黒い狼
「き、き、きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
シャルは持っていた鍋を振り回して絶叫した。
黒い狼はシャルの抵抗などものともせず、くるっと体を一回転させると、シャルの持っていた鍋を尻尾で弾き飛ばした。その反動でシャルも地面に尻餅をついてしまう。
「い、痛い……」
立ち上がろうとしたシャルの眼前には、黒狼の赤い瞳が光っていた。その瞳は赤い光を帯び、シャルにゆっくりと迫りシャルを地面へと押し倒した。
「きゃっ。いやっ……や、やめて……」
シャルは地面に押さえつけられた。黒狼は身動きの取れなくなったシャルに鼻先を近づけ匂いを嗅ぐと、その大きな舌で顔と首を舐め始めた。
まるで、犬が飼い主にじゃれるように。
「へっ? やっ……だめっ。くすぐったいってば、……ちょっ……きゃははっ」
黒狼は笑い転げるシャルの頬に顔を擦り寄せ、そしてまた舐める。
その行動に悪意は感じない。むしろ懐かれてしまったようだが、くすぐったいし、押し退けようにもぐいぐい来る。
シャルが笑い過ぎて腹筋に限界を感じた時、急に黒狼は動きを止め、森の方を鋭く睨んだ。それは、シャルが来た方角だ。
黒狼がシャルを守るように身体の下に隠した時、森から声がした。
「シャルっ!?」
「セオっーーきゃぁっ」
セオが木々の間から現れた瞬間――シャルの身体は宙に浮いた。
驚いて横を見ると、黒狼の身体が先程よりも一回り巨大化し、その大きな口でシャルを咥えていたのだ。
ヴィリアムはその大きな黒狼を前に、足を止め背中の弓矢に手を伸ばすと、セオに苦言を呈した。
「セオ、動物はリスまでじゃなかったのか!?」
「あれは、……わん子サマだ!? シャルを離せっ」
セオは叫ぶと黒狼に向かって卵を投球した。
黄色卵なので、卵型スライム爆弾だ。
わん子サマと呼ばれた黒狼は、木々を足場に宙を跳ね、セオの投げた爆弾を簡単に避けた。
「セオっ!? わん子サマってどういうこと!?」
「魔女の精霊だ! それは実体じゃない。本体は多分魔女と一緒だ」
「ならばーー幻をかき消そう」
ヴィリアムは弓を構えて黒狼目掛けて連射した。
迫り来る複数の矢に顔面蒼白状態のシャル。
矢が命中し、こんな高いところから落ちることになったら……と思うと全身が震え上がり、怖くて瞳をギュッと閉じた。
弓矢の一本は命中し、黒狼の後ろ足をかき消した。
「ヴィル。よくやった! 後は俺に任せろっ」
体勢を崩して落ちる黒狼にセオがスライム爆弾を投げまくった。シャルも黒狼もスライムでベタベタになりながら地面へと真っ逆さまに落ちていく。
そして地面に叩きつけられた衝撃で、シャルは黒狼の口から解放され、スライムのお陰で怪我もなく地面に降り立つことが出来た。しかし、全身スライムでベトベトだ。
「いや~。気持ち悪いよぉ」
「シャル。早くそいつから離れろ」
「えっ?」
黒狼は体をブルンッと震わせスライムを周囲に撒き散らすと、体を肥大化させセオからシャルを守るようにして立ちはだかった。
「セオ。この子、敵じゃないわ。魔女の精霊なのでしょう? だったらこの子に案内してもらいましょう!ーーねぇ。わん子サマ、魔女のところまで連れてって?」
わん子サマはシャルの言葉にピクリと反応すると、セオに背を向けシャルに向き直った。
そして、その大きな口を開いた。
「シャルっーー」
セオの叫び声を最後に音がぷっつりと途絶え、目の前が真っ暗になった。
ここは、黒狼の腹の中。そう気付いた時、シャルの意識は遠退いていった。




