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天使狩り  作者: 飛鳥
第1章
59/124

Heaven


 このロビーは図書館に似ている。2階にロビーってのも不思議な感じだが、1階の玄関口ではあまりに俗世に近すぎるのだろう。――鉄さびの匂いがする。剣呑な奴らがひしめき合うわずか3階建ての地獄の犬小屋。

 花宮市狩人本拠、その2階ロビーにぞろぞろと狩人たちが集っていた。全校朝会の様相だ。もっとも夜だし20人程度しかいないが。

 蝶野、タケルに事情をまったく知らぬ俺だけが前に立たされ、ようやく蝶野が話を始めたところだった。

 俺はなんとなく爪先で硬い床をコツコツ叩いていた。転んだら痛そうだな。

「先日、タケルと浅葱が捕らえた天使から引き出した情報だ」

 と、いきなり大きな疑問符が頭上に浮かんでしまって周囲を観察。窓の外は夜、狩人どもは老若男女、タケルはいつも通り何考えてんのか分からない。

 タケルと浅葱が捕らえた天使? 誰だそれは。朱峰のアホのことか。なんて寝ぼけていたら、黒子の装束を着込んだ誰かがやって来て蝶野に見覚えのある赤槍を差し出したのだった。

 ありゃ、あの時の少年兵がおもちゃみたいに軽々と振り回してた槍だ。こうして見るとけっこう重そうに見える。

 その重量感を確かめるように蝶野が弄ぶ。蝶野は、亡き天使を嘲弄するように全員に語り聞かせ始めた。あの夜の表向きのシナリオを。

「先日、新人である朱峰が街なかで少年型の天使と遭遇・追跡し、廃教会まで追い詰めたんだが、そこで返り討ちを食らってしまってね。そしてたまたま居合わせたのがタケルとそこの浅葱光一だ。2人には俺の指示で、廃教会の調査に当たってもらっていた」

 この時点でシナリオが書き換わっていた。タケルは廃教会の調査をしていたのではなく朱峰の尾行をしていて、後から俺が呼び出されたのだが大人の事情。ああして朱峰が変わらず無表情に聞いてる前で真実を語るわけにもいくまい。

「総括、質問が」

「ん。なんだ笠井、遠慮なく、みんなに聞こえるように言ってくれ」

「はい。えっと、廃教会の調査、ですか? それは何故」

 そこで蝶野が皮肉そうに笑った。なんだ? いやな予感。

「唐突だが、諸君は神の存在を信じるか」

 みんな押し黙る。しかしそれも一瞬のことで、冷静な部下たちはいよいよイカれちまったか、紅茶が脳に回ったか、オレンジペコが見せる幻覚かなどなど言いたい放題だ。

「――――ま、かく言う俺も信じちゃいない。しかし奴らは仮にも“天使”だ。羽根の生えた神の遣いなのだ。ならば、神の膝下を探索するのは自然なことだろう」

 朱峰がじっと聞いている。微動だにしないが何かを言いたそうな感じがした。気のせいだろう。

 代わりというわけではないが、タケルの方が口に出す。

「そういえば……先日の、朱峰さんが単独突入した奴らのアジトの件だ。覚えているか光一? 街なかの空地だった場所にいきなり森が形成されていて、その中に古びた廃墟があったアレ」

 記憶を手繰る。welcome to heavenの血文字。あれは忌まわしき、10年振りに朱峰椎羅と再会を果たした最低最悪の思い出だ。

「ああ覚えてるが……あれが、何だ?」

「教会だったよな」

「…………」

 そうだった。確かに、奴らのアジトは、神を祀る教会だったのだ。

「さて――では話を前に進めるぞ。奴ら天使は、どうにもいちいち“神”にまつわるものを背負っている印象がある。神の遣いだ? そんなもの誰が信じるものか、しかし、どうしてか奴らの存在はその神を否応なく連想させるんだ」

 みな、その異様な話に耳を傾けながら、嫌な気配を感じていた。俺もだ。まさか、蝶野の野郎、一体何の話をしようってんだ。

「論旨が……見えませんね」

「そこでだ。タケルと浅葱が“生け捕りにした”、少年兵型の天使を拷問に掛けてみた。どうにか情報を引き出せないものかと試してみたんだが――」

 そこまで聞いて、なんとなく朱峰の様子が引っ掛かっていた理由を理解する。俺たちはあの少年兵を生け捕りにしてなどいない。アイツは七色の炎になって燃え尽きたのだ。

 なら、蝶野が本当に情報を引き出した相手は、少年兵ではなく俺の眼の前にいるやつだ。

 ――――朱峰椎羅。蝶野は、拷問を使ったという嘘を盾に、朱峰から聞き出した天使に関する情報をしゃべっている。なるほど、ヤロウがくそばけものを味方に引き入れた理由のひとつはこれか。

 奴ら、天使の正体はずっとずっと謎だった。あの悪質さに相反してあまりに情報が少なすぎた。遭遇すること自体がレアケースなのもあるが、遺骸が燃えてしまうこと、あの“魔法”とやらがあまりに呪いに近しくて検証しにくいこと等が挙げられる。

 だが一転、朱峰椎羅という特上のサンプルが1体あれば解明は劇的に進むし、何よりその口から開示される情報の価値は計り知れない。

 いまこの瞬間に、蝶野は朱峰から引き出した重大な情報を公開しようとしているのだ。

「――――――“浄界”、というそうだ。」

 不理解の沈黙が場を支配した。鏡に音を投げつけたかのような不協の静寂だった。

 座敷わらしみてぇな着物娘、確か道明寺とかいうやつが訝しむ。

「ジョウ、カイ……? なんじゃそれは。解脱のことか」

「知っているか? 雲の上には天国がある。神がいて緑あふれていてとても豊かな、天使たちの王国が存在するんだ」

 いよいよ狂った方へ話が動き始めた。まるでブレーキのないトロッコ、とてもとても緩慢に、壊れたように転げ落ちる走行が始まる。

 それは底のない下り坂の入り口だった。

「ば……っっか言ってんじゃねぇぞ、オイ。なんだ? じゃ、俺らが住んでるこの地上は|ヘヴンズアンダーグラウンド《天国の真下》だとでも言うのかよ」

 笑えよ、しかし誰も笑わない。どいつもこいつも厳しすぎる困惑を顔に浮かべて惑っている。俺もだ。タケルでさえ眉をしかめている。ただ1人朱峰以外はみんな、理解不能な現実を前に受け取り方を迷っている。

 しかし蝶野は揺るぎなく、それが当然のことであるかのように述べたのだった。

「――――そうだ。“浄界”というのは雲の上、あるいはそれに近しい亜空間に存在する、奴ら天使どもが暮らす“天界”の名称なんだ」

 いっそう騒がしくなる。仮にも強者揃いの異常現象狩り共がだ。遠い花宮市の上に広がる月夜空。このくすんだ黒一色の一体どこに“浄界”、とどのつまり“天国”なんてものが存在していやがるのだろう。

 ――――ぞわり、悪寒がする。どうしてか、巨大過ぎる何かに天井の向こうから見下ろされている気がするのだ。

 タケルが深刻に悩む顔をして、ばかげた幻想に現実的解釈を投げつける。

「恐らくは、呪いによる空間侵食でしょう。そんな世界がもともとあって、そこに神様とやらが住んでるわけじゃない」

「どうかな。だといいんだがな。なにせ、神様が相手では俺たち狩人だってさすがに、手も足も出ないだろうからね」

 ――なんだ、この気配。さっきからおかしい。じっと誰かに見られている気がする。朱峰か? 違う、あいつは1人どうでもよさそうに窓の向こうなんか見ている。

 じゃ誰だ。

 さっきからずっとずっと俺の全身を舐め回すように見ているような、この感触は俺の気のせいなのか?

「……“浄界”に関するそれ以上の情報は、私にも掴めていない。なにせ見たことも行ったこともないもの」

 そう言って髪をかきあげる朱峰。違う、あいつはこの場にいる人間たちしか見ていない。

 俺を見ているのは誰だ?

 遙か高みから虫を見下ろすように、いまにも踏み潰そうとしているのは誰だ?

「総員に告ぐ。奴らと接触し次第、この“浄界”に関する情報を徹底的に引き出し収集せよ。どんな手を使っても構わん。呪わしき天界への入り口を発見するんだ」

 そして蝶野が司令を発した。この“天界探し”には俺も加わるだろう。しかし、それにしてもどうしようもないほどのこの悪寒。は、ははははは。まさか天井が消えちまったわけじゃあるまいに。

 顔を上げれば、天井があるべき場所に、俺の霊視は最悪の幻視を捉えるのだった。

 それはそれは巨大で壮大な、闇の中に浮かぶ月みたいに巨大な眼球が俺を視ていた。

 …………俺を見ているお前は、誰だ。


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