目
「よう有紗。元気か」
「え? うん、元気だよ元気。今日は特に絶好調かな」
席について溶ける。昼休みは終わってしまったが、教師が来るまで短い休憩タイムだ。
周囲は騒がしい。隣の有紗はやけにゴキゲンだった。
「絶好調か。そいつはいいな、なんかいい事でもあったのか」
「うん、いい事あったよ。問題がひとつ片付いたから」
「………………」
問題。問題か。確かに、人間って面倒事が片付くとすっきりするもんだよな。開放感っつーか何つーか。
――――脳裏をよぎる、血だらけの階堂澄花。
「……へぇ。お前にも悩み事とかあるんだな、やっぱり」
「あるに決まってるよ。特に――そう、光一の事とか」
――――光一は、あの人に付き纏われて迷惑してるの?
不意に耳の奥で響く幻聴。よく覚えていない。いつ、どこで聞いたセリフだったのか。
軽い目眩がして、ぼうっと窓の外の青空を見て、ふっと意識が現実に戻る。
「ん? 俺がなんだよ」
「なんでもないなんでもない。さ、授業始まるよ授業。ちゃんと教科書持ってきた?」
「………………」
有紗は笑顔だった。本当にゴキゲンらしい。きっと、面倒な問題事が片付いてすっきりしてるせいだ。
…………どんな面倒事だったのかは知らないが。
いまにも鼻歌さえ歌い出しそうな横顔に、俺は安堵する。そして気付いたのだ。真に疑うべき相手が誰であるかを。
†
青空の下。屋上にて、りんごジュースのパックを握りしめ、花宮市全景を眺めながら俺はついに断言する。
「朱峰だ」
「何……?」
隣のタケルは胡散臭げだったが。ぴくりと頬を引き攣らせている。俺はタケルに教授してやる。真実ってのは、いつだって苦々しいもんだってことを。
「朱峰だ、そうに決まってる。絶対違いねぇ、俺の推理に狂いはねぇ!」
「いや……推理というか、論拠は何だ……」
「動機だよ動機。だって、普通に考えればあいつを1番邪魔がってたのって朱峰じゃねぇか!」
ずばんと俺の手が机を叩く。ここは屋上だが。誰も座ることのない席がひとつ。タケルは頭痛を堪えているように頭を押さえている。
階堂は朱峰を憎んでいた。ならば、最も階堂を疎ましく思うのは朱峰に決まっている。
「全否定……してやりたい所だが、今日に限ってそんなに間違っていないな……」
「はっはっは! おいおいどうした探偵さんよぉ、否定できないってことはそりゃ、真実だってことなんじゃねぇのか、はっはっはっは!!」
ばしばしと脚を叩いて笑ってやった。いいね真相を見抜くというのはこんなにも心地が良い。
「何を楽しそうに話しているの」
「あぁ!?」
不愉快な声に全身が熱を帯びるのを感じた。話が漏れないよう錆びた鉄扉を閉ざす朱峰がいた。涼しい顔をして、俺を蔑むような流し目で捉えている。
「……何の用だこの、羽人間」
「なんてご挨拶。何か、おまえが妙に嗅ぎまわっているようだから――だからわざわざ声を掛けてやっただけ。それで今度は何? どんな酷い噂を立てられるのかしら」
いつもは無表情な朱峰が、今日に限っては何故だか微笑んでいる。妙に機嫌がいいらしい。偉そうに腕組して、俺を挑発してやがる。
「で、何?」
「ハッ。人殺しめ」
「いまさら、何? そんなことが言いたかったの?」
「丁度いいや。お前に聞きたいことがあったんだよ。な、タケル」
逃がしてしまわないよう、朱峰に近づいていく。バケモノはまだしらばっくれるつもりなのかキョトンとしていた。
「おい待て光一。お前の推理モドキ、どこにも証拠や具体性が見当たらんぞ」
「いらねぇよんなモン。俺は殺人課の刑事でも科学鑑定の担当者でもねぇっつの」
俺たちのやりとりに、話題を理解していない朱峰は涼しい顔のままに疑念を表明した。眉間にひとつだけシワを寄せている
「……何の話? 回りくどいのは面倒」
「殺したんだろ。階堂澄花を」
「誰? 可愛らしい名前ね」
朱峰が、俺ではなくタケルに尋ねた。タケルは視線を合わせずにただ返答を述べた。
「…………うちの教室の黒板に、ひどい落書きがされただろう、朱峰さんのことで。」
「ああ、あの犯人。確かクラスの人たちが犯人を見つけた。というか、数日前からこの犬に付き纏っていると噂だった」
「誰が犬だコラ!」
「それが、何?」
「だ、か、ら――! てめぇ、アイツを殺したんだろ!」
吠える俺を鬱陶しそうに一睨みして、朱峰は尚もタケルにだけ問う。
「…………話が見えない。どういうこと?」
「死んだんだ。光一に付き纏っていたあの女が。今朝方死体が見つかってね、何故だか光一のナイフで胸を刺されて殺されたらしい。総括に犯人探しを頼まれたんだがまったく掴めていない。何なら、現場写真でも見るか?」
「――――――、」
そう言って胸元から不吉な封筒を取り出すタケル。話を聞くや否や、朱峰は何故だか大袈裟に絶句するのだった。ふわりと髪が膨らんだ気がした。目を見開き、何か恐ろしいものでも見たような顔をする。
「――殺され、た?」
「……あ? てめ、いまさら何驚いて、」
その肩を掴もうと手を伸ばした瞬間、朱峰の唇が小さく動いた。
「………………そういう、コトか。」
目の前で竜巻が起こった気がした。巻き込まれそうになりながら俺は、瞬きの間に屋上から去ろうとしている朱峰の背中を視認する。いまの竜巻は朱峰の超高速移動。その繊手が引き剥がすように鉄扉を開け、あまりの勢いに壁を割砕きそうなほど轟音を響かせる。羽人間特有の超脚力に超腕力だ。
校舎内をまるで狩場のように睥睨し、怪物は言った。
「――――ようやく尻尾を見せた」
ゴムで出来た大砲の弾。ずむん、と弾力のある音を残して朱峰の姿が消失する。校舎内へと消えたのは一目瞭然だった。
「あの、馬鹿……ッ!」
「おい何だ光一、朱峰さんはどこへ行った?」
「逃げたに決まってんだろ! 追うぞ!」
鉄扉は少しだけ変形していた。タケルを引き連れて校舎内へと飛び込む。屋上へと至る階段6段を飛び降りて着地、顔を上げ渡り廊下を見れば、幽霊みたいな朱峰が行き交う生徒の間を縫って全速力で遠ざかっていくところだった。悲鳴のような声を上げる生徒たち。――その速度が常軌を逸してるのは誰の目にも明らかだ。
「あのくそばけもの、人目につく場所で――!」
即座に追跡するが、人の壁に阻まれて思うように進むことが出来ない。そうこうやってる間に朱峰のやつは角を曲がって行ってしまった。
「おいタケル! あいつ、どこ行く気だ! 階段降りて外へ逃げるんじゃねぇのかよ!」
「俺が知るか。お前が把握しているんじゃないのか、このポンコツ推理」
人波に溺れる。こんな時でも物静かな男である。やっとの思いで渡り廊下を抜け出し角に差し掛かるも、見渡した廊下の先に朱峰の姿は既にない。消えちまった。
「ああくそ! 見失っちまったじゃねぇか!」
「――ああ。ああ、分かった。すまない、こちらで何とかするからギリギリまで手は出さないでくれ」
地団駄踏んでいると、タケルがどこかへ電話していることに気付いた。まるでヒソヒソと隠れるように。ケータイ折り畳んで言ってくる。
「……行くぞ。うちの教室だ」
平然と駆け出そうとするタケルの肩を引っ張って止まらせる。誤魔化されねぇ。
「待てコラ、お前いまどこに電話してた」
「そんな場合ではない。いいから行くぞ」
「………………」
学園内に狩人の“目”がいるのか。




