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天使狩り  作者: 飛鳥
第1章
36/124

二重尾行


 夜の街へ出た赤羽だったが、その後も行動に大差はなかった。

 雑貨屋、本屋、人気の少ない通り、ふらふらとあちこちへ出歩いては何をするでもなく立ち去る。終始興味さえ示さないのだ。散歩でもウィンドウショッピングでもなく、本当に適当な見回りか、単に俺たちを振り回してるのかしか考えられない。

 あるいは目的もなく時間を潰してるのかも知れないが――それにしては、まったく遊びを感じない。容姿も相まってつくづく、あいつはどこか無機的な機械みたいだ。

 無論、設定された機能は俺が知るかぎり殺人一択なのだが……改札もくぐらず地下鉄の構内をただ歩く椎羅は、不思議な事にいつまで待ってもその機能を働かせることはなかった。

「…………おかしいぞ。なんだありゃ、なんでこんなに人がいるのに虐殺を始めねぇんだ」

「は……? すまん光一、おかしな聞き間違いをした。悪いが言い直してくれ」

「なんでこんなに人がいるのにひとりでへーきなんだろうなー」

 本当面倒くせぇ。げしげしとタバコをタイルに押し付けて踏み消しておく。タケルは見当違いに感心していた。

「確かにそうだな。別段、新人だからといっていきなり単独巡回を命じられたわけではない。蝶野さんはそんな指示を出してはいないんだ。どう思う光一」

「あん? どうって、何が」

「何故見回りなんかする必要がある。しかも自主的にだ。当人は、あんなにもやる気がなさそうなのに」

「…………」

 壁に身を潜めながら監視するが、あいつは人ごみの中にあってなお誰のことも見てはいない。街を歩きながらしかし、売店にも何にも興味を示さない。夜になった途端、あいつが自主的に見回りなんかを始めたのは何故だ――?

「……ばーさんの入れ知恵かな」

「何?」

「朱峰オバサンだ。おおかた、椎羅が狩人に受け入れてもらいやすいよう、点数稼ぎでもするように言われてたんじゃないのか」

 もしくは、あいつ自身がそれを思いついて実行しているのかも知れないが。仕事熱心をアピールする。人間社会を生きてく上では必要なブラフなのかも知れない。

「…………成る程。どのみち、彼女が油断ならない相手だと言うことは分かった」

「そうだな、センパイさんよ。狩人の先達として、アレ、どうんなんよ」

「いいんじゃないか。始めっからやる気のカケラも見せないような輩よりは、知恵が働いて助かる。ああいった手合いは必要なことだけは必ずこなしてくれるからな」

 火をつけてないタバコを噛んだ。とっとと追い出してしまえ。かと思えば肩に手を置かれ、理不尽に哀れまれてしまった。

「お前もやる気を出せ、光一」

「なんだよ。やる気まんまんじゃねぇかよ。俺のどこに不満があるっつんだよ」

「顔」

 目には目を、顔には顔をなのでグシャリと拳を叩きこんでおいた。もんどり打ってのたうつ学生に通りすがりのOLやらリーマンやらが引いている。放置して監視任務続行だ。

「…………あん?」

 なんだ? 赤羽がぴくりと幽霊でも見付けたように反応した。さっきまでのふわふわ浮いて漂うような緩やかさから一転、意思を持った迷いのない足取りで歩き始めたのだ。

 人ごみの中に何か見付けたのか――どうにも、東口のほうの階段へ向かうらしい。

「……動いた。行くぞタケル、とっとと蘇生しろ」

「ああ――誰か、ポーションでも買ってきてほしいものだ」

 見失わないよう、あいつに見つからないようギリギリの距離を維持して追い続ける。電車が到着したばかりらしく駅構内は人でごった返していて、気を抜くと押し流されそうになってしまう。

 ぶつからないよう気を付けて十秒ほど目の前を気にしていたら、やってしまった。

 階段を十段ほど上がり、直角に折れてあと20段ほど。上りきれば、すぐさま夜の花宮市の錆びた街角なのだ。

 左右を見回しても人ごみがあるだけで、あの忌まわしい女の姿が見当たらない。

「ち……面倒くせぇ。おいタケル、見失っちまったぞ」

「こっちだ。ついて来い」

 さすが。どうにも狩人さんは、市街地での尾行にも慣れていたらしい。

 古書屋の前を抜け、早足なタケルに続いてぐんぐん進んでいく。道幅が狭く人通りは多いという最悪の立地。

 だがほどなくして、嘘みたいに朱峰椎羅の背中を発見することに成功したのだった。

 やはりあいつの背中は迷いない。角を2つほど曲がり、大通りに出た辺りでこちらも状況を把握し始める。

 椎羅の前方には、常に見知らぬ3人組の姿があったのだ。思い思いの服を着た、軽薄そうなガラの悪い3人組だ。椎羅のやつは、何度角を曲がってもあの3人の背中を追い続けているような気がした。

 3人組は、陽気なんだか軽薄なんだか分からない声で会話し続ける。

「……何なんだありゃ。知り合いか?」

「そうは見えんがな」

 どうにもキナ臭い。赤羽のやつは声を掛けるでもなくただ後ろを歩いているだけ。じっと3人組を監視しているだけ。そんな椎羅を監視する俺たち。これじゃ、まるで――

「…………二重尾行? マジかよ……」

「尾行? 朱峰さんはあの3人を尾行しているのか」

「だってそうだろ。いやそうとしか考えられねぇ」

 3人組が角を曲がる。距離をおいてぴったりと赤羽がくっついていく。続いて俺たちも同じ角を曲がり、奇妙な二重尾行が続く。

 タバコを噛んで火をつけたら、タケルがピクリと顔をしかめた。知るか。

「……何なんだ一体……あの三人組がなんだってんだよ、クソ……」

 ふっと、3人組のうち1人が後ろを振り返った。椎羅の尾行が気付かれたか? だがそんな素振りはなく、若者たちのハイな会話が続くようだった。

 そうこうしているうちに段々と大通りから外れ始めた。少しだけ人口密度が下がり、赤羽も足を速める。やはり気付かれたのか? 気のせいなのか?

「駅じゃないな。どんどん外れていくぞ」

「さてな。遊び疲れて帰るんじゃねーの」

 タバコが進む。人ごみを抜け足が軽くなる3人組、心なしか焦っているように見える赤羽の足取り、距離をおいて尾行し続ける俺たち。何やら面白くなってきた。

「何なんだよ……くそ、やっぱりアイツ、見回り以外に目的があったのか」

「光一」

 角に身を潜ませて伺っていたら、背後からタケルが肩を叩いてきた。

「あん? 何だようるせー、見失っちまうだろうが。触んなコラ」

 払いのけ、監視に集中する。周囲の人間が俺を見てる気がしたが知ったことではない。

 ――と、

 3人組がいよいよ椎羅の尾行に気付いたのか、一目散に駆け出した。

「! おいやべぇぞ、走りだした!」

 椎羅も続く。目を見張る俊足。とんでもねぇ速さで飛ぶように距離を詰めていく。やはりあの運動能力は赤羽に違いない。遠い4人は、進めば進むほど暗くなる夜道で追跡劇を開始した。

 追ってる? どういうことだ? 赤羽の背中からは殺気しか感じない。まさか、この街なかでマジでバラすつもりだってのか? 冗談だろ。

「おい、俺らもいくぞタケル!」

「光一」

「だから何なんだよ、うるせぇな! お前もとっとと走――」

 振り返ればタケルではなく、俺の腕を掴んでニッカリと笑う、筋骨隆々たるポリスメンがいた。

 なんだこの海坊主。ツブサレル。笑ってる。いかつすぎるポリスメンは俺がくわえていたタバコを奪い去り、グシャリと素手で握りつぶしてしまった。

 手のひらから内蔵のようにばらばら落ちるタバコの葉。

 その背後で、タケルが心底呆れたようにためを息ついていた。



「クソが! 面倒くせぇ、いらない時間食っちまったじゃねぇか!」

「お前のせいだろうこの未成年喫煙。いいかげん、時と場合を弁えるくらいはしろ」

 さっきの海坊主みてぇな警官に補導されそうになったのだが、あの場で蝶野に連絡して手を回してもらったのだ。警察内に狩人の味方がいる。渋い顔した海坊主に、晴れて無罪放免となったはいいが、数分ほどいらない時間を食ってしまった。

 道なりに来て、無人の四叉路に出くわしてしまって足が動かなくなった。どっちへ進んだ? 3人組も赤羽もまったく姿が見えない。

「ああっ、面倒クセェ!」

「どうする。さすがに俺にも分からないぞ。人間心理的に、逃走中だったのなら速度を殺さないよう真っ直ぐか、はたまた大通りから遠ざかる右か――」

「オーケイ、ちょっと口塞いでな。俺の霊視をナメんじゃねぇ……」

 四叉路の真ん中に陣取り、タバコに火をつける。額に手のひらを当てて前方を凝視。街の雑音は遠い。人っ子ひとりいないこの静けさの中でなら、カンも冴えるってもんだろう。

 この場に残された残照を探る。耳を澄まして音を拾う作業にも、見えない大気を視認しようとする作業にも似ていて、何よりも精神的な共鳴を意識するのだ。

 この心臓の脈動を、大気に溶かす。広がっていく意識の触手。俺はこの場所そのものになり、この場所は俺に味方し始める。小さな、かすかな、静電気みたいな残照がぴりぴりと自己の存在を主張し始める。

 ようやく、俺の耳にかすかな囁きじみたノイズが聞こえた。走る4人分の足音の再生だ。

 彩度を失い時間の停止した四叉路を再び見回せば、アスファルトの上に3枚ほど赤い羽が落ちていた。

 それは錯覚――風と共に、粒子になって消え失せた。

「へ…………右だ。あいつは右へ行った」

 さっきの赤い羽根は、右の路地へ向かって落ちていたのだ。確かに間違いなく朱峰椎羅は、この場所で『右』を選択して駆けていった。

 顔を向ければ、タケルも片目を閉じていた。

「……さすがだな天使狩り。俺の霊視はそこまでは捉えきれなかった」

「ま、普通の霊視なら大したことはないが――俺の目は、あいつら羽人間関連に関してだけはA-だからな。つか、お前の霊視ランクいくつだっけ」

「さてな、大したものではないから聞くな。それにしても相変わらず変わった霊視だ。何か原因があるのか?」

 それは俺にも、春子さんにも分かっていない。便利なのは確かだが気持ち悪くもある。

「知るかよ。親父の遺伝かなんかじゃねぇの」

「――と、急ごう。いまならまだ追い着けるかも知れん」

「よし――」

 間をおかず駆け出す。そんなに遠くへは行ってないはずだ。人間、全速力で逃走できる距離などたかが知れている。

 それにしても何なんだ。あの赤羽、3人組を捕まえてどうしようってんだろう。

 蝶野は、いまの朱峰椎羅に暴走の危険性はないと言っていた。

 朱峰オバサンだって椎羅の安全性を保証している。

 いかな十年前のバケモノとはいえ、いまだに夜を徘徊して獲物を探し、影で虐殺して喜んでいる――なんてことはないはずだ。そんなのは俺の妄想だろう。

 まさか、殺すわけじゃあるまい。

 そんな予想は完全に裏切られたのだった。


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