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天使狩り  作者: 飛鳥
第1章
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パズル



「やあ殺人犯、元気そうだな。よく来てくれた」

「ああ、帰っていいか」

 穴の開いた玄関で蝶野が歓迎してくれた。俺の希望は棄却され、他の狩人と話しながら言外に「ついて来い」と言われる。早朝の狩人本拠。夜中の仕事を終えた奴らが気怠そうにたむろして缶コーヒー飲んでいたりするが、人ひとり死んでも何も変わらない狩人の棲家に薄ら寒いもんを感じる。鬼の家だ。俺が言うのも何だが。

「………………」

 見上げた三階建ては特に異常などない。しかし、こんな日に限っては墓標みたいに思えてくるもんだ。あるいは、曇り気味の空がブロックみたく瓦解して降ってきそうな予感がした。

 しかし世界の法則が乱れることはなく、被害者以外の現実は何ら変わること無く、階堂澄花の死は異常現象ひとつ残さないままでこの世から消える。

 誰かが死ぬたびに思うが、死は、軽い。軽すぎて驚くのだ。重いのは取り残された記憶とか喪失感とかの方だ。数字のゼロが嘘であるのと同じように、そもそも死という考え自体が虚構にすぎない。ただの身体的機能停止。そこに中身など無いのだ。

 不意に視線を下ろせば、大穴の向こうをタケルが通りがかったところだった。

「来たか。ひどい顔をしているな」

「そうか? 別に普通だが」

 死など慣れきっている。何故慣れきっているかを考えるのも億劫なほど慣れてしまっている。

 ようやく屋内に足を踏み入れ、自販機で缶コーヒーでも買うかと財布を引っ張りだした途端に指摘されてしまった。

「…………珍しいな。タバコは吸わないのか?」

「別に。気分じゃないだけだ」

 売り切れだらけの手入れの行き届いていない自販機でコーヒーを買う。薄暗い一階の広場で壁にもたれ、風味を楽しんでいたら、タケルが何かを言わんとしている気配を察した。先回りするように、俺は言葉を紡ぐ。

「なぁタケル」

「何だ」

 俺は眉間を釣り上げる。まったくクソみたいだ。何にもまして俺自身がクソ野郎だった。

「階堂って、どんな顔してたっけ? 寝て覚めれば忘れちまうもんだな」

 タケルは何も言わない。俺も何も言わなかった。



 味気ない白い階段を上がっていく。張り詰めた静寂だけが支配する早朝の狩人本拠内。修繕は、以前に比べればそれなりに進行しているようだ。床の穴にコンクリ流し込んで虫歯治療のようだった。

 沈黙を破るように、前を歩いていた蝶野の背中が声を発した。

「朱峰は自室で眠っているが、挨拶くらいはして行くか?」

 一瞬、本気で意味が理解できなかった。そして思い出す。ここが朱峰椎羅の棲家でもあることを。

「……そうだな。寝顔に銃弾ぶち込むご挨拶でいいなら」

「そいつは確かにご挨拶だな。いち狩人総括として、寝起きドッキリ計画は中止しておこう」

 背後で何故か、島村さんがゴーンと衝撃を受けて絶望に暮れるように膝をついた気がした。幻覚だ。幻覚ならよかった。

 くだらないことをやっている間に着いた。見覚えのある、裁判所みてぇに重々しいドア。いつだったか浅葱光一を追い出して固く閉ざされた、無慈悲な拒絶の扉だった。

「………………」

「入れ。まぁ、適当に事実確認でもしようじゃないか」

 そのドアを今度は、蝶野が開けて俺を招き入れる。しかしこの男は本当にやる気がなさそうだ。執務室に足を踏み入れ、ゴトンと背後のドアを閉ざしながら、俺は悠々と席に腰を落ち着ける男を見下ろした。

「随分と悠長だな。現場で俺のナイフが見つかったんだろ? 拘束しなくていいのか」

「そんな真似をすれば、俺は今度こそ浅葱・姉に殺されるだろう。まぁ元より俺はお前など疑ってはいないが。そこまで考えなしではあるまい、いくら面倒な相手だからといって、な――」

 蝶野が机の上に投げた数枚の写真。血みどろの殺人現場であるらしい。

「お前にはアリバイがあるし、何よりタケルから話は聞いた。天使狩りが、羽人間被害者を殺す理由がどこにある」

 ごもっともだが、寛容すぎる気がしないでもない。あるいは、前回の件もあるし、総括として天使狩り・浅葱春子さんとの関係性を重視しているのかも知れない。次に衝突しても味方同士でい続けられる保証はないのだ。

 面倒極まりないが、疑いを掛けられるよりはいいだろう。

「…………状況は」

「今朝方、路地裏で死体が見つかった。駅の近くだぞ、勇敢だとは思わないか? 死亡推定時刻は深夜3時前後。お前は眠っていただろう、姉の方に聞いた」

 なるほど、信用しているのは俺ではなく春子さんの方か。俺は髪を掻き上げる。

「……確かに寝てた。身内以外の証言はねぇけどな」

「構わん。俺たちは警察じゃないんだ。まずもってナイフから指紋が消されていてね、この時点でどう転んでも、素直にお前が犯人だ、というのでは違和感がある」

 指紋が消されていた? タケルから譲り受けた、狩人に介入されれば即刻・この俺が所有者であると断定できるナイフ。浅葱光一の所有物である、という主張が強すぎる。わざわざ指紋を消すくらいなら他のナイフを使えばいい。指紋だけ消して、油性ペンで名前を書き置きしておいたようなものだ。

「……面倒くせぇな」

「そんなことより問題は、だな」

 蝶野の言葉を右から左へ。写真の中で、絶望の苦悶を顔に貼り付けた三百眼の女がいた。永劫動くことのない人形。確かに見覚えのある、見慣れたうちの制服を着た性悪そうな娘だった。そういえばこんな顔だった。

 顔を上げれば、どこぞのマフィアのボスのように足を組んだ蝶野が、訝しげな顔をして俺を観察していた。その眼光が核心に迫る。

「――――何故、犯人がおまえのナイフを使ったか、だ。どうなっている。その娘、お前のナイフを盗んで、他殺に見せかけ自殺したという可能性はないか?」

 思わずため息が漏れる。事件が支離滅裂なら、この男もまた支離滅裂だった。

「それが、誰の利益になるっつんだよ」

「知るか。まったく訳が分からん」

 そう言って、蝶野が匙を投げた。複雑な状況。手掛かりは薄い。何より、犯人の意図や素性がまったく分からない。厚い黒革のソファで脱力した蝶野が、孫を呼ぶ老婆のように手をこまねく。

「タケルを呼んでくれ。パズル解きにはあいつがいい」

 確かに適任だろう。あの野郎、いつだったか小説の安楽椅子探偵を実演したことがあったはずだ。

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