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天使狩り  作者: 飛鳥
第1章
71/124

赤い点滅信号の交差点


 ――――さて。

 夜の花宮市狩人本拠は、まるで山奥の古城のようだった。灯りのともった窓。間近から見上げれば斜めに見えるその窓の部屋に、朱峰椎羅がいるのだろうか。

 どうだっていい。島村さんっていう伏兵にタケルっていう監視者までいるのだから、俺がここにいる意味は薄いだろう。

「……あとは頼んだぜ」

「御意」

 相変わらず家臣のように恭しい島村さんに見送られ、狩人本拠をあとにした。肩を回すがどうにも硬い。体は資本なので、キチンとメシ食って管理しているつもりだったが、最近は学業なぞにかまけていたせいで疎かだった。タバコを加えた口の隙間から、くたびれた息が漏れる。

「――はぁぁ」

 俺は実に死んだ目をしていただろう。脳裏に浮かぶ伊織に有紗、名前も知らないクラスメイトたちにオモチャ箱みたいな昼休みの校舎内。

 俺と、あいつらは違うのだ。あいつらは勉強することが本業だが、俺の本業は狩り(コッチ)。――――そう、学生ゴッコなぞ遊びにすぎんのだ。

「………………」

 教室にいるのは本当にまったくの暇潰しにしかなっていない。俺が非行少年だからとか、成績が悪いからとか怠惰だとかそれ以前の問題だ。これから進学して就職していく奴らと、現代日本で拳銃ぶっ放してる俺では人生があまりに違いすぎる。例えばサラリーマンに成る奴らと比べれば、俺はどちらかというとヤのつく職業とかそっちの方が近いだろう。

「あ、そうだバイクの免許……」

 蝶野のヤロウに聞くのを忘れてた。まぁ非公式狩人という立場的に、バッサリ切り捨てられちまう可能性もあるのだが。

 真っ黒な夜の街の風景を傍観しながら、心のなかに隙間風が吹いて表情を喪失した。

 ――――半端者。俺は、何だ? 誰に所属しているんだ?

 日常に生きている者でなければ狩人でもない、正義か悪かと言われても曖昧だ。人間かといえば、正常な人生から逸脱しきっている。

 俺は一体、暴走列車のようにどこへ向かっているのだろう。

「……ち」

 くだらん物思いを払拭すべく頭を掻いた。くだらん。実にくだらない。

 ――未来とか過去とか、明日とか明後日とか将来だとか。

 現在以外に何の意味がある。そんなものは虚構だ。人間が脳内に勝手に浮かべるまだ訪れてもいない時間軸。不確かで曖昧で適当で、実に実に堅実だろう。

 火のついていないタバコをくわえながら、無人の歩道橋を犬のように見上げた。誰もいない。誰も。今夜に限って、夜の街は人っ子ひとり、異常現象すらもいないと来やがった。遠いような近いような虫の音だけが、街角に響きわたっていた。

「死んでるな……」

 白く不安定な蛍光灯の真下、幽霊すらもいないスポットライトの先。この街は無人だ。1人残らず遠くへ避難しちまった。そう感じさせるほどの重苦しい無言が、いつまでも鎮座しているのだった。

 タバコに火を灯す音がよく響く。悪趣味なジッポライター。天使狩りが羽飾りのついたライター愛用してるなんてばかばかしい事この上ない。爪先にはカサカサと、コンビニのゴミ箱から溢れて風に流されてきたらしき新聞紙。ストーカー殺人だぁ? 友達の少ない奴ってのはどうして、一部の人間に感情が集中しちまうのだか。

 まったく世の中腐ってる。陰気に腐敗しきった人間どもが、健全な常識の世界に生きてた人間を引きずり込んで、恨んで妬んで呪って取り込んで食い潰す。最近はイジメで自殺が起きるらしいので、残った加害者は大して裁かれないし、人殺しが容認されちまうほど命の価値が大暴落してるってことなのだろう。

 俺もムカつくやつ捕まえて殺そう。気に入らないやつ自殺させよう。大丈夫、きっと優しいオトナさんたちが涙ぐましい愛で持って守ってくれる。少年法という名の犯罪者人権保護法。

 頬が痒い。少年法? アレは実に合理的な法律である。幼い子供に責任能力はないので、朱峰椎羅に親兄弟をぶち殺された連中は泣き寝入りしてください。死んだ被害者たちや人生終わっちゃった遺族と違って、彼女には未来があるんです、オシマイ。めでたしめでたし。

 ――――確かに、子供の犯罪は事故なのかも知れない。

 しかし、でも。

「………………」

 くだらん物思いをしていたらまたズキリと頭が痛んでこめかみを押さえた。洞窟を探索するようにどこまでも歩いて行く。通学路に重なる、赤い点滅信号の交差点を見咎めて、足を止めたその瞬間までは。

「――――何……?」

 野良猫のようだったそれは、しかし間違いなく人間の少女だった。こんな遠目で分かってしまうほどに慣れ親しんだ姿。しかし、そういえば最近は私服姿など見る機会はまったくなかった。

 その少女は、まるで信号待ちでもしてるように、点滅する赤色を見上げてぼぅっとしていた。いつまでもいつまでも。

「………………何やってんだ、アイツ」

 麻薬中毒者みたいで不穏だ。俺は足を進め、6mほどの地点で声を投げることにした。

「……おい、有紗。何やってんだこんなところで」

「え? ――わっ、」

 こちらを向いた有紗は、麻薬中毒などではなくいつもの有紗だった。たいそう驚かれてしまったようだが無理もない。俺も心境は似たようなもんだ。

「……光一だ」

「見りゃ分かんだろ。そんな珍獣みたいに言うんじゃねぇよ」

 俺の軽口は、交差点の静けさによく響いて虚しく消えた。何なんだろうこの、言葉に詰まってしまいそうな不穏な空気。

 有紗がなぜだか、若干俺に怯えているような気がする。気のせいか? 気のせいだよな。

「にしても、お前とこんな時間に出くわすとはな」

「えっと……うん、ごめん」

「そうだな。夜には出歩くな、つってたからな、俺」

 さてどーしたもんか。タバコくわえてプカプカしながら考える。もともと花宮市の治安は宜しくないのだが、それ以上に異常現象側、出会ったが最後・生き残れる希望皆無の羽人間どもが蔓延っているのだ。出会う確率は極小とはいえ、危険極まりない。

「……ま、いいけどよ」

「え――?」

「でも本当、夜歩きはやめとけよ。この街はろくなもんじゃねぇぞ。お前も知ってんだろ」

 ん、と件のひったくり犯のポスターを親指で示す。有紗は照れくさそうな、ホッとしたような顔をした。

「……うん」

「で何だ。買い物か何かか」

「あ――うん、ちょっとコンビニまで」

「…………ん?」

 いまさら気付いた。有紗が手から提げていたポリ袋。そこに、俺にとってはとても馴染み深い、有紗にとっては一生縁がないはずの物体が2つほど収められていた。

 ――――タバコだった。

「……おい」

「えっ? 違うよ、これはおつかい」

「何?」

 俺の非行癖がいよいよ伝染して開花してしまったか。悲嘆にくれる俺の目を覚まさせるような一言だった。

「妹」

 2階から幽霊のように見下ろしていた少女の姿がよぎる。実に影を纏っていた、いやいっそ影そのもののようだった。角ばったバファリンの箱の感触が手に残っている。

「……あの引きこもり、姉貴にタバコなんか買いに行かせるのかよ」

「仕方ないよ。たぶん、家の外になんて出られないんだと思う」

「分かんねーな。出られないっつったって、20歩も歩けば家の外だろ。外の世界を見ないふりしたところで、そこに外の世界があるのには変わりないんだがねぇ」

 蓋をする意味は薄い。あんまりにも脆い自己防衛だろう、いっそ逆に不安定だ。

「…………大丈夫。いつか、きっと出てきてくれるよ」

 同意したいところだが、そういうセリフはもっと明るく笑って言うモンである。こんな風に俯いて言われてしまえば、どこにも希望がないような気がしてくる。

「ああ、大丈夫だ。あの妹は気難しいだけで、そこまで軟弱じゃねぇからな」

 蹴られた覚えがある。中3にもなってなんつーガキだ、度胸があるにもほどがある。だからこそ分からんのだ、俺には。あの妹が引き篭もりだなんて未だに信じられん。

「……何か気に食わねぇことがあって籠城してんじゃねぇだろうな」

「何だろう。私の生活態度?」

「んなわけあるか、この優等生。ま、どうせそのうち出てくんだろ。狭い部屋に閉じこもるなんてな、俺なら2日で飽き飽きしちまうがね」

 こうやって外を歩いているだけで、人間の脳はたくさんの情報を受け取って稼働している。脳は外からの情報という刺激を一定量受け続けるように出来てるのだ。それを部屋に閉じこもってシャットアウトしてたんじゃ、不調を来してバランスを崩すのが必然。刺激を遠ざけたぶん当然刺激に過敏になり、外の世界が怖くなる。まったく悪循環というのは怖いもんだ。

「さて、送ってくか」

「いいよ。すぐそこだし」

「ダメだ、不許可。そいつは許さん」

 強制的に有紗を送り届けることにした。もっともそれほど距離はなかったのだが。時間にして10分程度しか歩いていない。

 有紗宅前。まるでいつもの下校時みたいな別れだが、今日は二度目だった。

「ありがとう光一、おやすみ。気をつけて帰ってね」

「おう。もう夜遊びすんじゃねーぞ」

「してないよ」

 そう言って門をくぐる有紗。その髪に付着した香りが、一瞬俺の意識を眩ませる。くらりと揺れて目が回りそうだった。

「? どうかした? 光一」

「いや、別に」

「そっか。じゃ、おやすみ」

「ああ……」

 パタリとあっけなく閉ざされるドアが、どうして幽霊洋館の扉のように思えたのか。突っ立ったまま考えこんでしまいそうになるが、ここでじっとしていても仕方ないので早々に踵を返す。

 夜道を1人で歩きながら考える。気のせいか、あるいは俺の副流煙のせいなのか。

「…………なんで……あいつ、タバコの匂い……?」

 別れ際の笑顔がよぎる。


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