第45話 砂の中で
今晩はパスタ食べました。たぶんカタパラは美味しい魚だと思います。
※2021/10/28より改行修正入れております。内容には変更ございません。
エリアーデはゴージャ王の肩から、アリオを心配そうに見下ろしていた。彼女の声にアリオが後ろへ振り返ると、銛班の男が颯爽と泳ぎ寄り、出現したイカを突き刺した。
グアパが何かを叫ぶと同時に、パニックを起こして姿が見えなくなっていた砂イルカが、アリオの視線とは反対側へ飛び出した。イルカの尾にはカタパラが噛みつき、痛々しく血が流れている。
その砂イルカはアリオを勢い良く跳ね飛ばすと、再び砂に潜って見えなくなった。
アリオの身体はまるで水中に落ちるかの如く、砂の中へ消えた。彼を乗せていた砂イルカが慌てて砂へ飛び込む。
漁師たちが警笛の如く、口笛でイルカたちを呼び寄せると、イカはイルカを追い掛けて、アリオが沈んだ場所から離れて行った。
「風よ! 浮かせよ!」
エリアーデは風に乗ると、アリオが消えた場所へ降り立ち、すぐさまその場を手で掘り始めた。
「フランシス!」
『エリー、無理だ。砂の中には届かない』
「私が叫ばなければ、後ろを見なかったはずです!」
エリアーデは半狂乱で砂を掻き分ける。不意にその腕を掴まれ、彼女は振り返った。グアパが冷静な表情でイルカに腰掛け、彼女の腕を掴んでいる。彼は口で、もう片方の手から手袋を外していた。
「嬢ちゃんのせいじゃねえ。俺はアリオに周りをよく見ろと言っていたし、あいつは初めてだったんだ。俺がもっと気を配らねえといけなかった」
エリアーデは涙目で首を横に振った。
「なーに、アリオに貸したイルカはオタリナって言ってな。今年の新顔の中では1番賢いんだ。すぐに引き上げるさ」
グアパがそう言った瞬間、オタリナがエリアーデの目の前に顔を出した。見覚えのある服を咥えている。もう片方の手袋も外し、グアパは自分のイルカから立ち上がると、服を掴んでアリオを宙に引っ張り出し、彼の手から手袋を外した。
アリオがゆっくり地面に降ろされると、エリアーデは彼に縋りついて、呼吸を確認した。不思議なことに砂粒ひとつ付いていない顔から、寝息のような吐息が聞こえる。
「安心しな。息は止まってねえから、頭打って気ぃ失ってるだけだ。後でユリアンに診て貰え」
そう言うとグアパはイルカに跨り、手袋を付ける。日焼けした真っ黒な肌が逆光で眩しかった。
「後片付けすっから、ちょいとそこで待ってな!」
魔導士が蒼い魔法陣を出すと、魔法陣は再び解け、猫ほどの大きさの蒼く光る魚たちに姿を変えた。イルカを追い掛けていたイカたちは、目の色を変え、猛スピードで光る魚の群れへ突進する。
魔導士がそれを確認して掌を素早く下ろすと、光る魚は一斉に砂に潜り、それを追ってイカたちは砂の中に潜って消えた。
「どうだ?」
グアパが魔導士に近づいて尋ねた。魔導士は下ろした掌を探るように動かす。
「もう少し引き離します…」
「よし、そのまま頼む。おい、そっちはどうだ?」
グアパは口笛を吹いていた漁師たちに向かって叫んだ。
パニックを起こしてアリオに衝突したイルカが砂上に飛び出ると、銛を持った漁師が尾に齧りついてるカタパラを串刺しにし、そのまま突き上げた。
「これで終わりです!」
全員が手を挙げて合図を送った。魔導士がため息をつき、グアパへ告げる。
「こちらも、しばらく問題ありません」
「少し早いが、今日は引き上げだ!」
漁師たちは「おう!」と返事を返すと、空間魔術の使える者が漁具を格納し始めた。エリアーデがアリオの横で呆然と座り込んでいると、耳慣れない声が聞こえて来る。
『昨日から気になっていたけれど、やはりソウル・スフィア。最後に見たのはいつだったでしょう。ここは時間の概念が曖昧で、よく思い出せませんね』
「あなたは…砂の精霊ですか?」
姿の見えない声に、エリアーデは尋ねた。
『そうと言ったらどうするの? あの生意気な賢者のように、あなたも私が欲しいの?』
「欲しい?」
『私の加護があれば、すぐにでも彼を砂から引き上げられたでしょう。それに、あいつが最初にソウル・スフィアに入れたのは私ですものね』
エリアーデは驚いて何か尋ねようとしたが「キューイ!」というオタリナの声にハッとした。
気がつくと隣にグアパが戻って来ていた。その横にハンスも居る。彼はエリアーデに手袋を差し出す。
「悪いが嬢ちゃんはハンスの後ろに乗ってくれ。アリオは俺が運ぶ」
エリアーデは頷くとハンスの後ろに腰掛けて手袋を嵌めた。
一方、グアパのイルカはひと回り大きく、後ろにソリを引いている。彼はアリオを抱き上げるとソリに寝かせて布を被せた。そのままソリから適当な布を出すと、エリアーデの頭に巻き付け始めた。
「嬢ちゃんも街までこれ被っときな。イルカだとアインまで1時間はかかる」
「ありがとうございます」
エリアーデが礼を言うと、グアパはニカッと笑った。そして、砂鯨に座って見学していたゴージャ王を見上げた。
「王様! 引き上げだ! 先に帰っててくれ!」
ゴージャ王は頷きながら全員に分かるように軽く手を挙げると、砂鯨の手綱を引いた。
砂鯨は手綱を引かれると、ゆっくり先へ泳ぎ始める。エリアーデはその左肩に誰も居ないことに気が付いたが、辺りを見回しても何処にもシャーリーンの姿は見当たらなかった。
・~・~・~・~・~・~・~
不思議な感覚だ。
そうか、俺は砂の中に落ちたのか。
目は開かない。でも息が出来る。
不思議だ。溺れないんだろうか。
――『お前はなんのために聖剣を手に取ったんだ?』
誰だろう。声がする。
教会で話したシアンみたいな喋り方だ。
――『お前はなんのために闘うつもりだ?』
……よく分からない。
けれど、取り返したい物がある。
――『取り返したい物?』
紅い魔物が、俺の大切だった人たちの、大切な物を持って逃げたんだ。
――『もしそれを取り返したら、その後はどうする?』
そこから先は、正直よく考えてない。テオは世界がどうとか、エリーは魔王を倒さなければとか、みんな色々言っていたけれど、よく分からない。
――『………そうか。お前は、その大切だった者たちが居なくなった時に、考えるのをやめたのだな』
考えるのを……やめた?
――『そうだ。お前は何処にも進むつもりがない。であればゴージャの言う通り、ここに留まることも出来るだろう』
それは……嫌だ。
――『なぜ?』
なぜ? ………なんでだろう。
その時、炎の中で微笑むララが頭をよぎった。
・~・~・~・~・~・~・~
アリオは勢い良く上半身を起こした。掛けられていた薄いシーツがずり落ち、全身にびっしょりと冷や汗をかいていた。
周りを見回すと、サラマーラ、エリアーデ、ユリアン、ハンスがベッドの横に腰掛けていた。ユリアン以外は、突然起き上がったアリオに目を丸くして驚いている。
「良かった!」
エリアーデが起き上がったアリオに抱きつくので、彼は顔を赤くして後ずさった。途端に頭がズキンと痛んで、顔を歪める。ユリアンが水の滴る袋を差し出した。
「氷嚢です。まだ痛むようでしたら冷やして下さい。先ほど魔術で調べましたが、幸い体内に損傷は無く、外傷は転倒時に腕を打撲しただけでした」
エリアーデはゆっくりとアリオから離れると、サラマーラへ尋ねた。
「ひどい寝汗です。何か身体を拭くものを頂けませんか?」
サラマーラは昨日とは違い、この国の伝統的な普段着を着ていた。彼女はエリアーデに「取ってくるね」と言うと、部屋から出て行く。
落ち着いて見てみると、ここは何処かの民家の一室だった。砂色の石で作られた立派な作りの建物だ。窓の外には花の咲く小さな庭と、隣家の壁が見える。
ハンスと目が合って、途端に記憶が蘇った。
「そうだ! 俺、砂イルカとぶつかって…みんなは?」
「怪我をしたのは君とイルカ1匹だけだよ」
アリオは安心した様子で氷嚢を頭に当てた。ハンスは優しい声で話し掛ける。
「ここはサラマーラの家だ。頭もさっきまで居たんだけど、明日の準備があってね。取り敢えず、明日1日は休んでも良いってさ」
「いや、明日も行く。問題ないだろ?」
アリオは椅子に姿勢良く腰掛けるユリアンに向かって尋ねた。
「はい。こんなことを客人に言うのは良くありませんが、体調さえ宜しければ、午後の剣術の稽古を行っても差し支えございません。ただし、明日までは私も同席して、異常がないか確認させて頂きます」
アリオはそれを聞いて「ありがとう!」と喜んだが、ユリアンの黒髪と黒い瞳を眺めて、不思議そうに尋ねた。
「もしかして、あんた魔力持ちなのか?」
「せめて『もしかして、魔力があるの?』ぐらいにしてください」
エリアーデが苦々しげにそう言った。ユリアンとハンスは首を傾げる。アリオはため息をつきながら言い直した。
「えーと、ユリアン…さん。もしかして、魔力があるの?」
ユリアンとハンスはエリアーデを横目で見て、なるほどという顔になった。ユリアンは彼に目線を戻すと、質問に答えた。
「はい。私は黒髪ですが、国家魔導士でもあり、城の医務も担っております」
アリオは言葉の続きを待ったが、ユリアンはそれ以上答えなかったので、エリアーデが言葉を続けた。
「私も先ほど聞いて驚いたのですが、ユリアンさんは昨日ゴージャ王が話されていた異次元から漂流して来た方の末裔だそうです。彼女とは逆に、この国では黒髪でないのに全く魔力がない方も多く、見た目で人を判断しないそうです」
「…ああ! そう言うことなら、僕は全然魔力がないよ」
ハンスが頭に被せた布を外し、ちょうど肩の下くらいまで伸ばした蒼い髪を見せる。ところどころ癖毛が跳ねていた。海のように深い蒼い色の優しげな瞳は、どことなくテオドールを思い出させる。
「さて、話を戻すけど、明日も参加するんだね?」
アリオは頷く。
「行くよ、ハンスさ…」
ハンスはアリオの言葉を遮った。
「僕は『さん』はいらないかな〜。頭は『グアパさん』の方が良いかもしれないけど。この後、網を洗うためにみんなのところへ戻るから、明日も君が来るって、僕から伝えておくね」
「ありがとう、ハンス」
ハンスは優しげにアリオへ微笑んだ。
「あと、途中で僕を助けてくれようとしたけど、君は当分の間、自分が怪我をしないことを心掛けて欲しい。みんな基本的に自分の身を守れるからね」
そう言って笑う彼のことを、アリオはやっぱり少しだけテオドールに似ていると思ったのだった。




