渦の中心
昇降口前、3段しかないタイルの階段を駆け上がり、俺は跳んだ。
「づぁッ!」
ドアを蹴り開ける。派手な音が鳴って、ガラスが軽く割れたようだが知ったことか。破片を散らして校舎内に着地し、勢いを殺さず駆け出した。ふっと校舎の窓から見れば、タケルは既に2階を駆けていた。
「早いなんてもんじゃねぇな、あの野郎……」
黒拳銃を抜く。迷わず左方に二連発砲、ガスみたいに薄っぺらな気味の悪い人間をふっ飛ばした。
「なんだ今の……」
今、確かに何か、紙切れのような人間がふよふよと楽しげに漂って襲い掛かってくるところだったのだ。亡霊? 逡巡していると、廊下の曲がり角から似たようなヒラヒラが無数に湧いてきやがった。意味もなく楽しげで、気味の悪い笑みを浮かべて、異様なまでの低速で襲い来る。銀銃を抜き、二丁拳銃を構える。
「遊んでる場合じゃねぇんだよ!」
マズルフラッシュの華が咲く。何度も引き金を引きながら、タケルを追うために駆け出す。廊下の静寂を破滅的な銃声の連続で沸騰させながら駆け抜ける。一反木綿のような影はあっさり千切れて消えるが、それにしてもあの薄笑みが、悪魔みてぇに細い目が気色悪い。
しかし移動速度が遅い。振り切って顔を前に向ければ、今度は進行方向からワラワラと湧いてきやがった。
「ハァ――嫌になるねぇ」
昼の日常を象徴する校舎。なんて冒涜。あの日々を叩き壊すように、俺は手榴弾のピンを抜いた。
「――ッ!」
遠投で投げつけ、それが地に落ちるより早くすぐさま近くのドアの鍵を銃でゼロ距離破壊。教室に侵入して身を隠す。……実際にはそんな作業的なものではなく、単にぶっ放して風穴あけて体当りして転がり込んだただけだが。
大気が水に変わったような圧迫感があって、恐ろしい雷のような音とともに校舎のすべてが空爆みたく激震。パラパラと天井の細片が落ちてくるが無視。すぐさま廊下に飛び出て、前方の焼け焦げた廊下突き当りを確認、後方に牽制しながら再び駆け出した。
熱気の残る爆心地、煙に覆われた廊下の突き当りをスケートのように駆け抜ける。あのヒラヒラは全滅したようだ。かと思えばぴったりと背中に濡れ新聞紙が張り付いたような冷たい感触。
「! てめ――ッ!」
『ひ、ひ、ひひひひひひひひひひひ』
背中に張り付いたヒラヒラ人間、下半身は煙のようになっていて無い。感触のない顔を掴んで引き剥がし、壁に叩きつけて口の中で銃弾をバラ撒いた。
「くそが……薄気味悪ィ……」
ちぎれて消える幻影。嫌な汗を拭いながら階段を駆け上がる。何なんだあのヒラヒラの亡霊は。かなり妙な感じだ。
しかし構っている場合じゃない。俺は全速力で2階に辿り着き、
「あ……?」
なぜか、屋上に出たのだった。
「は?」
背後を振り返れば、錆びた鉄扉が開け放たれている。おかしいだろう、2階が屋上に直結しているなんて。どう考えたってこんなもの、記憶改竄なんてレベルじゃない。
「ちっ、面倒くせぇ……!」
校舎内へと引き返す。なぜか職員室に出た。真っ暗闇に静まり返った教師たちの仕事場で、俺は一人だった。
「…………今日はよく会うな、光一」
否、一人ではなかった。窓から差し込む月光を背にして、影の住人・狩人が俺を直視している。全身が危険信号を訴える。すかさず抜刀の構えに入るタケル、俺は絶望した。こんな不意打ちで、ハズレの出口を踏まされた俺は既に刀の間合いに入ってしまっていたのだ。
タケルの刀相手にいきなり近距離。1ミリ動いた次の瞬間には死んでいるだろう。恐らくは首か心臓を狙いに来るだろう、なんて大雑把な直感に賭けるしかなかった。
「くぁあ――ッ!」
――本当に悪夢のように速かった。俺は首に飛んできた刃を奇跡のように受け止めている。単に、銃が二丁あるから心臓と首を同時に防御することが出来ただけだ。
タケルが、バンジージャンプのロープで引かれてんじゃないかってくらいの速度で超速後退。その隙が俺の人生にとってのラストチャンスであることは見えていたので、迷わず後ろに跳んだ。それも大きく跳んで、天井を蹴るくらいの勢いでバク宙を決める。空中で逆さまの状態でドアに銃弾をバカスカ浴びせ、破壊。着地と同時にもう一度後方跳躍すると、鼻先をタケルの刀が掠めていくのだった。
「だッ!」
荒々しい背中からの体当たりでドアに突っ込み、職員室を脱出した。
「…………」
床から体を引き剥がすと、そこは調理室だった。職員室のドアなどまったく見当たらない。なんとか大凶のタケル部屋から生還できたようだ。
「くそったれ、最悪じゃねぇか……」
いつ、どこであいつと出くわすか分かったもんじゃない。そうこう考えているとまたあのヒラヒラ亡霊が何もない空間からワラワラ湧いてきた。撃ち倒しながら調理室を脱出、俺は霊視を全開にして迷宮と化した校舎内を駆け抜ける。輪郭線の溶け崩れた視界は、まるでサーモグラフィでも見ているようだった。
「…………ち」
ズキリと頭が痛む。別段呪いを行使しているわけでもないので大したことではないが、あまり霊視ばかりして異常現象に触れ続けていると後遺症が残るかもしれない。呪いに触れた人間が突然死したとか廃人になったとか、都市伝説レベルでたまに聞く話だ。
「……あ?」
銃弾で亡霊ごと窓ガラスを叩き割る遊びに没頭し、元気に廊下を駆けていたら、なぜかいきなりデスボイス。携帯電話が着信を知らせているのだった。見覚えのあるようなないような電話番号。銀銃を収め、仕方なく呼び出し音に応じる。
「取り込み中だ、切るぞ」
『あ、待って待って! 私! 木下だよ! イッコ下の木下! もしもーし!』
「俺のクラスにそんな奴はいねぇ。車で事故って火急的速やかに10万円振り込んで欲しいんならタケルか、もっと高額狙いなら朱峰のばーさんに掛けろ。じゃーな」
『犯人! このあちこちの経路をめちゃくちゃに繋ぎ変えた犯人、キミの教室にいるよッ!!』
本気で切ろうとしたが、手が止まる。その隙に危うく顔に食い付かれそうになったので蹴りを浴びせて踏みつけて頭を吹っ飛ばす。
「…………誰だてめぇ、なんでそんなこと知ってる。そういえば聞き覚えのある声だな」
『えっうそ? 浅葱くんが私の声を覚えてくれた? 奇跡?』
「よく分からんが、何なんだ一体。俺の教室に誰かいるってのか」
『それは自分の目で確かめた方がいいよ』
不吉な言葉。なんだそりゃ、訳が分からん。
「で、誰なんだお前は」
『ああ、うん、私、木下。イッコ下の狩人だよ。もう何回も電話してるはずだけど、キミへの連絡係みたいなもん? 犯人の居場所は、さっき帰ってきたカヤちゃんから聞いた』
「………………」
カヤっていうと、確かあの座敷童みたいなやつだよな。コンビニでいちごミルクばかり飲んでいた。電話しながら銃撃戦していたら、いよいよ周囲を囲まれ始めてきた。死ぬやもしれん。
「……あいつは帰っただろ。なんでそんなこと知ってるんだよ」
『それはもう、カヤちゃんの“眼”はそういうものだから』
あっけないネタばらし。いいのだろうか、外部の人間にホイホイと保有能力を教えちまって。
「……おい」
『ああ、気にしないで。カヤちゃんは私に逐一状況を教えてくれるけど、それをキミに告げ口してるのは私の個人的な思い入れだから。』
思い入れされる覚えもないが。しかし助言はありがたい。
「うちの教室だと? 生憎、さっきからまったく辿り着けねぇで困ってるんだがね」
『そう。じゃ名前でも呼んでみれば?』
そこら辺で限界が来た。これ以上電話してたら本気で殺されてしまう。電話を投げ捨て銃に持ち替える。木下が何か言ってるらしいが聞こえるわけがない。周囲は既に、壁のごとくヒラヒラ亡霊が漂っていた。
「――――くたばれ」
左右に構え、発砲。マシンガン掃射のように片っ端から打ち倒していく。弾雨を抜け正面から襲いかかってきて威嚇してきた奴には、火のついたタバコを吐きつけてやった。怯んだ瞬間に銅から吹っ飛ばす。煙のように消える。
包囲網に穴を開け、力ずくで突破して置き土産とばかりに手榴弾を投げ捨てる。炸裂まで残り数秒、無数の例に追われながら必死で逃げる。
―――木下は言った。“名前を呼べばいい”と。ふざけやがって。そんなもん、認めちまうのと同義じゃねぇか。
スローモーションと化した世界で、俺は廊下を全速力で逃走する。亡霊共は影のようについてくる。もう一瞬後には爆発する。2m先に見えるあのドアに飛び込むしかない。死に物狂いで右手を突き出し、黒拳銃の引き金を引きまくる。
銃に張り付いてきた亡霊を素手で振り払う。顔にまとわりついてきた奴も捨てる。名前? 犯人の名前だと? そんなもの、俺が知るわけがないだろう。
畜生……。
畜生、
畜生――ッ!
愛しき日々の記憶が、走馬灯のように駆け抜ける。
言うな。呼ぶな。いつもいつもそばにいた真っ白な少女の記憶。絶対に嘘なんてつかない。絶対に悪いことなんてしない。絶対にいつだって味方でいてくれる。そんな安心がいつでも手の届く距離にあった。
助けを求めよう。助けを求めたい。きっと間違いなく助けてくれるだろう。けど、助けられてしまったら今度こそ確信してしまう。今度こそ理解してしまう。一体、何が嘘で、どこからどこまでが間違いだったのかを。
…………もうドアまでの距離はない。溺れるように亡霊にまみれながら、いよいよ炸裂した爆風を背に、俺は飛ばされながら救いを求めた。
「有、紗ぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――ッッ!!!!」
叫んだ。叫んでしまった。がむしゃらにみっともなく、投げ出すように滅茶苦茶に、なりふり構わず口にしてはならない名前を叫んでしまった。
恐ろしく遠くまで響いたのを感じた。俺は爆風にふっ飛ばされ、ドアに突っ込み、そして視界が回った。惨めに床を転がったのだ。いま、自分がどこにいるのかさえもまったく分からない。
ただ、ドアを隔てたせいかまたしても別の場所にいるようだった。妙に静かだ。さっきまであんなにも騒がしかったのに、この場所だけが別世界のように穏やかだった。
「……………………」
手に握ったままの黒い銃を確かめる。俺は生きているらしい。背中を焼かれかけながらも紙一重で生き残ったようだ。
顔を上げれば、紫の月光が窓から差し込んでいて、その場所は見慣れた教室の後ろの席で。
まるでそこだけ日常シーンを切り貼りしたように。
「……呼んだ? 光一。」
有紗がいた。窓際の席で、椅子の上で体育座りなんかしていた。
「………………お前、」
どうなっていやがるのだろう。そこにいるのは間違いなくいつもの幼馴染みの有紗なのに、どうして今日に限って別人のように美しく見えるのか。
人形のように長い睫毛も、宝石のように愛らしい顔つきも、笑顔に慣れた唇も朱峰なんかに負けないくらい美しい造形じゃないか。
――――本当に、人間じゃないみたいに。
「? どうかした?」
羽を散らすような可憐な所作で床に降り立つ。慣れ親しんでいるはずのやり取り。慣れ親しんでしまっていた会話。いつから? それさえもハッキリしない。
ただひとつ言えるのは、今この瞬間、この場所に有紗がいるということだけだ。
「それより、大変だったね光一。危うく爆発に巻き込まれてしんじゃう所だったよ? もう、あんまり危ないことしないでね」
そう言って、窘めるように注意してくる少女。俺は絶望した。自分の耳を疑った。本当にいつも通りだ。壊れたように日常シーンを演じている。そんな反応が有りうるか? 知れず銃を握る手に力が入った。
「そんなあぶないもので遊んじゃだめだよ?」
にっこりと微笑む。太陽みたいな笑顔で俺を叱る“幼馴染み”。
俺の手にある殺人道具でさえも、オモチャか何かのように笑って許す。そうだ、有紗はいつもすべてを許してくれた。まるで俺のすべてを、嘘みたいな包容力で何もかもを許容して癒してくれたんだ。
本当に本当に、有紗は従順で不満も言わなくて、不自然なまでに都合のいい女だった。
その有紗がいまは、すべてを狂わせるモヤの中心地点に立っている。
「おま……え、」
「私? 有紗だよ。坂本有紗。クラス委員で成績が良くて、ずっと昔から光一の幼馴染み。でしょう?」
夜闇に響くからっぽの声、俺の全身に纏わりついてくる無色透明の粘液。
背筋を撫で上げる悪寒がする。
その子供みたいに澄んだ瞳の底は知れない。




