moon child
腐った気分で歩く夜道は、何一つとして楽しいことがなかった。
「……けっ」
景色ってのは気分を反映して見えるものだ。色あせたアスファルト、錆びた鉄のゴミ箱が転げまわり、周囲にはコンテナと廃墟。花宮市のゴーストタウン区画だ。砂っぽくて最高に薄汚い。
特に用があったわけでもないが、通り道だったので仕方ない。花宮市民なら誰もが避けて通る区画だ。犯罪が多いと噂され、ついこの間まで完全封鎖されて警官がうろついてた。
まっすぐ吹き抜ける廃墟通り――ここだけが現代日本じゃないみたいだ。
足元の銘柄の読めなくなった空き缶を踏みつける。そういえばつい最近もこの辺りをあくせく走っていたなぁと思い返した。
顔を上げれば、壁に大穴の開いた幽霊ビルがあった。件のバラバラ殺しの切り子ちゃんがアジトにしていた場所だ。廃墟とはいえ、こんな場所に羽人間の根城があって、迷い込んだばかな人間をオモチャにしていたことを思うと暗澹としてくる。あの大穴の奥の闇から、いまだに切り子の笑声が聞こえてくる気がした。
今日何本目になるか分からないタバコに火をつける。もともとは不良どもがたむろしていて、その気配さえ失せるほどに死の街と化したこの一帯。浄化作業を終え警備が薄くなったいまもまだ、人の気配は感じられなかった。
「…………おや? これはこれは、浅葱光一さんではないですか」
呼ばれた気がして背後を振り返る。見知らぬぽっちゃり系が、リュック背負って立っていた。
そのポケットから猫耳メイドが顔を出している。いわゆるオのつくアレな貴族。
「あ? 誰だよお前」
「むっふっふっふ。その射殺す眼光、冷徹なる罵倒、そして何よりそのストップ・ザ・ノンスモーク! 反語の反語でエンドレス喫煙なぅ! 間違いない、あなたは浅葱光一さんですね!」
身振り手振りアクションが漫画的で、最高に暑苦しかった。体感温度が1度上がった気がしてイラッときた。
「…………島村さんか。まだ残ってたんだなアンタ、どんだけこの世に未練あるんだよ」
「ややや、いえすいません浅葱さん。拙者、まだまだやりたいゲームに観たいアニメが先10年分ほど積んでおりまして。まったく、いつになったら成仏できるのやら」
いい音を鳴らして額を叩いたぽっちゃり系デブ。これの名前は島村さんといって、この辺りを徘徊しているへんなのだ。
備考、半透明。まったく最近はユーレイまでオタク商法丸出しで困ったもんだ。ちなみに島村さんはフィギュア造形の名手だ。あのポケットの猫耳も新作なんだろう。触れてやるほど素敵な気分ではなかったが。
「よぅ島村さん、今日はいいとこで出会ったな。挨拶がわりに一発、心臓殴り潰させてくんねーかな」
「な、などと供述しながら何故に拳を鳴らしますか浅葱さん……暴力はやめましょう。何も産みません。それは理性ある生物には過ぎたもの」
なんかいいこと言ったすげームカつく。どうせアニメ引用だって分かってるから超頭にくる。殺してぇ。
「はぁ……まいいや。どうせ島村さんだからな、殴ってもネバネバするだけに決まってる」
「拙者を何だと思ってるでござるか……いや、粘液質だということは触手類? それもロマンでありますなー」
うんうん、とか言って勝手に浪漫馳せている。やっぱり殺そうか。隠し持ったモデルガンで。
しかしこの胡散臭いオッサンを見ていると、妙案が浮かんだ。
「あそうだ島村さん。あんたさ、ヒマ?」
「ヒマ? と聞かれれば暇ではありませんが、無職かつニートではありますね。いやはやこっち肉体がないもので、働いたら負けかなーって」
「OKだ。素晴らしいね、最高だねNEET。なぁ島村さん、そんなクールなあんたにひとつ、俺からシークレットミッションを頼みたい」
「ミッション? 青春ですかな?」
「ああ青春だ。……青春? よく分かんねーけどそういうことでいい。えーとだな。あんた、ストーカー職の経験はあるか」
「それはどう考えても職ではありませんが……ございません。決してございません。我々、YESロリータNOタッチ、レディファースト俺ワーストの精神でございますので。ええ、拙者のような底辺は、ストーキングどころか女性に話しかけることさえとてもとても」
「なんだその紳士な後ろ向き……まいいや。あんたには、とある女に関する情報収集を頼みたい。報酬は弾むぜ?」
「ややっ。それはもしや、リアル探偵ゴッコですかな? わけあり? ToLOVEる? なかなかに興味深いですね、池袋のマコっちゃんもそう言っている」
こいつは一体何局の電波を同時受信しているのだろう。素晴らしいアンテナ感度だが、もうちょっとベクトルを変えてもらいたい。
「まぁなんだ、えーと……顔はいいぞ。こいつが朱峰椎羅っつー女なんだが、こいつに関する情報ならなんでもいいから拾い次第、俺に報告してもらいたい。別にわざわざストーキングしなくてもいいよ。単に、見聞きした情報があったら報告して欲しいってだけさ」
ヒマかつ幽霊な島村さんなら、独自の情報網を持っているかもしれない。悪くない線だろう。
「ほうほうほう……なるほど、浅葱さんはその女性に何らかの注意を払っているわけですね? いいでしょういいでしょう、頼まれました。不肖この島村、どんな些細な情報だろうと、浅葱さんに逐一報告いたしましょう」
「おう助かるぜ。頼んだ。いや、さっすが島村さん。そういう人の頼みを無碍に断らないところはいいな、陰気趣味らしからぬ器のでかさを感じるぜ」
「お褒めに預かり光栄シャイン。――して、その女性の特徴は?」
「ん」
言われてはたと考える。朱峰椎羅の特徴? そんなもの、あの赤羽以外にあったろうか。
「…………。無愛想だ」
「ほう、ツンシュンなわけですか」
「気に食わないと舌打ちする」
「ツンギレですね」
「母親との仲は悪くないみたいだ」
「ツンデレなのでございますねー」
「あと存在がムカつく」
「デレ期まであと一歩、というところでございますね。ところで、容姿に関する特徴などは?」
「美少女」
「はぁ。この世に美しくない少女などおりませんが」
「あんたさ……マジ、眼鏡変えたほうがいいんじゃね」
器がでかすぎた。しかし改めて問われてみれば、椎羅の容姿に特徴なんてあったろうか。
「えーと、髪は長いな。そうだ、髪色にほんのり赤みがかってる。顔は美人だが冷たくて、なんつーかこう、ヘビと睨み合ってるような気分になる。背は高くない。体重も重そうには見えない」
「ほうほう。少々萌え属性に欠けますが、いいですよ。いつの時代だって長い髪は女性の象徴でありますゆえ」
「……つか、ここらで見かける一番整った造形がアレだ。俺と同い年くらいの、背はこのくらい」
「なんと。それならば一発で分かりますね。お任せ下さい、造形趣味の誇りにかけて、その美少女を特定してみせましょう」
「あそうだ、今度写メ撮ってくるよ。数日ほど0時前後にこの辺ぶらついといてくれよ。ま、そんときに礼の品でも渡させてもらうぜ。何がいい?」
「フッフッフ。そのようなお気遣いは無用です。浅葱さんがお困りとあらば、報酬などとてもとても。お任せ下さい。ではまた、数日中にこの場所で――」
そう言って自分の鼻に指を当て、優雅な動作でこちらに差し出してくるという謎の挨拶をされた。
そのままクールに去っていく。おデブのリュックサックから飛び出したビームサーベルが、格好よく見える日が来るなんて何事だろう。
燃えてやがる。闘志だ。島村さんが、長すぎる日本刀を手に(幻覚)燃え盛るニブルヘイムの只中へと消えて行く。Sephir●th!!
取り残された俺は、自分の指先を見下ろし、恐る恐る鼻の頭を撫でた。誰もいない虚空にその指を優雅に流す。それは敬礼、あるいは「チッス!」のノリだ。
「…………何をやっているんだ、光一」
間の悪いタケルに見られてしまった。




