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天使狩り  作者: 飛鳥
第1章
88/124

浄罪願望


 考え事をする気分にもなれなかった。空虚すぎる。左腕のギブスが重い。これはしばらくは使いものにならないだろう。

 考えることを拒絶して、口から煙突のように立ち上る紫煙だけを見上げていた。俗にいう寝煙草、よく火事の原因になるやつだ。燃えてしまえ。狩人本拠。こんなもの、焼け落ちて消えて無くなってしまえばいい。

 ぽとりと灰が崩れ、頬をかすめて枕元に落ちてしまって舌打ちする。面倒だが身を起こしてティッシュで拭きとっておいた。

「ん……」

 体を起こしたために、すぐそばの机に二丁拳銃が置かれていることに気付いた。白黒一対の銃には傷一つない。いつもそうだ。黒拳銃を手に取るが、重い。本当に鉄より重いのだ。何せこの銃、材質が、不明――。

 片手でリリースボタンを押してマガジンを排出する。この金色の大口径弾丸は当然どこかの工場で作られているものなわけだが、この二丁拳銃の方は出所がわからない。死んだ親父の部屋に眠っていたのだ。で、妙に比重が重すぎるわ、どんなに手荒く扱っても傷ひとつ付かないわで不審に思った春子さんが狩人に検査を依頼した所――

 この銃は、未知なる物質で構成されていることが判明した。

 こんな物質はこの世界には存在しないのだ。どの元素にも該当しない。不吉な二丁拳銃。当然、異常現象側なのだろう。ただ重くて壊れないというだけの怪物銃だが、異常であることには変わりない。視る者によっては“存在が固定されている”なんて恐ろしい与太話を吐きやがったらしい。

 常識で考えるだけ無駄だろう。異常現象ってのはそういうもんだ。

「――で、何の用だそこのくそばけもの」

 マガジンを装填しなおして、半開きだったドアにガシャリと銃口を向ける。やはり、ドアにもたれてそこに女が立っていた。朱峰椎羅の長い髪。実に涼しげな顔をしている。

「……いま、どうやって察知したの? 鼻? さすが犬は嗅覚が違う」

「悪いが、羽人間に関してだけは霊視力跳ね上がる不思議体質なんでね。特にお前みたいなのはただそこにいるだけで反吐が出る。俺がお前を嫌い理由のひとつ、ってわけさ」

「何それ。生理的嫌悪? ひどい男ね、本当――――お互い様で笑ってしまう」

 どうでもよさそうに遠くを見ながら、朱峰がかすかに口元を歪める。どこか皮肉そうだった。退屈だったのか、朱峰は唐突に話を切り出してきた。

「“浄罪願望”――――って、知っている? 私がお前を嫌いな理由のひとつよ。」

「なに……?」

 朱峰の手が、自分の肩に触れる。実体のないその緋の翼を撫でるように。

「翼のある者は罪を嫌う。自分の教義――――いえ、価値観にそぐわない者が気に食わなくて仕方ないのよ。本当に、反吐が出るほど気色が悪い」

 その顔に浮かぶ強い嫌悪感。俺はいまいち論旨を理解できないでいた。

「? どういうことだ。生まれつき凶暴だってことかよ」

「それは間違いではないけれど、正しくもない。例えばテレビに映る重犯罪者。――殺したくなる。ちょっとでも考え込んでしまえば、そいつの罪に対して一気に憎悪が吹き出して、引き千切ってやらないと感情が収まらなくなる。それが私たち羽根付きの“浄罪願望”っていうものよ」

 朱峰の顔色に冗談はない。裏に押し込めた憎悪の冷たさを感じる。

「……なんだよそれ。人間の重犯罪者の行いが、お前たち羽人間に何の関わりがある」

「まったくの無関係ね。けど、あなた、知っている? 人間だって、自分が無関係な事件に限って正義だ義憤だ制裁だ、と取り憑かれたように喚き出すことを」

 それならば知っている。悪を攻撃したがる集団心理だろう。例えば、ニュースの……

「……ニュースの、無関係な重犯罪者を見て『こいつはクソ野郎だ』と吐き捨てる。ましてやそいつ本人や、そいつの血縁が近所に引っ越してこようもんなら、たちまち噂になって村八分――ああ、そういうことか」

「そう。相手が何であれ、罪を憎むのは生き物としての感情処理の一環なのでしょう。実際には、きっと正義やモラルなんて崇高な理由じゃない――愚か者を見て、降って湧いてくる嫌悪感に理屈で正義という粉飾を行なっているだけなのでしょうけど」

 朱峰はじっと、ただ窓ガラス越しにじっと夜の花宮市を見つめている。

「でもそれを偽善だと切り捨てるのもまた短慮。過程や発端どうあれ、結果として理屈の通っているものが正義。違っているものが理不尽や悪と呼ばれる。その辺は周囲が納得するか否かの問題ね。『偽善』などというものは存在しないのよ。行動の結果が有益なのならそれは正義。どんなに偽善的でも、結果値があればそれは正義になる」

 犯罪者を淘汰することは、集団維持のための当然なのだろう。それを一般に正義と呼び、そして正義ってのは得てして残酷なもんだ。俺たちは十三階段から落ちて死んだ首吊死体を、その遺族の今日明日を見ないふりしている。マクドで昼飯を食う時に、刃物持った男が割り込んでくると迷惑だから、俺たち自身が『そいつが生きていると邪魔だ』という理由付けでゴキブリと同じように殺しているのだ。幸福は犠牲の上にしか成立し得ない、なんて意味不明ポエムの正体はここにある。

「言わば、自浄作用ね。罪を憎むことは、遠まわしに周囲に対する浄化になっている。親が『暴力は悪いことだ』と子供に刷り込むことに成功すれば、子供は暴力を振るわなくなる。暴力という罪が自浄された瞬間。これと同じ事を大きなスケールで繰り返して、法や三権が機能し、人間社会は犯罪者を淘汰することによって現在の安定を得ている。――特に日本なんかは奇跡的にバランスが取れいる方ね。ソマリアなんていまだに暴力統治されていて、あんまりにも危険だから報道すらされてないというのに」

 人世を語る朱峰の横顔は何故か、タケルに似ている気がした。静かな、声を潜めたような長話が続く。それを俺は口を挟むでも反論するでもなくただ聞き流していた。タバコが灰に変わっていく。正しいかもしれないし、正しくないかもしれないと思っていた。

「……と、これらはすべて母の教え。この辺は知性生物の集団の平穏維持のためのメカニズムだそうよ。平穏状態を維持するために、罪や理不尽を自身の周囲に引き寄せないために、罪を嫌悪し下賎を憎むのは当然の秩序維持行為だと言える」

「………………穴があるだろ」

 にたりと、ばけものの唇が笑んだ気がした。

「あら、どうして? 罪を憎むのは生物として当然のことなのに。私たち羽根付きが、罪人を憎むことに何の間違いが?」

「そりゃ――――お前らは、『人間』じゃねぇからな」

 タバコを灰皿に押し付け、ケータイをポケットに仕舞ってスリッパを履く。片腕ってのは実に不便だ。こうして、気だるく朱峰の顔に銃口を突き付ける程度のことしか出来ない。

「罪を憎むのが、その種族の『自浄作用』ってんなら――お前らは、何だ? どうして『人間の罪』を憎む。羽人間は羽人間の罪だけを憎むべきだろ。俺は、羽人間が羽人間殺してくれるんなら願ったり叶ったりだぜ? 罪を憎むことがお前らの自浄作用なら、その嫌悪は同種族に向くべきだろ」

 朱峰は動かない。俺は視線を強くする。朱峰の背後に影でも立っているようだった。本当に、まったくもって得体が知れない。

「その“浄罪願望”とかいうの……どこか、歪んでいるぜ。生き物として破綻してる。別の生物の罪を憎む本能だと? ―――お前ら、一体『何』なんだよ」

 口元にワニの笑みが張りついている。ばけものが嗤っている。この気色の悪い作為的な構図を、人間と羽ニンゲンの訳の分からない関係性を。

 また、遥か頭上から、巨大な眼球が俺を見下ろしているような気がした。朱峰は、怪物のような笑みを貼りつけたまま呪詛を述べた。

「――――――さあ、どうかしら。何のために生まれたの? それは実に深遠な問いかけね。薄っぺらな十代向けのコミックバンドの歌詞のようだわ」

 空気が、一気に湿気った気がした。俺は銃口を収め、部屋を出ていく。こいつとこれ以上長話するなんて耐えられない。

「…………要するに結論は、『羽人間は犯罪者が嫌いだ』ってことか」

「ええ、そう。犯罪者のみならず、誰かを陥れる人間、卑屈な振る舞いをする人間、害を振りまく人間、攻撃的な人間を嫌う者もいる。この『嫌う』というのは単に嫌いになるという意味ではない。有り体に言えば、本能レベルで殺したくなるのよ。殺意が収まらなくなる」

「だから『浄罪願望』――――なるほど。罪人を殺すのは気持ちがいいってわけかい。そいつは最高に悪趣味だ」

 ちらりと脳をかすめる思考。嫌な閃き。羽人間による殺害被害者の経歴を片っ端から洗えば、何か掴めるかも知れない予感がした。

 俺は眉間を吊り上げ、心にもない感謝の意を込めて瞳孔を小さくした。

「ご親切にドウモ、クソッタレ。」

「ええ、あれだけ大口叩いていたくせに、いざ戦ってみれば拍子抜けだったんだもの。少し羽根付きを理解して、今後は分相応に隅のほうで縮こまって生きていることね」

 おもいきりドアを閉めてやった。くだらねぇ。あの戦闘は単に、俺がある重大な判断ミスをやっちまっただけだってのに。

「くそが…………次は殺す」

 左腕のギブスがずきりと痛んだ。狩人本拠の廊下を突き進んでいく。それにしても、浄罪願望? ニンゲンの罪を憎む、集団の作用だと――。

「ありえねェ……どうなってんだ? 浄化作用の、先は…………」

 罪人を憎み、殺し、羽人間がそうして『浄罪願望』とやらに従い続けていれば何故か、最終的には『人間社会の浄化』に繋がってしまう。

 作為的な生物設計。これらの事象の先にいる、創造主たる何者かの正体は、まさか――。

「…………くそ……あり得ねぇぜ、マジで……」

 もし、本当に神様そんなもんが実在するのなら、それは異常現象どころじゃない。蝶野も言っていた。勝てるはずがないと。天界を探せと。一刻も早く手がかりを見つけろ、と。

 俺たちは、羽人間という駒を挟んで、一体何と戦っているのだろう――?


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