第521話 ノルンの冬
冬の訪れ。
本日は快晴。主人は今頃、秋口に拾った幼女と庭を散歩している頃合いだ。あの娘は年齢の割に働きすぎだと、自分も気掛かりであった。それにここへ来た時には、すでに仕込まれており、屋敷中が接し方に神経を使っていた。
「チャサラ様、お掃除を手伝わせたなどと知れれば、私が叱られます」
上品な身なりのメイドが、後ろから声を掛けてきた。この建物の召使いたちは、奴隷として売られるのを免れた訳ありの人間である。
「いいえ。メリアル様と居ると今日は余計なことを言いそうだし、たまには精霊たちに立場を分からせておかないと」
カツカツとカーテンに歩み寄り、シャッと開いて陽光を呼び入れる。すると悲鳴にも似た不満の声が上がる。
「チャサラったら、何するのよ!」
品質の保たれた豪奢なベッドの上で、裸の女たちが文句を言いながらコロコロと転がっている。
「500年も相手にされていないくせに、毎晩毎晩、精霊だけでお盛んだこと」
そうきっぱり言ってみると、「私はまだ348歳だ」だの「スラム街の本性」だの「上品なのは伯爵の前でだけ」などなど、精霊たちはあれやこれやと畳み掛けて来る。
「ほらほら、そろそろ諦めなよ」
窓を開け放ってやると、何人かの精霊は顔を膨らませて飛び去って行った。残った数名の精霊たちは、屋敷内で1日を過ごすつもりなのだろう。掃除の邪魔さえしなければそれで良い。
さてさて。改めて久方ぶりに主寝室を見回してみる。メリアル・ジュペゼリー伯爵の寝室は、高級なあつらえに反して、ベッド以外の調度品は質素そのものであった。自分がメイドを務めていた頃から、何ひとつ変わっていない。
「ベッドはともかく、私が58年前に差し上げた花瓶以外、まだ飾る気が無いのね」
独り言のつもりだったが、生真面目な使用人が真に受けてしまった。
「チャサラ様のご指示で色々と勧めてはおりますが」
「あなたのせいじゃないわ。メリアル様は倹約家すぎる」
精霊には構わずベッドシーツを無理矢理剥ぎ取る。クスクスと無邪気に笑う精霊たちには、本当のところ悪気なんてないと分かっていた。その中の1人が声を掛けてくる。
「ねえチャサラ。頑張ってシアン・カヴァリエを追い払ったみたいだけど、すぐに戻って来たわよ。あの人たち、双斧を手に入れるまで帰らないつもりだわ」
「そうだろうね。シアン様は目的を簡単に諦めるような方ではないから」
メイドが不安そうにシーツを受け取る。
「チャサラ様、もしもの時はギランバルシャ兄妹の封印を解くよう、指示を受けております」
「ヤキとアオイを? ダメだよ、あの兄妹、何回懲らしめてもやり過ぎるし。正直、メリアル様もずっと持て余してる」
「しかし、解放の条件を満たすためならば手段を選ばないとも言えます。納税は毎年守っておりますし」
「その手段が最低だ。メリアル様が見逃したって、私は許してない。メリアル様だって、本当は嫌なはずなんだ」
思わず握る手に力が入る。悔しい。自分が側に付いて居ながら、彼を最終的には自分のせいでどん底に叩き落としてしまった。
開けた窓がカタカタ風に揺れる。留め具をしようと窓辺へ戻ると、精霊の1人が浮かび寄って来た。
「私たちがいるんだから、メリアルは負けたりしないわ。それよりあなた、自分の心配をなさい」
自分の心配を。これ以上、何を心配したら良いのだろう。しかし、精霊の言う通りであった。冬の冷気が顔に当たっても、何も感じることがない。
「紅帽子が空に還る季節ね」
紅葉する街路樹を見て、そう呟くと、精霊たちはこれでもかと眉をひそめた。
「ま〜た、それを言ってる。もうやめましょう。あなたには関係の無い話じゃない。紅帽子なんて無くても冬は来てる」
500年前。ノルンの冬は大陸の西海岸より厳しかった。この閉鎖都市ノルンとは違い、しんしんと雪の降り積もる街だった。
「指のひび割れに沁みる寒さだったけど、たまにあの雪が懐かしい」
目を細めると、精霊が耳元で囁く。
「それは贅沢な悩みね」
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