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野犬のように街を駆け抜けた。うおおと声を上げての疾走だった。
しかし、暴走バイクとすれ違いながら自分の両脚が時速何km程度だろうと考えていたらだんだん腹が立ってきた。
「くそっ……バイクの免許がいるな。こんなもん、いちいち走ってられるかってんだ」
17年生きて来て初めて気が付いた。徒歩移動なんて阿呆のやることだ。亀だ。
深夜の赤い点滅信号の交差点を駆け抜けながら、汗だくの俺はそんなことを思案していた。間に合うだろうか。間に合え。幸いにも近所とは言わないが比較的うちから近い場所だったので、なんとかなるだろう。
雑木林みたいな一帯を疾走、夜逃げするように街の外れへと突き進んでいき、ほどなくして奥まった目標地点に到達した。
足元は落葉のプール。
目の前には、見るからに心霊スポット然とした恐ろしげな物件が鎮座していた。
廃教会。あちこち穴があきまくった木造の廃墟だ。もとはちょっとした孤児院も兼ねていたそうだが、名前も聞いたことのないようなマイナーな宗派だったそうで、俺らが生まれた頃にもぬけの殻となってしまった。
以来、名義の云々やら土地の利権やらでややこしくなって、結局はどこがこの廃教会及び周囲の土地を手に入れたのか知らないが、どのみちこうやって放棄されてそのままになっているのだから誰のでも大差ない。孤児院といえば浮かぶのは朱峰オバサンと椎羅だが、いまは忘れよう。
このくすんだ赤い屋根の建物は、小学生の頃だったら夏には必ず肝試しの場所となったようなひとつの名物だ。
そんな廃墟の内部から――何か、大きな物音が聞こえてきて俺は耳を澄ます。
……何だ?
誰か叫んでいる。男? かと思えば少年の笑い声が高らかに響き渡る。どっかの悪ガキ共がふざけてんのかと疑うも、ふと顔を上げれば空から1枚の白い羽がひらりひらりと舞い降りてきた。
何の羽根だろう、と手を伸ばそうとしたらまた1枚、もう2枚。
「…………おい……」
よく観察してみようと思って羽根を掴んだら、砂のように手の中で溶け崩れてしまって、それが霊視であったことを理解した。
――――奴らが、いる。
「ハ――上等だコラ……ッ!」
二丁拳銃を引きぬいて扉を蹴り飛ばし突入。いつぞやの切り子ハウスの時と違って予備の弾丸もきっちり用意してある。今夜こそは、徹底的に圧倒的に真正面から叩き潰してやろうじゃねぇか。
薄暗い周囲を警戒しながら銃口を左右に向ける。かなり長期間放置されたためいまにも崩れそうな木製の長椅子が並び、祈るべき十字架も神像もとうの昔に撤去されている。青みがかった薄闇の空間は無音。
「ち……」
――礼拝堂内に、生物の気配はない。しかしそう遠くない場所から戦闘音が聞こえている。方角をたどれば左手のドアか目に入った。
両手の銃を肩に担ぎながら、いつだったかタケルや有紗と意味のない肝試ししていた記憶を回想する。
あの時は、有紗が木椅子のささくれを指先に引っ掛けちまって、当人は平気そうだったのに言い出しっぺの俺が青ざめたんだっけ。
「ああ覚えてるぜ――こっちは確か、中庭だ」
扉は半開きだった。手を塞いでしまわないようまたしても蹴り開ければ、雑草の生い茂った広い庭とそれらを囲む森、更には一階建ての校舎みたいな長屋があった。
眉尻を上げる。戦闘音は、あの中から聞こえているのだ。耳をすませば聞こえるのは刀剣類特有の悲鳴のような金属音。
「タケルか……! おら、動くなじっとしろ羽人間!!」
3枚目のドアを蹴り開ければそこは、長い暗い直方体の廊下だった。暗闇の中で苛烈な近接戦闘が繰り広げられている。
突き出される穂先は亜音速――人間外の膂力が大気の壁を突き破って疾走、しかし直進の軌道を日本刀が受け流して意味のないものにした。
「!」
この瞬間、槍の主は前傾姿勢となる。狩猟動物のように狙いすました日本刀の主、タケルが小回りに切り返した切っ先が相手の眉間を捉えようと伸び、しかしすんでのところで後退され外してしまった。
間合いが途切れ、両者とも乱入者であるこちらに注意を向ける。
「タケル」
「……なんだ光一か」
何だとは何だ。背中越しのタケルは前を向いたまま、予断なく槍使いと睨み合っている。
闇は深く、廊下の突き当りの壁が見えない。人間であるタケルの視力でこんな深海じみた場所の近接戦なんてそうとう不利だろう、なのに無傷。タケルのすぐそばでは誰かが倒れていて、それを守るように一歩も退かず何者かと刃を交えていたのだ。
倒れている人形みたいなのを見て俺は驚いた。嘘だ。バカだろ有り得ねぇ。
「おい……てめ、」
近寄って頬を叩くが、人形みたいに整った少女はまるで応答しない。死んだように眠っている。まぶたを閉じていて、抱え上げた俺の手が濡れたから何事かと思えば、それは少女の肩から滴る鮮血だった。
「――単独任務だったんだ。監視役の俺がいたからカバーできたが、かなり危ういところだった」
タケルの言葉の意味がよく分からなかった。ただ俺は、敗北したらしいこいつの静かな寝顔にたぶんショックを受けていた。
違うんだ、こいつはこんな所で倒れるはずがない。
気を失ったりするはずがない。
……こいつは、間違いなく10年前の死の象徴で、史上最悪のばけもんなんだ。それなのにこんな所で人間みたいにやられちまっていいはずがない。
「何やってんだよ…………おい、朱峰! 椎羅! てめぇ、こんな所でザコに負けていいとでも思ってんのかよ、あぁッ!?」
何も答えない。愕然と力が抜けていくのを感じた。俺はこいつに憎悪し苛立つと同時に、恐らく心のどこかで畏怖していたんだ。絶対に勝てない、殺したって死なないばけものなんだと信じきっていた。
…………なのに、こんなどうでもいい廃墟で、クソどうでもいい相手に負けちまったってのか。
だったらこいつに恐怖を感じていた俺は何なんだ。この世で最も恐ろしいくそバケモノが、こんな簡単に倒されちまっていいはずないだろうが。
「―――ムリもないよ。ほら、こっちは見ての通りの槍使いなんだぜ? 日本刀だってこのとおり手も足も出ないってのに、有り合わせのナイフ1本で立ち向かおってきたそいつが悪い」
そんな軽薄な声を投げかけてくるのはどこのどいつなのだろう。廊下の闇さえ塗りつぶす舞い散る白羽を幻視する。
タケルの向こう、赤い長槍を手にして、道化のように俺を嘲弄していたのは何故だか見覚えのある顔だった。
「てめぇ――」
「なぁ、アンタもそうは思わない?」
再度、自分の目を疑った。そいつはしたり顔で目を細める。グラスの水をいきなり顔に浴びせられたようだった。
まだ少年だった。若すぎる子供だったのだ。芝のような金髪の上に似合わない武骨な雑兵の兜が乗せられていて、小さな体躯を包む兵士の服はショルダーアーマーこそあるものの軽装。動きやすさを重視している。
既視感。夢でも見ているのか。忌まわしい笑みを向けてくるその顔に、俺は何故か見覚えがあったのだ。
「……どういうことだ。あいつ、つい数日前に俺が顔ぶち抜いて撃ち殺したクソガキじゃねぇか!」
「やはりそうか。俺もあの時の少年兵の天使ではないかと疑っていたんだ。……よもや、本当に同一人物だとは思わなかったが」
いっそう新米の少年兵は笑みを深める。獲物が弱っていくのを見るワニのようだと思った。
おかしい、有り得ない。あの時の無力なガキがどうして槍1本でタケルと渡り合える?
「決まっているさ。地獄から舞い戻ったんだ――君達を、徹底的に破壊しあの時撃ち殺された恨みを晴らすために、ねぇえええッ!」
ゴウ、と槍が加速し触れるものを消し飛ばす瀑布となる。タケルのヘビが這うような防御も異常な速度だが、やはり、単純な筋力では人間外の生物のほうが勝る。
子供と呼ぶべき幼さであるにも関わらず、槍がぶつけられ壁が砕けるさまはどう見たって子鬼の所業。
タケルは、一撃を辛く受け流して俺の隣まで一足で後退してきた。予断なく構える横顔にも厳しい色の困惑が浮かんでいた。内心は俺も同じだ。
「光一、どうなってる。天使が亡霊として化けて出るなどあり得るのか」
「さてな――羽人間どもが人間に近い身体構造だってんなら有り得なくもないが、少なくとも俺はそんなもん見たことはない」
第一現象・残留衝動体……属に言うユーレイだか亡霊だかというやつ。
白状すれば、人間の幽霊は腐るほど見てきた。が、天使の亡霊なんてものはタダの一度もない。
「アンタ、なんだろう……?」
ぴく、と俺は耳を反応させていた。少年兵はどこまでも皮肉そうに見下すように眉を持ち上げる。
「ああ、覚えているよ。俺はこんな子供なのにさ、アンタはまったく容赦がなかった。あっさりその銃弾を俺にぶち込んで殺しちまった――戦場の掟がどうとか、自分本位のワケ分かんないこと言ってさ?」
亡者の1人語りに、俺は唇を吊り上げる。おかしいぜ狂ってる。どうして死者が、俺に『よくも殺したな』なんて言ってくる? なんだこれは。悪夢に過ぎる。死は絶対不変で変えようのない消滅のはずだろうが。
なのに常識外は、不躾にも口を休めることがない。
「お前が僕を殺したんだ」
「ああその通りだそれがどうした、だったら、どうするっつーんだ、よッ!」
ガンガンガン ッ
久しく叫びを上げる二丁拳銃は、数日のブランクをものともせずパワフルだった。魔獣の咆哮は唸りをあげて羽人間に迫り、そのショルダーアーマーを掠めて火花を上げた。
――躱された。いまの、直撃コースだったのに外されたんだ!
「来るぞ、タケル!」
「ああ分かっている……!」
俺の前に出る幻影じみた亜音速タケル。俺はこれ以上は後退できない。最低最悪なことに、踵の後ろ20センチほどにクソバカ朱峰が寝こけていやがるのだ。
超高速で刃を交えるタケルと少年兵。幾筋も刃の軌跡が描かれていく。
……あのガキ、サルみてぇに曲芸の動きで跳ねまわる。あんな長い槍をしかし、この狭い空間でものともせずに操っているのが異様だ。
「くそ――ッ!」
タケルが避けた瞬間に銃弾を2発飛ばすが、難なく躱され槍で弾かれる。武人の動きだ。昨日の軟弱さからは想像もつかない、これがあいつの実力だったってのか。
近接戦、その隙間を狙っていては撃ちにくい。タケルも避けるスペースが小さすぎるため苦々しい顔をしている。何にも増してこの状況、狭い廊下と槍使いってのが最悪だった。
――タケルの日本刀は届かない。この壁が邪魔して横から回りこむこともできず、懐に入ろうとしたら後退され、倍以上の突きが返ってくるのだ。
ならば俺が前に出るのはどうだ? ――馬鹿らしい、銃士が前線に立ったって、一発弾丸を躱されれば即刻・首を突かれて終いだ。そもそも拳銃は近接戦闘の道具じゃない。ならタケルを前線に立てなければならないわけだが、そのタケルの背中が邪魔で引き金を引くことができない。
撃ったら、タケルごと殺しちまう。銃口で敵の姿を追っているのに誘導され、そんなじれったいことを幾度も繰り返している。
何より、あの槍さばきが厄介だった。
「く――!」
不利な条件下とはいえ、あのタケルが苦戦していた。あのガキにはまだ余裕がある。いくら羽人間とはいえ、この体格差で近接専門の狩人を圧倒するなんて馬鹿げてやがる。
そもそも条件が揃いすぎてる。こんな空間じゃどうやったって槍が有利に決まってるじゃねぇか。
「……仕組んだな。朱峰の馬鹿、まんまとこの場所に誘い込まれちまったのか」
俺の後ろで寝ているやつは何も返してこないが、代わりに間合いから逃れた少年兵が底なしに嘲弄してくる。
「大正解。そこのバカなねーちゃんはさ、何も考えずに逃げる俺を追ってきてしまったんだ。本当頭悪いよね。普通、こんな狭い場所に逃げ込んだら何か策があるって疑わない?」
「………………」
確かに朱峰の頭の悪さはあるが、そもそもこの女はそんな軽白なトラップなんかものともしないばけもんなのだ。その気になればこの廊下ごと吹っ飛ばせるはずだ。なのに、何故こいつは倒れている。
「……俺の、買い被りだったのか……くそっ」
どうする。なんとかタケルが押さえ込んでいるが、あのガキがその気になれば槍の突貫力であっさり突破される可能性がある。
ここは――仕方ない。
「ああ、くそ……なんで俺がこの馬鹿を助けなくちゃならねぇんだよ! ふざけんなッ!」
早々に朱峰を担ぎあげて、ドアを蹴って脱出する。朱峰のナイフが転がっていたような気がしたがどうでもいい知るか。
背後の激闘を聞きながら芝の地面を踏み、さっきの礼拝堂まで一目散に駆ける。
朱峰の身体は羽のように軽く、柔らかくてそして冷たかった。
「捨ててぇ……ちくしょう、そこの物陰に捨てちまいてぇ……」
虐殺者を背負って逃走する被害者なんて阿呆じゃねぇか。いますぐにでもこいつのこめかみに銃弾撃ちこんでやりたいのに、本当大人の事情ってのは厄介だ。
いざ礼拝堂。椅子に向かってぶん投げてやろうかと思ったがそうもいかない。畜生畜生と憎悪を吐きながら丁寧に座らせ、すぐさま庭に飛び出し来た道を舞い戻る。
――廊下に突入しようかというその時、ドアを突き破ってタケルの背中が飛び出してきた。
「! タケル――!?」
空中で反転、華麗に芝の地面を滑走するカタナ使いだったが、その顔は苦渋。肩を押さえる。やはり、ふっ飛ばされたんだ。
「……困るねぇ。さっきのねーちゃんさ、俺の戦利品なんだぜ? せっかく仕留めたのに横取りするなんて酷いじゃないか。返してよ、僕のオモチャ」
悠然と月明かりの下に歩み出てくる少年兵。その立ち姿を見て、俺は妙な違和感があることに気付いた。
「あれ……おい、あいつあんな背高かったっけか」
「何?」
あの時のガキは人間に例えるなら小学生程度だった。それに引き換え、目の前のこいつは中学生。たった数年の違いだが、成長期の数年間は見過ごせる年数じゃない。
……なるほど。さっきは、廊下が暗かったせいで見間違えたってことか。
「気付いたね……ああ、そういうこと。僕はアンタが殺したあいつじゃないよ」
別人だ。同じ槍を使い、ご丁寧に服装まで似せているが、恐らくはあのガキの血縁者。
……手の込んだ復讐だったのだ。
「あいつ弱かったし。兵士に志願したばっかでさ、まだ右も左も分からない子供だったんだぜ? 当然前線になんか出さないっていうから見送ったのに、部隊が全滅したんじゃ意味ないよね」
低く低く槍の穂先が下がって、それ以上に少年兵の声が憎悪に沈んでいく。その青い目がまっすぐに捉えていたのは俺だ。
「……ねぇクソ人間。下等生物の分際でどうして僕の家族を殺したんだい? 答えてよ。お前たち家畜ごときが、どうして天使である僕の弟を殺したりしたんだ。人間は、神の使いを平気で殺して捨てるのか」
タケルの前に立ち、肩に担いだ銃を強く握り直す。張り詰めていく空気、大気を伝わって俺を刺そうとする殺気、そして展開されていく魔の瘴気。
タケルが機敏に、呪いではない何かの気配を察知している。俺にとっては慣れたもんだ。A-霊視は完全にその予兆を捉えている。
――――神の使いが、光を纏う。白く美しく穢れなく、だからこそ吐気がするほどに悪質な輝きを纏い始める。やはりアレを行使する気なんだろう。
ここからは、専門である“天使狩り”の仕事だ。
「ざけんじゃねぇ。家畜はお前らだろうが」
「その言葉そっくり返すよ、この屍肉喰らいの亡者ども。派手に咲かせて弟の手向け花になれ」
緩慢に鎌首をもたげた槍が一転・まるで延長されたかのように急速に伸びてくる。
「そらッ!」
「ち――」
槍のリーチと、人間外の異常脚力による超加速だ。食らいつくように翔ける紅一閃。
だが躱す。首を逸らした俺の前髪を掠めながら槍の穂先は通りすぎていった。
「へ」
ここからは常識殺しの近接銃撃戦。左手の銃が超速回転し、切り返そうとしていた槍にトンファーのごとくを叩きつけ、ガード。
目を見開く羽人間の眉間に、右手の黒拳銃は完全に王手をかけていた。
ガン ッ
アクション映画もかくやの仰け反りで少年が銃弾を回避した。その拍子に兜が飛ばされ、そいつが地面に転がるより早く俺は二丁拳銃を向けた。だが。
「!」
視界の外から手元を襲撃しにきた回し蹴り。構えが崩され、立て直そうとしたら槍が旋回してきて躱さざるを得なくなった。
ノンストップでもう180度反転、俺の鳩尾に伸びてきた槍の柄を交差した銃で受け止めた。
「い……つ!」
重い。隕石のように重く打ち上げられて踵が浮いた。その隙を押し広げるように。
「弾け、」
「!?」
「飛べッ!」
纏っていた白い輝きが槍に急速集中、かと思えば一瞬後には俺はふっ飛ばされて宙を舞っている。
「がは――ッ!?」
「光一!」
為す術もなく芝の地面にバウンドし、そのまま廃教会の壁に突っ込んだ。乾燥しきった樽の山を破壊し埋もれる。
何が、起きた?
「…………“魔法”だよ。」
天使は、神の使いは槍にその聖なる力を纏わせ誇る。純然たる白き庇護光。
タケルが俺の前に立ち塞がり、天使に向けて刀を深く構えながら詰問した。
「魔法……だと?」
「知らないのかい? 僕たち天使は神の使いだ、故に僕らは神の力を借り受けることができる!」
演技がかった動作で両手を広げ、空に浮かぶ月に歌う。その顔には信ずるものへの陶酔があった。
――見上げた視線の先に、いるはずのない大いなる者の存在を感じる。錯覚だ。
奴は、握りしめた拳に滴らせるようにその力を滾らせている。
「お前たち下等な人間どもにはない力だよ。分かるかい? ニン、ゲン。」
「…………有り得ざる力、人の常識や因果からかけ離れた幻想……本当に第五現象なのだな、コイツらは」
などとシリアスに刀構えるタケルちゃんだが、どうだろう正直。色々と臭いところはあるんだが。
ともかく樽の破片を払って立ち上がり、タケルの肩を叩いて後ろを親指で示した。
「ん、なんだ光一。壁に何かあるのか」
「下、が、れ、っつってんだよ。あそうだ、朱峰の馬鹿連れてどっか行け。出来れば、そう、保健所で二酸化炭素毒殺がいいねぇ」
髪にまで散らばった木片をがしがし払う。まったく戦闘というのは汚れ仕事だ。タケルは難しい顔していたが。
「…………勝てるのか。拳銃だけで」
「どうだかな。だが、もう見抜いたぜ。ありゃ、拒絶だか反射だかの“呪い”だな」
俺が発した呪いという単語に、ピクリと羽生物が反応した。
「呪い…………だと?」
ああこいつもか。どうしてか知らんがこの羽人間ズ、自らの魔法をただの人間臭い呪いだと否定されれば沸騰するのだ。
復習しよう、OK? 呪いとは、願望を具現化するとってもポピュラーな異常現象であり、人間なら誰でも生み出し得る邪悪であり、成れの果てであり要はゴミだ。だからタケルはゴミ処理業者。
目の前の怪生物はそんな産業廃棄物を魔法なんて素敵なワードで美化しているわけだが、プロ狩人タケルさんだってよく知っている。あれは呪いとまったく同質だし、呪いとは自らの内なる負の思念、要するに醜い感情の発露なのだ。
「――――聖なる神の力だって? 笑わせるねぇ、ただの恨みつらみじゃねぇか」
呪いは負の情念の蓄積により成るもの。発症者は総じてどこかしらに異常なまでの不服を抱えてるもんだ。こいつだって違わない。
羽人間が肩を震わせ怒りに震えていたので、これはチャンスだなと冷静に判断した。
「……撤回しろ、この、下等生物……」
「だっから、下等はてめぇらだろ。弟ともども頭悪いねお前。現在の世の中支配してんのは人間なんだぜ? 郷に従えこの、人間の出来損ないのスクラップ共が」
さあ嘲笑を浮かべ、前髪をかきあげ、おもいきり見下して嘲弄しよう。
――入った。
吸血鬼みたく絶叫を上げて突進してくる。
明確に、そいつの中で、憎悪を押し込めたハコが破裂すんのを見た気がした。獣のような憤怒を顔に張り付かせていたのだ。
突き出される槍は暴速でしかし乱雑で、首を傾け切り返すと、簡単にフェイントに引っ掛かって空振りやがった。
そいつが目を見開く。視線が交差する永遠の一瞬。隙だらけの腹部に銃口を突きつけ、殺しきるためノンストップで4度引き金を引いた。
夜空に連続花火が弾け、マズルフラッシュが大気を引き裂く。
「ぐ……ぁぁあああッ!」
血が舞い、肉が抉れ骨にへばりつく。血管は断裂し裂傷が動きを阻害し、しかし、羽人間は生きていた。
振り回される槍を掻い潜って後退、ステップ踏んで俺は自分の肩口を確認した。
「チ……往生際が悪いぜてめぇ」
かすり傷だが、負傷させられていた。たったこれだけの傷だというのに加減など微塵もなく血は流れ落ちていく。
いきものってのはそういうモンで、俺の左肩は軽傷以下だが羽人間の右腕はそうはいかなかった。
「あっ、ぐ、ぎィ――!!」
悲痛に悶えている。壊れた右腕が、いびつな形に折れ曲がって血だるまの肉棒になっていた。
腕の関節ってのは、第4関節まであるものではなかったはずだが。
ともかくあの一瞬で腹への銃撃を防いだことは賞賛に値するファインプレーだろう。利き腕を犠牲にしたのが運の尽きだったが、現実そうそう都合よくはいかない。
地獄の苦痛に悶える姿は例え天使でも哀れなものだな。道端で死にかけている蛾とかムカデなんかを見ているようだ。さあ踏み潰して楽にしてやろう。
「終わりだな」
「ッ!」
左の銀銃を肩に担ぎ、右手の黒銃で引導を渡してやる。だっていうのに、しぶとい人間外は残った左腕で槍を回して銃弾を防ぎ、まだ逃げる。銃弾の雨から逃れるために庭を跳ね、宿舎の屋根に着地してようやく動きを止めた。
声もなく悶えていた――当然だろう、あんな負傷で動き回れば傷口は焼かれるような苦痛だ。
タバコに火をつける。残念なこと右手の銃の弾丸が尽きてしまったので、からのシリンダー引っこ抜いて代わりに、たっぷり弾が詰まったシリンダーをポケットから引っ張りだす。
作業の合間に逃げウサギに最終勧告をしてやることにした。
「逃げたきゃ逃げろよ、このクソ羽根生物。いまなら見逃してやるぜ?」
そいつの震えが収まった。タケルは何も言わず、俺は弾の詰まったシリンダーをチラつかせて挑発する。
「無様に背中を向けな。弟を殺した仇の前で、情けのない背中を見せて生き残るがいい。それで証明されるのさ。てめぇが、てめぇの言う下等生物にも劣る存在なんだってことをな」
下等生物とはなんぞや。すなわち下等な生物、要は自分より劣る生物のことだろう。
「貴……様、」
「下等はどっちだコラ。笑わせんなよ、このサルが。てめぇは最低だぜ、てめぇがしっかり引き止めねぇから弟は理不尽に殺され死んだ。無様に顔をふっ飛ばされて死んだ。間抜けな最期だったぜぇ? 手も足も出ずにビビって動けなくなってた。ああ、そうだ――」
おかしいなうまくシリンダーがハマらない。なぜだかこんな時に限って装填作業が滞る。
そんなバレバレの誘いだったとしても、もうあいつは止まれない。
見ろ、あの鬼の形相。般若面でも顔に被ってるようだ。
俺の脳裏に、生きたがっていた哀れな少年の姿が浮かぶ。
「――――いい声で悲鳴いたぜ? 最期の最後まで見苦しい、つくづく下等でゲスな犬の子だ。」
その死に押しつぶされてしまった兄は、やはり愚直に襲い来た。挑発だと分かっていても逃げることはできなかったのだ。――俺は、黒銃とシリンダーを捨て、左手の銀銃をまっすぐ構えるのだった。
つくづくどうしようもないほど似たもの兄弟、結局は激情に駆られ、激情を抑えきれず暴発してこれだ。
左腕一本で槍を突き出してくる。
俺が撃ち放った銃弾たちはまっすぐに野郎を狙い、しかしそこで異変が起きる。
――――銃弾が、槍を掠め交差する。否、掠めてすらいない。それは触れるか触れないかの距離を通りすぎようとしていただけだ、なのに拒絶・反射の呪いは強引にその交差を『衝突』と解釈した。
なればこそ、絡めとった偽物の因果が捻じ曲げられ現実が書き換わる。罠を踏んだかのように現実に顕現する幻想、そこに存在するはずのない物理的な威力となって描かれる。
――銃弾は、槍に触れそうになった。
たったそれだけのことで直角に近い軌道を描いて『拒絶』され『反射』されてしまったのだ。
「るうぅうううあああああああああああああああああ――ッッ!!!!」
裂帛、世界を震わせるほどの獣の咆哮……完全に執念だ。左腕1本でこの急襲、よく見ればそいつは腹にも銃弾を受けていて、口からは血が滴っていた。
血走った目が俺を憎悪する。いまに串刺しにしようと見開かれてる。
その瞬間に、そいつは串刺しになっていた。
「が……っ」
縫い止めるような最期だった。そいつは何が起こったのかわからない。銃弾はうまく防いだはずなのに、何故自分は動きを止めてしまっている?
ああ、おかしいな――と懐に潜り込んでいた俺を見上げる。恐らくあらゆる防御を弾き飛ばしていたであろう拒絶の槍を躱し、俺はそいつにぴったりくっついて直立していた。
体当りして、止めたのだ。俺の手にはサバイバルナイフがあった。
「う、あ……」
気付いた時にはもう遅い。胸を貫くナイフは深々と即死級の致命傷をこさえている。力を失い、のろのろと崩れ落ちていく天使は最後まで俺に手を伸ばそうとしていた。
――星が掴めることはない。死に押しつぶされた少年兵は、またしても弟と同じように俺の前で死んでいった。
「ちく……しょ、ウ…………」
足元から一瞬で七色の燐光になって、燃え崩れてしまった。
一瞬で溶けたようだった。だからこそそいつの無念も残る。蛍のような鱗粉が舞って、風に攫われるまでの数秒間も俺の耳には恨み言が聞こえ続けていた。
月夜に吸い込まれて消えていく。
「……悪いな。まだ死ぬわけにはいかねんだ」
俺の手にあったナイフは、数日前にタケルから貰ったもの。命綱と成るべき切り札を騙し討ちの札としたのだ。
そのサメのような刀身に、振り払う血糊さえも残されてはいない。
背後の男は終始・影のようだった。
「また幻滅したか、タケル。」
「いや……屋外で、羽の生えた生き物をこの場に縛り付けるにはアレしかなかっただろうな。挑発して暴発させる。わざとらしい隙を見せ、相手に罠をかいくぐらせた先に罠を用意する。なかなかに外道で完全だ」
言葉もなく肩をすくめた。言ってくれる。しかしこれがプロってもんだろう、俺だって何も考えずに暴れてるわけじゃない。
タケルはさっき『銃だけで勝てるのか』と聞いてきたが、答えはNOだ。それだけではあの悪辣な羽根人間どもは倒せない。どうしたって狡賢い人間の悪知恵が必要になる。
「さて――」
殺しのあとの、いっそう荒み鋭利になった殺害現場で俺は、両目から殺意を滴らせていただろう。
朱峰の馬鹿に問い質さねばならんことが出来た。




