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天使狩り  作者: 飛鳥
第1章
80/124

占い師


「大いにしくじったな。どうしようもないこととはいえ、抜けていた気はする」

「珍しく同感だ。本当、たるみきってたって事なんだろうよ」

 深夜ファミレスの隅のほう、窓際の席に陣取って椅子の上で膝を立てる。運悪くタバコがない。この時間帯は自販機も止められていて実に不愉快だ。

「……コンビニへ行って来い。そうイライラされるとこっちまで気が滅入る」

 美しき憂鬱。タケルが前掛けかけてナイフとフォークでステーキ食うのを中断して言ってきた。

「面倒くせぇ。あと、イライラしてんのは別にニコチンだけのせいじゃねぇ」

「ほう。気持ちは分からんでもないが、何だ」

「有紗がやばい。妹はもっとやばい。どうすることもできねぇ。天界探しは収穫ゼロ、朱峰は一切しっぽ見せやがらねぇ、蝶野は死なねぇし伊織にはワケ分かんねぇ理由で喧嘩売られて挙句に事故りやがった!」

 ずだんとテーブルを叩いて立ち上がるも、タケルは静かに目を伏せて牛肉食ってやがった。客はほぼ無人。

「…………女絡みばかりだな。一度手相でも見てもらってこい」

「るっせぇ! 占いなんてのはな、人間を見てるんだよ! 客の見た目や話し方から推理して的確なアドバイスくれてやってるだけだ! 言うなれば眼力の曲芸、人間力でやってる人生経験の託宣だ! 別に不思議パワーで過去未来を見越してんじゃねぇ!」

「珍しく同感だ。いや、実に的を射ていると思うぞ光一。俺もな、占いの類は一切信用していない」

「あん?」

 意味深な目が、窓の外の雨を眺めていた。サイゼリヤの窓がまるで高級レストランに成り代わっちまったみたいだった。

「うちの婆さんが得意だったんだ。あの老女ときたら、初めて会った人間のことでもバシバシ見抜いてあたかもすべてを知った風な口を聞く。あれは実に寒気がするほどの眼力だぞ、本人曰く見てきた人間の数が違うらしいが。俺たちからすれば、賢者だか仙人だかの類だろう」

「は……そいつはまた、どんなエゲツナイ山姥みてぇなババアなんだか。両眼釣り上がってんじゃねぇの」

「いや、実に温厚で毒のない人だった。猫型ロボットの飼い主がいるだろう? メガネで光一ソックリな奴。アレの婆さんがイメージとしては近い。」

 まったく掛け離れたイメージのように思えるが、孫がそう言うんならそうなんだろう。実に納得しにくい部分はあるが。

「……分かんねえなおい。人間って、分かんねぇ」

「そうだな。例えば婆さんの場合は見た目の温厚さと反比例するような鋭い眼力を静かに養ってしまっていたわけだが、誰でもそうなんじゃないか? 見た目通りの一面性の人間などそうそういない」

「む……」

 そんな風に言われてしまっては、考えこんでしまう。

「人間というのは喜怒哀楽を持っているものだ。どんな聖人君子にだってひと通りの感情は揃っている。負の感情を持たない人間なんていないんだ。なら、負の感情を見せない人間というのは、片側しか見えていない状態だと断言することができる。――これは実に恐ろしいことだぞ。なにせ、その人の反面をまったく知らないまま関わっているということなのだからな」

 ますます考えこんでしまう。伊織に有紗に妹。お前はあいつらの表面だけを見ているのだ、と言われても反論できない。いろんな事情も相まってだんだんと深みにハマってきた。

 なあ有紗、お前は本当に有紗なのか?

「……そう暗い顔をするな。言っておくが、俺は別に坂本さんを批判しているわけではない。」

「本当かよ……俺、確かに有紗の暗い部分ってほとんど見たことねぇぞ」

「確かに、負の感情がない人間などいない。だが個人差はある。坂本さんの場合、いまお前が恐れたほど暗い部分を持っているわけではないだろう。裏でお前を悪く言っているということも、バレないように周囲を傷つけて回っているということもないさ」

「言ってねぇ……思ってねぇ、チクショウふざけやがってこの河童野郎……」

 俺は少しだけ考えてしまっていたのだ。例えば俺の知らぬ間に、有紗が家の中で本性を表していたのではないか。そのせいで妹が引き篭もりになってしまったんじゃないか、なんて――。

「…………ひとつ、言い難いのだが」

「んあ?」

「お前のその暗い勘違いを紐解いてやることができる。しかし、これは言ってしまっていいものか――」

 言いよどむタケル。ステーキソースが数滴だけこぼれて、白い前掛けを汚してしまっていた。俺のカルボナーラはまだ来ない。

「なんだよ。はっきり言えよ」

「いいのか? 怒るなよ? 本当に言ってしまっていいんだな?」

 そう勿体ぶられては逆に気になってくるものである。俺は身を乗り出し、逃げること無くまっすぐタケルの顔を見た。これが戦士の覚悟だ。

「話してくれ」

「……いいだろう。俺の独断と偏見になるが」

 すぅと首元を正し、タケルが居直って占い師のような空気を帯びる。紡がれた真実の言葉が俺のたるんでいた部分を清浄化させていく。

 託宣。

「坂本さんは――――恐らく、人より過剰な負の部分が強いわけではない。よって後ろ暗い部分があるわけでもない。これは俺が、婆さんから教わった色々を元に、普段の言動や行動から分析した推理だ。信用してくれても構わない」

 ほっと、安堵してしまった。そうだよな、そうに決まっている。

「だが」

「……だが?」

 顔の前で組まれた手。敗戦を悟った総統閣下のように、世界の終わりを知ってしまった預言者のように、タケルは重々しく述べた。

「彼女は恐らく………お前が思っている以上に、“何も考えていない”タイプの人間だ」

「……………………………………………………」

 は?

「楽天家で天然で実は、その場限りが楽しければそれでいい。明日のことはどうでもいい。光一とバカやってられればそれでいい。きちんとして見えるのは単に手癖か何かだろう。彼女の心の中には、そういった折り目正しさや律儀さはあんまりない。分かりやすく言うと――」

「……………………………………………………」

「坂本さんは、バカだ。恐らくはお前に負けず劣らずの。いやお似合いカップルだな、おめでとう。」

 タケルががらりと立ち上がる。俺は全力で灰皿を投げつける。花宮市最速の狩人が、前掛けをしたまま逃げていく。



「お前の話を真面目に聞いた俺が馬鹿だったぜ……」

「いや、包み隠さず俺は本気なんだが?」

 相変わらずビニル傘差して夜道を歩く。今日はオフだ。こんな日に外を出歩くバカはいないため、自然と無人になる。

「…………」

 なんとなく下校時と重なってしまって、無言になる。この道の先を行けば伊織が事故った現場だ。あの時も俺とタケルが傘差して歩いてたのだ。

「…………あ?」

 事故現場が見えてきた――と、同時に、下校時の人ごみに出遅れるようにして、ぽつんと立ち尽くしている人影を見つけた。

「……何してんだ、アレ」

「む? 何だ光一、と――あれは朱峰さんか」

 確かに、間違いようもなく朱峰椎羅だった。車が来ないのをいいことに車道に立ち尽くし、ちょうど伊織が事故った場所を見下ろしてぼうっとしていやがる。

 長い濡れ髪が肌に張り付いている。滝に打たれたようなずぶ濡れの制服と、どうしてあの女は傘を差していやがらないのだろう。

「…………ようくそばけもの、そこで何やってる」

「え――」

 黙祷のようなものを中断されて、朱峰がかすかに驚きを浮かべる。しかしこちらを見た途端に面倒くさそうな声を発した。

「……はぁ、またお前なの……」

「またお前とは何だコラ。そこで何やってた。黙祷ゴッコだっつんなら殺すが」

 実に実に面倒そうな雰囲気を纏う。もともと人間と違って感情表現に乏しいため、分かりにくい無表情のようなものだったが。

「…………別に。目を閉じていただけ」

「ほう、そいつはまた意味が分からねぇな」

「そのほうがよく聞こえるから――はぁ、もういい。帰る」

「あん?」

 どうでもいい用件だったのか、拒絶するように立ち去っていく。何から何まで意味不明。なので、一番分からないことを聞くことにした。

「お前、なんで傘差さねぇんだ?」

「失くしたから」

 背後の親切男を振り返る。終始誰一人として、大した感情表現を見せなかった。



「聞いたわよ光ちゃん。伊織ちゃんが事故ですって?」

 家に帰り着くや、春子さんは玄関で迎えてくれた。濡れた傘は少し迷ったが、傘立てにさしておく。

「……どうなるか分かんねぇっす」

「そう――面会、できるのかしら」

「いや、意識不明の重体で……」

「面会謝絶、か……でも様子くらい見に行かないといけないわね。いいわ。明日行って来る」

「……すいません」

「え――」

 不甲斐ない。本当に、色々と不甲斐ない。情けない俺の頭頂に手を置いて、春子さんはがしがしと髪をかき混ぜるのだった。

「何弱った顔してるのよ、光ちゃん。あなたが謝ることなんて何もないんだから」

「……はい」

「はぁ、それにしても交通事故か。相手の車ボッコボコにしてやりたいわね。願わくば蜂の巣をイメージした物体に作り替えてやりたいわ」

 ガトリングガンで掘削加工するのだろう。春子さんなら誰よりもうまくやってくれそうな気がした。

「ま、あなたが落ち込んでいてもしょうがないわ。夜食でも食べる?」

「はい……いただきます」

「さて、何があったかしらねぇ」

 優雅な足取りでキッチンに向かう叔母様。俺が靴を脱いでる間にとっとと準備を進めてしまう後ろ姿を見ていると、俺も料理を覚えるべきだと痛感する。こんな夜中にまで手を煩わせるのはどうかと思うのだ。

「ところで光ちゃん、今朝下の階で女の子とすれ違ったけど――」

「ああ、有紗でしょう。最近よく朝飯作ってきてくれるんスよ。本当、あいつもかなり落ち込んじまって」

 伊織の事故現場に居合わせてしまった有紗。見た感じ絶望にくれているとしか言いようがない。思いつめてしまわないよう気を配っておこう。

 食卓、いつもの自分の席に座る。ようやく心やすらぐ瞬間だ。リモコンでテレビのスイッチをオン。

「そういや春子さん、有紗の顔見るの何年ぶりでしたっけ。小学校以来なんじゃないですかね」

「ふーん。そっか、有紗ちゃんか……」

 包丁の音。水道水が勢い良くシンクに流れる音。音量を控えたテレビの雑音。


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