魂の不在
「――――で、収穫は無しと。」
タケルはドアの横にもたれて腕組み、俺はソファに体を沈めてゴトリと重い靴をテーブルに載せ、蝶野だけが唯一言葉を発したのだった。
朱峰はいない。ここからは秘密の会話だ。それにしてもまったく弛緩している。
「どうなんだお前ら。天界に関して、何か掴めそうなのか」
「なんもねぇ。実在を疑う頃合いだ。あのアカイロ、フカシこいてんじゃねぇだろうな」
「それはないだろう。朱峰さんも言っていたが、あれだけの数の天使を街なかで隠蔽するのは不可能だ。いや――どこかに、管理施設があるというのなら話は別だが」
「そいつはもういいだろ。くだらん与太話だ」
また花宮アンダーグラウンドの話に華が咲きそうなので止めておく。しかし、蝶野のヤロウが手を組んで重鎮のように宣うのだった。
「まぁ待て浅葱、そうぶっ飛んだ話ではないだろう。土台、天界というのも似たようなものだ」
「あん? オマエに天国の何が分かるってんだ狩人」
てめぇ宗教バカか、という俺の視線に実に優雅に笑いやがった。
「――――天界。それは要するに、あのバケモノ共を飼育している領域。違うか?」
言われてみれば確かに、天界と管理施設のどこに違いがあるのだろう。要は、羽の生えた奴らがいる場所じゃねぇか。いや、待て待て。
「そいつは……えーと、違うんじゃねぇか? 確か図書室で調べた知識によると、人は死後6つの地獄を云々」
「お前は鶏か。少し前に調べたことくらい暗記しておけ、この落第生」
「てめぇに言われたかねぇ。で、あー要はだな。天国っつーとアレだろ? 死後の楽園なんだろう? そうだ――――管理してんのは天使じゃねぇ、魂だかスピリットだかのはずだろ」
どこの宗教概念かは実に曖昧だが、日本人的な複合された価値観によるとそんな感じのはずだ。人の魂は死後、天国へ行って輪廻するだか云々。そんな俺の常識的意見を、蝶野が笑いを噛んでくつくつと顔を伏せながら言った。
「……くく……おい、浅葱。お前もなかなかに夢のあることを言うじゃないか。さすが、規定外の非公式狩人は常識が違う」
「…………」
言われて思い出してきた。異常現象狩りの常識じゃないか。俺は、何を阿呆なこと言ってんだ。
「――――この世界に、魂なんてものは実在しない。」
蝶野が、花宮市狩人総括が真っ直ぐに断言した。反論を許さぬ真実の言葉だった。
「故に――――“死後の世界”など、存在し得ない。」
つまり天国なんてパチもんのまやかし、本当にただの羽人間飼育施設だっつーことか。だが、それでは本当に天界と呼べるのか。
ボリボリと頭を掻く。どうなってんだ? 狩人の常識と天使の存在、いろんなもんが噛み合わなくなってきた。そもそも神様なんつートンチキが発生源にいるわけだが。
変わらず物静かに腕組みしてるタケルが、瞑目して呪文のように唱えた。
「……亡霊は、魂ではない。ああ、たしかに狩人の常識ですね」
「だろう? 現実の亡霊というのは、とどのつまり、虚構の物語によくある亡霊という存在の偽造品だ。魂ではない。本人では、ないんだ」
そこのところは俺も知っている。しかし、実にややこしい話ではある。
「亡霊の正体は呪い、だよな。要は中身のない陽炎だ。死人の視界は、死の瞬間にブラックアウトしたっきり。それとは別に、遺された呪いがまた新たな人間を、“死者そっくりに”製造して生み出している」
「そうだ。だからこそ、もし死人が死後に何かの間違いで蘇生してしまったのなら、そこに“本人”と“亡霊”の2人の自分が顔を合わせてしまい、実際に対面して会話することになるわけだな」
気持ちの悪い話ではある。俗にいうドッペルゲンガーってやつか。いや、確かドッペルゲンガーの発現理由はそれとはまた別だった気がするが、同じ事だろう。
「亡霊、なんてものはそんな程度の存在だ。呪いが生んだ双子の兄弟。実際のところ、たまにある話なんだが――――――生前のA子よりも、亡霊として現れたA子2号の方が美人だった、ということもあるそうだ。顔さえ違う。ほら、こんなもの、完全にただのパチもんでしか無い」
なるほどつまり、ガンダムとギャンダムーンの関係なわけだな。確かに、亡霊というものは実に紙一重な存在だ。しかし待て。
「おい……理屈は分かるんだが、それってよ。魂が実在しない証明になってるのか?」
「いや、なってないぞ。でしょう蝶野さん」
「ああ、確かにこれらは、魂なんてものが実在しない、もっと言えば、亡霊が死者当人ではない、と断定できたあとに仕組みを説明するための理屈だな」
「じゃ何だ。てめぇら、どうやって亡霊が死者本人じゃないって証明したんだよ。魂なんて実在しないと、何故言い切れる」
「そんなものは簡単だ――」
蝶野が、社長よろしく椅子に深くもたれる。告げられた言葉は実に隙がなかった。
「――――亡霊“本人”に聞いた。すべての亡霊が、誰一人として例外なく“私は死者とは別人だ”と答えている。どうにも、自身の誕生がコピー元の死後にあり、生前の記憶とやらは後付けの別人のもの、とはっきり自覚できるらしいな。……なんなら、そこらで誰か捕まえて聞いてみるといい」
俺は部屋の四隅に視線を走らせる。島村さんどこだ、出てこい。
†
「――――左様でございます。私は、かつて生きていた別人の記憶を有しているのです」
「マジか……」
狩人本拠の外、影になった喫煙場所でタバコ片手に俺は苦虫噛んだ。喫煙場所とは言っても灰皿代わりのペンキ缶が置いてあるだけなのだが。
目の前には肥満腹の島村さん、ユラユラ透ける半透明人間だった。
「そいつは、何だ。マジで自覚できるもんなのか」
「はい、感覚的なものですので言葉で説明するのは難しくなりますが……そうですね」
ふむ、と顎に手を当てて考えこんだ島村さんが、澄み切った寒空を見上げた。天の川なぞ出てはいないが。
「――――浅葱さん。どう足掻いたとて、映画のあらすじを自分の人生だと思い込むのは無理がありましょう? それらは登場人物が辿った物語。他人ごとであって、いくら細部を知っていても我が事ではありません」
思わず唸ってしまうほどに分かりやすい解説だった。タバコの吸い口を噛む。
「……なるほどな。確かにそうだ、登場人物の物語は俺自身の人生じゃねえもんな」
「ご理解いただけましたか」
「ああ、参考になったぜ島村さん。要するにやっぱり、この世に魂なんてモンは実在しないってことだ」
タバコを踏み消して喫煙所を立ち去ることにする。しかし背後から、島村さんが不思議なことを言って来た。
「? 何故です浅葱さん」
「あん?」
「どうして、私が生前の私とは別人であることが、魂の不在に繋がるのでしょう。それではロマンがないではありませんか」
「ロ……マン……?」
なんだそれは食えるのか。八百屋と魚屋のどっちで売ってるんだ。
「――夢がありませんな。私と、生前の私とも呼ぶべき“彼”は兄弟なのです。同一人物ではありませんが、別々の魂を持っている、というただそれだけの友なのですよ。きっと彼もそう言うでしょう」
劇画のように眉間にシワが寄る。島村さんが2人もいたら翻ってイケメンになっちまうじゃねぇか。
「……えーと。ところでアンタ、朱峰の調査はどうなってる」
「異常なしでありますな。現在は上の階で休まれているようですが、とてつもなく無愛想であること以外は至って普通です」
「そうか……」
「ところで、私からも少し聞きたいのですがよろしいでしょうか。浅葱さんたちが何者なのか、可能ならば少しばかり知識を分けて頂きたく存じます。――なにぶん、こちらの業界に関してはまったくの素人でありますので」
「そいつはすまんが秘匿義務に引っかかる……なんて、タケルなら断るんだろうがな。ああ、いいぜ。簡単でいいならな。ただし口外すんなよ、即抹殺対象にされんぞ」
裏業界の喫煙所雑談がもう少し続く。




