第44話 カタパラ漁
この魚、地味に美味しそうです。
※2021/10/28より改行修正入れております。内容には変更ございません。
アリオはゴージャ王の肩に必死にしがみついていた。王は夜明け前にアリオと門外へ出ると、たちまち元の大きさに戻り、1匹の海獣の背に跨った。
「ほれ、乗らんかい」
王はそう言うとアリオの右肩を叩く。彼はまるで山のように聳える海獣を見上げ、冷や汗を流した。
「こいつらは砂鯨と言ってな。大人しい生き物だから、お主程度が何処で飛び跳ねても暴れたりせんわ。待っててやるから、早く登って来い」
王の言葉にアリオは海獣の身体を見渡し、橋の上へ飛び上がる要領で尾ビレへ飛んだ。そこからようやく鞍まで這い上がり、王の背中をよじ登る。その肩へ辿りつく頃には、太陽が水平線から昇りきっていた。
「よし、シャーリーンも来たな」
王が反対側の肩を覗き込んだので、アリオも覗き込むと、反対の肩には涼しい顔で金髪の美人が腰掛けていた。
「お前、いつの間に…!」
シャーリーンは無表情で正面を見つめたまま何も答えなかった。王が「よし」と手綱を引こうとすると、後ろから聞き覚えのある声が叫んだ。
「間に合った…! おはようございます! 私も乗せて下さい!!」
見ると、エリアーデがソウル・スフィアを手に、砂鯨の下で息を切らせている。
王はやれやれとばかりに、エリアーデに手を差し伸べた。彼女が「申し訳ありません」と言いながら掌に乗ると、背中のマントのフードの中へ入れる。
「エリアーデよ、悪いが乗り心地は保証せんぞ。アリオは振り落とされんようにな」
そう言うや否や、王は有無を言わさず手綱を操り、海獣は猛スピードで砂の海を前進し始めたのだった。
エリアーデがフードの中で混ぜこぜになっている間、アリオは肩から振り落とされないよう必死だった。息をする暇も無く、前を見ることもままならなかったが、しばらくすると砂鯨は突然前進をやめた。
アリオは王の肩に登り直し、息を切らしながら反対側の肩を前から覗き込んだ。
そして、彼は信じられないという表情で思わず息を飲む。反対側の肩には、まるで何事もなかったかのようにシャーリーンが美しく腰掛けており、その美人は汗ひとつ流していなかった。
ゴソゴソという音に、王の背中のフードを覗くと、エリアーデが真っ青な顔を出した。彼女は何処からか袋を取り出すとフードの中に隠れ、その中で吐き始めたようだった。
王は微妙な面持ちになり、ため息をついた。
アリオは心配そうに声を掛ける。
「お…おい、大丈夫か? 水か何か…」
「持ってます!」
エリアーデはそう声だけ返した。
「おいおい、大丈夫なのか?」
突然、下の方から声が上がった。アリオがよく見渡すと、砂鯨の周りに魚のような生き物に跨った人々が集まっていた。
「吐いとるのは見学者の方だ!」
ゴージャ王は、下にいるリーダー格の男へそう言うと、肩のアリオへ話し掛ける。
「ほれ、アリオ。あそこに居る男の前まで降りろ。それからさっき渡した布、ちゃんと頭に巻いておけ。日にやられるぞ」
アリオは頷くと、言われた通り頭に布を巻き、王の肩から飛び降りた。少し時間が掛かったが、今度は砂鯨の背中から胸ビレまで一気に飛び、少しバランスを崩して砂に手を付く。
まだ日は高くないが、砂は焼けるように熱かった。頭に白い布を巻いた男がアリオへ近づく。男の横には魚のような生き物の背ビレが泳いで居た。
男はアリオの頭の布を剥ぎ取ると、怒った様子で彼の頭に丁寧に布を巻き直し始めた。男の周りの他の者たちはニヤニヤとその様子を眺めている。
「なんだ、この巻き方は!すぐに外れちまうだろう。漁はあと1〜2時間で終わらせねえといけねえのに、遅れて来やがって!」
そう言いながら布を巻き終わると、飾り紐を取り出して頭の布を縛った。あっという間の出来事に、アリオは呆然としつつ、男へ礼を言った。
「あ…ありがとう」
男は鼻を鳴らすとアリオに向かって、変わった質感の茶色い革手袋を投げた。
「ふん、礼はなってるみたいだな。それ付けて、さっさとその砂イルカに乗りな」
すると目の前の砂から、突然見たこともない生き物が飛び出した。
砂鯨と違い白色の不思議な生き物は、「キューイ!」という可愛らしい声で彼に背中を見せる。その背中には、小さな鞍と手綱が付いていた。
アリオは目を輝かせながら、見様見真似で白い生き物に跨り、手袋に手を突っ込んだ。そして、手袋に手を突っ込んだ瞬間、妙な感覚に襲われる。
砂がまるで水のようになったのだ。
アリオが驚いて足元を見ると、足が砂の水面下に沈んでいた。
リーダー格の男は、自分の隣を泳いでいたイルカの背中に腰掛けると、手袋を嵌める。その男は砂の中に足が沈むのを確かめてから、イルカの背に跨った。
「お前ら始めるぞ!」
「おう!」と返す声で、数人女性が混ざっていることが伺えた。アリオが戸惑っていると、男が小ぶりの棍棒を投げて来た。アリオは両手で慌ててそれを受け取る。
「俺は漁場長のグアパだ」
「お、俺はアリオ」
「これから全員で魚を狩る。あっちにお前と同じ棍棒を持った奴いるだろ?」
グアパが指差す方を見ると、若い男が棍棒片手に手を振った。
「あいつがハンスだ。しばらくは毎日あいつのやり方を真似てろ。良いか? 周りをよく見て、足引っ張るんじゃねえぞ」
アリオはグアパの目を見て頷いた。
グアパは「よし」と小さく呟く。
「昨日連絡した通り、今日からしばらくカタパラ狩りだ! いいか! 怪我すんじゃねえぞ! もし怪我したらすぐ離脱しろ!」
散開した全員が大きな声で「おう!」と返すと、アリオも慌てて声を合わせた。
グアパが合図を送ると、陣形の対岸端に居る漁師が片手を目の前に差し出し、白く光る魔法陣を広げた。彼女は魔導士のようだ。やがて魔法陣の文字が短い糸のように解け、糸の群れが陣形の中央の砂に潜り始める。
目の前の不思議な光景に見惚れていたのも束の間、少し離れた砂の中から、突然アリオほどの大きさの赤い魚が飛び出した。
魚は口を大きく開け、光る糸を食べようと追いかけている。その口元には翠玉魚とは違い、鋸のようなギザギザとした凶悪な歯が覗いていた。
「群れを捉えた!上げるよ!」
魔導士が目の前に差し出していた掌をグッと握りしめ、素早く頭の上へ持ち上げる。グアパが叫んだ。
「網用意!」
アリオから見て術師の右手に並ぶ漁師たちが一斉に口笛を吹く。すると、彼らの目の前で何かを咥えた砂イルカたちが揃って砂に潜った。
しばらくして、魔導士を挟んで反対側に並ぶ漁師たちの目の前に、砂イルカたちが頭を出した。
「そうか、1枚の網を魚の群れの下に…」
アリオがそう呟いた瞬間、グアパが叫んだ。
「アリオ! ボサっとすんな! そっちに行ったぞ!」
空いていた砂の空間に数十匹の大きな魚が飛び出した。魚たちは壊れた玩具のような動きで顎をガチガチと鳴らしながら、殺されまいと目に入った者に襲いかかる。
数匹がアリオへ食らい付いたが、彼は砂イルカの手綱を引いて身を下げると、棍棒を思い切り魚の頭に当てて進行方向を変えた。グアパは「ほう」と短く呟く。
「やあ、驚いたな。君、生き物に優しいんだね」
アリオが声の方を見ると、先ほど紹介されたハンスが砂イルカを横に着けていた。
「初めてだと、手綱を引き過ぎてひっくり返っちゃう奴が多いんだ。砂イルカは人懐っこくて頭が良いけど、攻撃的な生き物じゃないから、あまり無理をさせないようにね」
そう言うとハンスは網からはみ出した魚を棍棒で中に押し戻したが、一際大きな魚が彼に噛みつこうとして、アリオは慌てて身を乗り出した。
間に合わないとアリオが思ったその時、ハンスの後ろで砂イルカが飛び上がり、その背中に跨った男が銛で魚をひと突きにする。
エリアーデはようやく王の右肩によじ登ると、ため息をつきながら座り込んだ。
網を持った漁師たちが、戻って来た砂イルカに再び網の端を持たせると、イルカたちは魚の群れの上をひとっ飛びし、反対側の漁師たちに網の端を渡す。
あっという間に魚の群れは網に包まれ、グアパは網の端を一括りにすると、砂鯨の大きな尾に付けられた特殊な輪に網ごと魚をぶら下げた。
「なるほど。あのカタパラという赤い肉食魚を、魔術で群れごと誘い出し、網で一気に引き上げるというわけですね。はみ出した魚は、棍棒を持った班が網の中に戻し、手に余るものは銛を持った班が刺すということでしょうか」
ゴージャ王は彼女の言葉を肯定するように頷くと、左肩へ振り向いて尋ねた。
「まだ行かないのか?」
シャーリーンはゴージャ王を金色の瞳で見つめると、無言で頷いた。
「今日のカタパラは大人しいな…」
アリオの隣でハンスがそう小さく呟くと、グアパが向こう側で叫んだ。
「次行くぞ! 次! 砂の温度に耐えられるのも、あと1時間ってとこだ! 落ち着いて行くぞ!」
漁師たちは再び陣形を立て直し、片側のイルカたちが網の端を咥えた。アリオはハンスの指示で右側の列の近くに待機する。
魔導士は先ほどと同様に光を砂中へ泳がせたが、しばらく手を目の前で探らせると表情を曇らせた。
「掛かりが悪いです…これは…」
すると右側の列の近くで突然1匹のカタパラが砂上へ跳ね上がった。
グアパがすかさず「棍棒!」と叫んだが、銛班の1人が思わず刺し殺してしまう。その血に驚いた右列の砂イルカたちが一斉に砂に飛び込んだ。
魔導士は掌を握りしめると、先ほどとは違い下へ思い切り下げて叫んだ。
「いけない! イカが掛かりました!」
「何? この網じゃ持たねえぞ! 全員手を離せ!」
全員が網から手を離した瞬間、大人3人ほども大きさのある巨大な紫色の生き物が3匹飛び出し、初めて見る生き物にアリオは目を丸くして驚いた。
その生き物は頭は三角でギョロっとした目が付いており、まるで骨がないかのように脚をくねらせている。
「全員銛の後ろに離脱だ!」
エリアーデも驚きながら、砂漠の王の肩の上で立ち上がった。
「あれがイカですか? やはりこの砂漠には水中の生き物が…アリオ! 後ろです!!」
アリオが退避しようとしたその後ろで、砂が異様に盛り上がった。その気配に思わず振り返ると、勢いよくもう1匹のイカが飛び出した。
遠くでグアパの叫び声が聞こえる。
「馬鹿野郎! アリオ! 前だ!! 前を見ろ!!!」
アリオは反射的に目線を前へ戻したが遅かった。
視界で火花が飛び散った。




