第56話 友達
食生活について内省中。
※2021/10/28より改行修正入れております。内容には変更ございません。
ヘトヘトになって走り終わると、アリオとマックスは日が暮れるまで、2人1組で型の練習をさせられた。
「よし! 今日は終わりだ! 全員解散!」
地面に座り込み、完全に息切れしているマックスの横で、アリオが呼吸を整えている。ダミアンは2人に近づくとアリオへ向かって言った。
「アリオ、今日は良くやったな。シャーリーンが聖剣に戻ったって、もう国中の噂になってるぞ。今晩は祝いらしいから、早く着替えて来い…マックスも来るか?」
急に話を振られたマックスは、アリオの方を見て「え、いいの…?」と尋ねる。アリオがさも当たり前のように頷くと、ぐったりした様子で立ち上がった。
「やった…兄さんに……行って良いか…聞いて来る!」
まだ息も整わないまま、彼は訓練場の石段に腰掛けていた青年の元へ駆けて行く。どうやらその青年が、マックスが話していた兄のようだった。
青年はマックスと談笑しながら頷くと、鞄から布を取り出して、彼の頭をぐしゃぐしゃと拭き始めた。
その様子を見ていたダミアンが、2人へ向かって叫んだ。
「もし来るなら、城の浴場を使って良いから、アリオについてってくれ!」
それを聞いて、兄弟はこちらへ歩いて来た。マックスの兄は髪も瞳も茶色く、マックスと違って肌の色も濃い。このような見た目の国民が一般的であることに、アリオもすでに気が付いていた。
茶髪や黒髪が多く、魔力の有無も見た目では分からない。マックスの兄はダミアンとアリオに礼を言った。
「いつも弟がお世話になってます。やあ。君がアリオかい? 僕はマックスの兄のノニール。よろしく」
彼の兄は落ち着いた声をしていた。きっと温厚な気質なのだろう。アインの国民はどこか余裕のある人物が多く、警戒心無く話し掛けてくる。アリオはなかなか慣れなかった。
「…よろしく」
「今日はおめでとう。せっかくのお祝いなのに、本当に弟がお邪魔しても大丈夫なのかい?」
黙って頷こうとしたが、アリオの頭の中でエリアーデの決まり文句が響いた。
――『返事は"はい"です、アリオ』
その声に従って、彼はゆっくりと答えた。
「はい。大丈夫です」
マックスの顔が一層明るくなり、ダミアンが「お。進歩したな」と呟く。
「良かったな、マックス。いつもアリオの話ばっかりしてたけど、ちゃんと仲良くしてるのか心配だったんだ」
「兄さん!」
兄に背中を叩かれて、マックスが慌てた表情になる。ノニールはアリオへしっかりと目を合わせた。
「教練学校卒業後にすぐ国軍に入ったのは、今年はこの子だけなんだ。君が来るまで歳の近い子が居なかったんだよ。仲良くしてやってくれ」
彼は弟に向き直ると「じゃ、母さんたちには話しておくから」と告げて帰って行った。
ダミアンは城の中まで一緒に移動すると、食事の時に合流するからと王の執務室へ向かった。
「俺、初めて城の中入った!」
そう言ってマックスは、目を輝かせながら内装の1つ1つを確認する。
この国特有の金砂と同じ色をした石造りの柱には、細やかな紋様が彫られていた。等間隔に置かれた台座には花や果物が置かれ、柱の上にも丁寧に観賞植物が植えられている。
高いところは雇われた猫妖精や、羽根のある妖精族が手入れをしているのを、アリオは何度か見かけていた。
マックスのペースに付き合うと埒が明かないので、アリオは途中から、彼の服を引っ張って大浴場まで引きずって行った。
ようやく男性用浴場に到着すると、入り口からユリアンが出て来るのにばったり出会し、2人は一瞬凍り付く。
「ダミアン様から伺い、お着替えをご用意しておきました」
当たり前のようにユリアンはそう言った。アリオはホッと胸を撫で下ろし、うっとりとした表情で彼女へ礼を言うマックスを、脱衣所へ引き込んだ。
マックスは湯船の中でも、あれこれアリオに尋ねては彼を困らせた。彼は外の世界で産まれたが、この平和な国で育ったため、実情を全く知らなかったのだ。
「へー……じゃあ、外ではまともにパンも買えないのか」
マックスは実感の湧かない表情で言った。きっと飢えたこともないのだろうとアリオは思ったし、実際その通りだった。
「俺も森とドロアーナのことしか知らねーけどな。ドロアーナはチャーリー一味が、どっかから食料や食材買い付けて来るから、マシな方だったと思う」
森の中で時給自足するのも苦労したが、ドロアーナまで移動する際、よく飢餓などで廃村になった跡を見掛けたことを思い出す。
「テオの話だと、農家はエルフの隠れ里とかで暮らして生計立ててるって言ってたな」
それを聞いて、マックスは誰に売るのだろうと不思議に思った。
「エルフ向けに売ってるの?」
「いや。エルフはほとんど食べねーから、行商人に高く売り付けるんだと」
「なるほどねー」
アリオはそう言うと、やはり不思議そうに荘厳な装飾が彫られた天井を見上げた。この国であまり見かけない種族のことを考える。
「そう言えば、この国でエルフって見かけねーな。ローブでよく分からなかったけど、1人か2人見たか…? それも最近見ねーし…」
マックスはエルフと聞いて苦笑いした。
「古代種は人間嫌いが多いから、この国にはほとんど住んでないよ。特にエルフはプライドが高いから、宝石の買い付けとかじゃないと来ないし、隠れて来る行商人が多いかな…」
アリオはぼうっとした表情で、無言で頷く。2人は顔を真っ赤にしながらしばらく天井を眺めていたが…
「俺、もう無理!」
「俺も!」
と叫ぶと一斉に風呂から上がった。
「お前ら煩いぞー」と言いながら、ダミアンが入れ替わりで浴室に入って行く。その後、脱衣所で何人かの兵士と挨拶をした。
2人が外に出ると、今度はエリアーデに出会した。彼女は奥の方にある個室の浴場から出て来たところだった。
「ああ、アリオ。そちらはどなた…」
見かけない少年について尋ねようとしたが、それよりも早く顔を真っ赤にしたマックスが彼女へ詰め寄る。
「あ! あああああの! 俺…いや、僕、アリオの友達のマックスです! あなたが噂の賢者様ですか?」
エリアーデはびっくりしながら後退りする。
「そ、そうです…エリアーデ・クラークです」
「そうか! 外だとファミリーネームを名乗るのが礼儀正しいんでしたね! 僕はマックス・デオランテです!」
アリオはエリアーデに顔を近付けるマックスの服を、不愉快そうに思い切り引っ張った。
「お前、顔近いって! ていうか、喋り方おかしくねー?」
戸惑うエリアーデにアリオが事情を説明している間、マックスは瞳をキラキラさせながら、ずっとエリアーデを見つめている。
アリオはため息をつくと、彼の背中を叩いた。
「ほら、大広間に行くからシャキっとしろ」
エリアーデは、自分を見つめ続けるマックスから距離を取りつつ、アリオに今日あった出来事を説明してきた。電気や機械の原理などは、彼にはよく理解出来なかったが、エリアーデが楽しそうなのでそれで良かった。
大広間に着く頃には医院の話になっていた。彼女はどうやら、異邦人の医師に袖にされたらしい。
「それで、医師はお忙しいだろうから、ご都合だけ伺おうと今日の夕方に医院へお寄りした…の。だけど『説明資料を整理してから出直してくれ』と言われ…ちゃって」
「ふーん。ケチだなー」
アリオは医師のことも医院のことも分からなかったが、エリアーデが少し沈んだ様子なのが気になった。
「スヴェンって優しいんだけど、気難しいというか、ちょっと怖いんだよなー。感染症や骨折なら、医院のもう1人の医師、メイリンの治癒魔術の方が温かくて気持ち良いよ」
マックスはそう言いながら、スヴェン・ベルガー医師はとても背が高くて身体が大きいのだと説明してくれた。
そんな子供たちのやり取りを聞いて、大広間の入り口に立っていたユリアンが、申し訳なさそうにエリアーデへ謝罪する。
「エリアーデ様。大変申し訳ありませんでした。メイリンは私の従姉妹に当たります。彼女に頼んで、ベルガー医師に取りなしておきますので」
ユリアンの思わぬ申し出に、エリアーデは慌ててそれを固辞した。
「いえ! ベルガー医師の仰る通りですから。まずはこの湿疹に掛かっている人の資料を集め、夏の流行収束の様子を確認します。出来れば、次の行商人が来た時に再度確認した上で、仮説のご説明に上がりたいと思います」
それを聞いたユリアンは、ポケットから紙束を取り出すと、エリアーデの言葉を魔術で書き留める。
エリアーデも魔術でメモを取るが、彼女の場合、文字が勝手に浮かび上がるのに対して、ユリアンの魔術では浮かんだ筆が勝手に文字を書くのが印象的だ。
「承知致しました。湿疹の治療薬の配布がもうすぐ始まりますので、ベルガー医院と城の診療所の患者カルテを、写本してお渡しします」
"カルテ"という耳慣れない言葉に、エリアーデは不思議そうな顔をした。そんな彼女を見て、ユリアンは説明を付け加える。
「…ああ。カルテとは、患者の過去の治療履歴や診断内容を記録した資料のことです。ベルガー医師の意見で50年前に導入されました」
エリアーデは思わず目を輝かせた。つまり、この疫病について50年分の患者資料が全て揃っているのだ。異次元からの知見に感心した様子で、彼女はユリアンへ頷いた。
「それは素晴らしいですね。よろしくお願いします」




