第289話 希望を手渡して
やっぱり放ってはおけないよね。
その夜。エリアーデたちは夢魔レオカントの帰りを待っていた。今日の未明、知り合いに会って来ると言ったきり、彼はそのまま戻っていなかった。
「あんな奴置いて行ったら良いじゃない〜」
キャロラインが痺れを切らす。腰に手を当てて怒っているが、いくら1,000歳を軽く超える魔物だとしても、拗ねた幼女にしか見えない。彼女は夢魔をあまり好ましく思っていないのか、事あるごとに不快を露にしていた。
それでも幻覚を掛けられる夢魔の存在は、脱出には不可欠である。この都市には住民以外に危険な人間がうようよしている。アリオがそれを肌で感じていたのを、エリアーデは知っていた。
「エリー。あんたさっき子供たちに渡した結界破りの魔道具。本当に使わせる気?」
やはりピリピリした様子のサラマーロ。ソファで優雅に茶を啜る自分に、彼女は問い掛けているのだ。そんなことを聞かれても、本気としか言いようがない。それぐらいのことは彼女も気付いているだろうに、先ほどヤキに世間知らずと指摘されたことを、まだ気にしているのだろう。
こちらを見張ることに、ヤキがあまり興味を示さないのは幸いだった。恐らく自分が魔法を使うところを、直接見ていなかったせいだ。
先ほど子供たちに食事をさせながら、いくつか魔道具を渡していたが、ヤキはそれに気付くことはなかった。子供たちにはこう説明していた。
「2人はこれを片耳の中に入れておいて。レベル5の拘束瓶なら、中でも魔道具が使える。瓶の中では眠くなるけど、これで外の音だけ聞こえるようになるから」
「あ、俺作ったことある。これ『聞き耳玉』だ」
小石大の黄色い粒を見て、ハリヤッパ少年が嬉しそうな声を上げた。『聞き耳玉』というのは、壁の向こうの音を聞くイタズラ道具だ。子供が魔法の練習で良く作る、簡単な魔道具の1つである。エリアーデはこれを難易度の高い魔術で加工していた。
拘束瓶の中で使えるようにし、覚醒出来るように。1つをハリヤッパに、もう1つをメリールという少女に手渡し、片耳の奥へ入れさせる。2人とも髪が無造作に伸びていて良かった。あまり世話されていなかったのだろうが、耳が上手く隠れる。
子供たちのほとんどは親に売られており、案の定、魔力不足の者が多かった。しかし年長のこの2人だけは、かろうじて魔術を使えるレベルだったのだ。
さらに丸薬の入った防水袋を2つ用意し、2人の服の内ポケットに忍ばせる。ポケットは子供たちの食事前に、サラマーロが縫い付けてくれていた。
「休眠状態が1番身体に良いから、2人はギリギリまで眠って、奴隷商人が離れたタイミングを、しっかり見計らった上で目を覚ますこと。この丸薬を飲ませたら、他のみんなも目が覚める。多めに入れておいたから」
「どうやって外に出るの?」
「……これを手で握って、瓶の内側から拳を魔法陣に当てて。瓶が割れるから音が出るよ、気を付けてね。これは弱い結界の通り抜けにも使えるから、そういう時は全員で手を繋ぐと良いよ」
子供でも使える封印破りのコインを取り出し、やはり内ポケットへと隠させる。強い魔道具ではないが、数回は使えるはず。少年少女は一所懸命に言われたことを復唱し、周りの子供たちが不安げに見つめる。まだ5歳ぐらいの者もいる。
「ハリヤッパはさっき地図が読めるって自慢してたよね? これ現在地が出るやつだし、濡れないから持ってて」
小さく畳んでいた地図を取り出すと、バテルマキアに青いマークが点滅していた。喜ぶハリヤッパの前で、セルンボビア村に丸を付ける。
先ほど檻の外に手を出して、ハリヤッパの手を離れたら、地図が燃えるよう魔術を掛けておいた。同様の魔術を掛けたメモを、少女メリールに渡す。見事な金髪巻毛の彼女は、この中で唯一正確に文字を読むことが出来た。
「ノルンに着いたら、隙を見てすぐ抜け出して。出来るだけ信頼出来る行商人を探すの。そして行商拠点のセルンボビア村が復興するので、宣伝していると話してみて」
少女が不安そうに頷くと、ハリヤッパが大丈夫と手を握った。それを見てこちらは少しホッとする。
「良い? 絶対にその地図を渡してはダメ。それは切り札。案内するから一緒に来て欲しいって言って。村に着いたらエリアーデ・クラークに指示されたと言えば良いから」
最後に。メモと地図は取り上げられたら燃えて無くなると伝え、同じ話を復唱させた。
「……エリー? ねえ、エリーってば!」
キャロラインの声に意識が引き戻される。子供たちはヤキに瓶詰めされ、すでにここには居ない。ほんのひと時を共に過ごした。それだけだが、檻の中が酷く広く、そして暗く感じる。キャロラインが自分を呼んだ理由はすぐに分かった。
夢を具現化した存在。人間の望む美しい部分だけを映し出した虚像。目の前に見慣れた夢魔が浮いていた。




