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天使狩り  作者: 飛鳥
第1章
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「忘れ物、ない?」

「ああ」

 部屋を出てしかと施錠する。忘れ物以前に持っていく教科書モノがほとんど無いのだが、黙っておこう。

 ぺしゃんこのカバンをひっさげ、振り返れば目の前は花宮市全景。少しばかり曇っていて薄暗いのが癪だが、雨は降るだろうか。

 目の前には変わらず静かな有紗が、茶色の瞳で俺を見ている。

「傘は……いいか、面倒だな」

「うん、いざとなれば折り畳み傘あるよ」

 そいつは助かる。わざわざ鍵開けるのも面倒だし、このまま登校といこう。

 苦行のように長い階段を、有紗に無理をさせてしまわないように気をつけながら下っていく。薄暗い様子はどこぞの怪しげな研究機関みたいだ。

「いつ来てもここの階段、長いね……」

「ああ。いい運動になるな」

 有紗にこれを強いるのは酷だと思うが、見やれば意外に平気そうにしている。そういえばこいつ文武両道なんだっけ。体育の成績も悪くないのだ。まったくデキる人間ってのは羨ましいもんだな。

 こと体育に関してのみなら、俺とタケルは半ば人外の領域にあるのだが。

「…………よく、この階段を走らされたな」

「え?」

「春子さんに鍛えられたのさ。ノンストップで10往復しなさいだとか、20往復しなさいだとか、無理ならやめてもいいわよだとか」

 有紗が小さく笑った。口元に指を当てて控えめに言ってくる。

「何それ。厳しいのか優しいのか分からないね」

「ああそうさ、春子さんはいつでもそんな感じだ。本当は厳しい人なんだが、俺、息子じゃなくて甥っ子だからな――」

 随分と甘やかされているように思う。父も母もいない俺は、いろんな面で春子さんに甘えっぱなしだ。

「……ごめん」

「なんで謝る。軽く聞き流してくれよ」

 父も母もいない。そんなものはとうの昔に死んでしまった。だが、そんなことはどうだっていいことなのだ。

 俺は独りじゃなかった。それで十分だろう。どこも不幸なんかじゃない。

「さて――はぁ、長かったな。悪い有紗、こんな階段歩かせちまって」

「いいよそんなの。私が来たくて来てるんだから」

 ようやく拷問のような階段を終え、玄関の自動ドアをくぐって外に出る。そこで、あくまに出会った。

「…………………あれ? 有紗ちゃん、なんで光ちゃんちから出てくるの?」

「悪い有紗、俺やっぱ傘取ってくるわ」

 有紗にカバンを押し付けて全速力で逃げ出した。

「あっ、待ちなよ光ちゃん! ちょっと! どういうこと!? まさか有紗ちゃん泊めたんじゃないでしょうね!」

 何故だ。なぜ。どうしてよりにもよってこのタイミングで、運悪く伊織がうちのマンションの前を通りかかる? 通学路歩けよクソッタレ。

 逃走中、物陰から島村さんがグッと親指立てて来るのを視た気がした。



「……なんでお前がこんなとこ歩いてんだよ」

「パン屋さんに予約してたパン受け取りに行ったの。悪い?」

 目を合わせることなく、横に並んでずんずん歩く。実に険悪。黒い瘴気が大気を濁らせていく。お互いに鎧甲冑でも着込んでいるような気がした。ガシャガシャと敵意がぶつかり合う。

「購買で買え」

「うっさい。私の勝手でしょ。そういう光ちゃんこそどういうことなの。説明してよ、このロクデナシ」

「………………」

 背後を振り返れば、3歩離れてついてくる有紗が、苦笑いして手を振ってきた。家庭裁判所で伊織裁判長に裁かれてる気がしてきた。

 いよいよもって睨みつければ、伊織の童女のような瞳が悪魔の冷酷さを湛えている。ふざけるな畜生、なんで俺がこんな犯罪者のように責められねばならない。やましいことなんてまったく何も無いというのに。

「………俺の……」

「は?」

 不良の俺以上に不良極まりない、『何言ってんだろうこのゴミ?』みたいな相槌に挫けそうになる。負けるか。非公式狩人をナメんじゃねぇ。

 滴る汗を拭い、眉間をぴくぴくさせながら、憎悪を籠めて伊織を睨み返し言ってやった。

「……俺の、勝手、だろ。」

「な――」

 さしもの伊織も怯んだ。俺の断言。反論の余地をまったく許さぬ押しの強さに、何故か背後で有紗が手を組んで感動している気がした。気のせいだ。

 くっ、と歯噛みして伊織が、苦し紛れに切り返してくる。

「ふ、ふんッ! なにさ光ちゃんのくせに、甲斐性なしのノータリンの分際で10億年早いってのよ! 行こう有紗ちゃん!」

「あ、えっと――」

 なかば力ずくで有紗の手を取り、勝手に駆けていってしまう。八百屋の前にいた主婦が白い目で俺を見る。女子に逃げられてる? まったく何なのかしらあのヤンキー。なんですか俺は、性犯罪者か何かですか。

「……ん?」

 連行される有紗が、何か言いたげに俺の方を見ていた。


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