異種
重々しく錆びた刑務所みたいな鉄扉をくぐり、屋上を後にする。昼休みも終いだ。まったく――
「……かったりぃ。何なんだ学生って、本当イカレてんぜ」
ぐだぐだと薄暗い階段を下っていく。背中が固い。きっとあの無機質な椅子のせいだろう。あんな安物の木の椅子に座って、一日中カリカリとシャーペン動かしてるなんて馬鹿げてる。
狭い教室に40人も閉じ込められて。
「ああくそ……何の拷問だ? 本当にわけが分からん」
「ふぅん。おまえ、やっぱりヘンね」
「あ?」
最高潮に不快な声が聞こえた。地下室みたいな階段を下った先、拓けた廊下の窓を背にして、差し込む光から身を隠すように待っていた女子がいる。
まるでホラー映画だ。昼休み終わり頃の喧騒の中、この一帯だけが薄暗く静寂に包まれている。
下り階段のため、低い天井の影になっていて顔だけが伺えない。
その爪先の赤い上履きも、見慣れた制服も何もかも、目の前のばけもの女が身に着けていていいものではないのに。
「まるで学校に溶け込めてない。この社会から浮いてる。ねぇ、何なの、おまえ――」
その長く美しい髪も擬態。同じ床に立ち、ようやくその女の表情が目に入っていっそう不快は募る。物理的に刺されるような殺意を感じて俺も殺す気で睨み返していた。
にやり 。
くそばけものは自身の髪を撫で、いつになく蛇のように妖しく唇を歪めていた。
「――――ニンゲンのくせに。」
「へ……」
まったく笑える。朱峰椎羅。そいつの言葉を聞いた瞬間、声が酸性毒となって俺の胸に打ち込まれた気がしたのだ。
声一つすらこんなにも許せない。あたかも放課後に毎日図書室の隅で1人勉強している優等生のような外装を纏って、しかしこの女は俺に明らかな悪意を向けている。
いつもの無表情が、俺という獲物を注視して不自然に歪められている。
「…………」
「何? どうして睨んでいるの? そんな怖い目をされるとさすがに、私だって恐ろしくなってしまうわ」
流し目で誘っている。蠱惑的に笑んでいる。無論、退屈だから殺しに掛かってこいと挑発されているのだ。
ポケットの中の拳が震える。握りこむ力が抑えられない。
ああそうだ、人気がない。このまま歩み寄って、首根っこ掴みあげて絞め殺してしまおうか。
――――脳裏をよぎる、地獄をひた歩くワニみたいな笑みの赤羽。
それがいいそうしよう。殺そう。いますぐこの場で殺してしまおう。
「………チッ」
そんな黒い衝動は、向かいの校舎を歩く生徒の姿を見て霧散してしまった。
やめだ。いまはまだその時じゃない。こんな平日昼間から、校舎内で殺すなんて無理がある。何にしたって時と場所ってもんがあるだろう。
無視して教室へ戻ろうとした俺の耳元に、悪魔は甘い囁きを吹きかけてきた。
「――何? つれないのね。殺し合いとは言わないまでも、少しくらい遊んであげようと思ったのに」
一瞬、記憶が飛ぶ。だんっという音が鳴って、それが朱峰の背中が窓に押し付けられた音だと意識の外で理解していた。
「…………」
ボタンが落ちる。気が付けば俺は朱峰の襟首を掴みあげていた。冷めた気分で女を見ると、同じように冷めた目でこっちを見ていた。
その瞳に映りこんだ、感情の欠けた殺人鬼みたいな顔をした浅葱光一。
そのまま白い首を絞めようとして、そこで理性がブレーキをかけた。手が止まり、それ以上動けなくなってしまったのだ。
――――俺の脳裏には、有紗と伊織が浮かんでいた。この制服が、有紗の首を締める光景を連想させたのだ。
「……それで終わり? どうして。」
目の前の女が非難してくる。ため息までつかれた。
「おまえは本当にダメね、せっかく気分が悪かったのに、これでは正当防衛も成立しないじゃない」
「何……?」
「気分が悪いの。少しくらい、遊んでやるって言ってるでしょう?」
合点がいった。ああなるほど、要するに挑発して正当防衛を捏造しようとしたわけか。まったく笑える。期待通りの朱峰椎羅だ。
「はぁ――もういい。放して」
べしと振り払われる。軽く払っただけに見えたのに痺れるほど痛んで辟易した。無論顔には出さないが。
冷たく去っていこうとする背中。なんだか癪に障る。このまま見捨てられるのはなんとなく、負けてしまうような気がしたのだ。
何かないか。くそ、何か叩きつける言葉はないのか。
「おい、待て。“浄界”って本当にあるのかよ」
「………………」
背中越しに見られる。またいつもの冷たい無機的な眼だ。なんの感情も宿っていない人形の横顔が言った。
「――――――、知らない。」
ぶっ殺すぞてめぇ。
「はあ……なによ、そんないまにも殺してやるぞみたいな顔をして。仕方ないじゃない。私だって、“浄界”に行ったことがあるわけじゃないんだもの」
意味を反芻するが、納得がいかない。
「……あ? お前、そこが羽人間どもの本拠なんじゃねぇのかよ」
「そうよ。何かおかしい?」
「おかしいに決まってんだろ。てめぇ、自分の故郷を知らないってどういう――」
「ああ…………なんだ、そういうこと」
朱峰は、身軽に、開け放った窓枠に腰を下ろしてブランコのように座った。
くるりと体を反転させれば死ねる場所に座って、あどけない童女のように微笑んで言ったのだ。
「私、あいつらとは生まれ故郷が違うから。」
耳にこだまする。ものすごく重要な事実を聞かされている気がした。自然と、慎重に言葉を選んでしまう。
「あいつらって…………何だ」
「ふん、あの気に食わない白羽どもよ。他に何があるっていうの」
また、小馬鹿にしたようなまったく興味の無さそうな冷めた顔。軽快に床に着地して今度こそ去っていく。
「おい待て、気に食わねぇってなんだ。てめぇあのクソガキに情移りして負けてたじゃねーか。同じ羽根人間だからだろ、どこが気に食わねぇってんだよ」
「気に喰わないわよ。単に私は、人間だろうが天使だろうが、子供の姿をしているものが苦手だというだけ――」
そういえば聞かされた気がするぞ。確かこいつ、朱峰おばさんと一緒に孤児院に住んでたんだっけ。
――――――“椎羅お姉ちゃん”。
「…………くそ……」
もういない。颯爽と去っていったのだ。無慈悲に昼休み終了を告げるチャイムまで鳴りやがる。1人廊下の隅に取り残された俺は最高に間抜けだった。
「生まれ故郷が、奴らとは違う……?」
ますます分からない。一体、あの赤羽は何者なんだ。どこから這い出してきたバケモノだってんだ。
――ぞわり、言い知れぬ悪寒がする。




