広間の明かりをそっと落としたのだった。




