圧迫感
天界とはなんぞや。
イッツヘヴン。神様がいて天使がいて、天然生の緑も溢れる美しい楽園? リンゴとか成ってんの。あるいは理想郷。すべてが満たされ、奴らが奴らだけのコミュニティを形成している大規模な羽人間王国を天界と呼ぶ、のか。
しかしマテ、じゃあ死んだ人が天国にいけますように云々はどうなった。俺の祈りを返せコラ。
「なあ伊織、天国ってどこにあると思う」
「え? 光ちゃんの頭の中」
ケータイいじりながら視線も合わせず返された。伊織は自分の席でチュッパチャップス嗜みながらまたソーシャルネットワーキング云々に勤しんでいやがったのだ。
タケルに聞けば難しい顔、有紗に聞けば雲の上? と疑問形で返された。なるほど雲の上か、じゃあオゾン層かな。奴らはオゾン層に腰掛けて住んでんのかな。
オゾン層がどんな物質で出来てるのか知らないので、あとで化学の教科書で調べとこう。いやはや初めて教科書が人生の役に立つかもしれんな。何年も意味のない勉強やってる学生どもが悔しがるだろう。
しかし天界。こっそりタケルに行き方を聞いたが肩をすくめられる。まったく考えても分かりそうにないので、6限目サボって図書室で調べることにした。
「…………………」
神話の本をめくる。何も分からん。
†
「知ってるかタケル。天界って仏教にもあったんだぜ」
「何の話だ……」
無駄に知識を得てしまった。ゲームなら光一の知力が7上昇したと表示される場面だ。
ホームルームが始まるまでの短い時間、騒がしい教室に戻って俺は、愚かな無学者タケルに教授してやっていた。
「六道輪廻のことを話してやろう。天道と呼ばれる世界があってだな、そこは楽園――」
「ああそうだったな、天人が死を迎えるときには全身が垢にまみれるなど5つの変化が訪れる。これを天人五衰というんだったかな」
「………………」
俺は語りだしの人差し指を立てた体勢で固まってしまった。
こいつつまんねぇ。なんでも知ってるやつと喋っても面白くない。
「……ああくそ、てめぇはどうしてそう面白みがねぇかなぁ。アレだぜ、人間ってのは欠落あったほうが楽しいんだぜ。お前ってばもうRPGに例えるとレベル上げの余地がない主人公だ。経験値貯めてもレベルあがんねー、上げても大差ねぇ」
「それはすまなかったな。生憎と、参考になるかもしれない知識の蒐集には余念がないんだ」
「ち……そういうことかよ」
狩人は、狩人なりに見識を広げて役立つ知識はないものかと模索してたんだろう。
まったくもって――
「無駄だぜそれ。オタク知識にしかならん」
「知っているさ――この世のありとあらゆる宗教は創作だ。役に立つエセ科学もない。現実の異常現象はもっと短絡的でその場凌ぎでつまらんものだからな」
あんまりにも教室が騒がしいためか、いつもはこの手の話を忌避するタケルが乗ってくる。
あるいは疲労のせいもあるのかも知れない。
異常現象が実につまらんものである例えとして、何よりもまず亡霊の存在が挙げられるだろう。
「…………幽霊はいるが、魂は実在しない……って話を春子さんから聞かされた時は驚きだったね」
「ああ。確かにな。いわゆる幽霊が、姿が似てるだけで死んだ人間とはまったくの別人だというのは皮肉な話だ」
魂など実在しない。死者は遺らない。まったくふざけてる。
「……呪いが生んだドッペルゲンガー、だってな。本人じゃねぇだろ。ふざけてるにもほどがある」
死者は蘇らないし、残留もしない。ただ掠れたドッペルゲンガーがそこにいきなり産み落とされるだけなのだ。
死者本人の視界は、死亡時にブラックアウトしたままそれっきりだ。
「……つまり、図書室になんぞ役立つ知識はないと」
「だろうな。いや、勉強にはなるんじゃないか?」
椅子で溶ける。座ったまま脱力してしまう。どうにも、本当、やるせない。
「ねーえー。先生まだ来ないのー? 私これからバイトなんだけどー」
ホームルームを待ちくたびれたらしく、伊織が不満たらたらでやって来る。その弛緩しきった口調に俺はこめかみに来るものがあった。
「語尾伸ばすな。うぜぇ」
「はぁ? 光ちゃんこそ四肢伸びてんじゃね」
ぐぬぬむぐぐと睨み合う。タケルは終始無表情だった。有紗がやってきて一声、
「光一。お弁当食べる?」
早弁ならぬまさかの遅弁を勧められて、伊織までもが変顔になった。実に美味そうな手作りベーグルである。
「あ、有紗ちゃん……もうホームルーム終わって下校だよ? なんでこのタイミングでベーグル……?」
「え? だって、そろそろお腹空いたかなーと思って」
「おう。ありがたくもらうぜ、頂きます。」
メシだけは死んでも食わねばならん――この場合は間食だが、有紗がせっかく恵んでくれる栄養分を無碍にする選択肢などない。
手を合わせてからガツガツと齧りつく。おいなんだこれ超うめぇぞ、ベーコンの肉感とか隠し味のマヨネーズの取り合わせとかハンパねぇ。いま担任教師が入ってきても俺はこのベーグルを決してはなさないだろう。
「ね。光一、おいしい?」
「神」
「誉めすぎだよー」
近所のおばちゃんみたく頬に手を当てこっちを叩いてくる。バシバシ。一切の抵抗を見せない浅葱光一にクラスメイトがドン引きしてるとかどうでもいい。
不意に何を思ったのか教室をでて行こうとする奴1名、朱峰椎羅。あのボケはドアをくぐる寸前、ベーグルに食らいつく俺の様子を不快そうに一言で表現しやがった。
「犬……」
殺してやる。畜生かかってこい。そんな俺のベーグルくわえた叫びはドアの向こうへ去っていく朱峰の背中に届かなかった。
タケル先生の腕力で席に押し戻される。こいつ意外と力あるよな。当たり前だが。
「…………ぶっ殺す……」
「お前、本当に狂犬か」
呆れられても知ったこっちゃない。無事、ベーグルを平らげることに成功したのだった。
朱峰が去っていったドアの方を見つめて有紗が無言だ。やべえ話変えろタケル。げし。
「む――先生が遅いな。坂本さん、何か知らないか」
「えっ? さあ……」
よくやったポチ。褒めてつかわす、なんてイイエガオで微笑みかけてやったら爪先を踏まれた。思わず声を上げてしまいそうになった。
「? 光一、どうかした?」
「な……んでもねぇよ畜生……タケルのボケ、いつか、殺、ス…………!」
実に涼しいドヤ顔だった。
と、そこで何やら横槍が入る。そいつらは教室の後方、朱峰が出ていったのと逆のドアを開けて入ってきたのだった。
「…………なんだ?」
総勢4名、まるで保安官のように俺の目前に並んだ。
最前に立った爽やかなイケメン男子が声を発する。
「やあ、浅葱くん。授業お疲れ様」
「……あん? 誰だお前」
ぴくりとイケメンの表情筋が反応した気がした。誰だこいつ。生徒会長? 風紀員?
すかさずタケル先生が、困惑する俺にフォローをくれる。
「クラスメイトだ」
「マジか」
「はっは。片山ですよろしく、いやー浅葱くんは面白いなぁ」
差し出された握手が胡散臭いので半眼でスルーしておく。まだキレんとは、なかなかに爽やかじゃねーの。
そいつの背後に控えていた黒髪の女子が一言。
「……片山くん」
「ああ、そうだ。浅葱くんにちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな」
「あ?」
なんだ? 面倒事の匂いがする。クラスの連中が少しばかり静かになった気がした。
片山とやらは、少しだけ言いにくそうに窓の外を見た。
「断じてキミを疑ってるわけじゃないんだが。今朝のほら、朱峰さんの件で」
びっしりと悪意で埋められ、もとの深緑色を喪失した板が思い浮かぶ。
「あー……黒板か」
「それなんだよ。犯人のことで、何か心当たりがあったら教えてもらえないかな」
空気が変わる。
そこでぴったりと、教室内の雑談は収まってしまったのだ。教室中から、俺と片山の対峙に向けられた視線が飛んでくる。
俺はそいつを無表情で見ていただろう。
誰か、知ってるような知らないような女子が横槍を入れようとするも、聞き流されてしまう。
「か、片山くん……」
「言ったけど、キミを疑っているわけでは断じてない。ただ、昨日からキミと朱峰さんの様子がおかしいというのは噂だったからね」
ぴくりとこめかみが反応してしまう。このお坊ちゃんは地雷と知らずに地雷原に足を踏み入れようとしているらしい。
「何か事情や、犯人に繋がることを知っているのなら教えて欲しい。浅葱くんだけでなく、坂本さんにも尋ねたい」
片山が有紗に向けようとした視線を遮って立ち上がる。
一歩後退したそいつを下から睨み上げ、喧嘩ひとつしたことないようなそいつの肩に手を置いて逃げられなくした。
視線に殺意を込めて突きつけてやると、そいつの顔に明らかな恐怖が浮かんだ。クラスも少しザワついた。
「――いい度胸だな、お前」
俺の言葉に、こいつらはいまこの場で不良生徒が暴力を振るってしまう可能性を認めたのだろう。誰が見たってそうだ。なんたって、この俺に有紗と朱峰っていう、正否の禁止ワード2つを持ってきてしまったんだからな。
忘却の外れかかっている有紗に触れることは許さんし、朱峰の話題には触れたくもない。
しかしそこで、優男が意外な対応を見せた。
「僕は………犯人を突き止めたいだけだ。」
手首を掴み返される。真っ直ぐな視線が俺を射る。まるで聖戦に望む兵士のように大袈裟で、大袈裟なまでに正義で、そこにさっきまでの怯えは感じられない。
握力は話にもならないが――ああ、面倒になったので邪険に振り払う。
「触んじゃねぇ」
「っ!」
こちらは軽く振り払ったつもりだったのだが、痛かったらしい。周囲もいよいよ暴力かと固唾を飲んで見守っている。つくづく飼い殺しにされる平和ボケどもだ、なんて心配そうなぬるい顔してやがるのだろう、くだらん。
本当に吐かせたいんなら殴り倒して聞き出すべきなんじゃないのか?
見ていられなくて背中を向けると、すぐ背後に――――
「…………………………………………」
一気に体温が下がった。血だらけの吸血鬼と対峙したようだった。
いつの間にか悪魔が立ってる。太陽のように光り輝く満面の笑顔だった。俺の背後で、伊織が、こんな星をも焼き殺しそうなあったかい笑顔でさっきからじっと俺の背中を眺めていやがったのだ。
コロサレル。
「ひ――ヒスだ。ヒス女だったという噂を聞いた」
「え……?」
いつの間にかドン底に落ち込んでいた片山が顔を上げる。希望の光を見出したようだった。
「ああ、犯人っぽい女を目撃したらしい。どうにもわざわざ朝一で登校して来てたらしいな。やつれたような朦朧としたような女生徒だと聞いた。詳細は知らん。誰かが噂してんのをたまたま小耳に挟んだだけだ」
「何か……そう、何かその女生徒の特徴みたいなのは!?」
「浅葱くん、誰がやったの? 誰が朱峰さんをイジメようとしてるの? クラスメイトとして、絶対守ってあげなきゃ――!」
ざわざわと女子どもまで押し寄せてくる。それにもまして片山は必死だ、目の前で何かをまくし立てられて突発的に殴りたくなってくるが、背後からの視線を感じる。チクショウ、俺は動物園の飼育係か。
うるさい。キャンキャン吠えんじゃねぇ。
「ああ面倒くせえ! 知るか! 今日に限ってやたら早く登校してきた様子のおかしい女子でも探せばいいだろ! 聞き込みしろ! 俺に聞くな! なんでもかんでも教えを請おうとするんじゃねぇええええッ!!」
ぴた、と騒乱が収まる。しかしそれも束の間、顔を見合わせたやつらが頷き合ってこちらを向く。
「ありがとう、浅葱くん。助かったよ。このお礼は、また近いうちに――」
そんな気持ち悪いくらい律儀な挨拶を残して、片山はじめ数人の生徒たちが教室を出ていく。来た時よりも淀みのない足取りだった。
それでこの場は収まったらしく、沈黙して見守っていた生徒たちも思い思いの席に帰っていく。担任はまだ来ない。片山は女子と聞き込みについてを相談している。
「…………何なんだ、あいつら?」
「クラスメイトだよ」
伊織に尻を蹴られる。
クラスメイトとはなんぞや。いよいよ哲学の命題じみてきたな。




