第497話 得体の知れぬ赤目
怪しい魔物再登場。
少年少女の影がどんどん小さくなるのを、誰もが無言で見送る。最初に沈黙を破ったのはエルントス団長だった。
「これで良かったんだろ?」
尋ねられた乱気竜は、鼻から深く突風を吹き出す。一瞬とはいえ、全員顔を覆う羽目になった。白い目を一手ならぬ一翼に浴びながら、バツが悪そうにドラゴンが言う。
「す、すまん。だが安心しろ。数ヶ月前、我を倒す代わりにワイバーンたちを洗ってくれたのはシアン一行でな」
倒す代わりにという言葉が引っ掛かり、団長が聞き返す。
「ほお、そりゃ珍しい。戦わなかったのか?」
「あのような桁外れな得物、山が真っ二つに割れてしまうわ。あの娘、魔王勢幹部如き相手にならぬ」
「なるほどな。伝説の勇者ってのもダテじゃねーんだな」
笑みを浮かべる団長だが、山が真っ二つに割れるというワードに口元は引き攣っていた。そんなエルントス団長の肩をポンと叩く妻こと船長。
「それよりエル。餞別って言ってたが、ありゃキョクホクムナゲドリの皮だろう。一体いくらすると思ってんだ? しばらく収入からさっ引くぜ」
引き攣った片端がさらに歪むことになった。
「バレねーように渡そうと思ってたのに……」
青ざめる団長の後ろで船員たちは震え上がっていた。夫を睨め付ける船長の剣幕に。
・~・~・~・~・~・~・~
「これすっごく暖かいね! 汗かいて来たかも」
エリアーデの声が上下する。子竜の背はお世辞にも乗り心地が良いとは言えなかった。
「この季節には、ちょっと暑すぎるかな。でも干した布団みたいに良い匂いするね」
翼の付け根を両手でしっかり掴むのに結構苦労する。彼女が落ちないよう自分の身体で支えるような形になってしまったが、この体勢、精神衛生上あまりよろしくなかった。
手が痺れてくる頃に山頂を越えたのでホッとする。
「あれだ……! 薄い膜が張ってるみたい」
麓の真っ黒な森を覆う半球が、自分の精霊の眼にはっきりと映る。魂が精霊側に引っ張られているという話は気掛かりだが、エリアーデの魔力視も大したものだ。
「斬る?」
ここからなら、つむじ風を使って飛び降りるのにちょうど良い。
「ううん。もう気付かれてるし、シアン様はご無事みたい」
その通りだった。真昼のように輝く魔力は、自分同様光の精霊の末裔であるシアン・カヴァリエに違いない。その隣でドス黒い魔力を吹き出す魔物にも、その輝きは掻き消せないようだった。
魔力視最大の欠点でもあるが、ここまで恐怖の霧が濃いと魔物本体が見えなかった。視界を人間側に寄せた途端、真っ赤に光り輝く両目がこちらを射抜いていた。
心臓が鷲掴みにされる。今まで感じたことのない嫌悪。感情の汚い部分がぐちゃぐちゃの塊になり、それを丸めた紙の如く気軽に他人へ投げ付けて来る。魔物は口の両端を裂いて嗤っていた。
「大地の精霊!」
黒い森から夜空へ向かって巨大な手が伸び上がる。それは呼吸する間もなく魔物の方へ振り下ろされる。張られた結界がパチンと弾ける音は、石鹸の泡が限界を迎えるかのように微かだった。
身体からふっと重力が失われると同時に、周囲につむじ風が巻き起こる。子竜は意識を失っていた。どうやら魔力を帯びた殺気に当てられてしまったようだ。
大地の精霊の平手をサッと飛び避けた銀髪の女性を見つけ、彼女の前へふわりと着地する。背中から抜いた聖剣を黒い魔力の方へと構える。同じく大賢者の大杖ソウル・スフィアを構えるエリアーデ。
「ごめんね、仕留められなかった」
彼女の言葉に反応するように、暗闇の茂みをガサガサとかき進む音。周囲にはピンクの蛍火が浮かび始めていた。
「賢者の方が反応が早いなんて意外でしたわね」
雑木の間から現れた女はそう言う。予想通りとはいえ無傷だ。長髪は片側に高く結い上げられ、豊満な身体付きを協調するようなピッタリとした衣装を纏っている。
「それにしてもワイバーンに乗っていらっしゃるなんて、あの鯱使わなかったんですの? それともあの魔物、いつも融通が利くってわけでも無いのでしょうか?」
鯱というのは次元の狭間を泳いでいるタイタンという魔物のことだった。相手も痛いところを突いてくる。タイタンは砂漠から付いてきたものの、常に言うことを聞いてくれるわけではなかった。飛行艇に乗ってからは気配を感じていない。
「タイタンを見たことが?」
話を逸らすつもりなのか、エリアーデは魔物の女へそう問い掛ける。返って来たのは分かりきったことという顔。
「あなた方、砂漠でシリウスとやり合ったのをお忘れ?」
そんな澄まし顔にエリアーデは冷や水を浴びせる。
「なるほど、やっぱりあれがシリウス。そして魔王ソーヤ・グラハムとランケールドは、こちらの情報を漏らしてはいないのですね」
きょとんと両目を見開くと、次の瞬間には線のように目を細め、女はくすくす笑っていた。
「図りましたわね」
「シアン様に何の用ですか?」
女は聖剣と大杖をゆっくり見比べる。
「そんなに怖い顔をなさらないで下さい。私、シアン様を助けて差し上げただけですわ」
「そんな……」
「それは本当だ」
エリアーデの言葉を遮ったのは助けた本人だった。
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