第315話 バテルマキアとの別れ
物語の核心に近付いて参りました。
全員呆気に取られるしかなかった。魔王の力は圧倒的だったはずだ。それこそゴージャ王の力でようやく一矢報いたほど。そんな強大な力ですら、魔法使いを前に一瞬で掻き消されてしまった。
「はは…こりゃ神々も勢力争いを禁じるわけだ」
チャーリーがやっとのことで絞り出したのが、それだった。肩から力が抜けている。他の者も皆黙りこくっている。すると、宙に浮くミルナが。たった今ゆっくりと、魔法陣へ沈もうとしているミルナが。深く深く息をついた。
「ありがとうございます。海辺の庭の主、そしてエレオノーラ様。みんなも…世界が平和になったら、みんな幸せになってね」
最期の言葉のつもりなのだ。その目に涙が滲んでいるのを見て、アリオはフランシスへ必死に呼び掛けた。しかし…返事はない。
ミルナの身体がどんどん魔法陣の中へ。
水面に沈むように、ゆっくりと溶けてゆく。
やがてその口元に笑みが浮かぶ。
アリオの脳内で、3年前遠くへ去ったはずのララが、あの屈託のない笑顔で、笑った。
「ダメだミルナ! 自分が犠牲になれば全員幸せなんて、そんなの間違ってる!!!」
アリオは聖剣を鞘に収めると、魔法陣目掛けて勢い良く飛び降りた。彼の身体が消えた時、アリオの身体も魔法陣へズブリとはまった。魔法陣の光が水滴のように跳ねる。光の水に落水したのだ。
「アリオ!」
エリアーデはひと呼吸も躊躇わずに石板を蹴った。慌ててマシューが後を追う。2人ともあっという間に魔法陣の中へ消えてしまった。
「おいおいマジかよ!」
チャーリーが片手で頭を抱えた。追おうとするマックスを手で差し止める。全員で行くわけにはいかない。目前の女神がくくくと笑った。
「私もシャンハーには初めて会う。挨拶がてら、このまま同行してやろう、人間」
「そいつぁーありがたい。魔法使いと喧嘩なんて、ゾッとしねーからな。それにしてもあの向こうが海底庭園って、息出来るのか?」
恐々と魔法陣を覗き込むが、段々と光が弱まっている。ばっと見上げると、満月が傾いていた。迷っている時間がない。
「ドルンデ、マックスを頼む。そこの祭司長さんも心配だしよ。戻るまでバテルマキアで待ってて欲しいところだが、あんたの寿命に影響しそうなら、先に帰ってくれ。じゃーな!」
それだけ言い残すと、チャーリーもあっという間に魔法陣へと飛び込んだ。最後に女神エレオノーラが、すうっと姿を消した。マックスの目にも見える、神々しい滝の精霊。どうかアリオたちを守ってくれますよう。
大水鏡の魔法陣は再び水中へ。今は仄暗い水底の水草の上で、気持ち良さそうに凪いでいる。まるで何事もなかったかのように。バテルマキアの回廊は静けさを取り戻していた。
「おい、あんた。その石、元通りになってるぞ…!」
異常に気が付いたドルンデが、祭司長のラカーナへと声を掛ける。彼女は慌てて石の手触りを確かめた。確かに真っ二つに割られたはず。それが元の丸い石に戻っている。それが生き物のように熱くなるのが、文字通り手に取るように分かった。
散らばっていた碧い鉱石がガラガラと集まる音に耳を立てながら。祭司長は目頭を熱くした。
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泉を眺めていたシアンは、寂しい思いを隠せなかった。海の底を泳ぐ、色鮮やかな魚たち。この不安の前では、彼らを楽しむ余裕がなかった。
予定より早く、彼らは海底庭園へと到着してしまったのだ。これが何を意味するのかは分からないし、もう誰も邪魔をしには来ないだろう。そんな気がした。
アリオたちは全員気を失っていた。ここの主人であるシャンハーは、客人を迎えに行くような男ではない。それでも自分たちの時は、彼自ら出迎えてくれたから、とても印象に残っている。
あの時は初対面で気付かなかったが、今思えばシャンハーの意中の彼女が同行していたからだった。あれは特別だったのだ。
――知らなかった。バテルマキアの入口は、あの裏庭へ繋がっていたのか。あそこの一角には…。
懐かしい庭園。アリオたちは海底の花園に驚くばかり。見るも珍しい魚の数々。極彩色のものから、食べたことのあるものまで。
不思議なことだが、あそこは呼吸も出来れば目も見える。耳だって普通に音を聞き取れるし、なんなら匂いだって分かった気がする。
――私も初めて行った時は驚かされたな。シャンハーのやつ、あいつに執着して大変だったんだよなー……。
彼の意中の彼女は、精霊のような人物だった。屈託なく笑う愛らしい人。興味本位で海底庭園へ乗り込んだことがあるらしい。どうやらシャンハーは、その時彼女に一目惚れしたようだった。
やがてシアンが予想していた通り、アリオたちは例の一角を見付けた。裏庭の端に位置する墓地である。墓標をひとつひとつ確かめながら、やがて何やら花塚のような場所へと辿り着く。
思わず怪訝な表情で、その花の丘を覗き込んでしまった。こんなものが500年前にあっただろうか。自分は記憶力は良かった方だと思う。これも死んだ影響で忘れたのだろうか。
――最近ほとんど思い出してたのに、まだ忘れてることがあったなんて悔しいな。
しかし次の瞬間、シアンは思わず口元を手で覆った。自分に似合わず、悲鳴が漏れそうになったのだ。思わず後ずさったが、おずおずと戻って来た。ゆっくりと泉を覗き直す。頭の中はもう真っ白。
花で塗り潰された小高い丘。そこには墓標も何も無く、ただひとつの棺桶が横たえられている。そこに眠る人物が、泉に大きく映し出されていた。




