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天使狩り  作者: 飛鳥
第1章
16/124

罪科


「どういうことだよ……」

 ばんっ、と俺が机を叩く音が響いた。ここだけやけに豪奢な執務室。総括は退屈そうに湯気のたつティーカップ二つをこちらに持ってきた。

「まぁそう急くな浅葱。紅茶でも飲んでゆったり話そうじゃないか」

「いらねぇ。ハッ! 毒でも入ってんのか? じゃなきゃ洗脳するための自白剤か何かか」

「お前に自白させることは何もない。まぁ飲め、うまいぞダージリン。少々渋みがあるのがまた味でな」

 有無を言わさず睨みつける。このロンゲは優雅だ、暑苦しいダークカラーのコートといい、この若さで総括の座に居座ってるだけのことはある。どんだけ睨みつけても静かに紅茶すすってやがる。

 が、いつまでも遊びに付き合ってやるつもりなどない。

「……何だ、おい何なんだ一体。脅迫か? 脅されてんのか? それともアンタも気付いてないのか」

「気付く? 何がだね少年。」

「あいつだよ、あの赤羽! 十年前にこの街で大暴れしてた虐殺者じゃねえか! 何が新人だ、ふざけんなッ! 異常現象狩り以前に、あいつが一番の異常現象だろうが!」

 そうだ、どれだけ人間のような姿をしていたって奴らは別生物。人間社会にいていいはずがない異物なのだ。

 ――あの、感情の欠けたようなすっからの眼。思い出しただけで悪寒がする。

「声が大きいな浅葱――ま、この部屋でどれだけ大声を出そうが、廊下には会話の内容までは到底聞こえんだろうが」

 わずかに気怠そうな色を宿した目が、値踏みするように俺を見上げる。たて肘ついた姿が学者みたいだった。

「…………そうか。やはり気付いていたか」

「てめぇ、やっぱ知ってやがったな……!」

「ああ知っているさ――俺は総括だ。花宮市狩人の大将なんだ、部下について知らないことはそれほど無い。確かに朱峰椎羅は、十年前この街で猛威を振るった虐殺者だ。そして人外で、人間では、ない」

 断言した。壇上に立つ審判者のような決然とした声で、総括は確かにアレを赤羽だと認めた。

 やはり……あいつだ。十年前に俺を殺そうとし、有紗に重症を負わせたあいつなんだ。

 握りしめた拳が痛い。

「――だが、それも古い話だよな浅葱」

 総括は何か、悲壮なものを纏って述べた。真理を探求する哲学者のそれだった。意味は、まるで分からなかったが。

「…………何?」

「十年。十年だよ浅葱、なぁ、それだけの期間でこの街はどれほど変化した? お前自身はどうだ、どれほどの歴史を積み重ねてきた。寿命の短い人間という種にとって、十年という年月はあまりに長い。そうは思わないか」

 何を言っていやがるのだろう。ああまったく何を言っていやがるのだろう、こいつは。

「――――」

 引き千切るように襟首掴み上げて、机の上にあった万年筆を眼球まで五ミリの距離に突きつけた。それでも男は怯まない。紅茶をすすめて来た時と何も変わらないトーンで返してくる。

「……何のつもりだ?」

「過去か? おい、なぁ狩人。あの地獄も、てめぇらにとっちゃ過ぎ去った過去で、いまとなっては古い話だって、そう言いたい訳か」

「そう聞こえたのなら謝罪しよう。さすがの俺も、失言一つで眼球を潰されるのは惜しい」

「俺は天使狩りだぁああッ! てめぇら狩人が過去の災禍を忘れて腑抜けたってんなら、てめぇら全員ブッ殺してでも天使を殺してやる! 異常現象狩りが、殺すしか能のない掃除屋がいつまでもヌルいこと言ってんじゃねーぞコラァ!」

「…………心外だな。これでも、それなりに殺さなくていいよう尽力しているのだが……」

 その時、俺の怒鳴り声を聞きつけたのか誰かがドアをノックした。総括は万年筆をつきつけられたまま、それに返事して下がらせた。

 再び睨み合う。俺は、こいつの返答次第ではこのまま眼球を潰してもいいと考えていた。

 だってそうだろう? このまま赤羽を生かしておいて、あの地獄を再現させるなんてのだけは許容できなかった。

「………では問おう浅葱。お前自身はどうなんだ」

「何――?」

「十年前の責任を取れ。罪の程度によっては死ななければならない――そう突きつけられた時、お前自身はどうなんだ、浅葱光一」

 ずくん、と胸が疼いた。昨日学校で見た、りんごジュースを差し出してくる有紗の笑顔がよぎった。

 俺の――罪は――、

「償えるか? なぁ浅葱、十年前の記憶のためにお前は死ねるのか」

「……なんだよ……何が、言いたい……!」

「時効だ――とは言わん。意味などないさ。なにせこれらは、大人の事情を隠すための詭弁だからね。――――そら、お出ましのようだ」

「何……?」

 背後、ドアが静かに開けられる。誰かが入ってきたようだった。

 見たこともない、背の低いオバサンだった。その居ずまいから何から、俺とは筋違い過ぎる富裕層の人間なのが見て取れた。一礼する姿まで由緒正しい。

「朱峰といいます」

 ついさっき聞いたばかりの苗字。たしか赤羽がそんな偽名を名乗っていた。ということは、こいつも羽つきなのか?

「……椎羅の養母だ。椎羅ってのは、お前がいうところの赤羽だな。養母なので血は繋がっていない。育ての親ってやつでね。この方は紛れも無く人間だよ、安心していい」

 おばさんは、孫でも見るように俺を見ている。俺はタバコを吸いたくなったがやめた。

「育ての親? 羽人間にそんなものがいるのか」

「お前も知っての通り、椎羅は十年前にこの街で大暴れしてね――といっても椎羅だけではないが――でその後、街を彷徨い歩いたり、紆余曲折を経て結局はこの朱峰さんに引き取られることになったわけだ」

 話題を向けられて、朱峰おばサンが頬に手を当てて説明してくれる。

「………人間だと思っていたのよ。不思議な子だとは思っていたけれど、まさかそんな怖ろしい過去があったなんてつゆとも知らず」

 鼻で笑ってやった。

「とっとと捨てちまえばよかったんだ。あんたも運が悪い」

「まさか。たとえどんな生い立ちだろうと、天涯孤独な子供を見捨てるなんてできるわけがないわ」

 善人だ。嫌になるくらい運の悪い被害者の一人だった。俺が我慢できなくなってタバコに火をつけると、オバサンは「まぁ」なんて眉尻を下げた。

「朱峰さんはもともと孤児院の経営者でね。拾われた、育ての親というのはつまりそういうことだ」

「ああそうか――合点がいった。人間の孤児と間違って施設に紛れ込んでたんだな。だったら話は早い――」

「?」

 不思議そうな顔する温和なオバサンと総括に、俺はタバコの火を銃口見たく向ける。

「――殺しちまえ。何が狩人だよ、笑わせんな。あんただって被害者なんだろうが」

 聞くやいなや、何故かオバサンは静かに澄んだ顔をした。

「申し訳ないけれど、それは許可できません」

「……あ?」

「私の子供なんですもの。人間か人間じゃないかなんて関係ないわ。――いえ、怖ろしい生い立ちだからこそいっそう、私たち大人が庇わなくてはならない」

「…………あぁ……?」

 なんだ、このオバサン。

「――――椎羅には、その技能を生かして狩人の仕事をさせようと考えています。これは私の願いであり、椎羅の意思であり、総括の決定です。」

 わけわかんねぇ。孤児だろうが恵まれない子供だろうがそもそも人外で、ヒトゴロシなのだ。

 あの虐殺の、執行人なのだ。

「おいおいおい……ふざけんなよババア、そんな勝手な言い分が通るわけ……」

「すまないがもう通ってしまったんだ、浅葱。こちらにも色々と事情があってね――ま、いわゆる大人の話になるが」

 いよいよきな臭くなってきた。俺は破裂寸前の苛立ち憎悪を押し込めて先を促す。とっととこの話を終えたかったからだ。

「知っているか? 数いる呪い持ちの中でも、もっとも重宝される呪い持ちについて」

「知らねぇ。即死の呪いか」

「惜しいが、真逆だな。“治癒の呪い”だ。即死は攻撃手段にしかならんよ」

 ああ確かに、現代社会でだってもっとも重宝され人を救うのは、まず医者と病院の存在だろう。

 RPGでだって、回復魔法のあるなしは攻撃力の微々たる差なんかよりよっぽど重要になる。

 現実に人の命を救えるスキルは、何よりも価値がある。

「彼女、朱峰さんは治癒とまではいかないが、それに類する呪いを保有していてね。いまでこそ引退しておられるが、一世代前までは彼女は何人もの狩人と一般市民の命を救ってきた方なんだ」

「…………だから何だよ」

「だから? 何だ? 口を慎め天使狩り。なあ浅葱、いままで山のような人々を救ってきた朱峰さんと、誰を省みることもなかった一匹狼のお前。一体どちらが、我々狩人にとって重要かくらい分かるだろう……?」

「てめぇ……」

 俺が襟首を掴み上げても、総括はまったく揺るぎはしない。

「――――その方は、狩人という総体の中でも重鎮なんだよ。とてもとても重要な人でね、朱峰さんがどうしてもというのなら、俺たち地方民は快く了承すべきなんだ。なにせ恩がある。数えきれない仲間が朱峰さんに救われてきたんだ」

「だからって、数えきれない人間を殺した赤羽がお仲間かよ――ッ!」

「現在の椎羅に暴走の可能性は無い。棲家から出てきたばかりだったあの頃と違い、いつまでもルールを知らない子供じゃないんだ。キチンと教育をされ、この社会で生きていけるよう適応させた。他でもない朱峰さんがそう育てたんだ」

「信用しろってのかよ……」

 できるはずがない。何をどうやったって、あの日のバケモノが人間になどなれるものか。ふとした拍子に踏み外すのがオチだ。

 朱峰とかいうオバサンは、子供の通知簿を自慢するように微笑んでいた。

「……現在は、施設で子供たちのお世話を手伝ってもらっています。少し無愛想だけれど、優しくて、みんなから頼られるお姉さんなの。みんなみんな、『椎羅お姉ちゃん』って呼んでいるのよ?」

「な――っ」

 なんだ、それは。あの赤羽が施設で手伝い? バカ言えよ、片手でその子供の頭部を握り潰せるバケモノなんだぞ?

「どうだ、お前よりよほどマトモだろう? もう二度と、朱峰椎羅が街なかで虐殺を行なうようなことはない。当人だって、『処刑されても構わない』と自ら口にしているくらいだ。そういう選択肢をすべて検討した上で、現在の椎羅の状態からこの状況が選択された」

「……冗談だろ……お前ら、本気で言ってるのかよ?」

「言ったろう浅葱、十年だ。お前の知らないこの十年間で、朱峰という姓を得た椎羅は人間社会に適応して生きていけるよう徹底的に教育された。いつまでも過去を引きずって、自堕落に生き腐っていたお前なんかとは違う」

 ――――そんな、

 残酷な言葉が俺の胸を、過去を、在り方のすべてを撃ち砕いた。

 大人たちの目が俺を見ている。幽霊のような怖ろしい四つの瞳孔が。あの日から何一つとして進歩していない俺を。ただただ逃げるように天使共を狩り続けていた俺を。罪の意識から、それを憎悪に変えて汚らしく燃やし続けていた俺を。

「変わっていないのは…………お前だけだ。」

 自分の声だと認識できないぐらいの捻れた絶叫。俺は声を上げ、今度こそ総括に殴りかかった。ドアが開いてタケルたち狩人がなだれ込んでくる。何やってるんだ、落ち着け光一。何人もの力で引き剥がされていく。

 ――――その中に赤羽まで混じっていて、まるで真っ当な人間みたいに俺を制止しようとしていたのが最高に気に食わなかった。

「バケモノがバケモノを狩る側に回るのは珍しいことじゃない。――これは俺たち狩人の事情だ。分かるな? “部外者”の、浅葱光一。」

 赤羽の、椎羅の白く冷たい手を振り払いながら怒号をあげた。身動きできずとも殺す気で声を叩きつけた。朱峰ばーさんのひどく冷めた目と、変わらず感情を宿さない氷のような椎羅の目がよく似ているような気がした。

 ――引き摺り出された俺の目の前で、重い残響を引いてドアが閉ざされる。


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