ヘブンズ・アンダーグラウンド
「聞いたぞ光一。朱峰さんを映画に誘ったそうじゃないか」
「あー……」
屋上のヘリにもたれて、四角い紙パックのイチゴミルクを舐めるように摂取する。ストロー噛むのはお行儀がよろしくないわと昔たしなめられた。見やればピンクのストローの吸口に歯型がついていてたしかによろしくない絵面だった。
昼休み、タケルと共にやることもなく腐っている。分かりきった経過報告を聞かされたのだが、朱峰は特に妙な行動は起こしていないそうだ。
這って落ちるようにヘリに背を載せ、溶ける。ダレる。融解する。タケルの横顔はいつもとなんも変わらんのだが、実情を知っているだけにそのニヤニヤ顔から疲労なんか拾ってしまう。
「……俺が言うのも何だが、おまえも大変だな」
「そうでもない。そこそこ楽しくやっている」
「楽しく、ねぇ……」
重労働に喜びを見いだせるとは、やるじゃないかこの社畜。俺はそろそろHPの回復率が追いつかなくなりそうなんだが。
まぁそれはいい。そんな話はどうだっていいのだ。俺の興味はいまは一点にあった。
「――どう思う。例の、天界探し」
口に出せば気温が下がった気がした。我ながらバカな話をしていると思う。なのに、どうして、根拠のない戯言だと流すことができないのだろう。
タケルも静かだった。狩人は、口に手を当てて至極冷静に現実的に思考して見せる。
「確か、“浄界”と言っていたな。はっきり言って眉唾だろう。空の上に、童話のような楽園が存在していて、その緑溢れる街に白い翼の天使たちが暮らしているなど……」
あまりにも、馬鹿馬鹿しすぎるだろう。陳腐すぎてイメージすら湧かんのだ。俺のいる場所は、壁面に薄い亀裂の走る、カビが生えたような雨ざらしの校舎だった。時計の縁にはホコリが堆積していて、蜘蛛の巣が張ってあってしかし遠目には分からない。
遠く見える傷んだサイレン塔なんかを見ていたら、どうやったってメルヘンな天国など連想できやしない。
この世はヘブンズアンダーグラウンドなのか?
俺たち人間の住む世界は、氷山の一角でしかなかったってことなのか?
歪み軋んで狭間から異常が顔を出しそうなこの現実を前にしても、タケルは冷静だ。
「――どう転んだって有り得ない話だろう」
一刀両断。胸がすく。
「本当、ふざけている。奴ら羽人間共の話を盲信するのなら、あいつらはすべて神の使いで、その“浄界”とやらには神本人が住んでいると言うのだからな。」
それは王と、王に仕える騎士共のような構図だった。夢のなかだけに住んでいる騎士団だ。しかし何かの間違いで、その騎士団の手先の雑兵共だけがこっち側に溢れ出している。
実に実に、この現実は、俺達の常識は不安定になりつつあった。
「しかし、似たような現象には覚えがある。神の国。まったく馬鹿馬鹿しい話だ」
「……………………何?」
線路切り替えのレバーが引かれ、話の筋が真実寄りに誘導される。どうにも狩人エースは、天使狩りなどよりよほど異常現象に精通していたらしい。
「ま、簡単な話だ。要は入り口を発見すればいいのだろう? 奴らを捕らえて、どうやって楽園に帰還しているのか吐かせるのがいい。そのあとで、楽園の正体が一体どういう異常現象なのか調査すれば済む話だ」
ではな、とタケルは淡白に去っていってしまった。
「……何だよ。教えてくれたっていいじゃねぇかよ」
屋上のへり、寝返りを打てば落下して死んでしまう位置に寝転がる。くわえタバコが煙突のよう。広がる空は青色で、川のように流れていく雲と太陽くらいしか見るものがなかった。
雲間に探す。一体、この空のどこに天国なんてものが隠れていやがるのだろうかと。
間違いのない間違い探しに似ていた。




