第31話 ニャムリエール83世①
朝ごはん何が良いか考え中です。
※2021/12/15に分割しました。
「テオドール殿の遺言で言葉遣いの矯正を? あっはっは! あの方らしいと言えばあの方らしい!」
夜になり、2人と1匹は夕食を済ませ、焚き火で暖を取っていた。初夏とはいえ、西の森の夜はまだ肌寒い。
エリアーデは切り株に座り、膝掛けを使っていた。その上に1冊目の賢者の日記を置き、シアンたちが星屑山へ辿り着いた箇所と睨めっこしている。
彼女の正面の丸太にはアリオが座り、彼の右手側の張り出した木の根に、フランツが器用に脚を組んで腰掛けていた。この虎猫は、本当に何をしても人間そっくりの動作である。
「テオのこと知ってるのか?」
「もちろんでございます。あの方に最初に祝福を与えたのが水の精霊というのは有名な話でしょう。水の精霊たちはテオドール殿の最期まで側を離れませんでしたから、同胞からあの方の死を聞いた、この森の精霊たちも哀しみに暮れておりました」
フランツが哀しそうな表情をしたが、不思議なことに、エリアーデは会話を全く聞いていない様子だ。虎猫が拍子抜けしたように彼女を眺める。自分に向けられる視線に気付いてかどうか、彼女は急に口を開くと、別の話を振り出した。
「ねえ、フランツさん? この森にはもう魔物はいないのでしょうか?」
「えっ…魔物でございますか? ご存知の通り500年前の勇者一行が、悪さをしていた魔物を旅の途中で一掃してしまいましたし、粛正があってから、この森ではあまり見かけませんね」
アリオは「粛正?」と聞き返した。
「…おっと。人間にはあまり知られておりませんでしたかな。勇者一行を倒したものの、悪戦を強いられた魔王は、役に立たない魔物を城で粛正し、以後作戦を変更したという話でございます」
まあ聞いた話ですがね。虎猫はそう付け加えるのを忘れない。
「そのため、500年前以降は人間の人口減少も重なり、魔物の数は激減致しました」
その説明にアリオはよく分からない、という表情になる。仲間を殺す理由も理解できなければ、人間が減ると魔物が減る、という理屈も分からない。その考えを、そのままフランツへ伝えてみた。
「なんで仲間を粛正するんだ? それに、人間が減るとなんで魔物が減るんだ???」
虎猫は答えに困った様子で、エリアーデの方へ目配せする。彼女は日記から顔を上げると、呆れた表情でアリオに説明を始めた。
「老師から教わっていないのですか? この世界の魔物というのは、元は精霊なのです。いくつかの例外がありますが、精霊が人間に近付き過ぎ、概念を得ることで実体化します。その際、恐怖が付与されると人間に害をなす可能性が高くなるわけです」
アリオはこちらを見て首を傾げる。色々と教わっていたようだが、全て忘れているのではないだろうか。これは魔物の知識としては、基本中の基本である。
もっと彼に分かりやすいよう、ドロアーナで大暴れした魔物を、引き合いに出すことにした。
「ドロアーナの街に現れたフレアという魔物が分かりやすいでしょう。はるか昔、炎に恐怖という概念が与えられ、その恐怖が育ち続けたのがあの魔物です。自然を司る精霊は、災害などで人間に恐怖を与えることが少なくありませんので」
フレアの名前を聞いて、アリオの表情が急に険しくなる。しまった。彼を世話していた者は、みんなこの魔物に殺されていたのだった。慌てて話の軌道を修正する。
「しかし、ああはならずに精霊だった時のまま、暮らす魔物も少なくありません。全ての魔物が恐怖の概念を、持っているわけではありませんから」
そのエリアーデの言葉に、フランツは嬉しそうに金色の目を見開く。賢者や魔導士は、今まで腐るほど目にしてきた。
しかし、魔物であったり、猫妖精のような姿の見える精霊に、差別心や嫌悪感を持っている者も少なくない。目の前の少女は、賢者としてはかなり早熟のようだ。
「さすがエリアーデ様! 確かに魔物は誤解を受けやすく、古くから人間と対立して参りました。我々動物精霊も定義からすると、魔物に分類されておかしくない存在でございますから、その気持ちは良く分かります」
どうやら魔物は人間から嫌われやすい。そういうことを言いたいようだった。動物精霊も似たようなものなどと自虐的に話すが、フランツは笑いながら説明を続ける。
「実際、500年前に魔王があれだけの魔物を大陸中で大暴れさせることが出来たのは、人間への不満が溜まっていた証拠でありましょう」
それを聞いて、アリオは神妙な面持ちで虎猫を見つめた。なんだか可哀想になったのだ。
「なあ、もしそうなら魔物を一掃っていうのは、酷くねーか?」
フランツはきょとんとした表情で、彼の顔を見上げる。この少年は、我々や魔物に同情するつもりだろうか。エリアーデはチラッとアリオの方を見たが、返答はせずにそのまま続けた。
「そう、それで今まで魔物と遭遇しなかったのですね。疑問が1つ解消されました。フランツさんに、もう1つお尋ねしたいのですが」
「はい、なんでしょうか」
フランツは脚を組み直す。目の前の焚き火が不安げに揺れる。虎猫の金眼も、それに反応するように時々瞳が反射した。
「1冊目の日記によると、聖シアンの生家、つまりカヴァリエ邸は、大陸中央の王都にあったとあります。現在の魔王城城下です」
エリアーデの言葉には、なんの不思議もなかった。虎猫は安心した様子で、彼女の説明に付け加えることにする。
「さようでございます。カヴァリエ家は王家直属の騎士の家系でありましたので、当然ご邸宅も王都にあったわけでして。500年前に魔王が王都を乗っ取った際、シアン様は修行中の身で聖剣と共に難を逃れたという話、あまりにも有名でございましょう」
彼女はその回答を聞いて、目の前に手を翳す。そして、小さくこう唱えた。
「光よ、我らの在処を示せ」
すると、エリアーデとアリオの間、3人からよく見える位置に、光の線で描かれた地図が浮かび上がる。
十字星のような形をした大陸が中央に描かれ、その周囲は海に囲まれている。十字星の左端、大陸の西端に『ドロアーナ』と文字が書かれており、そこから南東の森を少し進んだ辺りが青く小さく光っていた。
「青く光っているのが我々の位置。その右斜め下、十字星型をした大陸の南端よりやや北側に星屑山があります。そして、旧王都がこちらです」
エリアーデは十字星の中央より少し北側の『旧王都』『危険立入禁止』と書かれた場所を示した。
さらにその真ん中、星印の位置に『現魔王城』『危険立入禁止』と大きく書かれている。アリオとフランツが、地図を確かめるのを見て、彼女は話を進めた。
「手記には、聖シアンたちは『徒歩で出立した』とありますので、南に位置する旧芸術都市マリまでおよそ3日、その南の森の入り口まで1〜2日でしょうか」
「はあ」
話の要領を得られず、フランツは困った顔をした。エリアーデは虎猫を静かに振り返る。
「おかしくはありませんか? 私たちのいる場所から星屑山までの距離と、カヴァリエ邸から星屑山までの距離はそう変わりません。聖シアンたちはカヴァリエ邸を徒歩で出た後、1週間ほどで星屑山に到着しています」
エリアーデは後ろ手に王都から星屑山までを、指でなぞる。こうして見てみると、かなりの距離だ。
「この時代は街道が整備されていましたが、マリで馬車を調達したとして、そんなに早く到着するものでしょうか?」
フランツは眉ひとつ動かさずに、脚を組み直した。焚き火がまた不気味に揺れ、虎猫の両眼がギラリと輝く。
「エリアーデ様、大変申し訳ございません。私め、話が見えないのですが」
アリオも分からないという風だ。虎猫の顔を見て頷き、先を促す。彼女はひと呼吸置くと、本題を切り出した。
「つまり、星屑山へ行くにもただ行くのでは駄目で、何か特殊な経路があるのではないかということです。あなたは最初から、ご存知なのでは?」
エリアーデは目を細め、悠々と腰掛ける虎猫を鋭く睨み付ける。




