残り火
騒ぎは教師や他のクラスには広まらなかった。クラスの連中が秘密にすることに決めたそうだ。問題になって誰かがペナルティを被るのを避けるため、らしい。
「……その代わり、本気で反省してくれ、3人とも。もう次は庇うことは出来ない」
聞き入るクラスメイトたちの壁に囲まれながら、自分の席で立て肘をつき、片山の真剣な言葉を聞かされる俺。隣に有紗。すぐそばに朱峰。個人的な不満はあるが、こいつらには何の罪もない。
「…………ああ。悪かったよ」
「ごめんなさい」
「……ごめんなさい」
頭を下げる有紗と朱峰。安心したような声を上げる周囲だが、俺としてはやはり不満だ。なぜ、有紗が謝らなければならない。
その場はひとまず解散となり、みな散り散りで自分の席に戻り、唯一タケルだけが俺の横に影のように立つ。
「放課後は分かっているな」
「ああ――狩人本拠に来いってんだろ。呼ばれなくても乗り込んでやるよ」
自分の席につく、涼し気な朱峰の横顔。裁きの時だ。平気で人命を切り捨てる残忍な狩人共は、このクラスのようにぬるくも優しくもない。
†
6限目は滞りなく終了した。誰一人として何の不審さも見せず、ついさっきの出来事などまるでなかった風だ。チャイムが鳴り、出ていく歴史教師と入れ違いになって担任の林道ちゃんが入ってきた。このままホームルームをやって今日の日程は終了となる。飽きるほど繰り返している、この教室での日常だ。
「…………何だお前ら。今日はやけに静かだな」
不思議そうな顔をする林道ちゃん。さすが担任だけあって微細な変化を察知してしまったようだ。そんな教師の鑑に、女子の1人が小さな声で「泣けるねぇ……」とおどけてみせた。
「で、何があったんだ浅葱」
「知らねぇ」
「片山」
「はい? 何かあったんですか?」
周囲に視線を巡らせる片山。答える側も何も知らないという顔をする。しばし生徒たちを見回す教師だったが、誰も最後まで怪しい素振りを見せなかった。
「……………いいだろう。日直、号令」
起立、礼、着席。
HRが終わるなり、タケルが朱峰を連れて教室を出て行こうとする。周囲が事情を聞き出そうとするのを避けるためだろう。
「あ……」
それに気付いた橋本が、タケルたちを呼び止めるか否か迷って、いまだ教壇から動こうとしない林道ちゃんに気付いて声を掛け損ねる。その隙に、タケルたちは影のように教室を出て行ってしまった。
キリと目を鋭くして、再び林道ちゃんが口を開くのだった。
「で、お前ら――」
「それより先生、聞きましたよ。このまえ綺麗な女の人と一緒にマクドから出て来たって」
「何……?」
あらぬ疑惑。すすすと幽霊のように忍び寄った大人しそうなのが言った。恰好のうわさ話に、まるで興味を惹かれたように周囲に集まる教え子たち、なんて分かりやすい誘導。恐らく根も葉もない捏造なんだろう。集まった奴らもわざとやってやがる。
「おい今はそんな話をしてるんじゃ、」
「話を逸らすなって林道ちゃん。何だよ、どこで知り合ったんだよ」
サッカー部の爽やかな奴が馬鹿を演じて会話を誘導する。それに乗っかる周囲。さすがの担任も、何の証拠もないのに強くは出れない。
そんな光景を自分の席から傍観していたら、俺だけに聞こえる程度の声量で言葉が聞こえた。
「……逃げられてしまったか。残念だね」
「ん」
片山だった。もぬけの殻となった朱峰とタケルの席を見ている。
「一体、何があったっていうんだろうね。誰がどこまで事情を把握しているのかな」
鎮痛そうな顔をして、さりげなく探りを入れてくるクラス委員。
「……さて、心底俺が聞きたいね」
「え?」
「帰るぞ有紗、送って行く」
にっこりと儚い笑みを浮かべる有紗は、いつもと何も変わらない。本当に一輪の花みたいだ。
片山に「じゃあな」と手を振って教室を出ていく。残念だが朱峰の突然の奇行は俺にも理解不能だ。なんでよりにもよって有紗に襲い掛かりやがったのか。
影になった廊下に出て、舞台裏から覗きこむように教室の喧騒を観覧する。ドアが閉まれば他人事だ。ガラスの向こうに映る光景は、本当に別世界のように遠い。
「大丈夫だったか」
こんな2人だけ暗がりでも、否2人きりだからこそ、灯火のような何かが熱を持つ。それは家族のような安心だった。
「全然。パニック起こしてちっとも覚えてないよ……」
「だろうな」
本当にいつも通りの有紗で安堵する。俺は少しだけ、有紗がついにおかしくなってしまったのではないかと不安になっていたのかも知れない。
朱峰の眉間にシャーペンを突きつけていた虚無の双眸。絶望よりもなお真っ暗い地獄の目。
――――なぜ、おまえは疑問に思わないの?
……馬鹿馬鹿しい。有紗が人に凶器向けるなんざ、パニック起こしてなけりゃ有り得ないことだ。




