中二界の巨匠、村上春樹「ダンスダンスダンス/村上春樹」
初めに書いておきます。あくまでも私の感想で、村上読者がみんなこうとは思いません。そして…
村上春樹が好きな人は読まないでください、ごめん。
村上作品が好きと公言するのは、ちょっと恥ずかしい。場合によっては迫害を受ける。なので小心者の私はファンとは名乗りません、好きな本を聞かれてもまず彼の作品は言いません、ええ。
私の家族も彼の作品をバカにします。彼の話題になると、
「やっぱりあなたは村上春樹が好きなんだ、気持ち悪い」
「そ、そんなことないよ、好きじゃない!」
「嘘ばっかり、喜んで読んでるじゃない」
「あんなのかすみたいな本だ、紙の無駄づかいだ」
「やっぱり村上原理主義者だ、殺せ!」
「ヒー、お助けを」
なんて会話が繰り広げられます。
初めて村上春樹作品を読んだのは、中学生の時でした。そう、誰でもかかるあの奇病を私は患っていました。正直に言いましょう、ハマりました。私の抱える孤独がここに書いてあると思いました。すべての長編を夢中になって読みました。WOW、恥ずかしいね…
しかしなんで恥ずかしいんだろう?彼は立派な作家だ。世界的に評価されてるし、日本人の作家で一番売れてるんじゃなかろうか…?
つつみ隠さず言うと私は今でも彼の作品が好きです。とくに初期の作品が。しかしなぜ恥ずかしいと思ってしまうのか??
自分なりに考えてみました。久々に一番好きだった「ダンス・ダンス・ダンス」を読み返してみました。
やはり、いろんな人がいろんなところで言っているように、「都合がよすぎだろ」ということですね。孤独だ、つらい、と言いつつなんだかよくわからん抽象的な問題に立ち向かいそこで女神のような女性がよってきて孤独を満たしてくれて、問題は解決しおしまい。
都合、よくね?主人公の孤独って、そんなことで癒されるものなの?あんな散々孤独だ孤独だと大げさな村上節で大騒ぎしておいて、都合よく??それだけで?????
いやたしかにかけがえのない人を得て分かり合うというのは人生において大きなことですが…あまりにも都合よく・自分のことを理解してくれる・若くて・賢く・誰が見ても美しく・胸が大きい女がふっと現れとっつぜんベッドインしてうんたらかんたら…
それで僕は救われた…とか、言われてもねぇ…?
と、大半の人は思うでしょう。私もちょっと思います。
でも…同時に居心地よさも感じるんですよね、この物語の展開に。大げさな単語を使った比喩。気取った言い回し。誰もが抱える「人の中で生きてくって難しい」という葛藤。その葛藤を泥臭く苦しんで解決するのではなく、あくまでも一段高みから「孤独だ…」とポーズを決め、ホラーちっくな展開のなかで出会った理想の女と結ばれ、おばけをやっつけ孤独も消える。ハッピー・エンド。
つまり、ちっぽけなナード(オタク)のハートを傷つけずによいしょし、心地よい冒険に浸らせてくれる物語なのですよ。
「村上春樹先生は、中二病界の大先生」と誰かが言っていましたね。それを読んで大人になった私は膝を打ちました。「その通りだッ!」と。
「俺は人とはちがうんだ」「何かすごい事をなしとげてやる」「周りの人間はバカばかり」「でも傷つくのは怖い」
そんな、中二病をわずらっているナイーブな思春期の人向けなんですよ!!!
え?もういい大人だろって?そうですよ、大人ですよ立派に成人済みですよ。だからこそこうやって分析できるわけですよ!!
そしてね、一度患ってしまうと中二病ってなかなか完治しないですよね?大人になり、それなりに揉まれて酸い甘いがわかってきても、なかなか完全に健全な人間社会に適応は、できない。「前ならえー」なんて言われると、これが正しいことなんだと従いお給料もらいつつも、心の中ではケッて思ってしまう。社会の歯車としてコツコツ頑張ることこそが一番えらくて尊い仕事だけど、自分はどうもそれが下手だ。相変わらず人付き合いも飲み会も苦手。
そんな…ダメな大人です…私は…。
だからうんうん心地よいなあって思いながら村上作品に浸ってしまうんですね、こっそりとオアシスを訪れるようなものなんですね。
だからあの…あんまりいじめないで。こっそり楽しんでるだけだから。うちら無害な存在だよ。とアンチ村上勢に私は言いたい。というか言った。そしたらこう返された。
「でも世界中で売れてるんでしょ?それだけダメな大人がいるってことだよね。気持ち悪い」
僕は何も言葉が返せなかった。やれやれ。