第472話 ドロアーナ防衛戦⑭
地味に嫌なシーン。
教会から出たところで、エリアーデの前に不滅の滝の精霊が姿を現した。普段であれば魔力無しの人間にも見えるほどの存在感を放つ、大陸最大の水の精霊である。それが結界崩壊で完全に消耗してしまったのだろう。魔力を持つ自分ですら視認するのが難しいほど、儚げに揺れるばかり。
「悪いが私の結界は、あと5分ともたない。許せ。バテルマキアの魔力をこちらには回せん」
話しながら走るが、自分には痛いほど分かっている。かの精霊は本来、南東の古代都市バテルマキアの守り神なのだ。それを魔力が有り余っているからと、厚意で出張して貰っているだけである。自分の失策でバテルマキアの結界まで解かせるわけにはいかなかった。今にも顕現の輪郭を失いそうな女神に詫びる。
「私のせいです、申し訳ありません。それでもあと1回だけ。魔術魔法陣を描くのだけ協力してくれませんか? 私の光の精霊と一緒に」
「聞いていた。私を魔術の触媒にしようなどと、大きく出たものだな」
「聖剣の魂に闇祓いをさせるのです。魔法陣を描く精霊が閃光の精霊だけでは心許ない。あなた様抜きでは考えられません」
閃光の精霊はランク5以上と思われる強い精霊だが、聖剣の魂ほど退魔に特化していない。それに閃光の精霊本来の力を、自分はまだ完全には使いこなせていない気がしていた。
「そこまで言うのであれば、やってやろうではないか。ただし魔力が足りなければ、運が無かったと思え」
「ありがとうございます」
この世界における魔力行使には、魔法と魔術の2種類が存在する。
魔法とは直接精霊を使役するもの。精霊を使役する魔力は術者本人から直接消費され、指示を出すための詠唱は術者の魔力が大きいほど短縮される。一定のレベルを超えた術者は無詠唱で行使でき、エリアーデもその部類である。
魔術とはどのような術者でも同じ魔法が使えるよう、長い歴史の中で編み出されたもの。使役精霊に魔法陣を描かせることで詠唱を短縮し、魔法効果を最大限に引き出すものである。そのため、日常生活に必要な作業などにも良く使われている。術者の素養や術式、行使する魔法効果によって、魔法陣の複雑さやサイズ、詠唱の長さは異なる。
視界の端の屋根が吹き飛び、人1人分の穴が開く。アリオが突っ込んだのだ。そこへ押し込むクレイ導師の姿が一瞬だけちらりと見えた。心臓がぐっと押し込まれるが、再び聖剣が空を斬る音が響き渡り、エリアーデの足を進ませる。様子を見る限り、古代魔法を人間に使うつもりは、まだ彼には無いのだろう。
魔法や魔術より高度な魔力行使として、古代魔法(古代詠唱)が存在する。
古代魔法は神々がまだこの時代にいた頃、精霊を使役するために使用していた言霊で、その性能を最大限に利用する最短の言葉で為される。これを古代詠唱とも言う。この詠唱は精霊から直接教えられるため、一朝一夕で行使することが難しい。
聖剣を扱うアリオは魔術の才能が全く無い代わりに、精霊と信頼関係を結ぶことに秀でている。無詠唱の魔法か古代詠唱しか扱えないが、魔物と戦う上では十分である。もっとも、あの老人は魔物などより遥かに化け物じみている。
今回この街全体の浄化に、エリアーデは聖剣の魂である退魔の光の魔物シャーリーンを使おうと発案した。シャーリーン自身に魔法陣を描かせても良いが、あの美人はあまり細かい作業が得意ではない。ここは最大戦力を全て投入すべきだ。
「たとえ魔術を実行する私の魔力が尽きたとしても、描き切って見せます」
先ほどから見えていた建物の前に到着する。手前の死体たちの視線が一斉にこちらへ移る。
「私は援護出来ない」
「エレオノーラ様は待機を。閃光の精霊、援護して下さい」
まるで身体が光そのものになったよう。エリアーデの身体が眩く発光すると死体たちが後退りする。建物の屋上や上階の窓から歓声が上がった。
「植物の精霊は大きく2種類です」
輝きに怯む死体を1人1人吟味する。そろそろ結界が完全に消えて無くなる頃だ。一刻を争う。
「1つはサラマーロの精霊のように、植物の成長などの概念を司る精霊。大地の精霊に近くて非常に強力です」
砂漠で見た仲間の精霊を思い出す。一瞬で大木を育てる力は、偏見を長く耐えてきたサラマーロに相応しかった。あの老人にそのような精霊が力を貸すとは思えない。
「2つ目はセルンボビア村の時みたいに、特定の植物の魂が精霊となったもの。直感ですが、この精霊は後者です」
クレイ導師の大地の精霊からは、何か禍々しいものを感じていた。あの精霊で育てた植物精霊ではないだろうか。そして精霊化しやすい動植物は、総じて魔力を養分として摂取していることが多い。
「粉状の植物は魔力を養分としている物がほとんど。その中でも"恐怖"を蓄積し、魔物が好んで食すものがあります。私は先月それを見ました」
「何を探している?」
キョロキョロと死体の顔を見比べる自分に、エレオノーラが首を傾げる。
「目の色を……!」
どの死体も目がすでに落ちているか、黒く変色していた。これでは生前の症状を確認出来ない。
「腐ってるんだ。目や肌の色は当てにならん」
「誰か、誰でも良いから残ってる人は?」
嫌がる死体に近付くと、背の高い男性と思しき死体が転倒した。バタバタとドミノ倒しになる死体たち。細波のように割れた死体たちの先に、1人の女性の死体がふらりと躍り出た。
「あの人は……!」
少年カルストイの母親だった。1ヶ月前に訪れた謎の集合住宅で違法タバコの中毒に陥り、目が完全に真緑に充血していた彼女だ。
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・次回更新日: 2022/10/5(水)予定
・更新時刻: 20時台
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