三百眼
ほどなくしてホームルームが始まった。担任の林道ちゃん、ストレス溜めやすそうな痩せ型ロン毛メガネが入ってきた途端に不思議そうな顔をする。
「……なんだ? 妙に空席が多いな、浅葱」
「俺じゃねーよ。知らねぇよ」
「そうか……てっきり、浅葱が珍しく登校してくるものだから悪影響でも受けたのかと思ってな」
「いい度胸だテメェ! 二度と来るかコラァ!」
身を乗り出し飢えた犬のように噛み付くも、林道ちゃんはまったく聞いた素振りがない。有紗に「光一」と窘められたので、制服のホコリをぱんぱんと払い、ズレてしまった机の位置を戻して着席。教室の隅から何人かの拍手が飛んできたので睨み返しておく。
「ふむ、欠けてるのは誰だ片山……と思ったら片山がいないのか。どうなってる。反抗期か貴様ら」
教卓にうなだれて頭を抱える担任教師。無理もない。
「あの……先生」
「おう、なんだ吉川伊織。事情通か」
「朝の黒板のアレ。犯人探すって」
「そうか。まぁ、そうだろうな。あいつらならやりかねん。まったく困ったもんだ……」
と、言いながらなぜだか満更でもない感じでホームルームを始めやがる。どうなってる。俺もタバコが吸いたくなってきたので起立する。
「わり林道ちゃん、俺も犯人探し手伝ってくるわ」
「そうか浅葱、そういう嘘をつく時は胸ポケットに手を伸ばすのはやめたほうがいいぞ。大人しく座って、そこで腐っていろこのひとでなし」
ひでぇ言われようである。人形のように脱力してその場で溶ける。何が嫌かってぇと、ひとでなしというのがまったく洒落になってない辺りだろうか。この中年狩人め。
「……で、何なんだ一体、あの片山とか周りにいた奴らとか」
「片山くんはね、クラス委員なんだよ」
「何っ」
隣の席の有紗が、林道ちゃんの長話に隠れるように声を潜ませて解説してくれる。
「で、片山くんと一緒にいた男子女子は、まぁこのクラスの中心みたいなものかな」
「中心人物? あの弱そうなヤツらがか」
「光一にとってはそうかも知れないけど、みんなにとってはそうじゃないんだよ。気が利いて、球技大会とかでも率先して動いてて、気が付けば中心グループだったって感じかな。きっとどこの集まりでもそういうのは出来てくると思うよ」
なるほど確かに、どこの集団でだってリーダーとか中心とか呼べる何かは形成されるもんだ。すなわち人間関係の序列みたいな何か。本当不思議なもんだよな、どこでだってそういうのは自然に出来てしまうんだから。
「……で、なんだ。そういうわけか」
「うん。放っておけないから、行動することにしたんじゃないかな」
「よりにもよって、俺みたいな不良に挑んでまで、か? ったく大した馬鹿どもだな――」
当の朱峰は、いつの間にか席を外しているが。どっかでサボってやがるのだろうか。
「……無駄だと思うけどな」
立て肘ついてうなだれる。不可能だろ。情報があんまりにも少なすぎる。
†
恐ろしいことに、捜索は開始からわずか25分で決着してしまったらしい。心底我が目を疑った。
「…………マジかよ、ありゃあ」
ポロリと購買で買ったチュッパチャップスを取り落としてしまった。校舎の陰になった場所、誰かがカツアゲでもしてそうな袋小路で今は、正義が悪を追い詰めていた。
厳しく目を釣り上げたクラスの甘ちゃん共に、対して孤軍の野暮ったい女。三百眼のような白い目で正義馬鹿どもを見ていた。
痩せていて、目付きが犬のように鋭くて、事あるごとに悪態ついてる姿が目に浮かぶタイプの面倒くさそうな女だった。
そんな対峙を二階の窓から見下ろしている俺。自分の目が信じられん。
「…………島村さん。ありゃ当たりなのか」
「はい――見事、大正解でございます」
すすっと島村さんが消える。あの面倒くさそうな女が黒板のラクガキの犯人らしい。島村さんをもってしても驚愕していた。マジかよ。確かに、ユーレイでもなんでもねぇ一般生徒どもの捜査力じゃねぇ。
こんなものは、あっさり迷宮入りしちまうのが関の山なのだ。それが何故、あっさり犯人を見つけ出して、あんな風に追い詰めてしまっている?
「なんだ、光一。何かあるのか」
タケルが帰ってくる。俺が顎先で促すと、タケルは「ああ――」などと薄く感心したようだった。
「……人脈だな」
「何?」
「あるいは人徳か人気か――うむ、どれでも大差ない。要は彼らにあって俺たちにはないものだっていうことだ」
そこでドヤ顔で誇るのヤメロまじ。
「そうか……あいつらアレだな。“りあじゅう”ってやつなんだな」
「なんだ、いまさら気付いたのか? そうだ。いわゆるリア充だ。彼らは誰とでも馴染めるし、気が利くし、何より人に好かれていて異様に顔が広い。こと学校内での情報収集に掛けては、教師など比にもならんだろうよ」
だから、あっさり見つけちまったのか。朝方にうちの教室へ忍び込んでガツガツと黒板埋まるまでラクガキしまくった生徒。朱峰椎羅は人殺し。実に結構なストリートアートだが、アレも見た目以上にたいそう時間がかかる。薄っぺらなその場凌ぎならまだしもあの馬鹿、厚塗りに厚塗りを重ねていやがったからな。
のんびりやってたら誰か登校してくる。ここ数日まちがってアホのように早く登校してた不良生徒もいることだし、必然、かなり早い時間に登校しているはずだろう。
ならば残りは、各クラスから情報かき集めて時刻表つくるだけだ。誰がまっさきに登校していた? 一体誰ならば可能になる? 無論かなり運の要素が絡んでいるだろうが、それでも、あいつらがあのヒス女をこうして追い詰めているのは大したもんだろう。
いよいよ話し合いが始まるらしい。一触即発の空気の中、ヤツらの何を救おうとしてるのかも分からないような会話が幕を上げる。
「……わかんねーな」
「何がだ?」
言葉の内容になど興味はなかった。ただ俺の目には、あいつらの揉める姿がゲーセンでカツアゲしてる連中と重なったのだ。
――ヌルい甘ちゃん共だと思っていたが、所詮は人間。こんなものか。
「たかが他人のために、他人を糾弾するとはね。あいつらも結構コワイ所あるんじゃね」
心底どうでも良かったが。背を向けるとなぜか、タケルが襟首掴んで来やがった。
「まぁ待て、もう少し見ていろ。お前も無関係ではないんだろうからな」
「あ? 何がだよ面倒くせー」
「朱峰さんが人殺しというのは何だ。一体、どういう意味なんだ?」
「……あー」
最高に邪魔くさい。この伊達男、必要以上に情報与えたら即効で看破してきやがるからな。
すべてを見透かす千里眼が俺を見ている。ただ、静かに。これでは下手に本心のリアクションを取ることもできん。
「さてな。言葉通りの意味なんじゃねぇの」
「む……」
タケルがわずかに引き下がる。俺は敢えて必要以上に隠す素振りを見せなかったし、また下手な嘘も言っていない。そのぶん一手だけ真実を与えてしまっているが。
だが、朱峰が人殺しなんてのは氷山の一角だ。タケルにはせいぜい、その一角だけ見て話の規模を勘違いしてもらうとしよう。
「ちぃ――面倒だな、今日に限って読めん」
「るせぇ。断りもなく人の心を読むんじゃねぇ。許可証取れ許可証」
窓枠に体重を預け、野次馬作業を再開する。ふと大事なことを思い出したからだ。
「それにしても何なんだあの女……物怖じしてねぇぞ」
どことなく痩せた犬を連想させる女、黒板が使用不能になるまで「朱峰椎羅は人殺し」という類の罵詈雑言を書き付けた主。
自身の犯行を看破され追い詰められていながら、あの人数を前にしてもまだ何も言わない。自身の罪を暴かれ怯えているようにも見えないのだ。
「何なんだアイツは。頭が残念な類か?」
「さて――正義は我にあり、とでも考えているんじゃないか」
「……ああ、なるほどな」
島村さんも言っていた、一言もの申せば面倒事になる相手やも知れんと。それは実に正しい分析で、ああいった手合いが理不尽な逆切れを始めると、理屈が通用しないぶんもうただの泥沼と化してしまう。
自分が完全的に正しいと信じている時、人間はいっそ居直り強固になるものだ。
「あの女子は何かを知っているのか」
「さてね」
……よくよく考えてみれば、階下にあのヒス女という事情通がいるのだ。ことによっちゃあの女、朱峰の正体も十年前の真相も何もかもバラ撒いちまうやも知れん。
俺個人の意見を申せば朱峰のことはどうでもいいが、異常現象の存在自体は不味いだろう。
それも当然、タケルたち狩人の任務は異常現象の駆逐とその“秘匿”だ。
『この世界に異常現象など実在していない』。
この嘘で蓋をしなければ世界は世界を保ってゆけないのだ。
もしあの女が秘匿を漏らす方向に考えているのなら、その際は秘匿保持のためにかなーり面倒な仕事になるだろう。
タケルは真剣な目をしてる。
さてどうなるかなと顔を向ければ、図ったように事態が動き始めるのだった。
「――で、ご用件は一体何なの? こんな大勢で1人を追い詰めてリンチでも始めるのかしら」
女は、揶揄するようにあいつらを見た。嫌悪。虫を見下ろす目以外の何物でもない。
その爬虫類見たくギョロついた白い目が異様で暗黒だった。
「――そうか」
「何だ? 何か気付いたのか」
あの女、俺と同じだ。死んでやがる。目も魂も腐りきっていて、それは火傷痕で、アイツの背後では十年前の業火が今も変わらず燃え続けている。
だから、つまらない迷いなど無い。そんな程度のことを思慮できるだけの繊細さが破壊されてしまっている。
女の暗い挑発に、いよいよ片山の背後にいた女子が怒りを顕にした。驚いた。男子よりも女子のほうが先にキレて怒鳴り散らすことになるとはね。そのまま、男子たちに制止されながらも女子が大きな声で怒りをぶつける。
不安がってる転校生になんてことをするの。
どうしてそんな風に人に八つ当たりできるの?
犯罪者みたいに教室に忍び込んで、有ること無いことばかみたいに書き殴って――
「…………おー怖い」
「そうだな。俺も、橋本さんがあこまで怒ってるのは見たことがない」
橋本さんというそうだ。大人びた美人ほど怒れば怖いものはない。
「………………何してるの?」
そこでタケルも、俺も片山たちも同時に息を呑んだ。
予期せぬ乱入者があったのだ。靴を履き替え、かばんを肩からぶら下げた朱峰椎羅だった。
すべての争いの原因だった娘が、その校舎と校舎の隙間のような場所に足を踏み入れる。
ボーダーラインが踏み壊された気がした。
朱峰は事情を知っているのか否か知らないが、どうにもなんとなく予見はしているようだった。
さて何を言い出すのかと全員が注目する。吐き出されたのは小さなため息だった。
「はぁ…………そう。あなたなの」
あなた、と呼ばれたのはヒス女だった。憎悪でギリギリと締めあげた目が朱峰を捉えてる。
驚くことに片山は実に冷静な対応を見せた。
「朱峰さん、すまない。勝手な真似をして」
「…………ありがとう。でもいい。だって、“事実”なんだもの」
「え――?」
ぴた、と空気が凍り付く。おい言ったぞあのバカ。言っちまった。タケルも更に険しい顔をする。
呆然と魂を抜かれた全員の目の前で、朱峰はスカートを翻し、背中を向けて少女然と愛らしい微笑を見せるのだった。
その目は爬虫類のような無機的な目だが。
「――――“朱峰椎羅は人殺し”。事実よ。だから、そのひとを裁く必要なんて無い。」
そんな言葉だけを残して、朱峰は去っていってしまう。
あとには袋小路の影だけが取り残された。




