シューティング
俺はブラックコーヒーを、タケルはパック牛乳を、有紗はジンジャエールを飲みながら街を行く。昼飯食い終えてまだ一時。弛緩した大気の食後の散歩だった。
「にしても、今度こそ本当にやること無くなっちまったな」
「ああ。帰るか」
「…………」
有紗がなぜだか、窺うような目で俺たちを見ていた。何か言いたげ。
「あん? どしたよ」
「なんだか…………ちょっと、楽しいねって」
「はい?」
そう言って有紗は、ひまわりみたくゴキゲンに笑った。
「ねぇ、3人でどこか行こうよ。別にどこでもいいんだよ。なんだったら、誰かの家でお菓子持ち寄って喋ってるだけでも、私はいいかな」
「……女子会ってやつか。勘弁してくれ、辛気くせぇ」
「だったら、光一がどこへ行くか考えてよ。文句言ってだめにするだけなら誰にだって出来るんだから」
叱られてしまった。いや、単に、自分自身の希望を言っているだけなのか? 珍しいこともあるのんだ。
「分かんねぇ奴だな。いつもの放課後と何も変わんなくねぇか?」
俺たちは、一緒に帰ることが多い。伊織も加えて、ゲーセンやカラオケやマクドなんて茶飯事だ。授業が苦痛な俺にとっては、そっちの方が学生生活そのものだとも言える。
こんなものは、ゲシュタルト崩壊起こすくらい繰り返してきた日常だってのに。
なのに有紗は貞淑に、墓参りするような静けさで微笑んだのだ。
「……そんなことない。みんなで学校サボって遊んでる、っていうのが貴重なんだよ。こんなの、きっと、2度とない――――――」
どうしてそんな、祈るように痛切なのだろう。こんなのは学生やってれば、いつだって、毎日だって出来ることなのに。
「……はぁ。タケル、なんかねぇのか」
「フ――実はな、少し前からボーリングに行ってみたいと考えていたのだ」
有紗が太陽みたいな笑顔を浮かべるのを見て、俺はゴクリとブラックコーヒーを飲み下した。
まさか、このドヤ顔が頼もしく思える日が来るとはね。
†
川を超えバスに乗って街外れへ向かい、けっこうな距離を歩いてようやく辿り着いたのがこのボロいボーリング場だった。
スーパーボウル鷲嶺。
ボーリングピンを模した巨大な飾りがそびえていた。あまりにもハリボテで、雨や経年なんかで劣化したのかいまにも崩れ落ちてきそうだ。
ボコボコに凹んだ砂っぽいアスファルト、建物だって負けてない。錆び錆び、ガタガタ、埃臭い窓ガラス、文句を並べれば何拍子だって揃えられるだろう。
「……ま、贅沢は言ってられねぇか」
「当然だろう。ギリギリ来れる距離がここしかないからな」
受付で少々劣化気味のシューズを受け取り、23レーンに移動して荷物をおいた。
問題は、不思議そうにシューズを観察していた有紗だ。体育の授業では意外にもなかなかの運動神経を発揮しているが。
「有紗ー、ボーリングのやり方知ってるか? っつかやったことあったっけ」
「ううん初めて。ルールならある程度分かるけど、スコア計算とか無理。ボールの貸出って無料なの?」
「おう、無料だ。そこに並んでるだろ? 何個持ってきても無料だぜ、だから好きなだけ持ってこい」
「ふーん……そっか。でも別に1個でいいや」
「…………」
ほうほうと感心しながらボール探しに向かう制服少女。ボールを抱えて重さなんか考えている。あれはあれで楽しそうではある。
「――珍しいこともあるもんだな。坂本さんがどこでもいいから遊びに行こう、だなんて」
「む」
シューズを履いていたタケルだった。俺は財布を引っ張り出し、飲み物代の小銭を捻出する。
「ま、あいつもクラス委員とはいえ、いたって普通に女子高生だからな。本当は遊びたい盛りなはずだぜ」
「非行フラグじゃないだろうな。どこかのバカの悪影響的な」
「ははははははははは。」
俺は笑った。
†
「………………おい」
「ん? なんだ光一」
キラキラしてる。瞑目ししかし口元は微笑、もはや見慣れたというか常に顔に張り付いてるレベルの表情だ。
まさにドヤ顔。俺はスコア画面を見上げながら苦々しいものを感じていた。
3人の戦績が並んでいるのだが、1位はいつだってタケルだった。俺だってかなり善戦しているほうなのだが勝てる気がしない。
「お前って……本っっっ当に、変なところで器用だな」
「そうか? たかが200越えなんて、大したものではあるまい。お前だってあと一歩じゃないか」
「いや、それはそうかも知れんが――」
だからといって、タケルのスコアは異常だ。かなりあしげく通ってるとしか思えん。
レーンでは、有紗がぴんと背筋伸ばしてボールを構えているところだった。ボールが重そう。覚悟を決め、よろよろと投げに行く。
「まぁいつものことだが、一応聞いておいてやるよ。経験者か? 毎日通ってんのか?」
「まさか。そんな暇がどこにある。俺は昼も夜も忙しい」
これだよ。本当こいつと来たら、隠れた努力家なんつー人種をあざ笑うかのごとく、当然のようにこなしてしまう。
タケルはそういうやつなのだ。変なところで異常に器用で、妙にキレがよくて勝てる気がしない。そういった面は戦闘にも出ているわけだが、にしてもただただ何をやっても無条件に“強い”。
マジでふざけた男だ。
「何なんだろうな一体。これが才能ってやつなのか」
「買いかぶりだ。考えてもみろ光一、そもそもボーリングとはなんぞや?」
「あぁ?」
快音を上げて倒れるピン。有紗の投げたボールが8本を倒した。しかし左右の端に1本ずつ残ってしまって、難しい顔してこっちを振り返った。
「………どーしよ、光一」
「左のピンの、さらに左端をおもいっきりぶっとばせ。掠める感じだ。ま、ダメ元でやってみな」
がっくりと戦場に向かっていく。あれは俺でも諦める場面だ。タケルならどうなんだろう。
「……なあ光一。ボーリングというのはな、シューティングなんだ。射撃ゲー。ほら、春子さんもよくやっているじゃないか、スナイパーライフル」
「狙撃か? んなもんとボーリングに何の関係があるんだよ」
引き金をひくべき銃があるわけじゃなし。確かに似ている形式かも知れんが、屁理屈だろう。
「いいや、関係あるさ。つまりは狙ったようにボールを投げられればいいんだからな。的に当てるのと大差ない。なら、目指すべき方針は自ずと決まってくる」
「む……」
「まず、かなりアバウトな話だが。ボーリングのコツは、まっすぐど真ん中にストレートボールを投げ込むことだ」
「そうなのか? カーブ掛けるんじゃなかったっけ」
「いや、それも一理ある。しかし聞け。素人がかすかにカーブを掛け、理想的な孤を描いて理想的な角度でピンの群れにボールを投げ込む。それ、結構な応用技なんじゃないか」
「ああ、まぁ確かにそうだよな。そう聞くと難易度は高そうだ」
「そうだ。それは俺から言わせれば実に回りくどい。一転、単純化してストレートボールに縛り、単にボールを真っ直ぐ投げるだけの競技、と翻訳すれば実にやりやすくなる」
ボールを投げた有紗が声を上げる。左を狙いすぎてがたんと溝に落ちたのだ。
「……なら、お前は真ん中狙ってまっすぐ投げてるだけなのか」
「そうだ。そして、ここでさっき言ったボーリング=シューティング、に繋がるわけだ。光一、お前はライフル狙撃はやるのか?」
「いいや。昔ちょっとばかり春子さん教えられたような気もするが、向いてないってんで即やめた」
「ほう。まぁ、俺も狙撃や射撃はやったことがない。しかしだな、何にでも意識すべきコツはある。不思議と押さえておけばうまくいくというポイントがな」
「へぇ。そりゃ何だ」
「精神論に近いが。真ん中のピンを狙うのではなく、真ん中のピンの、そのさらに真ん中の、針の穴のような一点を狙うようにしてみろ。不思議と的中率は上がる」
言われて考えてみる。分からんでもないが、腑に落ちない。
「……本当に精神論に思えるが」
「そうだな。あとは足だ。投げ込むまでに数歩進むだろう? その、踏み込む足の位置を少しずつ調整して正解を確定させていく」
「なるほどな。それは一理あるかも知れん」
「それは足に限った話ではない。ボールの振りかぶりから、投げ放つ瞬間まですべてだ。角度、力加減、視線の動き、呼吸。すべて動きを確定させていく」
フォームの確定。ストライクに繋がる投げ方の推測と絞り込み。目指す正解がただ単に同じように真ん中に投げ込むだけなのなら、投げる際の体の動きも毎回同じでいいはずだ。目指すべきはそれか。
タケルが言っているのは、競技の単純化。冒険も遊びも作らず、ただただ理想の結果を引き出すために、この競技をまっすぐ真ん中にボールを投げ込むだけのものと割り切り、正答を探す。それを再現する。この二点だけに集中することだ。
「誰でもできる。なにせ簡単だ。ただ真ん中に投げるだけでいい」
タバコを噛んだ。この野郎、自信満々に言ってくれやがった。立ち上がって有沙と交代する。
「ようやく理解したぜ」
「む。何をだ?」
「お前はクソのように鋭いんだ。何の努力もしていないように見えて、頭ん中で人の何倍も緻密に積み上げ、正確に的を射てやがる。みんな気付いてないだけで、お前は普段からそうだったんだ」
「……そうか? 別に普通だと思うが」
「――――――……」
さっきまでの力ずくで奪いに行くイメージを捨て、怜悧で綿密なライフル狙撃のイメージを採用する。
息を止め、的を注視し無駄を削ぎ落してまっすぐ投げた。




