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『クライン』  作者: 新開 水留
7/9

[7]

 

 A子さんの話は、こうだ。

 入院してからはずっと、昼間は正直、申し訳ないくらい何の異変も違和感もないという。もちろん、倦怠感や吐き気といった症状がぶり返すことはある。しかし入院の必要を感じる程ではないし、本人曰く、働いてる人間なら誰もが背負っている程度の疲労感なのだそうだ。昼間に関しては食欲だってある。が、夜と朝が食べられない為、医師のすすめで点滴を打つこともあるらしい。

「朝も、ですか?」

 私の問いに、A子さんは頷く。

「この時間にはさすがに平気」時計の針は、午前10時50分を指している。「でも朝の早い時間だと、寝てることが多いかな」

「それは、夜眠れないからですか?」

「うん」

「どうしてですか?」

「…」

「先生はなんて仰ってます? 朝眠れるんなら不眠症じゃないんですよね?」

 私の質問が責めているようにでも聞こえたのか、A子さんの隣に座る正脇さんがお姉さんの腰に手を回し、「答え辛いなら、私が代わりに言おうか?」と小声で優しく尋ねた。

「正脇さん。出来れば、私は直接A子さんからお伺いしたいです。何を聞いても驚きませんから、出来るだけ正直に」

 と私が割って入ると、そんなこと言ったって、と正脇さんが反論の口を開きかけた。だがそんな彼女の膝に手を置いて制し、A子さんはこう答える。

「夜眠れないのは、声が、聞こえて来るからなの」

 私は看護師さんやお手洗いの前で会った女の子の話を一旦頭の外に置いて、まっさらな気持ちで聞いてみようと思った。見え方が違ってくるかもしれないと思ったのだ。

「声っていうと、誰か人が話す声、ということですか?」

 すると私の質問に反応し、A子さんは体を震わせ始めた。思い出しているのだろう。いや、思い出すどころか彼女にとっては、ほんの数時間前に経験した出来事なのだ。

「こ…わ…い…」

「え?」


 こわい。


 来た。

「ひ!」

 A子さんの喉が鳴る。

 確かに、聞こえた。

 A子さんが瞳を震わせながら怖いと呟いたその瞬間、この部屋のどこかで同じ言葉を発した何者かがいる。

「はあ、あ、あ、あ」

 A子さんが両耳を塞いで天井を向いた。「なんで? なんでこんな時間に聞こえるの!?」

「ちょ、姉さん落ち着いて!」

 A子さんは駄々をこねるように四肢を振り回した。足をばたつかせ、頭を抱えて髪を振り乱しながらベッドの上で跳ねる。この声が聞こえない者にとってすれば、A子さんの行動こそが恐怖対象だろう。だが私は違う。確かに聞こえるこの声に対し、正常でいろと言う方が無理なのだ。


 怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…

   怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…

      怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…怖い…


 低い声だった。男の声なのか女の声なのか定かではない。そしてその声が恐ろしいのは、「怖い」と呟く口調が少しも怯えていないところだ。すすり泣く女の声でも、震えた子供の声でもない。それはまるで、「怖い」という感情を聞く者に強制的に植え付けようとしているかのように、抑揚のない声で延々と繰り返しているのだ。等間隔に発せられる念仏のような声に、A子さんは発狂寸前になりながらベッドの上で跳ねた。

「秋月さん! ど、どうしたら!」

 正脇さんの訴えに、私はベッド脇にあるコールボタンを握って連打した。それから私はなるべくA子さんの耳には入らないように正脇に顔を寄せ、言った。

「この部屋からA子さんとは違う何者かの声が聞こえます」

 驚愕して身を引いた正脇さんにまた顔を寄せ、「出来れば退院された方が良いです。私は私で、友人を頼ってみます」と捲し立てた。早口だったために伝わる自信がなかったが、正脇さんは何度も縦に首を振った後、A子さんの身体に覆いかぶさった。

「姉さんしっかりして!病院を出よう!私と一緒に暮らそう!」

 A子さんはベッドの上で仰向けに横たわるも、胸を高く上げて背を反らし、両手で耳を押さえたまま何度も頭を振った。呼ばれて駆けつけた看護師さんや医師たちが、「またか」、という目で処置にあたるのを私は一歩退いて眺めた。

「秋月さん、一旦、今日の所は!」

 あまりにも激しくのたうつA子さんの姿に、私が怖がっているように見えたのだろう。私はただ、今も室内にこだます『声』の正体を特定できないかと集中していただけなのだが、やはり他人の目にそうは映るまい。正脇さんの言葉に私が頷いて後退した、その時だった。

「めいちゃん!」

 A子さんがそう叫び、私に向かって左手を伸ばした。

 正脇さんがギョッとした顔でその手を見つめる。

 細く筋張ったA子さんの手がブルブルと震え、五本の指が私を求めるように空中を掻きむしった。

「めいちゃッ、んッ!」

「A子さん大丈夫です!強力な助っ人連れて戻ってきますから!」

 私がそう返してA子さんの手を握り返した瞬間、私の身体に何かが入ってきた。

 



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