第110話 水の人工精霊
あ…これは…いえ、何も言いません。
※2021/12/15より改行修正入れております。内容には変更ございません。
青白く透けた少年が浮かび上がり、タトラマージを真っ直ぐに見据える。水の人工精霊に違いないが、タトラマージの頭に疑問符が浮かぶ。
「え〜? 逃げ水とかじゃなくて?」
「逃げ水じゃ、実際に光線反射出来ないわよ」
「それと、ここには逃げ水が発生する条件が揃ってない。いくら人工精霊だからって媒体がなければ維持出来ない」
サラマーロとエリアーデがそう説明するうちに、砂の上の水溜まりが球状に浮かび上がる。エリアーデは慌ててソウル・スフィアを自分の足元に突き、防御魔術の魔法陣を展開させた。サラマーロとタトラマージへ警告する。
「呼吸器を保護して!」
「大気中の水分の精霊? よりにもよって1番タチ悪いヤツじゃない」
「……どゆこと?」
サラマーロが悪態をついたが、タトラマージはわけが分からず首を傾げた。その瞬間、透明な球体から彼女の口元に一閃の水が放たれて取り付いた。
「はあ〜! はるほろほうひふほほは〜!」
「…何言ってるか分かんないけど、あの娘は大丈夫そうね……」
鼻と口を塞がれてもケロっとしているタトラマージを見て、サラマーロは呆れた様子だ。
「私に加護を与えている精霊は2人だけど、相手が水だとどっちも全然歯が立たないわ。あなたは?」
「……フランシス、どう?」
エリアーデの横に透けた少年が浮かび上がると、彼女へこうアドバイスした。
「タトラマージの光線は雷電由来だから、彼女に相手をさせるべきだ」
「ほっへー!」
何を言っているのか分からないが、タトラマージは話をしっかり聞いていた様子で、目の前の人工精霊に光線を放ち始めた。
「周りよく見てお願いね! 大丈夫とは思うけど、広間が崩壊したら洒落にならないし!」
サラマーロがそう彼女へ注意するが、風の精霊フランシスはサラマーロの方に警告した。
「そんなことより、奴に止めを刺すべきだったな」
少年は入って来た方向に振り向いて指を差した。3人が風の精霊が指差す方へ注目すると、入って来た物と同じ姿見が掛かっている。鏡の金縁には、今度はオリーブではなく精巧なカトレアが彫られていた。
よく見ると、その鏡面から透けた緑色の腕が、もがくようにゆっくりと伸びて来ている。その腕には虹色に輝く白い弦が絡まっていた。
サラマーロは小さく舌打ちすると、納得のいかない表情でエリアーデとフランシスへ尋ねた。
「あのねえ…私だって三大禁忌は怖いのよ? ロティの言ってたこと本当なんでしょうね? 人工精霊は魂の存在しない機械のようなものだから、倒しても"精霊殺し"に該当しないって」
「…………」
三大禁忌と聞いて、エリアーデは答えられずに黙り込む。
この世界には犯してはならない3つの禁忌があり、いずれも大きな代償が伴うと言われている。そのうちの1つがその名の通り"精霊殺し"だ。
そういえばアリオにも、まともに説明して来なかったが彼は大丈夫だろうか。もっと早く確認すべきだった。
回答を躊躇う彼女の代わりに、フランシスが返答した。
「僕も半信半疑だったが、間違いない。これらは精霊では無く、高度な魔法で動かされている植物や水分だ。あれも我々の動きを真似ただけの悪趣味な魔法装置に過ぎない」
「つまり、あの人工精霊がその装置の本体と見て良いのね?」
「そうだ」
「………分かったわ。反転しててやりづらいけど、それなら殺るわ」
サラマーロが幻琴を構えると、力づくで糸を切る音と共に鏡から人工精霊が姿を現した。
透けた緑色の少女は無表情のままサラマーロを見つめる。その瞬間、彼女の足元から樹の根が伸び、凄まじい早さで砂へ潜り始めた。
「風よ!」
エリアーデがフランシスへ命じると、小さな竜巻が巻き起こり樹木の人工精霊を宙へ浮き上がらせた。
樹の根がぶちぶちと断ち切られる音に合わせて、サラマーロがクリュエーシュを奏で始める。同時に裏声で発声すると、その声が強烈な音波となって人工精霊にぶつかり、少女は壁まで一気に吹き飛んで打ち付けられた。
「これは音の精霊…そうか、声が詠唱の代わりに…」
エリアーデはソウル・スフィアを構えたまま、思わずそう呟いた。
音の精霊は概念の精霊ではないが、かなり珍しいものだった。人間に加護を与えることも稀だ。クリュエーシュの弦がみるみるうちに精霊を縛り上げると、今度は地面から別の樹の根が伸び、人工精霊を締め上げる。
援護するために構えていたエリアーデへ、サラマーロはこう告げた。
「こっちの広間の樹が立派で助かったわ。このまま潰すから、あなたは先に薬と箪笥の捜索をして!」
エリアーデは頷くとサラマーロへ背を向け、物理探査の魔術を展開した。
タトラマージは、すでに大分離れた空中で水の人工精霊と撃ち合いをしていた。彼女の光線や精霊の水の矢が外れるたびに、床や天井、聖遺物の一部が破壊されて行く。
「マーヤ、薬と聖遺物『複製の衣装箪笥』の写本を表示して」
幼なげな透けた少女が現れると、ニコニコしながら両手を前に差し出し、ピンク色の光で薬と箪笥の画像を映し出す。シャーロットが地雷を探査した時の手順をもう一度思い出しながら、スキャンのための魔法陣を展開した。
「ここは私が」
光り輝く白い精霊が現れるとそう告げ、"夜光"の精霊マーヤと交代した。魔法陣は眩いばかりの白い光で描かれて行く。光の精霊マリエスへ頷くと、薬が大本命なのだから、とにかく広範囲を探査しなければと肝に銘じた。
ソウル・スフィアに自身の魔力を送り込み、深く深く深呼吸して集中する。そして、杖を思い切り魔法陣に突き、大きく魔力波を送った。
その瞬間、エリアーデを中心に眩い光の柱が上がり、それは円形の輪となって広大な広間へ一瞬で広がった。
目の前に広間の図面が現れ、その上で円が広がると次々と点が表示されて行く。交戦中のタトラマージが近くに表示されている。円は何処までも広がり続けたが、マリエスが突然彼女へ話しかけた。
「エリー、やはりこの広間に端はありません。本来聖遺物とは、相応しい者の前に現れるもの。近くのポイントから照合すべきです」
「……そうだね」
術式にさらに力を込めると、広がった光の円は図面上でゆっくりと縮まり始め、写本と形の近い物から表示されて行く。彼女の頭の中で画像とマリエスの言葉がくるくると巡った。
そして、ふと1枚の画像に目が止まった。二枚扉の木造りの洋服箪笥で、扉には左右対称に植物とトカゲの模様が彫られている。サラマーロが描いた絵にとても良く似ていた。
「マーロ! 見つけたかも! いま空間魔術で呼び出すから確認してくれない?」
戦う背中へ、そう声を掛けると、サラマーロが操るオリーブの根に締め上げられ、人工精霊の少女はピクリとも動かなくなっていた。
「待って! 場所に当たりを付けたから! 人工精霊とはいえ、核がちゃんとあるみたい」
サラマーロは音を当てた際、少女の胸の中に違和感を覚えていた。緊張した面持ちでサラマーロは使役する植物の精霊へ命じる。
「穿ちなさい」
人工精霊の胸の位置に、目にも止まらぬ速さでオリーブの根が鋭く突き刺さる。サラマーロは自分の身に何も起きないことにホッと胸を撫で下ろしたが、エリアーデは人工精霊の姿が消えないことを不気味に感じた。
「マーロ! なんか変だから下がって!」
サラマーロへ叫んだが遅かった。
気付くと左足首のように見える右足首に、樹の根が絡まっていた。サラマーロは小さく舌打ちしたが、そのまま引きずり倒され、幻琴を持ったまま宙に逆さ吊りにされる。
エリアーデがフランシスへ命じようとすると、背後からタトラマージの遠い叫び声が聞こえた。
「え………?」
振り返るとエリアーデの周りに風が巻き起こり、砂が目の前に展開した。しかし、それらをすり抜けて何かが顔に取り付く。
顔にまとわりつく水は、みるみる体積を増やし、すぐに彼女の身体全てが水に包まれた。軽くパニックを起こしてもがいたが、服が重くて全く動けない。
フランシスとサラマーロが何か叫んでいるが、肺に水が入って来た後、瞬く間に目の前が暗くなった。




