片山
昇降口まで来たが、予想に反して階堂の姿は見当たらない。玄関の外を警戒しながら靴を履き替える。騒がしかった生徒たちの残照のように、スノコに上履きが一足だけ転がっていた。
「……なんだあ? あの女、来ねぇじゃねぇか」
「そのようだな。案外暇人ではなかったか」
「かなり暇人そうだったが」
あの女が多忙にしているところなど想像がつかない。「真面目にやる」なんていう常識的な機能がついているんだろうか。しかし階堂はいなかったが、代わりに意外な人物に出くわした。
「おや、浅葱くんか。随分と遅いんだね、委員会か何かかい?」
悠々と階段を下ってきたのは、クラス委員の片山だった。爽やかに笑っているが、いつか掴み合っていた時のことを思い出す。
「………委員会、ねぇ。そう見えるのか」
「見えないね。かく言う僕のほうが、委員会帰りなんだけど」
「殊勝なこった。ったくよく働くぜ。俺はそんなもん、ぜってぇ入らねぇからな」
そこで何故か、タケルと片山が不思議な顔をする。仏頂面のような、責めるような顔だ。
「……光一。委員会に所属していない生徒などいない」
「嘘だな。騙されねぇぞ」
「明日、調べておくよ、浅葱くんが何の委員会だったか……きっと相方さんが1人で2人分の仕事を……」
深刻そうに見える二人組だが、どうせ演技だろう。あのヌルい教室が、このぬるま湯極まりない学園が、1人残らず全員に「委員会」という役職を押し付け強制労働させるなどあるはずがない。
「ところで――吉川さんの件なんだけど」
「ん」
片山の澄んだ目が俺たちを見る。俺よりよほど頭がいいくせに、まるで子供のような純粋な目だと思った。
「どういう状況だったんだい? 吉川さんが車にぶつけられて、坂本さんも巻き込まれたって話だったけど……」
なるほどそういう噂になっていたか。誤解は解いておかねばなるまい。――無人の廊下は、廃墟のようだった。
「有紗は別に事故ってねぇよ。ただ、ちょいと目に見えない方のダメージがな」
こめかみに手を当てる。実に悩ましい。表面上何も変わっていないように思えるが、有紗はやはりどことなく変調を来しているように思う。
「ああ……そうだね。目の前で見てしまったんだから」
満を持して、腕組みしていたタケル先生がようやく口を開く。
「自分を責めるな――と、一口に言えば簡単そうに思えるんだがな。難しいに決まっている。自責なんてもの、意識して湧いてくる感情でもなし、また心がけひとつでゼロに出来るものでもない」
「その通りだ。けど、だからこそ身近な誰かが『自分を責める必要はないんだ、君は何もミスなんてしていないんだ』と訂正してあげることが必要なんじゃないかな。でないと、自分に非があると勘違いしたまま過剰に自分を責めてしまう」
「………………」
思わず凝視してしまう。当然のように知性的かつ理屈的な発言をした片山に。
「ん? どうした光一、空飛ぶ巨大金魚を目撃したような顔をして」
「片山……意外と話せるんだな……」
「僕をどういう目で見ていたんだ」
ピクリと頬が引きつる片山。
「まぁいいよ――それより、容態の方はどうなんだろうね。まだ目が覚めないのかな」
「む」
タケルと顔を見合わせる。容態か。どうなんだろうか。
「……いまのところ、まだ目覚めてないって林道ちゃんの話だが。そこから先は俺たちも聞いてねぇよ」
「そうかい。早くよくなって欲しいね、本当に……」
物憂げな目が、窓の外に向けられる。当然だろう。おそらく当然なのだろう、クラスメイトっていうのは。
「何かみんなで見舞いでもできればいいんだけど……いまは迷惑になるだろうね。仕方ない、見舞いの品でも考えておこうかな」
「…………相変わらずだな委員長。」
「全然。当然のことだよ」
そういって微笑んだクラス委員は、凛としていて折り目正しい。
「お見舞いのひとつでもすれば、今よりはみんな少し落ち着くと思う。本当に早く目覚めることをいのるばかりだね」
それで、思い返した。いつも通りのように思えたクラスメイトたちの表情。俺はまったく気付かなかったが、片山から見ればそれは影のあるものだったんだろう。
ケータイ片手に去っていく背中。そういえばあの落書き女を特定したのも、こいつがクラスの連中を先導していたんだったか。
「そうだ、浅葱くん」
「なんだ。委員長」
タバコが吸いたくなってきた。有紗にやめた方がいいと言われたが、やはりなんとなくでやめきれるものではない。ニコチン依存症を振り返るクラス委員は、おどろくほどに裏表のない明るい笑顔を浮かべていた。
「――――また、明日。なるべくならサボらないでもらえるとありがたい。みんな、いつも君が出席日数足りなくて留年してしまわないかと心配してる」
またしても驚かされる。何なんだあいつ。何なんだあいつらは。一体何の思惑があって俺みたいな赤の他人を気にかけやがる?
……遠く見える防火扉の横。既に片山の姿はなく、廊下隅では花瓶に赤い花が咲いていた。一輪の赤い花を囲う色とりどり。
「……………あいつモテるだろ」
「当然だろう。自然に気遣いが出来るというのはただそれだけで美徳だ」
なるほど道理で、いつもクラスメイトたちに囲まれているわけだ。




