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天使狩り  作者: 飛鳥
第1章
89/124

読めない男


 木製の手すりに、緑の格子。無機的なブロックを並べ立てたような階段は有り体に言えば図書館やなんかに似ている気がした。

 凍えたような階段を下っていく。妙に静かだ。電灯はついているのに、狩人たちは出払っているんだろうか。2階の廊下を奥まで見渡しても、人っ子ひとりいやしない。

「………………」

 街も遠い。俺の足音だけが反響する。本当に、妙に静かだ。よく見ればついこの間の破損もいつの間にかかなり修繕されている。トラップで大破したはずの床があまりに綺麗すぎたので霊視すれば、やはり何らかの呪いを行使したようだった。狩人本拠ならではの力技だろう。

 最後の階段を半分まで下り終え、一階を見下ろせば、そこでたった1人だけ狩人が待ち構えていた。玄関を塞ぐようにもたれ掛かっている。暑苦しいロングコートに長髪の男。

「――――やあ、浅葱光一。思っていたより元気そうだな。タケルには瀕死の重傷だと聞かされていたんだが?」

 花宮市狩人総括、蝶野。下の名前は知らない。契約を破って勝手に朱峰に手を出した今、俺が最も顔を合わせてはいけない相手だった。

 タバコをくわえる。どのみち片腕だ。びびっても仕方ないので、ジッポで点火し、ひとまず一服することにした。

「頑丈さだけが取り柄でね。無能な狩人共にも教えてやれ。『どんな時でもメシだけは死んでも食え、食わないならいっそ死ね』ってな」

「なるほど、浅葱・姉の考えか。確かに食事は大事だな。過酷な任務に準じるからこそ、不十分な栄養状態ではあっさり破損してしまう。筋肉が千切れたってどうということはないが、骨や関節はそうもいかないからな」

 吟味するように頷く男。優雅で気品があって最高に胡散臭い。一体、どんな攻撃手段を持っているのかは知らないが、近接戦の専門家だったらアウトだろう。満身創痍な上に、ついさっきベッドから出てきたばかりだ。

 格闘技っていう専門技術に怪我人は敵わない。反面、もしこの男が呪いに頼りきった半端者なら勝機は生まれる。油断があるからだ。

「……本当、お前ら、そんなだから春子さんに蹴散らされちまうんだぜ? 武闘派はいいが、素人上がりの呪い持ちには多いだろ。呪いっていう優位性を獲得した所で終わっちまう奴。その不可思議な力に頼りっきりで、自分自身は筋トレすらしたことない、ってな」

「まったくもってその通りだよ、浅葱。その手の輩はいつの時代でもいる。持って生まれた才能ゆえに、そこでつまらないプライドなんかを持ち、地味で堅実な努力ができなくなる」

 うむ、と蝶野は顎に手を当てて頷き、俺は腰の後ろの銃を抜くタイミングを測る。気付かないのか、蝶野は井戸端語りに入っている。

「――地道な努力が継続できない、というのは重大な欠陥なんだがね。勝手にお高く止まって成長しない人間というのは困り者だよ。弱いくせにプライドばかり高くて、改善もしないし、上に立つ側としては本当に悩ましい」

 しかし、蝶野は玄関から退く気配がない。相変わらず何を考えているのか分からない俺は、タバコくわえたまま蝶野の言葉を聞くしか無かった。まるで垂れ流しのラジオだ。

「稀に、人の話をまったく聞かないタイプの人間がいてね。こちらが何かを言うたびに『今更』だとか『教科書的だ』とか言って聞く耳がない。今更というのは自分が成熟しているとでも思い込んでいるのか。教科書的というのは何だ、ロックアーティストでも気取っているのか?」

 事情は知らないが、聞いているだけでイラッときた。

「…………小学生かよ」

「くだらん。反吐が出るクソガキだ。こちらが現実の話をしている時に、そいつには、世の中すべてが漫画の『その他大勢』にでも見えているのだろうな。どいつもこいつも何も考えていない能なしだ、とな。真実考えなしなのはどちらだと思う? そんな者とすら歩み寄らねばならないんだ、まったくリーダーなんてものはろくな役割じゃない」

 ドブ川に足を突っ込むような役割だ。同情のあまり楽しい笑みが浮かんでしまう。

「…………どうなったんだ? そのうざってぇのは」

「無論、クビだよ。協調性ゼロの人間を雇い入れるほどの余裕はない」

 俺は階段を降りない。撃ち殺すならこの中距離だ。俺は、これ以上狩人総括の間合いに踏み込むことは出来ない。蝶野は、鎮痛そうに眉間に手を当ててオチを語った。

「――もっとも、2月後には再会することになったがね。呪いを暴走させて化物になってしまった。社会性ゼロ人間のよくある末路さ」

 そいつはまた何とも。狩人の内情ってのは、本当にろくなもんじゃない。俺はふたつほど気になった箇所があった。

「社会性ゼロ人間って、そいつ何歳だったんだよ。中坊じゃねぇのかよ」

「驚くことに、20歳だったよ。言ってる内容は小学生だったが」

「……誰が殺したんだ?」

「無論、俺だよ。部下に元・仲間を殺させるわけにもいくまい? いやまったく、あの時は胸が痛んで痛んでたまらなかったね。狩人という職務上仕方なしに討伐したわけだが、本当にとてもとても辛かったさ。ガム食うか?」

「ああ」

 蝶野がミントガムを投げてくる。自身も包み紙から取り出して食っている。実に興味深そうだった。

「ほう、美味いな。ガムなんて何年ぶりだろうか。気紛れに買ってみるものだ」

「……………………」

 本当に満足そうだったので、受け取ったガムをポケットに仕舞っておく。毒入りでない保証はないだろう。

「ああそうだ、あの時はつい力が入ってしまってね。まったく無残な死体になってしまった。プライベートでは全く縁はなかったが、いやはや、我ながら愛する元・部下になんてひどい真似を………とそうだ浅葱、タケルを見掛けたか?」

「ついさっき上で見たが」

「そうか、それはいいな。あいつを飲み屋へ連れて行くとウケがいいんだ。いやはや、おばさん連中は若い男を見るやファンだ何だと調子がいい――と、何の話だったかな」

「さて、どうでもいい話なんじゃねーの」

「そうか。では、面倒だが報告だけはしておこう。そういう取り引きだったからな」

「…………あ?」

 腰の銃に伸ばしていた手が止まる。蝶野は当然のように述懐する。

「タケルによる朱峰観察はそこそこの頻度でうまくやっている。しかしあいつも忙しい身なんでな、出来れば他の人間に交代させたいというのがこちらの本音だ。タケルは花宮市のエースなんだ。たかが身内の観察任務に充てるには惜しいというか、莫大な浪費だ」

「…………」

 春子さんが取り付けた報告義務を履行している。俺は、朱峰に銃を向けてその契約を破り捨てたはずなんだが。

「で、朱峰監視の結果報告だが、実にくだらんぞ。何もない。一切の問題行動が見当たらん。強いて言うなら、よく働いてくれているという程度、勤務時間外でさえ見回りを行なってくれている日もあるそうだ。何か質問はあるか?」

「…………いや……」

 どうなってやがる。蝶野は、俺が朱峰とやり合ったことを知らないのか?

「あ――」

 脳裏を掠める涼し気な微笑。そうか、タケルか。

「あと、そうだった。監視内容というわけではないが、ここしばらく朱峰の身辺を妙な霊がついて回っているらしい」

「妙な霊……?」

「ああ。なんでも、ビームサーベル背負ったオタクの亡霊だとか」

 ビームサーベルというのは、丸めたポスターがリュックサックから飛び出している状態を言う。そいつはアレだろう、きっと造形趣味な器のでかい漢なんだろう。

「なんだそりゃ。聞いたこともねぇな」

「常にポケットからフィギュアが顔を出しているらしい。ストーカーというやつか? 朱峰は何故か放置しているようだが、そのうちに成仏させられるだろうな」

 島村さんの危機。不味い。

「? どうした浅葱、そんな渋そうな顔をして」

「なんでもねぇ」

 フ――と狩人総括は微笑する。用が済んだのか、ようやく玄関前から立ち去るようだ。

「あと、件の天界探しの件だが…………狩人こちら側は一切収穫なしだ。そっちはどうだ? 何か手掛かりになりそうなものはあるか」

 階段を上がってくる。なんとはなしにまだ警戒してしまう。

天使狩り(こっち)もサッパリだ。……つーか、そもそも本気で見つかると思ってんのか、お前」

 すれ違う。何事もなく階段を上がっていく。高い位置に立ち、蝶野の野郎は実に皮肉そうな笑みを浮かべて振り返った。その言葉はいっそ呪文のようでさえあった。

「――――ハッ、馬鹿馬鹿しい。そんなものあるわけがないだろう」

「………は……?」

 言葉の意味を測りかねて、俺の頭は空白になる。天界など、無い? ありもしないものを探せというのはどういうことだ。他でもない蝶野自身が命令を出したんじゃないのか。

 随分と呆けていたらしい。気が付けば蝶野はいなくなっていた。

「チ――本当に何考えてんのか分からねぇ……」

 頭を掻きながら階段を下っていく。あの男の脳内はどうなってやがるんだ。一体、何をどうしたいんだ。

「……つうか、朱峰に聞けばいいじゃねぇかよ」

 だが、そういえばあいつは天界になど行ったことがないとか言っていた。どいつもこいつもまったくワケが分からん。得体の知れない輩ばっかりだ。

「……………………」

 玄関を通過する際、なんとなく背後を振り返ってしまった。誰もいない。覗き見ているような気配は一切ない。


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