第577話 落ちる街並み
今年も阪神は良い夢を見せてくれました。ありがとう、阪神。
※作者都合により、次話更新日を変更致します。誠に申し訳ございません。詳細は後書きを参照下さい。
隠蔽に使われていた魔術迷彩が砕け散り、平野に浮かんでいた巨大な球はバラバラに切り開かれ、その内部を露わにしていた。500年閉じられていた都市ノルンは、ただただ自然の摂理に従い、あるべき大地へと急速に引き寄せられている。見下ろすバレアナイ山脈の白い尾根が、その麓の農地が、みるみる視界に広がってゆく。
「エリー! シアン! 一体何したんだ!?」
風圧に逆らって覗き込んだエリアーデの顔は、落下とは別の恐怖で、一点へ釘付けとなっていた。見上げた空にレディ・チャサラが。
――あの人、光ってる?
朝日のせいかもしれないが、服から覗く彼女の白い肢体が淡く照っているように感じる。身体を抱き抱えるように手を差し出す魔法使いが、浮かせているようにも見えた。
いや、今はそれどころではない。シアンがこれをやったのだ。一体どうするつもりなのか。
流れる銀髪へ視線を移すと、笑っているのか泣いているのか分からない顔が目に入った。彼女はエリアーデとは真逆、眼下に広がる大地をひたと見ていた。その先に。
「門番さん! 危ない、早く逃げて!」
ここからでもはっきり見て取れる鶏冠に向かって、力の限り声を振り絞る。風がそれを、あっという間に掻き消した。
「おい」
シアンが口を開いた。一瞬、自分に向かって話し掛けたのかと錯覚したが、その声は先ほど手を貸してくれた、ある者へ向けられていた。
「アリオから500年も面倒見たって聞いたぞ。重力の魔物、聞こえてるだろ? まだノルンを支える気があるなら、あの門番に手伝わせろ」
そうだ。都市ノルンの重力は、魔法使いが作ったものでは無かった。彼女の言葉に呼応するように、気配。
「なんだ。こうまで壊しておいて、まだ都市でありたいと願うのか」
「生き物っていうのは愚かなんだ。よく知ってるだろ?」
「この世で最も愚かな魔物を生んだ者が、良くそんなことを言えたものだ」
姿を現しているというのに、宙に暗闇を作る魔物を見て、シアンは力無く微笑んだ。
「違いない」
重く実態の無いそれは、水平線から差す光を浴びてもなお、空間を黒塗りにするばかり。しかし、それが確かに頷くのを感じた。
嗚呼。まだ気を失っていない者は、天高く聳える山頂を見上げた。
瞬間。光り輝く軌跡。
門番の鳥男を中心に、農地の端から端まで術式が走り出し、その閃光は太陽ごと都市を包み込んだ。そのなんと暖かいこと。
嫌な浮遊感は消え失せ、落下は明らかに失速していた。ゆっくりと確かな足取りで地面との距離が縮まってゆく。
「話で聞いただけの重力の魔物が、助けてくれるって分かってたの?」
不確かにもほどがある。自分の問い掛けに、シアンはまた微妙な表情を作った。
「賭けたんだよ。500年もノルンの地面を維持したんだ。あの魔物は、きっと人が良い」
それは確かだった。そして彼女は、こう付け加えた。
「それにしても、豊穣を願う魔術か」
「え?」
「先にノルンに入った時、あの門番、農地全部に毎年敷いてるって言ってたんだ。安全祈願のお祈りみたいなもんだってさ」
どうりで暖かいわけだ。この温もりは、重力というより術者の想いを感じる。
「その術式に、重力を調整する魔法を走らせたのか……じゃなくて! 結局どうなってるの?」
寂しい表情をするシアンに、ただならぬ様子だけは察していた。すると、空を見上げたままのエリアーデがぼそり。
「チャサラさんは本物のアンデッドです」
「え?」
視線の先にあるレディ・チャサラの身体は、少し高い場所に浮いたまま、宙にピタリと寝かされていた。その胸の上に、落ちている時には無かったはずの輝き。鎖で繋がれた2つの……。
――2つの斧……双斧! ノルンが解放されたら出てきた……? 生きた死体……魔法使いだから出来る……のか?
まさか。頭の足りない自分でも、繋がるものがあった。風の精霊に命じ、無言のままシアンは幼馴染2人の元へ舞い上がる。
ぎゅっと目を瞑ったエリアーデの目尻から、大粒の雫が溢れ落ちた。
「チャサラさんの魂を固定していたのは、双斧と閉鎖された都市の結界です」
私、また役に立てなかった。そう俯くエリアーデを見て、頭の中が急沸した。
「これも分かっててやったのか」
気持ちの整理もつかぬまま、彼女を睨み上げた時、ぐにゃりと辺りの空気が変わる。世にもおぞましい何かの気配。なんの前触れもなく充満したこれを、自分は知っていた。何故知っている。そうだ、あの時に。
「はぁーい、やっと双斧発見。さすがシアン様、私、ますます好きになってしまいました」
全身に鳥肌が立つ、その甘ったるい撫で声は、両手に双斧を優しく抱え、奪い取った戦利品に笑っていた。
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