第202話 村長の矜持
誰だって1つは持ち合わせていたり、そうでなかったり。
村の真ん中には、岩が集まった球が出来上がっている。直径は大人の男ぐらいだろうか。先ほどから微動だにしない。そこから少し距離を取って、アリオとマックスが武器を構えていた。アリオは振り向かずに、エリアーデたちに声を掛ける。
「俺たちより前に出ないで。さっきから様子がおかしいんだ。核が見当たらない」
アリオはずっと精霊の目で核を探しているが、見当たらないままである。いくら気温が高くとも、この叩きつける雨と湿気でかなり消耗していた。正直、これ以上長引かせたくない。
エリアーデたちをちらっと振り返ったのはマックスだ。後ろを見るなと言いそうになったが、彼女たちに段取りを確認したいようなので、言葉を引っ込める。
「アリオから聞いたよ。本当にマシューから借りた雷電で良いの? 火の精霊の方が良いんじゃない?」
「あの精霊は強力過ぎて、ヴァルが死んでしまうかも。ずっと見てたけど、この稲妻の精霊の方が、加減が得意そう」
彼女がそう答えると、マックスはなるほどと言って、顔を前へ戻した。今のうちに言っておこうか。
「マックス。武器を取ってる時に後ろを見るな」
そう言われたマックスは、拍子抜けしたような表情になる。おまけに少し吹き出した。後で小言を追加しよう。
「ダミアンみたいなこと言うなあ」
2週間ぶりに砂漠の軍事長官の名前を聞いた。そう言えば、敵を見失った時、どうするって言ってただろう……いや、違う。その話をしたのはダミアンではなかった。
――『相手の立場で考えろ。1番安全で卑怯な手を』
そうだ。それを教えてくれたのは、ドロアーナで亡くなった用心棒の同僚トムだった。どうしてこんな大事なことを忘れていたのだろう。
――あいつは聖剣で斬られて恐怖を消耗してる。目の前の岩塊がおとりだとしたら? 今から恐怖を得るなら、誰を狙うのが手っ取り早い?
急に腑に落ちた。
「まずい。狙いはカランドリアの村人だ!」
アリオの言葉に全員ハッとすると、一斉に崖向こうへ駆け出した。
途端に岩塊はこちらの後を追い始める。先ほどより動きが遅いが、エリアーデがやっと逃げ切れるくらいだろうか。腹の呼吸が苦しいが、アリオはなんとか指笛を吹く。
すると、足元から巨大な鯱が飛び出す。こんな状況で手綱を取るのも、砂イルカですっかりお手の物だ。目を丸くするヴァルアナを抱き上げると、マックスとエリアーデが後ろに飛び乗って来た。
運動が苦手なエリアーデなど、全力疾走ですっかり息が上がっている。鯱に乗ってホッとする余り、彼女は大きな大きなため息を吐いた。
アリオが精霊の視線で崖向こうを透かすと、まだ村人が残っているようだった。マシューたちも側に居るようだが、何に時間が掛かっているんだ。そこに真っ黒な霧が近付いている。
――崖ごと斬るか? いや、ダメだ。崖が崩れれば絶対に誰か死ぬ!
自分と同じことを思っていたのだろう。息も絶え絶えに、エリアーデが声を振り絞って叫ぶ。
「フ……フランシス!」
『言われなくても行くさ』
風の精霊はそう答えると颯爽と先へ吹いてゆく。そして、アリオたちは少し驚いた。ぬるっとした水の塊が鯱を追い越すと、凄まじい速さで風を追って行くのだ。てっきり人間嫌いなのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
崖の裏手では、村へ戻ろうとする十数人を、サラマーロが納得の行かない様子で睨み付けていた。全員独り身と思しき大人ばかりだ。
「俺たちの家族は、まだあそこにいる」
「死んだ人間の所に行く方法なんてないわ」
ほとんどの村人は、すでに防御結界の中に入っていた。マシューは彼女の肩を叩き、もうここを離れることを伝えようとする。しかし、突然その肩をぐっと引くと、彼はサラマーロを押しのけて前へ飛び出す。
崖の影からフランシスが飛び出すのが見えたのだ。結界へ入ろうとしない十数人の前へ、あっという間に駆け出すと、彼は右手を構えた。みるみるうちに、崖下の岩石は、近くの落石を集めて人型となった。
魔物の姿を目の当たりにして、人々がどよめくと、マシューの前に風の盾が展開する。ピンク色の逆光の中、歪な人型をした影がぬるりと立ち上がる。
悪いがつむじ風程度で防げるとは到底思えない。マシューは躊躇いがちに右手に火の玉を浮かべたが、その手首を掴む者があった。
その人物はマシューよりさらに前へ出ると、右手を差し出す。途端に大きな土壁が現れ、マシューや村人たちは視界を塞がれた。
ドドドドと何かが土壁にぶち当たり、ギシギシと壁が揺れる。村人たちは肩を寄せ合って震えるばかりだ。その揺れが収まると、マシューの目の前で土壁の破れる音がした。
「どんな理由があってもなぁ。火山の精霊なんて森で使ってはなんねえ」
静かにマシューを諭したのは、諸悪の根源たる村長だった。
一目瞭然、致命傷だ。
カランドリア村長である老人の腹を、岩男の拳が貫いていた。
「早く俺から離れろぉ!」
その言葉に、マシューが慌てて後ろへ飛び避ける。すると土壁は崩れ落ち、向こうにいるであろう意思ある大岩を生き埋めにしてしまう。
岩男は老人の腹から腕を引き抜いていた。羽ばたくランプだけが辺りをぼうっと照らしている。
村人たちの前には、土の山。そして、腹に穴の空いた村長が立っているだけだ。
結界に入らずにいた十数人を、サラマーロは弦で無理矢理引き摺り込む。
「何すんだべ!」
何人かが不満そうに声を上げるが、凄まじい剣幕で叱りつける。
「そうじゃない! 邪魔よ!」
ローブのフードが落ち、その美しい顔が露になると、誰もが喉の奥に言葉を引っ込めた。妖艶さというより、その怒りを秘めた表情に寒気を覚えたからだ。そしてその寒気に、さらに拍車が掛かることになる。




