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『クライン』  作者: 新開 水留
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[6]

 

 病室に戻った私を、正脇さん姉妹は笑って出迎えた。遅いよー。うんこ? うんこだった? とまるで小学生のようなノリで囃し立ててくる。それでも私は怒る気になどなれなかったし、やはり、明るく振舞っている二人を見ていると胸が痛んだ。

 実を言えばこの病院の建物に入る前から、私は謎の声を耳にしていた。事前にA子さんのいる病室が406号であることを話の流れで聞いていたこともあり、その声が四階の端っこ辺りから漂って来るという奇妙な一致に、胸騒ぎを感じていた。私の霊感や霊能力は主に、遠く離れた場所にいる人間の声を聞くものだが、時には無意識に、この世ならざる者の声をキャッチすることもある。だがこの時私の耳に届いた謎の声が、A子さんの発したものなのか、はたまたあちら側から聞こえる声だったのか、そこまでは分からなかったのだ。

 しかし、先程お手洗いの前で出会った女の子と看護師さんの話を組み合わせれば、A子さんは夜な夜な発作を起こしているということで間違いないのだろう。怖い、怖い、とA子さんが繰り返すのが本当だとすれば、私が病院の外で聞いた謎の声とも符合する。確かに私は、消え入るような声ではあったものの、そう繰り返し呟いている声を聞いたのだ。

 が、ただ一点、時間帯だけが食い違うのである…。

「なんかさー、この子から聞いたんだけどさー、あなた霊感があるって本当なの?」

 A子さんはベッドに腰かけたまま、隣に寄り添う妹さんの手を握りながらそう言った。

 表情も、口調も、おどけているように明るい。しかし妹さん、つまり私の職場の先輩である正脇さんの腕を握る手は、震える程に力がこもっていた。

「ごめんねえ、なんか、どういう風に説明していいか分かんなくて」

 正脇さんは眉根を下げ、申し訳なさそうに肩を落としながら言った。

「大丈夫です。職場の人たちには、怖がられちゃうんでオフレコでお願いしたいですけど」

「も、うん、もも、もちろんそうよ!」

 簡単に許してもらえるとは思わなったのだろう。正脇さんはほっとした表情で強く頷いたが、私が、

「事情が事情ですから」

 と言った瞬間、姉妹の顔が強張った。

「…どういう、意味?」

 そう聞いたのはA子さんの方だ。

「ご想像されている通り、あるいはご存知の通り、あまり状態は良くないのだろうと私もそう思います」

「何か分かるの!?」

 身を乗り出すA子さんの隣では、正脇さんが半信半疑な表情で姉の横顔を見ている。おそらく彼女は、A子さんの発作の詳細を知らず、実際には見ていないのじゃないだろうか。

 私は答える。

「原因とか、どうしたらいいのかとか、そういった具体的な事柄で私が言えることはまだ、何もありません。それはこれからA子さんとお話する中で、お伺いしたい事でもありますから。ただ」

「ただ?」

「…例えば今回のように、A子さんの身に起きている事が単なる科学的なご病気などではなく、この世ならざる者が関係する超自然的な存在が原因なのであれば、多少なりとも私が御力になれることはあると思います。ですが本来であれば、そういった現象を専門に取り扱う人々を頼られた方が安全だとは思います」

 私の言葉に姉妹はしばし黙った。きっと、理解が追い付かないのだ。

 正脇さんが、鼻で息を吸って、口から吐いた。

「えっと、…それはいわゆる占い師とかお坊さんとか、そういうこと?」

「はい。分かりやすく言えば、そうです」

「で、でも」正脇さんは身を乗り出し、「秋月さんにもそういう、霊感とか、何か見えたりとか、そういうのなんでしょう!?」

 そういうの、という言葉の響きに若干の侮蔑を感じたが、私はあえてその部分を聞き流して頷いた。

「残念ですが私は、直接悪霊を見たり祓ったりできるわけではありません。私に出来るのは、声を聞くこと。もし私自身の手には負えないような事象が起きていると判断した場合には、しかるべき機関を頼っていただくことをお勧めします」

 先程までの明るい表情から一転、憔悴したように俯いてしまったA子さんに代わり、正脇さんが尚も質問を重ねた。

「しかるべき機関なんて知らないし、頼るって言ったって、この病院はどうしたらいいの? 入院は? 治療は? 秋月さん、私からあなたに相談しておいてこんな言い方は失礼だけど、姉は単なる病気じゃないって、あなたは本気でそう言うのね?」

「はい」

 正脇さんは唇を噛んで俯き、それでも言い返す言葉を探している様子だった。

 よくあることとは言い難いお姉さんの病状を家族から聞かされ、ずっと不安だっただろうと思う。大きな総合病院に入院中であるにも関わらず、ただの職場の後輩に心霊騒動を相談するくらいなのだ。ある意味、正脇さん自身にも普通とは違うストレスがかかっていたのだろう。だが、心のどこかでは、「そんなバカな」と思っていただろうし、一般的にはそう思いたいはずなのだ。それを、来院早々「普通ではない」と切って捨てる人間を前にすれば、受け入れるどころか反発したくなる気持ちも当然理解出来る。

「姉さんも、なんとか言いなさいよ…」

 正脇さんが力なくそう言うと、A子さんは深く項垂れたまま呟いた。

「悪…霊…」

 私は自分を落ち着かせる意味で静かに溜息を付き、言う。

「大変力のある私の友人に言わせれば、この世には『悪霊』というものはいないそうです。人に危害を加える霊障といったことが身の回りに起きたとしても、そこには霊魂の悪意とは違った理由が必ず存在すると、そう教えてくれました。微力ながら私も一緒に戦います。A子さん、肩を落とさず、前を向きましょう」

 顔を上げたA子さんの瞳は涙で震えていた。私がかけた言葉など、何ほどの価値もないと自分でも分かっている。しかし、私の言葉そのものに誰かを救う力はなくとも、なにくそと反骨精神に発破をかけることくらいは出来るはずだ。共感してくれなくてもいいのだ。どんな理由であれ、前さえ向いてくれたら。

「何か大変なことが起きる前に、私の伝手で、頼れる人たちをご紹介させていただきます」

 そう言った私の言葉に正脇さんは期待に目を輝かせた。その隣では、妹にもたれかかりながらA子さんが涙を零す。

「…まあ、有料ですけど」

 出来る限りそうと分かる口調で付け加えた私のユーモアに、A子さんはほんの僅かに口角を上げた。



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