不穏
「――おい、何なんだアレ。なんで有沙と転入生が睨み合ってんだよ」
階段そばの薄暗い、人気がない区画まで来て伊織が嘆いた。
「はあ……こっちが聞きたいよ。ねぇ、何なのあれ。なんで有紗ちゃんと転校生が険悪……なのか何なのかよく分からないことになってるのさ。光ちゃん何か知ってるんじゃないの?」
知るか。アホか。まったくわけが分からん。
「…………どうなってんだ、ありゃあ」
タバコをくわえようとしたら没収された。だから学校だっつのに俺は。
「知らないよ。昨日からあの調子なんだから。本当わけわかんない、有紗ちゃんが誰かと問題起こすなんてあり得んっしょ……」
疲れたように額に指を当て、悩ましげに防火扉に凭れる伊織。とつとつと、俺たちの知らない昨日の出来事を回想し始める。
「昨日ね。先生の紹介で、朱峰さんですみんな仲良くしてあげてねーっつって、先生がはい朱峰さん何か一言って。そこまではよかったんだよ」
「……おう。あの転入生が挨拶なんてしたのか」
「え? うん、ちょっと無表情だったけど、よろしくお願いしますって言ってお辞儀してたよ。男子は喜んでたかなぁ」
「ほう……」
窓の外の乾いた遠景を見ながら顎に手を当てる。もしかすっと、目の前のこれと人気を二分することになるかも知れねぇな。
伊織はびしと人差し指を突き出し、言葉を重く強調した。
「それで、だよ。その挨拶のあとから何かおかしかったの。先生があの席にーっつってるのに、朱峰さんぴくりともしないの。なんかどっか一点を見つめて石になってたの。先生が声を掛けてもあんまりにも反応しないものだから、みんな朱峰さんの視線の先を追うよね。そしたら――――朱峰さんと見つめ合うように、有紗ちゃんが朱峰さんを見て固まってたわけ」
「…………何なんだ。過負荷のかかったパソコンかあいつら」
フリーズ、フリーズ。なんかそんあタイトルの歌があったな。
「笑い事じゃないよ。何なの一体? ぜったいおかしいって。どういう事情なのか知らないけど、あの有紗ちゃんが誰かと気まずいなんて絶対ヘン」
「そいつは同感だな。有紗が揉め事なんてぜってぇねぇよ。問題があるとすれば、そりゃあの転入生のほう――」
言いかけて気付いた。俺はとてつもなく重大なことを見落としてはいまいか?
「…………」
「ん? どしたの光ちゃん、大丈夫?」
朱峰椎羅=赤羽なのだ。十年前、この街で壊滅的な猛威を振るったクソばけものがあの朱峰当人。
そして十年前、俺を庇って重症を負ってしまった坂本有紗。
「………………おい、まさか……」
二人は初対面じゃない。十年前、有紗に重症を負わせたのはまぎれもなく幼少時代の朱峰椎羅なのだ。
まさか有紗のやつ、椎羅のことに気付いているのか? 顔を覚えていて、記憶のなかのそれと一致しちまったってのか? 有り得ねぇ、十年前だぞ? 十年もありゃ、小学校の同級生だってお互いが分からなくなってもおかしくないくらいだってのに。
「光ちゃん? さっきから何なの、頭ダイジョブ?」
「……うるせぇ」
それに何より、覚えているはずがない。有紗があの事件を“覚えているはずはない”のだ。
†
教室に戻ると、何事もない平常運行の教室だった。ばかみたいに騒がしい教室が、普段はいない浅葱光一の帰還に一瞬静まり返り、すぐまた騒がしくなる。
じゃーねと素っ気なく手を振って伊織が席に戻っていく。今日は白ニーソだった。
見やれば、タケルと朱峰が何か話している。どうにも学校の出席関係の書類についての面倒くせぇ話らしい。どっちも無表情なので異様な静けさ、新人狩人とセンパイの不思議コンビだった。
有紗は何やら自分の席で鞄を漁っていた。何やってんだろう、間違ってる。
「よう有紗。どうしたんだ? なんで鞄に教科書なんか入ってるんだよ」
「……光一……置き勉が世界の常識みたいに言わないでくれるかな」
「バカ言え、世界の常識だろ」
「ちゃんと教科書揃ってるの? 足りなくなったら言ってね」
「言ってどうするんだよ。まさか、貸してくれる気かよ」
「うん、貸したげるよ?」
なんで……そこはそんな風ににっこり笑う場面なのか?
眉間を押さえるも頭痛が引かない。絶望的なまでに、いつもと何も変らない俺の幼馴染だった。
「……不良生徒に教科書を貸して、お前自身はどうする気だよ」
「え? べつに教科書なんてなくたって勉強はできるし」
「そうかい優等生、でも間に合ってるよ。気持ちだけ受け取っておく」
「そう。ところで光一、朝ちゃんと食べた? お腹空いてない?」
「早弁はしない」
「そっか……」
そこはそんな風に、ほんのり悲しそうな顔をして取り出そうとしていた弁当箱を引っ込める場面なのか?
――朱峰の横顔を盗み見るが、こっちを気にしてる様子はない。




