異常現象狩り
獣の疾走は実に優雅だ。筋肉も骨格も4足走法の突進姿勢も、あらゆる部位が『走る』というアクションに特化している。
それに引き換え、俺たち人間って何なのだろう。走る時ですら4足走行に立ち返ることもできず、筋力だって同じ背丈の動物には惨敗(チンパンジーは実在する鬼子)、獣の爪と自分の爪を比較すればもはや絶望。
そんなわけであるからして、俺たちの珍獣捕獲劇は実にみっともない醜態と相成っていた。
「くっそ、がァあああ……!」
俺、タケル、そして忌まわしの朱峰椎羅が共に夜の街を疾走していた。毎度お馴染みと化してしまいそうなゴーストタウンを直線疾走、実に実に俺たちは情けない。
「光一、撃て! 何のための銃士だ! こんな時に引き金引かないでいつ引くんだ!」
「るっせぇバカ野郎……あいつが、あんまりにも異常に速すぎるんだよ!」
叫び返しながらがしゃりと黒拳銃を抜いて前に構える。重量級すぎるモンスターが前方に照準を定めるが、安定性ゼロ、その上、獣の背中はピョンピョン跳ねる飛ぶ駆ける逃げる。
試しに3発撃ちこんでみたが、ボロクソに外れて虚しい銃声が響き渡るだけだった。
そのあまりの音量にビクリと肩を震わせ、朱峰が驚愕の目を向けてくる。
「おまえ、正気……? 仮にも市街地でそんなもの使うなんて――」
「黙ってろ、俺に話かけんじゃねぇ」
舌打ちされた。今夜も仲良しこよしであるが、ちなみに『こよし』とは殺してやるヨシ掛かってこい死なすの略だ。
「問題ない、朱峰さん。光一の銃声が問題になることはないんだ」
「え? どうして」
「あ? なんでだよ」
被らせんなうぜぇ。睨みつけたら同じように睨み返された。
「で、なんだよ。俺の銃声が問題にならないって」
「さて、どうしてだろうな」
「なんだ、なんか細工でもしてんのか……」
老眼鏡のじいさんみたく愛銃を観察するがどこもおかしくない。帰ってから点検しとこう。
「さて――そろそろいいだろ光一」
「あん? 何がだよ」
「前方のアレだ。遊んでないで、いいかげん仕留めてくれ」
遊んでねぇ。ふざけやがって。俺は走りながら弾丸の装填作業を行う。
「……いいかタケル、本来、この距離でのシューティングには精密なライフルを使う」
「馬鹿を言え、そこまで離れていないだろう。春子さんならデリンジャーでもヘッドショットで決める場面だ」
「うげぁ……そいつは否定できないけどな、無理だって。デリンジャーって、こんなちっこい手の中に収まるおもちゃみてぇなやつじゃねぇか」
オサレなので女性にもおすすめである。痴漢に襲われたら即・ヴィトンのバッグから引っ張りだしてヘッドショット。
「で、何だ。何故当たらない」
「決まってんだろ。俺の銃はハンドガンな上に、走りながらでは安定しない。加えて的がせわしなく動き回ってるんだから、果たして春子さんでも綺麗に一撃で決められるかは怪しいね」
タバコに火をつけ、俺は左手を背中に回す。涼しい顔した横顔でタケルが先を促した。
「――――つまり、結論は。」
唇が釣り上がる。俺の左手には、黒拳銃と対になる同型の銀銃があった。
一撃で仕留めることはできない。命中は困難。ならば回答など決まっていた。
「乱射だ」
二丁拳銃が狂ったように火を噴く。夜闇を切り裂いてしまいかねないほどのマズルフラッシュ、工事現場の掘削機を数倍に凶悪化したような衝撃が連続して大地を揺るがす。
鉄人のハンマーで地面を殴りつけてるようだった。弾幕と化した横殴りの鉛の雨は、逃げようとする獣に追いすがり、しかし掠めるに留まってしまう。
ガチリ――そこで弾丸が切れた。左右同時にだ。
「へ――」
マガジンを排出、2本共にアスファルトに跳ねる。すれ違うように左右のポケットから全弾装填済みのマガジンを宙に舞わせる。空中リロード。前に突き出すと同時に引き金を引く。
ここへ来て獣が大跳躍……どうにも見覚えのあるビル、あの日俺が手榴弾で空けた大穴に逃げ込もうとしているようだった。
「ハ――――――逃がすか……!」
全弾、一斉掃射。もはや逃げ場も回避の余地もない弾雨が進路も退路も脇道もぜんぶ塞いで封殺した。布を突き破るように弾丸は貫通してビル壁面に血のペンキを塗りつけ、獣を墜落させたのだった。
「仕留めたか」
「ようタケル先生、そいつはいわゆる『死亡フラグ』ってやつじゃねぇ?」
案の定、恐怖の音色が近づいてくる。たとえるならば重々しい獣が建物の屋根を激走してこちらに向かってくるような音だ。無論、それは比喩でもなんでもなく、5秒も置かずして襲撃者は屋根の上から降ってきたのだった。
獣の顔。血だらけだ。開かれた口の中で光る犬歯、狙いは迷いなく浅葱光一の頭部。食いついて引き千切って虐殺する気なんだろう。
が、俺の踵は獅子のような怪物の頭を踏んで跳躍、すれ違うように回避していた。
一際凄まじい轟音が、大地を揺るがしたのだった。
「……………………」
俺は屋根の上に着地。舞い上がる砂埃の中、背後で何が起こったのかを観察してみる。そこにいたのはそれぞれの獲物を抜いた狩人たちだった。各々の武装で獣の爪を受け止めている。
「ち――!」
タケルの舌打ちも頷けよう、あまりにも相手が悪い。獣といえば狼のようだが、その実態はやはり銀色の狼で、ただし体長がライオンを上回る超級人喰いバケモノだった。
タケルの、鞘に収めたままの日本刀が圧されている。ちなみにタケルは俺からしても鋼の隠れ腕力なので、短剣みたいな悪夢の爪で押し潰しに掛かる相手がどれほどの圧殺機かというのが理解できてしまう。
獣、ゴーストタウンを叩き潰してしまいそうなほどの声で吠える。憤怒であり憎悪である。
さて、果たしてあの手負いの獣をそれ以上に激昂させている存在はなんなのか? 回答は、タケルと同じ状況にあってなお当然のように世間話なんかを振りやがるのだった。
「にしても、あなたたちよく出くわす。そんなに夜回りが好きなの?」
タケルの返答はない。そも、返答できる状況ではなかった。あのプレス機みてぇな豪腕と、ちゃちなナイフ1本で軽そうにせめぎ合ってるくそバケモノが異常なのだ。よく見れば、朱峰は平気なのにナイフの方がギリギリと軋んでいやがった。
「おい……」
なんだ、アレ。知ってはいたが洒落にならんぞ。返答のないタケルにいっそ疑問符さえ浮かべていやがる。タケルはタケルで人間やめたランキングベスト3に入りそうなほどの偉業の真っ最中なんだが、そもそも生まれつき人間外な朱峰椎羅にはまったく関係がない。
いよいよ我慢の切れた巨狼が、朱峰の頭部に喰らいつこうと迫る。それは悲劇だった。
「ふ――っ、」
その儚い吐息が、大型プレス機の排煙だと言われて誰が納得するだろう。巨狼が砲弾で頭部をふっ飛ばされたようにのけぞり舞い上がる。その月まで届けとばかりの垂直飛行に俺もタケルも呆然と目を疑うしか無かった。
「な……」
血しぶきが散って顔に付着する。朱峰椎羅が、その可憐な体躯をひねるように突き出した右肘。そいつが、1000kgはありそうなばけものの頭部を穿ち、杭打ち機のように威力を射出したのだ。
轟音を上げて大地に墜落した獣。そのいまだ痙攣を続ける巨躯が意思を持って動くことは二度とない。頭部が、20年野晒しにされたバイクのように大破しきっていたのだ。
さらりと流れる髪。刃物のような美貌のどこにも傷など無い。強いて言うなら、頬に浴びた血さえもまるで化粧のようだった。その背に緋の両翼を幻視する。エネルギー保存の法則を無視しきった、魔王のような一撃だった。
巨体の輪郭が崩壊し、幾億の暗黒色の蛍となって弾ける。空間を洗い流すような不吉の星雲、死の暴風に朱峰のドレスのような衣服が揺れていた。険しい目をして、唇が怨嗟を唱える。
「――――――これ、呪い……?」
「ああ、そのようだな」
優雅にカタナを収めてタケルが返答する。別に誰が呪われたわけでもない。単に、さっきの獣こそが無差別に人間を喰らい殺す呪いそのものだった、というだけの話だ。
呪いは、成就すべき目的に応じて権化・具現たる擬似現象を排出するのが常だ。さっきの狼こそがその虚像。誰かが願った、或いは呪った、有り得ざるべき異常現象だったわけ。
「言うなればさっきのは、亡霊のようなものだな。だがあんなもので驚くにはまだ早い。この世で最もポピュラーな異常現象たる“呪い”は、あんな風に分かりやすいばけものを排出するだけでなく、目的に応じて様々な姿や手段を取る」
「それは……分かる、けど……」
「そもそも五大異常現象の1から3番まではすべて呪いによるものだな。どうした、朱峰さん」
何か言いたげなくそバケモノ。ごしごしと頬をこすっていたが、そこにさっきまでの血糊はない。巨狼の死骸と共に消滅したのだ。実に実にばかげた白昼夢だったわけだが。
「……あんなものが、現実になるなんて。人間の負の感情の強さは常軌を逸してる」
タケルが痛いところを突かれたように笑う。
タバコに火をつける。第五現象専門である俺には関係がない。




