雨の日の死体
「………………」
暗がりの物陰から何かが出てきそうな夜道を1人で歩いていると、ラフな恰好の男女とすれ違った。男は赤いキャップ、女はタンクトップが印象的だった。コンビニのポリ袋片手にお喋りしている横をすれ違う。
どうにも吐き気がおさまらない。タバコは控えているが、悪寒のような感触が止まらんのだ。
「クソが…………何なんだ、一体」
足取りが重い。アスファルトが硬い。脳みそだけがすり抜けて天に召されちまいそうな勢いだ。
夜暗に飲まれるように意識を朦朧とさせていたら、闇の中の月みたいなそのひとと出くわした。
「あら、おかえりなさい光ちゃん。どうだった?」
長い髪に黒い淑女然とした宗教勧誘みたいな服――春子さんだ。今日は何かキャディバッグのようなものを背負っているが、中身がゴルフクラブでないことだけは確かだ。
というか硝煙の匂い。一発で分かった。
「……ちわっす、春子さん。クレー射撃ですか」
「うーん。どうだったのかしらねぇ? 悪霊、だと思うんだけどねぇ……霊視的に。でもま羽根つきでないことだけは確かよ」
どうにも、羽根人間を探すついでに清掃活動を行ったようだ。じゃあ恐らくはサイレンサーとスコープがついてるアレだろう。
そんな雑談もそこそこに、過保護な叔母は心配そうに覗きこんでくる。
「それより光ちゃん、大丈夫? なんだか顔色が悪いようだけど――」
なんて美しいんだろう。いっそ魔的だ。その見慣れたはずの姿が、どうしてかセピア色の記憶を一瞬だけフラッシュバックさせる。
――――その日は雨が降っていた、ような気がする。
「……いえ、なんでも。それより帰りましょう春子さん。どうにも、疲労が」
なんだ? この記憶は。
――――俺は、似合いもしない大きすぎる黒傘なんかを握っていて。
ランドセル背負って雨降る街を下校していた時のことだった。ひとりきりで話す相手もいなくて、雨雨ざーざー。
「ちょっと……光ちゃん? 本当に大丈夫なの? いまにも倒れそうよ?」
街をゆく。耳を覆うのは壁みたいに厚くなった雨の音だけ。そんなのは幻覚だが、塀にこびりついたカタツムリを無視して、マンションの横を抜け、シャッターの降りた魚屋さんを通り過ぎて……
もう暫く行けば、国道と交差する大きな交差点が見えてこようかという辺り。
雨粒踊る水浸しのアスファルトの片隅に、“あの日と同じように”まったく同じ位置取りでヤロウの死体が転がっていた。
「――――あ?」
よく、覚えていない。
覚えていないから記憶を辿ることはできない。そこまでで上映は終わってしまう。よくよく見れば雨なんて降っていないし、傘なんて差していないし、アスファルトに死体なんて転がっていない。
「……光ちゃん?」
春子さんの霊視が何かを感じ取ったのかもしれない。いつの間にやら体が軽くなっていた俺は、タバコをくわえて叔母を振り返る。
「え、なんすか? すいませんぼうっとしてました」
「……………」
まじまじと見つめられるが、何も無い。この俺に何も特別なものなんてないはずなのだ。
「…………いえ。なんでもないわ」
春子さんにも、俺にもよく分からない。すべては気のせいだったようだ。
月夜に立ち上っていく紫煙。また俺を見ているのは誰だ? 天高くから、遙か高みから。必ず誰かが俺を視ている。
ま誰だって構いやしねえのだが、それよりも。
――ああ、生まれ直したようにタバコが美味い。
†
帰って寝た。その日は夢など見なかった。
よく眠れたため最高の目覚めとなったのだが、朝メシ食ってから島村さんとの待ち合わせをすっぽかしていたことに気付く。
毎晩0時に待ち合わせる約束で、朱峰の尾行を頼んだのはこっちのほうだったのだ。
きっと笑って許してくれるのであろうことは容易に想像がついた。だからこそ一層の罪悪感が募る。
「…………」
二度寝した。




