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ぬるい恋愛✉Ⅱ #everlasting love  作者: 美位矢 直紀
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3/4

理想





3 理想






“結婚しよっかな^^”

“結婚したいな~っ\(^^)/”

“今日はまだ会ってないな(;_;)...”

 取引先から社へ戻る助手席で気持ちを抑えられない久美子は、許される事有りきで理性の効かない身勝手なメールを一方的にマキへ送信していた。

「楽しそうだね」

 運転している竹下が言った。

「うん、打ち合わせも上手く行ったし、最近充実してるのよね」

 久美子はiphoneをニヤついた顔でずっと弄りながらそう答えた。


「・・・・・」

 マキは次々と受信する久美子からのメールに少し苛つき始めていた。

「鎌田君、北横浜不動産の請求書は?」

「あ、それ経理が部長の印鑑待ちって言ってました」

「じゃ関内オートさんの見積もりもまだ?」

「・・・印鑑待ちです」

「もうほんと、仕事遅いんだからっ!」

「・・・何かあったんですか?」

「えっ!!別に普通じゃない?」

 マキはそう言ってXPERIAの音を切り、バッグに仕舞った。

「・・・・・」

 鎌田はデスクを挟んだ向こう側に座るマキの不機嫌に付き合わされない様、取り敢えずそっと喫煙室に向った。


「あ、姉さんだ」

 久美子は弄っていたiphoneの受信通知を見てそう言った。

 車は快適なスピードで鎌倉街道を走っていた。


“この前の土曜電話した?”

“してないよ”

“あなた他の人の携帯からたまに電話するから”

“私じゃないよ^^その番号に電話してみれば^^/”


(違うのか・・・じゃあ誰だろう・・・)

 マキはバッグに放り込んだXPERIAを取り出し、ずっと頭に引っ掛かっていた事を久美子に聞いていた。

(電話してみるかな・・・でも知らない番号に掛け直すの嫌だし・・・仕事関係の人ならまた電話掛かって来てるだろうし・・・)

 マキは色々と考え始めていた。

 土曜の夜、マキは和明とデートをしていた。そのデートは金曜の約束を反故にしたお詫びを反映した夜となっていた。

 和明はレストランでワインを嗜む時間も程々に自宅に戻り、マキの身体を荒々しく貪っていた。その後もシャワーを浴びていたマキを強引に責め立てていた。

 マキは強烈な刺激を全身に感じていた時に、何度かあった受信や着信のサインに気付いていた。

 日曜の朝、マキが目覚めた時は貫かれる寸前だった。マキは天井を見つめながら、本能を遠慮無く晒し始めた和明の姿に焦りや苛立ちを感じていた。

 午後、ランチの最中にマキは昨夜の履歴を繰り、4件の記録のうち3件には連絡を付けていた。残りの1件は登録していない番号からの着信だったが、表示されていた時間が割と仕事のやり取りが多い8時台だった事で、何か打ち合わせの補足の様な電話ではないかと気になっていた。

 夜は横浜に戻りマキの自宅近くで食事をしていた。食後和明は自宅でシャワーを浴びて帰りたいと言ったが、マキは柔らかく断りを入れていた。土曜の夜から少し我儘過ぎだと感じていた和明はマキの困った仕草に素直に従っていた。

 マキは涼介との再会に因って和明との今後を真剣に見つめていた。それは今までに無い厳しい角度で和明を吟味してしまう事に繋がっていた。それは今後会う度に、何かに取り憑かれた様な、或いは和明独自の強迫観念の下、既成事実を作ってしまおうとするかの様な和明から今後一切抱かれる意思が無い事を意味していた。

 マキは困惑していた。

 引き返せなくなる前に決断しなければならなかった。

(まいっか・・・それよりもなぁ・・・)

 週末の記憶を辿ったマキにとって、今は着信の相手を気にするよりも和明との関係を理想的に解消する事を考える方が重要だった。






     △






「そっか、奥さんは知らないんだよな」

 純一はそう言って涼介を見た。

「涼介、呼ぼうよ」

 圭子は瞳を輝かせ、照れくさそうに黙っていた涼介の肩を揺すっていた。

「・・・ねっ、電話しよっ、会ってみたいじゃない」

 苦笑いしか見せない涼介を悪戯っぽく覗き込みながら、圭子はもう一度肩を揺すった。

 圭子と純一は涼介を冷やかしていた。

 三人は20代前半の頃の様な無邪気を思い出していた。

 土曜の夜、8時を過ぎたBARのカウンターで肩を並べている三人は、思い掛けない流れに盛り上がりを見せていた。


 圭子はマキと会った事が無かった。1年間の空白を経て二人は擦れ違っていたと括っても過言ではなかった。

 マキと涼介の蜜月時代、純一には彼女が居なかった。涼介はデートの折々で純一を誘い三人で遊んでいた。

 マキと涼介が若気の至りを晒し意地を張っていた頃、二人の相性を熟知していた純一は涼介に絶対別れちゃ駄目だと強く叱責していた。

 マキと涼介の関係は元に戻らないまま一年が過ぎようとしていた。そんな折り、純一は圭子と出会い、今度は圭子を真ん中にした三人が始まっていた。

 圭子は当初、無思慮にも何かあれば涼介を誘う純一に当たり前ながら怒っていた。しかし三人はマキの時と同様、次第に意思の疎通を楽しむ様になっていた。

 圭子は二人の会話に時折り出て来るマキに自然と興味を抱き、マキの素性や涼介と付き合っていた時の話を聞き出す事に、いつの頃からか夢中になっていた。

 時間が経つに連れ、ある種マキが自分の理想の様に圭子は感じていた。当然そのイメージは膨み続け、結果としてマキは美化されていた。


「しょうがないな」

 涼介は笑みを携え諦めた様に呟き、昨夜“司”で交換したマキの名刺を圭子に渡した。

「へーっ、クリエイティブマネージャーなのね・・・あれ?会社直ぐそこじゃない」

「そうなんだよ」

 純一が言った。

「じゃ、宜しく」

 圭子は満面の笑みで名刺を涼介に返した。

「ここは純一だろ」

 涼介は受け取った名刺をそのまま隣に流した。

「・・・しょーがねーなぁ・・・じゃ携帯貸してみ・・・ついでにお前の名刺も一枚くれよ」

「お前もな」

 涼介はXPERIAを渡した後、名刺入れに手を掛けた。

 BARはいつの間にか満席になっていた。そしてそれぞれ談笑しているシルエットはBARの雰囲気に融合していた。

「・・・戦略企画室室長って、結構な出世なんじゃないか?」

「そんなこたぁ無ぇよ!って言いたいとこなんだけど・・・まあそういう事だよ」

「何?見せて・・・凄いじゃない・・・でも何だか漢字ばっかで角張った部署ね」

「ははっ、てかお前も課長じゃないか。まだケツが青いのに」

「ふっ・・・そっか室長なのか・・・だから上手く行かねぇんだよプライベート」

「やっぱそうなのか?」

「ああ、全部は手に入らないだろ、普通」

「でもお前は根岸にマンション買ったんだろ?手に入ってんじゃんかさ全部。ねぇ奥さん」

「・・・まあ、不満は無いわね、今の所」

「奥さん、俺は駄目そうかな?」

「んー、電話次第じゃない?」

「おお、そっか、忘れてた」

 三人は思い出していた無邪気を存分に楽しんでいた。

 綾美は聞こえて来る三人の会話に時折り羨望の微笑みを浮かべていた。


「出ない?」

 圭子が聞いた。

「出ないな」

「デートしてるんだよ」

 涼介は落ち着いていた。

「留守電入れるか?」

 純一は何とか連絡を取りたかった。

「いや、止めとこう」

「この番号マキちゃん知ってるの?」

「知らないな」

「だからじゃない?」

「後でもう一度電話するか、ショートメール入れとくか?」

 純一は諦めたくなかった。

「・・・いや、止めとこう・・・縁が有れば掛かって来るさ」






     △






「AADの山崎と申しますが、戦略企画室の佐久間室長と2時にお会いする約束で伺ったのですが」

 4月15日木曜日、マキと鎌田は長谷川物産1Fの受付でアポイントの確認をしていた。

「AADの山崎様ですね、少々お待ち下さい」

 受付の女性はそう言って内線を繋いだ。

「・・・何か凄いね」

 マキが小声で呟いた。

「そうですね・・・」

 日頃は受付を介さず、ラフな感覚で出向いて打ち合わせをする二人は少し神妙になっていた。

「・・・それではご案内しますので、どうぞ」


(エレベーターが違う・・・)

 いつも使うエレベーターではなく、重役や来賓用に確保されてあるエレベーターに二人は案内されていた。

(6階なんだ・・・)

 企画開発部やレストラン事業部は4Fだった。マキは受付の女性が押したボタンの数字を心で呟き、近づく涼介との対面に膝が震え始めていた。

 マキは今の仕事で初めて接する涼介と、昔一緒に仕事をした涼介と、紆余曲折を経て再会した涼介と、心の中に存在し続けている涼介に緊張していた。


「失礼します」

「お疲れ様です」

 二人は部屋に入り挨拶をした。

 ノックの後、開けたドアを持ったままだった受付の女性は静かに退席していた。

「お疲れ様です。月曜日キャンセルして申し訳ありませんでした」

 涼介は丁重に詫びを入れた。

「いえ、とんでもないです」

 マキは静か過ぎる部屋に緊張を更に強めていた。

 鎌田も重厚な部屋の雰囲気に、長谷川物産での涼介のポジションが想像以上だと認識させられていた。

「失礼な弁解になりますが、12日は仕事がずれ込んでしまって、約束が守れず本当に申し訳ありませんでした」

「大丈夫です。そんなに頭を下げないで下さい。こちらが恐縮です」

 マキは涼介の感情の入った丁寧さに社会人としての強さを感じていた。

 鎌田は涼介の腰の低さに第一線で闘っている人間の練磨を見ていた。

「どうぞ」

 涼介は二人をソファに促した。

 マキと鎌田は予想外だった涼介の陳謝に動きを硬くしていた。

「山崎クリエイティブマネージャー、今日は時間取ってありますので何時迄でも打ち合わせ大丈夫ですよ」

「あ、はい」

「鎌田さん、また飲みに行きましょう」

「有難う御座います」

「ちょっと聞きましたけど、高い志を持ってADDさんに転職されたそうですね」

「え?あ、その・・・よくご存知で」

「そういうの好きなんですよね」

「そうですか・・・」

「・・・今日は着任までの経緯や御挨拶がメインでしたけど、もう酔っ払った姿見せてますし、早速元町の話でもしましょうか」

 涼介は黙ってしまった鎌田を見切り、話を本題に戻した。

 マキと鎌田は涼介の隙の無い間合いに感嘆していた。そして自分達が敬意を払われながら同時に圧を掛けられている事に凄みを感じていた。


「元町店リニューアルは弊社竹下の“優越感や孤高を嗜む客層の来店を狙い、洗練や気品を提供する”というキャッチを元にコンセプトをブラッシュアップしていると思いますが、例えば今日を期限とするなら設計図面の変更要求は有りますか?」

 突然涼介は、ある意味態と慇懃無礼にマキと鎌田を試した。

「はい、あの、その件なんですが・・・」

 二人は舞台で無茶振りをされた芸人の様に、しどろもどろになりながら検証と提案を始めた。

「・・・そうですか。それでは店舗装飾予算の増額見込みなんですが・・・」

「色見本では分かり難いので出来るだけ・・・」

「着工は6月1日からですが、その時には・・・」

 涼介は矢継ぎ早に質問と意見を二人に投げていた。

 マキは緊張を忘れ対応に追われていた。

 鎌田は背中に掻いた事の無い汗を伝わせていた。


「個人的には入りづらい店にしたいと思ってます」

 涼介は打ち合わせの後半でざっくりとした意見を言った。

「入りづらい、ですか?」

 鎌田が聞いた。

「そうなんですよ、選びたいんですよ、お店で愉しんで貰うお客様を」

「・・・・・」

 マキは黙していた。

「ぶっちゃけ看板上げたくないぐらいなんですよ。それが僕の志みたいなもんなんですけど。まあ我儘とも言いますけど、ほら、そんなお店ってあらゆる部分で相乗効果を生むじゃないですか。時流に乗りたくないんですよね、サービス業であっても常にフィフティフィフティだと思ってるし、そうじゃ無きゃ上質のサービスは提供出来ないって。まあ会社のお金を使う訳ですから失敗すればクビでしょうけど」

 涼介は二人の目を交互に見ながら、語気を強めず独り言の様に喋っていた。

「だって今、ある程度の権限持ってるんですから」

 涼介は喋らない二人にそう付け加えて笑った。

「そうですね・・・」

 マキは余談に寄せて絶妙なタイミングで繰り出された店舗のコンセプトを頭に叩き込んでいた。

 鎌田はさり気なく伝えに来た涼介自身の人間像をただ黙って聞いていた。

「まあ後はウチのレストラン事業部と詰めて下さい。節目にはもちろん僕も入りますし、突然参加する事も有ると思います」

「分かりました」

 マキは言った。

「鎌田さん、何かあれば何でも言って下さい」

「いえ、特に今日は・・・」

「山崎さんは宜しいですか?」

「・・・はい・・・」

「それじゃ終わりにしましょう・・・お疲れ様でした」

 涼介は右腕を上げ、時間の経過を確認しながら打ち合わせを締めた。

「お疲れ様でした。今後も宜しく願いします」

「また皆で飲みに行きましょう」

 涼介はそう言って立ち上がった。






     △






「やっぱり噂通り、凄い人ですね」

 鎌田は言った。

「久美子が言ってた事が理解出来たわ」

 長谷川物産を出た二人は肩を並べて歩いていた。

 街並みには少し強くなった春の日差しが降り注いでいた。

「何か言ってたんですか?」

「・・・切れっ切れで、予算とかスケジュールじゃ無くて、理詰めでやられて・・・隙が無いのに隙だらけ、だって」

「なるほど、良く見てますね、さすが久美子さん」

「佐久間さん資料何も持ってなかったのよ」

 マキは眩しそうな顔で鎌田を見ながらそう言った。

 二人は尾上町交差点の横断歩道で信号待ちをしていた。

 市庁前大通りを走る車のエンジン音やロードノイズが二人の声を大きくさせていた。

「そうですね・・・全部頭に入ってるって事ですよね」

「手ぶらで行ってたら大変な事になってたわ」






     △






(あれで良かったのかな・・・)

 打ち合わせの終わった部屋で涼介は窓の外を眺めながら、マキに伝えたい個人的な感情を全て押し殺し、完全に仕事に徹した自分を顧みていた。

 鎌田に悟られない様なニュアンスやモーションでマキに気持ちを伝達出来る場面は何度もあった。打ち合わせの後、やろうと思えばさり気なく連絡先や近況の報告が出来る時間は充分にあった。

(駄目だな・・・)

 涼介はいつも以上に格好を付けて対面に座る二人を遣り込めてしまった自分の懐の狭さを嘆き、そんな自分でもマキなら分かってくれている筈だとする依存の体質を嘆いた。

 涼介はマキを目の前にして、誰にどう思われようと気持ちを伝えるべきだと思っていた。しかし涼介の流儀には未だ無骨で直情的な行動が織り込まれていなかった。

(仕事だからしょうがないって、またそんな風に逃げちまうのかよ・・・)

 涼介はマキと近々ゆっくり話したいと切望しているにも拘わらず、用意周到に準備した戦術を何の一つも披露せず、千載一隅かもしれないチャンスを能動的に掴み取る行為に相変わらず美しさを求めていた。そこには本来の目的はあくまで果たしているとした上で、切望は切望のまま維持継続させているのだから良しとする、自虐的達成感から導いた逆算の言い訳で都合良く自分を正当化しているナルシズムがあった。

(まったくぬるいな・・・)

 涼介は自分の美意識や、一生纏い続けるかもしれないナルシズムを初めて嫌いになっていた。






     △






(もう手が届かない所に行っちゃったみたい・・・)

 会社に戻ったマキは、打ち合わせた内容を項目毎に纏めながら11年という時間の長さを実感していた。

 マキは決して驕らず仕事と向き合う涼介の姿勢に間近で触れ、結果を出す為の処世術を身に付けた人が醸す臨機応変さや、経験から培った信念を現実に投影する精神的な強さを感じていた。そして旅立った子供の成長した姿に喜ぶ母性の様な、身震いする様な嬉しさも感じていた。

「佐久間さんって、かなりの修羅場潜って来てるんでしょうね」

「鎌田君も考えてたの?」

 マキは垣根の向こう側を見る様に首を持ち上げた。

「マネージャーもですか?」

「うん、素直に凄いなって」

「圧倒的でしたよ。過去のクライアントの中には居ないですね、あんなに理路整然と語る人。それにマネージャーがたまに言ってくれるじゃないですか、客観、洞察、分析って。それも感じましたよ」

 鎌田はマキから聞かされている三つの要素を検証していた。

「センスもいいしね」

 マキは機嫌の良さを隠せない子供の様な顔で、鎌田君に何かを伝えたい時に使う言葉の数々は全て涼介から教えて貰ったのよと、得意満面で話したい気分に駆られていた。

「あれ?マネージャー、惚れちゃった顔してますよ」

「何言ってんの!そんなんじゃないわよ」

「いや、でも、結構お似合いかも・・・彼女居るんですかね?」

「どうだろうね・・・」

 マキは言葉を濁す様に、急に資料に目を落とした。

 鎌田はまだ話を続けたそうな顔をしていた。

「アプローチとカウンターの形状、佐久間さんが言った様に打ち込み直そ」

「分かりました」

 話を仕事に戻したマキに、鎌田は好奇心を仕舞った。

(私じゃ敵わない女性居るのかな・・・)

 願えば叶い、募る思いは通じるとマキは信じていた。しかし自分以上にそう思ってる女性が涼介の傍に居るかもしれない事を考え、自分を信じる事に天真爛漫な久美子が名乗りを上げている事を考えていた。






     △






「室長、土、日は何処か行かれてたんですか?」

「何故?」

「車が無かったですから」

「ああ、彼女と温泉行ってたんだよ」

「本当ですか!?・・・何よぉ、竹下君」

 驚いた久美子はニヤ付いている竹下を見て睨んだ。

「いや、別に」

「・・・室長、彼女居らっしゃったんですか?」

「今週は別の彼女とまた旅行するよ」

「もう」

 顔を驚きに戻していた久美子は拗ねた表情を浮かべていた。

 竹下と涼介は笑い合っていた。

 4月21日の木曜日、定時を迎えようとする店舗管理課で三人は元町店リニューアルの進捗と今後のスケジュールを話し合っていた。

「竹下、これちょっと見てくれ。15日に打ち合わせしたんだけどな」

 涼介はADDから直接自分のパソコンに送信されて来た元町店の内外装イメージデータにアクセスしながらそう言った。

「・・・結構雰囲気変わってますね」

 竹下は3D状に展開したイメージにマウスを当て、あらゆる角度から目を通していた。

「この感じは竹下の考えるキャッチに近づいてるか?」

「はい・・・でももっとじっくり見て考えたいですね」

「そうだな・・・なあ竹下、ディティールに拘れよ。妥協はするな」

「分かりました」

「定例に間に合わそうとするんじゃないぞ。オール70点の予定調和は厳禁だからな」

「はい」

「・・・ところで飯田は何をしてるんだ?」

 涼介は久美子に聞いた。

「得意先への案内状の件で何かトラブルがあったらしくて、戸塚の百貨店に行ってます」

「久保田部長は藤沢に行ってるのか?」

 涼介はホワイトボードに書かれてある行動予定を見ていた。

「はい、店長に訓告出すって言ってました」

「訓告?」

「この前竹下君と私で伝票整理に行ったんですけど、あそこの店長、勝手に業者決めて色々とキックバックとかやってるって噂が立ってるんです」

「ほう・・・そうなのか・・・」

「何だかちょっと、不思議な領収書も結構あったしね、竹下君」

「・・・・・」

 久美子の問い掛けに竹下は涼介の目を見て頷いた。

「・・・俺がその店長の配置換えしなきゃいけなさそうか?」

「今日次第かもです」

「なるほど・・・それで今、俺が此処に居る訳か」

 涼介は本来居るべき場所ではない部署で仕事をしている現状を理解した。

「室長のスケジュール見たら午後から暇そうでしたもん」

 久美子は数分前の冗談を遣り返したい様な顔でそう言った。

「僕は止めとけって言ったんですけど」

 竹下はマウスを弄りながら恐縮していた。

「だって仕事早いじゃん、命令系統のトップなんだから」

「まあ、合理的だな」

 涼介は笑っていた。


 三人の意見交換は落ち着き始めていた。竹下はイメージの修正部分を既に何箇所かピックアップしていた。

「よし、今日はこの辺で終わろう」

 涼介は定時を20分過ぎていた時計を見てそう言った。

「はい」

「お疲れ様でした」

「お疲れさん・・・なあ山崎、昔の洋楽買うなら何処がいい?」

 涼介は資料の整理をしていた久美子に突然聞いた。

「室長洋楽聞くんですか?・・・どんな曲ですか?・・・意外」

 久美子は涼介の趣味と自分が勝手に描いていたイメージとのギャップを埋め様としていた。

「80年代が好きなんだよ。この辺りにそんな店あるか?」

「石川町のタワーレコードがいいんじゃないですか?」

 パソコンの終了手順を踏んでいた竹下が言った。

「そっか、やっぱりか」

「私も行きます」

「いいよ」

「室長の車に乗ってみたいんです」

 久美子は懇願の瞳を更に可愛く涼介に見せようとしていた。

「・・・山崎、なかなかやるな。そのまま家まで送って行けって事だろ?」

 涼介は笑っていた。

「ははっ、出来れば途中で食事なんかしたいなって」

「竹下、どう思う?」

「室長、僕なら断ります」

 竹下は少しだけ気を揉んでいた。






     △






「へぇー、そうなんですね」

「こんなの聴くんですか?」

「このグループ私知らない」

 涼介の横にぴったり食っ付いて離れない久美子は、涼介が手に取ったCDの感想を一々喋っていた。

「山崎、イヤホンどれがいいか一緒に選んでよ」

 涼介に“竹下も行くか”と誘われ、二つ返事で付いて来た竹下は久美子の後ろにぴったり食っ付いていた。

「何でも好きなの買ったらいいじゃない」

「そんな事言わずにちょっと付き合ってよ、いいじゃん」

 竹下は素っ気無い久美子の腕を掴んだ。

「見てやれよ山崎。お前のセンスが欲しいんだろ?な、竹下」

 暫く一人になりたかった涼介はそう言った。

「しょうがないわね・・・」

 涼介に居場所を押し出された久美子は、この場所に居る筈ではなかった竹下に引っ張られて歩き出した。


 店内は仕事帰りと思われる人達が増えていた。それぞれが思い思いのコーナーでCDを手に取り、或いは試聴していた。

(・・・・・)

 涼介は見覚えの有る景色が店内にまだ所々残っている事に懐かしさを感じながら、洋楽のCDを一枚持ったまま気の向くまま邦楽のエリアに入り、目に付いたCDを何気なく手に取っていた。

「そのアルバム良いよ」

 真後ろから聞こえた声に涼介は振り向いた。

「“君がいた夏”って大好きなの」

「・・・そっか、じゃこれにしよう」

「いつか私に貸してね」

 マキは微笑んでいた。

「・・・了解」

 涼介はこの時間をくれた“何か”に感謝していた。

 元町店で研修をしていた涼介とアルバイトをしていたマキにとって、元町交差点に在るタワーレコードはデートの待ち合わせに使った思い出の場所だった。

 付き合い始めの頃、二人はその関係を公にする事無く秘密を楽しんでいた。それ故に仕事が終わる時間が重なる日のデートはお互いサインを出し合い、気付かれない様に時間差を付けていた。

「思い出すね」

 マキは久し振りに立ち寄った場所で、涼介と同じく粋な計らいをしてくれた“何か”に感謝していた。

「懐かしいな」

「1時間ぐらい待たされた事もあったよ」

 マキはずっと微笑を携えていた。

「・・・この前電話したんだよ」

 涼介は一度後ろを振り返り、このままずっとこうしていたい思いと、浸りたい想い出を区切った。

「え?いつ?」

「・・・先々週の土曜日かな」

 涼介は4月9日にBARから電話を掛けた事を伝えた。

「えっ!あの電話涼介だったんだ・・・知らない電話番号だったから出なかったの」

 マキは和明とのデート中だった事を思い出し、和明と一緒でなければ出ていたかもしれない事実を悔しがった。

「そうだったん・・・」

「うわっ、姉さん居たの!」

 涼介はその声に伝えたい思いを遮られた。

「・・・久美子・・・あ、竹下さんこんばんわ・・・うん・・・そう、たまに寄って帰るのよ・・・あの、それでは佐久間さん竹下さん失礼します・・・じゃあね久美子」

「ちょっと姉さんっ」

 何処か余所余所しく、一方的なマキを久美子が呼び止めた。

「お疲れ様でした」

 振り向いたマキはそう言ってまた歩き始めた。


「ふーっ・・・」

 建物の外に出たマキは一つ息を吐いた。

 元町交差点は人で溢れていた。マキはその人波に身を隠すかの様に足早に紛れた。






     △






 4月23日の金曜日、午後1時を過ぎた重役会議室では経堂に新規オープンするレストランの出店計画会議が行われていた。

 着任早々経堂店の経営コンセプトを根本から否定していた涼介は、二週間を目処に新たな概要を提出する指示を受け、自身の考える“入りづらい店”の概念をグラフや写真に置き換えて、依り具合的に経営陣に説明していた。

 安全で無難な道を選びたい経営企画側の部課長達は、余りに突拍子も無い様に思える涼介の提案を終始訝しがり、否定的だった。

 戦略企画側や不動産事業部は涼介の提案に概ね賛同していた。

 各部署のトップ達は自分の部や課の存在意義や今後の影響力を鑑み、社長を始め決定権の有る取締役達に仕事の出来る人間だとアピールする事を常に念頭に置いていた。

 会議は経堂店出店の為の機軸も戦術も課題も有耶無耶のまま時間が過ぎていた。

 涼介は見慣れた光景に辟易していた。そしてこの会議が次回の会議の為の唯の顔合わせで終わってしまうだろう現実を心の中で嘆いていた。






     △






 金曜日の夕方、北横浜不動産の事務所でマキと鎌田は苛付きを顔に出していた。

 AADに土地区画販売に関する広告を新たに依頼していた北横浜不動産は、最初の打ち合わせでいきなり金額交渉を始めていた。一般的に各企業にとって得意先となる前段階ではよくある話だが、担当者はAADとして譲れないラインの金額を提示していた。

 話し合いは平行線だった。それ以前にマキと鎌田は交渉の窓口となっている担当者を生理的に嫌っていた。

 鎌田は常々不動産業界の体質の様なものに嫌悪を感じていた。業界全体がそうだと鎌田も思っていなかったが、販売する土地建物に対する責任感よりも、その金額の大きさに比例する関連業者の多さ故、立場の弱い所から取れるべき利益を取り尽くそうとする暗黙の使命感の様なものに抗いたいと思っていた。

 マキは話し合いをする中で広告代理店はウチだけじゃないと、ある種諦めにも似た感情で交渉を進めていた。担当者が言う金額で受ける代理店はいくらでも在ると思っていた。それだけに言うべき事を毅然と伝えるタイミングだけを考えていた。

 百戦錬磨の担当者にとって二人の態度は青二才に見えているかもしれなかった。マキの脳裏にその現実が過ぎる度、追及すべき仕事の本質とは何かを考え直さざるを得なくなる自分の性質に辟易していた。


「鎌田君ごめんね」

 社への帰り道、ハンドルを握るマキはクライアントの一社を完全に失った事を詫びた。

「いや、マネージャー、格好良かったし立派だったと思います」

 鎌田は信頼と利益の狭間で戦ったマキに敬意を込めてそう言った。






     △






 一台の車がマンションのエントランス前でハザードランプを点滅させていた。

 星は見えていなかった。林立するビルから漏れる明かりのせいではなく、生暖かい夜風が街路樹を揺らしていた。

「今夜飲みたかったな」

「車だからしょうがないよ」

「泊まって帰ろうかな」

「明日早いんでしょ?私も溜まってる仕事片付けたいから、今日は止めとこ」

「・・・そうか・・・そうだね」

「じゃあ気を付けてね」

 マキはそう言って助手席のドアに手を掛けた。

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 マキは精一杯の笑顔を和明に向け、ドアを開けた。


「ふーっ・・・」

 マキは遠ざかるテールランプを見つめながら溜息を一つ吐いた。

 北横浜不動産との取引が完全に切れた重苦しい帰りの車内、和明から送信されて来たメールにはハートマークが鏤められてあった。仕方の無い事だとは言え、マキはその空気やタイミングを態と履き違えたかの様なメールに恋愛感情の欠片まで消し飛ばされていた。そしてそのメールには仕事で横浜に来ているから何時まででも待つという、マキにとって逃げ場の無い言葉が打ち込まれてあった。

(何とかしなきゃ・・・)

 マキは和明に自分の思いや考えをどう伝え、二人の関係にどう終止符を打つべきか考えながらエントランスに踵を返した。

(?電話だ・・・)

 マキはトートバッグを弄り、XPERIAを手に取った。

(また知らない電話だ・・・誰だろう・・・)

 覆い重なる憂鬱に少し疲れていたマキは発信者番号しか表示されていない事に一瞬躊躇した。

「・・・はい、もしもし・・・」

 先日の登録外着信が涼介だった事が脳裏に過ぎったマキは通話ボタンをスライドさせていた。

「もしもし・・・はい・・・そうですが・・・はい・・・え?あの・・・ふるかわ・・・じゅんいち様・・・ですか?・・・えっ!?純一さん!?・・・えっ!あっ!!あの純一さん!?・・・本当に純一さんなんですか!!」

 マキの曇っていた表情は一気に晴れた。悶々と湿っていた心も一気に澄み始め様としていた。

「お久し振りです・・・ほんとご無沙汰してます・・・はい・・・超久し振り過ぎて驚きました・・・えっ!?本当ですか?・・・そうだったんですか・・・出れなくてすみませんでした・・・そうですか・・・はい、会いました・・・はい・・・」

 マキはエレベーターに目もくれず、天井の高いホールに声を響かせていた。

「・・・そうだったんですね・・・私も会いたいです・・・そうですね、楽しみにしてます・・・ありがとうございます・・・本当に嬉しいです・・・はい・・・じゃあ待ってます・・・」

 マンションに帰って来たスーツ姿の男性が、マキを横目に見ながらエレベーターに乗り込もうとしていた。

 持っていた傘は濡れていた。生暖かい風は雨を連れて来ていた。

「はい、それでは・・・お疲れ様です・・・」

 電話を切ったマキの顔は爽やかだった。そして電話の相手が涼介よりも長い期間会っていない純一だった事に、自身を取り巻く生活環境が良い方向に再構築される予感を享受していた。






     △






「・・・うん、俺も色々話したい事沢山有るしさ・・・そうだね・・・会ったんだってね涼介と・・・聞いたよ・・・だからマキちゃんに会いたくなちゃってね、それでこの前電話したんだよ涼介の携帯から・・・いやいや、それはいいんだけど・・・そう、一緒に飲んでたんだよ・・・そうだね・・・それじゃ来週会いましょう・・・ゆっくり飲もうよ・・・とんでもない・・・こちらこそ・・・また連絡するから・・・じゃあね」

 純一はそう言って電話を切った。

「会えそうね」

 対面に座っている圭子が言った。

「そうだな、決まりだな」

 圭子と純一は仕事帰りに待ち合わせ、馬車道で買い物を楽しんだ後、圭子の会社近くに在る和食レストランで晩御飯を食べていた。

「私も行くよ」

 圭子は笑顔で純一にビールを注いだ。

「もちろんさ」






     △






 速度の落ちた電車から夜景を彩る住宅街の輪郭がはっきりと見えていた。

 乗客の疎らな車内に流れるアナウンスは山手駅が近い事を告げていた。

(石川町で降りようかな・・・)

 乗降ドアの近くに座っていたマキは右腕の時計を見ながら考えていた。


 8時を過ぎた駅のホームは少し肌寒く感じる夜風が吹き抜けていた。4月24日の土曜日、大船での仕事を終えたマキは直帰する事を鎌田に電話で告げながら元町側の改札に向って歩いていた。

 マキは帰りの電車の中で昨日電話で話した純一がどんな男性になっているのか期待して想像を膨らませていた。逆に自分がどんな印象を持たれてしまうのか心地良い緊張も感じていた。いづれにしてもマキは馳せる思いに因って仕事に対するモチベーションを上げ、気力を充実させる事が出来ていた。


(いつ行くんだろう・・・今週末かな・・・何処で食事するのかな・・・私から電話しようかな・・・)

 改札を出て石川町の商店街を歩いていたマキの心は踊っていた。

(まいっか、待っとこ・・・あれ?・・・あそこ右だったよね・・・)

 純一からの連絡を待つ事に何の不安も無いマキの余裕は、涼介とよく行った炭焼き屋へ入る道を思い出そうとする前向きな自己優越を齎していた。

 涼介と再会して以来、マキは元町を通り抜けて自宅へ帰る事が好きになっていた。何年もの間、通り過ぎる度に切なさしか込み上げて来なかった想い出の場所が、今では同じ通りを同じ様に歩いても美しい残像として甦り、心を穏やかにさせてくれていた。

(リニューアルか・・・)

 マキは元町交差点で信号待ちをしながら想い出を次々と引っ張り出していた。

 元町店はフェリス女学院に在学中に涼介と出逢った場所だった。バスが来る迄いつも涼介に悪戯をしていた停留所が向かい側に見えていた。チャーミングセールで忙し最中、洗い場から抜け出せない涼介の頬にキスをした事も思い出していた。

 会いたくなればいつでも会える距離に涼介が居る今、全ての記憶が理想としていた結末に向って再び動き出している実感をマキは心に甦らせていた。

(・・・良しっ)

 マキは思いを行動に移そうと緩んでいた表情を区切り、横断歩道を渡ろうとする人波の後部でXPERIAをバッグから取り出した。

 歩行者用の信号が赤から点滅に変わっていた。

 人波は少しずつ前に詰め始めていた。

(・・・・・)

 マキは青信号で歩き出した人波に付いて行きながら、涼介のアドレス画面を開こうとしていた。

「マキ」

「・・・・・」

 画面に目を落としっ放しだったマキはその声に意表を突かれた。

(誰だろう・・・私を呼んだのかな?・・・)

 人波に押されて立ち止まれないマキは、声の主を探そうと周囲を見回しながら横断歩道を歩いていた。

(・・・・・)

 思い切り振り返る事も出来ずマキは人の流れに身を任せていた。

 マキの左側には元町の入り口を飾るアーチ型のモニュメントが輝いていた。

 信号待ちの車は一方通行の元町商店街に流れ込もうと左右のウインカーをそれぞれ点滅させていた。

 マキは横断歩道を渡り切った目の前に在るビルの壁に何となく近づいていた。

(・・・・・)

 人波を避けたマキはビルの壁に張り付く様に立ち止まり、取り敢えず周囲を見渡そうと振り向いた。

「お疲れさん」

「!!・・・」

 マキは目の前に現れた声の主に驚き、やはり自分を呼んだ声だった事に気持ちをすっきりさせ、このタイミングを与えてくれた何かにシンパシーを感じていた。

「ナンパしていいですか?」

「・・・お断りしますって言いたい所だけど、許す」

 緊張から開放されたマキの瞳は柔らかく潤い、涼介の茶目っ気に答えた表情には嬉しさが滲んでいた。

「色変えた?」

「変?」

「切ったよね?」

 涼介はマキのヘアスタイルを見る角度を何度か変えていた。

「・・・変?」

 マキは上目遣いのまま手櫛でスタイルを整えようとしていた。

「いや、似合ってるし、俺、そういうミディアムのナチュラルカールっぽいスタイル好きなんだよ」

「良かった」

「・・・たまにこう、両サイド耳に掛けたりするんだろ?」

 涼介は手振りを加えてそう言った。

「うん、仕事でちょっと凛とした感じ出したい時なんかやる」

「いいじゃない・・・それに伊達眼鏡・・・やっぱり黒セルだろうなぁ、髪の色にも合うし、間違いなく振り向かれるよ」

「あん、それやろうと思ってたのよ」

「・・・マキは真ん中で分けるより7:3ぐらいで前髪をそんな風に自然に流す感じが似合うよね」

「・・・・・」

 マキは嬉しそうに涼介を見上げ、踵を小刻みに浮かしていた。

「でもまさか今夜会うとは思ってなかったな」

「そうね、びっくりしちゃった」

 二人はビルを背にした歩道の隅で澱みが無かった。涼介は溜まっていた思いを全て吐き出すかの様に喋り、マキはそんな涼介にテンションを上げていた。

「・・・久美子は・・・居ないよね?」

 思い出した様にマキはそう言って辺りを見た。

「どうして?」

「だってこんな時、いつも居るんだもん」

「ははっ、居ないよ」

「良かった」

「山崎は会社で別の仕事してたと思うけど、もう帰ったんじゃない?」

「涼介はこれから何かあるの?」

「いや無いよ、俺はさっきまで元町店で打ち合わせしてたんだよ」

「そうだったんだ・・・じゃどうして横断歩道?」

 マキは涼介の帰り道ではない疑問を悪戯っぽく投げた。

「その打ち合わせが思った以上に長引いちゃって、今日は車で会社に行ってないし直帰しようと思ってさ」

「で、どうして横断歩道?」

「竹下が送ってくれるって言ったんだけど断っちゃったんだよ・・・それであそこで待ってたんだけど、何だか色々思い出しちゃってさ」

 涼介は元町のバス停に一度目を向け、そこに暫く居た事を告げた。

「何を?」

「・・・それでたまには一人で一杯引っ掛けて帰ろうと思って横断歩道さ」

「ね、何を思い出したの?」

「そんなもん、マキをさ」

「・・・・・」

 少し涼介に近づき、瞳に力が入っていたマキは思い通りの答えに恥らった。

「そしたらスマホ弄ってるあなたが目の前にドン!って飛び込んで来たんだよ」

「・・・だって涼介に電話しようってしてたんだもん」

「へぇー・・・その心は?」

「御飯食べ行こっ!」






     △






「此処だったよな?」

「だいぶ変わったね、この辺り」

 二人は細い路地を分け入っていた。10年以上前の記憶は歩く程に甦っていたが、石川町駅周辺という立地の性質上再開発が進み、初めて見るビルや店舗が軒を連ねていた。

「入り口こんなだったっけ?」

「あ、でも此処よ、間違いないよ、こんな感じの所だった」

「・・・そう言われれば、まあそうだな」

 当時から古さを感じていた3階建ての小さく細長いビルはそのままだったが、壁の色は綺麗に塗り変わり、入り口の造りも新しくなっていた。


「中は全然変わってないね」

「しかしよくこの店続いてたな」

「儲かってるか、地主なんじゃない?」

「まあ・・・でも、さすがにもう煙は出ない仕様になってるな」

「ふっ・・・」

 当時よく使っていた場所に座った二人は、そこから見える店内の景色に懐かしさを感じていた。しかし昔の様にテーブルの上に七輪を置くスタイルではなく、バーベキューグリルと一体化したテーブルになっていた。

「ね、今日は向こうで焼いて貰わない?」

「いいけど、何で?」

「だってもう煙出ない仕様になってるんでしょ?」

「ははっ、まあ、そうだな・・・」

「お待ちどうさまです」

 椅子に座って早々、マキが注文した生ビールを女性が持って来た。

「あ、すいません、じゃね・・・ささ身とねぎ肉と銀杏と・・・地鶏のたたき」

「それと、皮とレバと揚げ出し豆腐を」

 メニューを見ず、悩む素振りも見せず注文したマキに涼介はそう続いた。

 女性は注文をオーダー用紙に書き込んでいた。

 マキはジョッキを持ち上げて笑顔をみせていた。そして涼介がジョッキに手を伸ばすのを待っていた。

「結局このグリル使わない物ばかり注文しちゃったね」

 マキは女性が席から離れるのを待ってそう笑った。

「じゃ乾杯」

 涼介はジョッキを持ち上げた。

「野菜とか全然食べないのね」

「そんな事無いよ、たま・・・」

「乾杯っ・・・ね、いつも夕食はどうしてるの?外食ばっかり?」

 グラスを鳴らしたマキは、ビールを飲む前にそう聞いた。

「・・・そんな事無いよ、最近・・・コンビ二が・・・多いけど・・・」

 涼介はビールを飲む事を止められ、喋る事も止められたマキの行動をじっと見つめて微笑んでいた。

「・・・・・」

 マキは質問の答えを待たずビールをぐいぐい飲んでいた。

「・・・あー美味しっ!・・・ん?どうしたの?」

「あの頃と全然変わんないなと思ってさ」

「だってこれが私だし、楽しいんだもん」

「ほんと自由だし順不同だよな」

「涼介だからだよ。他の人じゃこんな感じにならないんだもん」

「お待たせしました」

 そう言ってお店の女性が近づいて来た。

「来たよ、たたき」

「早いね・・・どれどれ・・・美味しそう・・・」

「・・・かーっ、美味いな」

 涼介はマキに構わず、持ち上げたままだったジョッキの半分を一気に空けていた。


 テーブルの上には焼き物や惣菜が並んでいた。

 涼介は二杯目の生ビールを空にしよとしていた。マキは一杯目が空になっていた。

「冷酒にしない?」

「いいよ」

「ね、夕食はどうしてんの?」

「さっきの話か?」

「うん」

「・・・野菜がどうのこうのって話か?・・・すいません、久保田の大吟醸を」

 話の途中、涼介は前を通り掛った女性にそう言った。

「・・・そうだけど、何で二回も聞いたの?」

「それはさ、流れを確認したかったんだよ」

「流れ?確認?」

「そう。結論を言うと、近々俺に晩御飯作ってくれる流れなのかなってさ」

「ははっ、残念。結論を言うとね、私は料理の得意な涼介にプロの味を振舞って欲しかったの」

「やっぱりか」

「ケーキも期待してるんだから」

「ははっ、そこ迄行っちゃってんだな」

「私んちから明治屋近いよ」

「そうだよな、ケーキの事まで考えてる様じゃ、当然メインディッシュのイメージは固まってるよな」

「当たり前じゃない、だってもう何年も前からそんな事考えてたんだから」

「そっか・・・」

 涼介はマキが垣間見せた予期せぬ可憐さに、冗談を繰り出す事が出来なかった。

「お待ちどう様です」

 女性が冷酒を持って来た。

「そうだったんだな・・・」

 マキのいじらしさが心に響いていた涼介は、冷酒を差し出そうとする女性を見る事無くそう呟いた。

「・・・・・」

 マキは女性がグラスを置いて立ち去るのを待っていた。

「・・・マキ、綺麗だよ」

「えっ?」

「はい・・・」

 涼介は笑顔で冷酒の瓶を持ち上げた。

「・・・ありがと」

 マキはグラスを持って涼介の様子に顔色を合わせた。

 少しの間、二人は沈黙していた。それ以上何も言わない涼介にマキもそれ以上何も聞かなかった。

「美味いな」

「いつも突然ね・・・」

 二人は遠慮し躊躇していた。涼介はマキの妄想をきっかけに、今の二人の流れを本流に合流させようと能動的になった時、必ず堰き止めに来るだろう存在に遠慮していた。マキは涼介の豹変をきっかけに、既に自分達の流れが本流だとしている久美子と和明の能動的な行動を堰き止めるかどうか躊躇していた。


「有難う御座いました」

 店を出よとする二人の背中にマスターの声が飛んで来た。

「どうも」

「ご馳走様でした」

 二人は振り向いて挨拶をした。


「ちょっと寒いね」

「そうだな」

 肩を並べて歩いていた二人は、少しだけ肩を寄せ合った。

 細い路地には次の店に向っているだろう人達が歩いていた。お目当ての店に行く前に、テンションの高い雑談を交わしているグループの輪も幾つか出来ていた。

「送ってくよ」

「そう?」

「・・・・・」

 涼介はXPERIAを取り出した。

「あ、私と同じ」

「そうなのか?」

「趣味合うね」

「・・・・・」

 涼介は笑っていた。

「ね、タクシー呼ぶの?」

「そうだよ」

「ねね、歩こ」

 マキは涼介の左腕を揺らした。

「・・・・・」

 涼介は左手に落としていた視線をマキに向けた。

「私んち、そんな遠くないよ」

「・・・そんな風に微笑むなよ」

「へへっ・・・」

 マキは“こんな風に微笑んじゃ駄目なの?”という顔で涼介を見上げた。

「・・・何処?」

「山下町」

「・・・・・」

 涼介は両手をポケットに突っ込み、諦めにも似た感情で今後の行動をマキに預け、その結果を目には見えない何かに委ねた。

「今夜はね、涼介に会う前から元町を抜けて帰る予定だったの」

 マキはそう言って嬉しそうに涼介の腕に絡まった。

「思い出すよな・・・」

 確信的なのか無意識なのか、どちらにしても違和感を覚えないマキの無邪気な行動に涼介はあの頃の理想を顧みていた。

「何を思い出すの?」

「同じだよ、マキと」

「へへっ」

「そんな風に・・・笑うなって・・・」

 二人は付き合い始めの恋人同士の様に元町商店街を歩いていた。

 昼間に賑わいを見せる店舗のシャッターは殆ど閉まっていた。その代わり夜になって主役を演じる店舗のネオンや街灯が通りを彩り、商店街を歩く人達を上品に包み込んでいた。

 涼介に身を預けているマキは和明の存在を消していた。

 自然体では無い筈のマキの大らかな姿に涼介は何も聞けなかった。

 二人にとって元町は凝縮されて珠玉となった全ての想い出の原点だった。

 マキは言いたくなかった。

 涼介は聞きたくなかった。


「今でも元町プールってやってんのかな?」

 通り過ぎようとしてる代官坂を右手に見ながら涼介は言った。

「やってるよ」

「へぇー・・・」

「何ニヤけてんの?」

「・・・いや、マキのビキニ姿思い出しちゃってさ」

「いやだ、スケベっ」

「・・・正直あの黒いビキニ、エロかったよな」

「・・・・・」

 マキは取り敢えず無視していた。

「あれ、態とワンサイズ小さいヤツ選んだろ?」

「・・・・・」

「オイルで身体がテカると、これがまたエロいんだよな」

「やぁーめぇーてっ」

「あれまだ持ってる?今でもバッチリなんじゃない?」

 白いブラウスをワイドに開いた胸には真珠のネックレスが見えていた。

 タイトなミニスカートから伸びる足にはスーツと同じ黒のパンプスが光っていた。

 涼介は少し大仰な身振りでマキの身体をチェックていた。

「もうやめてっ、そんなに見ないでっ」

 マキはおどけてふざける涼介にトートバッグをぶつけ様と両手で振り、後姿を見せない様に歩いていた。


 元町プラザを過ぎ、二人は谷戸橋を渡ろうとしていた。頭上には横羽線の高架が掛かり、足下には元町中華街駅があった。

「此処の駅めっちゃ使えるのよ」

「・・・でもさ、こんな風に此処からベイブリッジ見るなんて思ってた?」

「ね、今度バーニーズニューヨーク一緒に行かない?」

「もうこの辺り山下町だけどまだ?もう直ぐ?」

「・・・涼介の目線でさ、色々と参考にしたいのよね」

「やっぱ車とは景色全然違うよな・・・」

「一緒に行ってくれるの!?」

 マキと涼介は、二人にしか出来ない、二人だけが理解出来る掛け合いを楽しんでいた。

「バーニーズって新宿だっけ?マキは東京で買い物したりすんの?」

「そこに在るのよ」

「そっか、あったな、そう言えば」

「行ってくれる?」

「もちろんさ・・・」

「・・・・・」

「・・・どうした?」

 涼介は振り返り、立ち止まったまま動かないマキに言った。

「・・・・・」

 マキは黙っていた。

「どうしたマキ・・・」

 涼介はマキに近寄った。

「ここなの」

 マキは涼介の目をじっと見つめていた。

「・・・・・」

 涼介は視線をマキから外し、マンションに向けた。

「902号室」

 マキはずっと涼介を見ていた。

「そっか・・・」

 涼介はマンションをずっと見上げていた。

「・・・それだけ?」

「なかなかの場所だからびっくりしてたんだよ」

「それだけ?・・・」

「・・・・・」

「何で黙ったの?」

「・・・正直に言うと、正直になれないんだ・・・」

「・・・・・」

「あの頃みたいに突っ走りたいんだけどさ」

「・・・・・」

 マキは黙って涼介を見つめていた。

「俺らしくないよな」

「・・・・・」

「マキさ、ほん・・・」

“♪♪・・・♪♪・・・”

 涼介の言葉を遮った音はトートバッグの中から聞こえていた。

「・・・出なよ」

「ふぅー・・・」

 マキは大きく息を吐いた。

「・・・・・」

 涼介は後ずさりしながらマキから離れた。

「もしもし・・・うん・・・まだ外なの・・・そう、ちょっと帰りに同僚と飲んでた・・・」

 マキはキスをしたいと思っていた。

 涼介はマキがキスを待っていると分かっていた。

 涼介を家に招き入れたかった。

 泊まって帰る事が流れだと思っていた。

 マキは自身の恋愛に纏わり付き、引き止めるものを壊し掛けていた。そして涼介に壊し掛けたものの息の根を止めて欲しいと思っていた。

「・・・・・」

 涼介は寒い夜だと感じていた。見るべきものを探していた。マキの声が微かに聞こえていた。

「・・・・・」

 マキは喋りながらずっと涼介を見ていた。

「・・・・・」

 涼介はマキに右手を上げた。そしてそのまま何歩か後ろ向きに歩き、笑顔を残して踵を返した。

 二人は大いなる無秩序の下、自分の心と駆け引きをしていた。取り巻く環境が変わっても、選ぶ言葉が変わっても、経験が付加されて大人になったとしても、恋愛という行為に正対した時に下す決断の性質に変わりは無かった。






     △






「・・・何故思い切れない・・・大切で大好きだからか?・・・守りたいからなのか?・・・」

 涼介は大通りで拾ったタクシーの中で悶々としていた。

 マキから差し出された願望は理解出来ていた。しかしその理解を処理する事に涼介はもがく事無く、電話の相手が誰なのかを確認する事も無くマキに背を向け、マキの前から立ち去っていた。

「ぬるいな・・・」

 真由美やエリカと出会い、情熱という、理想という命題を物哀しくも自分に投げ掛け続け、二人の気持ちを蔑ろにし続けた原因と再会し対峙した時、涼介はその原因が放つ魅力という不可解な快感に為す術も無く、らしくない態度を取り続けた事に辟易していた。

 マキでなければ、電話の相手が男性だと分かった時点で涼介は女性の自宅には行かず場所を変える算段をした筈だった。しかしマキだったからこそ、そんな無責任な行動が自分らしいのかどうか、電話の終わりを待って紳士的に話すべきだったのかどうか自身に問い掛けてしまっていた。

 涼介はマキに披露してしまった立ち去り方が、詰まる所、自分が恋愛に求める美意識に起因している事に独善を感じ、途方に暮れていた。

「マジかよ・・・此処で言うべきだったのかな・・・」

 タクシーは元町入り口交差点で信号待ちをしていた。2時間程前、マキを呼び止めた横断歩道が目の前に見えていた。

 涼介は理想を追い求め過ぎた代償として心を開くタイミングを読めなくなっていた。それは邪道を歩き続けた人間特有の産物でもあった。






     △






 閉め忘れたカーテンの向こうには綺麗な光を放つマリンタワーが見えていた。自宅に戻って直ぐベランダに出たマキは一度身を乗り出し、居る筈も無い涼介の姿を探す為に真下の通りを見渡していた。

「どうしよう・・・」

 マキはXPERIAを左手に持ったままリビングのソファで固まり、迷いの無かった2時間程前が嘘の様に悩んでいた。

 涼介の立ち去る姿を見た時、マキは全てが白紙に戻った様な別れ際だったと感じていた。しかしマキは例え和明との電話中であっても、涼介の後姿に声を掛けるべきだったと自分を責めていた。更にマキは和明の電話に出なければ全ては流れていたと思い込もうとしていた。

 マキは涼介が自分を守ってくれたと信じていた。涼介があのタイミングで背を向けたのも、直視すべき現実の重さを理解して解決する事が先決だという、涼介独特のメッセージだと受け止めていた。

「何とかしなきゃ・・・このままじゃ駄目になっちゃう・・・」

 マキはXPERIAをテーブルの上に置き、起こすべき行動の優先順位を見つめ直していた。






     △






「まだやるの?」」

「あの角度なら次で行けんじゃね?」

「そんなに欲しいの?」

「そりゃ乗り掛かった船さ、乗っちまわなきゃ海に落ちるか後悔すんべ」

「それって、橋桁の上を歩いてるって事?」

「そうだよ・・・良し行けっ・・・おっ!・・・うわっ!あーっ・・・」

 スマホカバーを手に入れようとゲームセンターでUFOキャッチャーに興じる純一を圭子は呆れた顔で見ていた。

「・・・買っちゃえば?」

「買う程欲しい訳じゃないんだよな」

「何それ」

 ゴールデンウィークに入る前日の水曜日、7時を過ぎようとしている中華街はどの通りも混雑し賑わっていた。

 純一は23日の金曜日にマキに電話をして食事の約束をした翌日、メールで待ち合わせ場所を送信していた。マキからは何故そんな所でという疑問を投げ掛けられていたが、兎に角そこで待っているからと理由を濁していた。

「もう一回だけいいかな?」

「もう止めとき」

 ローズホテル横浜から元町方面へ真っ直ぐ伸びる通りの一角に在る、見た目も店内も歴史を感じるゲームセンターで圭子と純一はマキを待っていた。


(ここだ・・・)

 純一と11年振りに会うマキは期待に胸を膨らませ少し緊張していた。

 思ったより仕事を早く終わらせる事が出来たマキは、約束の時間迄まだ充分に時間が有る事で一度自宅へ帰り、シャワーを浴びて身形を整えていた。

「・・・・・」

 店内に入ったマキは、思ったよりゲームに興じる人達が沢山居る事に驚いた。

(分かるかな・・・)

 当時の記憶しか無いマキは純一を探しながら、自分がマキだと分かって貰えるかどうか少し心配していた。


「もう取れそうなやつ無いんじゃない?」

「いや、もう一回あそこのやつ行ってみてぇな」

「あれは無理だよ・・・」

 圭子はそう言いながら身体を回し、UFOキャッチャーのガラス面に背中を付けた。

「・・・ね、純一・・・」

 圭子はそう言って純一の腕を揺すった。

「おいおい」

 狙いを狂わす悪戯をされたと思った純一は圭子に少し語気を強めた。

「あの人そうなんじゃない?」

「ん?・・・」

 圭子の視線を追うように振り向いた純一は、誰かを探してる雰囲気の女性に気付いた。

「おおっ!マキちゃん!!」

「・・・・・」

 店内に響いた自分を呼ぶ声にマキは色めいた。

 思いも寄らない純一の声に圭子は驚いた。

「マキちゃん!」

「・・・!!純一さん!!」

 続け様に聞こえたその声にマキも答えた。

 ゲームに興じている人達の何人かは声の聞こえた方を凝視していた。

 ゲーム機の効果音は変わりなくカラフルなノイズを発していた。

「純一さん、ほんとお久し振りです」

「マキちゃん・・・良い女だね相変わらず」

「そんな事無いですよ」

「懐かしいなぁ」

「ほんと・・・もう凄い嬉しい」

 小走りで近づいたマキは純一に抱き付いていた。純一はそんな無邪気なマキの両肩を揺らし、今度は純一がハグをしてマキの背中を軽く叩きながら再会を喜び合っていた。

「変わんないよね」

「純一さんこそ全然変わって無い」

「直ぐに分かったよ」

「私も直ぐに分かりましたよ・・・良かった」

「・・・さすが涼介だな」

「へへっ・・・」

 マキは純一の言った言葉の意味に照れていた。

 圭子は二人の遣り取りを微笑ましく眺めていた。

 店内に居る人達の興味は既に過ぎ去っていた。

「・・・何だかスッキリしてない?」

「シャワー浴びて来たんです。思いっきり丁寧に化粧しゃった」

「ははっ、何、じゃあ今日は仕事早く切り上げたって事?」

「ええ、それもあるんですけど、私、今、直ぐそこに住んでるんです」

「そうなの!?」

「だから今日は時間を充分使えたんです。マリンタワーの近くなんですよ」

「へぇー、良い所じゃん」

「今度遊びに来て下さい。宅飲みしましょう!」

「良いねそれ!是非やろう」

「はい、いつでもいいですよ。料理あんまり得意じゃないけど」

「ははっ、そっか・・・そう言えばマキちゃん、この前電話したじゃん、あの時さ・・・あ、ごめん、忘れてた・・・紹介するわ・・・ごめん圭子・・・あの、マキちゃんさ、さっきから気になってただろ?この女性は誰かって」

 純一は懐かしさと楽しさの余り圭子の存在を置き去りにしていた。

「すみません、ずっと純一さんと喋りっ放しで・・・」

 終始笑顔で見つめられている事に気付いていたマキは、圭子に正対し申し訳無さそうに頭を下げた。

「いやそれはいいんだけどさ・・・奥さんです」

「えっ!!・・・」

「・・・初めまして、奥さんの圭子です」

 圭子は似合わない位の笑顔で少しおどけた。

「初めまして、山崎マキです・・・ご挨拶遅れてすみません、勝手にずっと話しちゃって・・・」

「全然平気ですよ。マキさんが来なかったらこの人まだこれやってたんだから」

 圭子はそう言ってUFOキャッチャーのガラス面を軽く叩いた。

「ははっ、そうだな」

「・・・結婚されてたんですね・・・」

 マキは純一の隣に居る女性が奥さんである事に驚き、純一が結婚していたという純然たる事実に驚いていた。

「マキちゃん硬いよ、普通に行こう普通に、なあ奥さん」

「そうですよマキさん、妙に丁寧なのは止めましょう」

「だってびっくりしちゃって・・・それにずっと会って無かったし、不安もあったし・・・」

 マキは自分で口にした“結婚”という言葉にも不意を突かれ、微妙に心を揺らしていた。

「そっか・・・それとマキちゃんさ、俺が言うのも何だけどさ、うちの奥さん結構ドライだし取っ付き難そうだけど大丈夫だから。全然普段通りでOKだよ」

 純一はマキに余計な気を使わせまいと、圭子の人となりを簡単に告げた。

「・・・捌けてる女性って憧れますよね」

 マキは含羞みと戸惑いが混ざる笑顔を見せてそう言った。

「さすがマキちゃん、回転が速い」

 純一は自分の言った言葉の意味を理解し、感想を上乗せしたマキの答えに喜んだ。

「・・・そうなんだね・・・あなたなのね、マキさんって・・・」

「どうした急に」

 穏やかな瞳で少し畏まって発した圭子の言葉に純一は反応した。

「・・・想像以上ね純一」

 圭子は締まった瞳の微笑を純一に向け、そう言った。

「ははっ、綺麗だろ?」

「とんでもないです」

 マキも締まり、二人の話に畏まった。

「・・・そうそう、それでこの前さ、宅飲みしたんだよ、電話した日」

 純一はマキの一言をきっかけに話を元に戻した。

「そうだったんですか!・・・って言うか、本牧でですか?」

「本牧?ははっ、勘が良いねマキちゃん・・・そうなんだよ、涼介んちでね、奥さんも一緒だったんだよ」

「えっ!行きたかったなぁそれ」

「・・・聞いてた通りの人ね」

 圭子は再び純一に言った。

「可愛いだろ?」

「ほんと・・・」

「・・・いつ結婚されたんですか?」

 まだ少し緊張しているマキは自分の話で笑い合っている二人に、さっきから気になっている事を聞いた。

「えっと、この5月で丸2年かな」

「そうなんですか」

「あっちゅう間に2年過ぎちまったよ、なあ」

「そうね、ほんと早いよね、どんどん歳取っちゃう・・・」

 圭子は結婚当時を思い出し、ほんのりとした雰囲気をマキに醸していた。

「羨ましいな」

「・・・・・」

 圭子は“羨ましい”と言ったマキの瞳の純粋さに胸を少し打たれていた。

「・・・奥さん、じゃちょっとやっていいかな?」

 純一はマキとの会話を見計らい、怒られる事を承知で圭子にお伺いを立てた。

「え?駄目よ、マキさん来たし、もういいんじゃない?」

「ほらあれ見て、もう少しで行けそうじゃん、諦めたくないんだよな」

 純一はスマホカバーを指差していた。

「何で?もう行こうよ・・・ごめんね、マキさん」

 らしくない純一の行動を不思議に思いながら、圭子はマキに申し訳ない表情を向けた。

「・・・いやね、昔涼介から聞いた事があってさ、覚えてる?マキちゃん、此処」

「えっ!?・・・」

 脈略の無い話を急に振られたマキは驚いた。同時に出来る限りの速さで、覚えていなかった此の場所に纏わる涼介との想い出を捲り始めた。

「言ってたんだよあいつ、めっちゃ懐かしそうにさ」

「・・・何をですか?」

「中華街でデートしてた時にね、あいつ此処が目に入ってUFOキャッチャーやったみたいなんだ。ほら、まだ若いし金持って無いからさ、マキちゃんに何かプレゼントしようと思ったらしくてね・・・あんじゃんそんな時期って。買い物とか行ったらもう何でも彼でも“これ、あいつに似合うんじゃね?”的な時期がさ・・・それでね、此処に寄ったのはいいんだけど、何だかマキちゃんがさ、UFOキャッチャーやろうとした涼介を押し退けていきなり私がやるって言ったんだってよ。そしたらビーサンの方っぽを・・・左って言ってたっけかな?・・・まあ一発で取っちゃったみたいでさ、それで涼介やばいってなっちゃってね」

「・・・・・」

 マキも圭子も純一の話を食い入る様に聞いていた。

「あいつさ、格好良く気障にプレゼントするつもりだったらしいんだけどさ、何だかもう方っぽを取るのに必死になっちゃって、結局二千円ぐらい使ったって言ってたかな」

「・・・涼介らしいね」

 圭子は黙って聞いているマキを見て、そう言った。

「意地張っちゃうんだよね男ってさ・・・それでね、涼介やっと取って喜んでたらマキちゃんが居ないのに焦ったらしくてね、外に出て探したみたいなんだよ。結構行ったり来たりしたって言ってたけど、居ないから取り敢えず近っぱのお店一軒一軒入ってみようって、向いっ側に渡ろうとしたらさ、ズバッと目に飛び込んで来たんだってよ、通りのベンチに座ってるマキちゃんがさ」

「・・・それで?」

 圭子は聞いた。

「マキちゃん履いてたスニーカーをベンチの上に置いて、ビーサン履いて両足ぶらぶらさせながらソフトクリーム食ってたんだって」

「・・・・・」

 はっきりとマキは思い出していた。その時に吹いていた風の匂いも、照り付ける太陽に汗ばみ始めた肌も、車が通る度に乱反射していた日差しの眩しさも思い出していた。

「それでね、目が合った時にね“私此処よっ”って無邪気な感じ出して手を振ったマキちゃんの姿が忘れられないってさ」

「・・・やるね、マキさん」

 圭子は穏やかだった。

「・・・・・」

 マキは込み上げて来るものを耐えていた。

「人ってさ、そうそう変わらないし、些細だけどそんな部分が原動力だったりするじゃん、今もずっとそうなんだよあいつ・・・まあ、あいつはさ、その辺の心境とかでも面倒臭がっちゃって、直ぐ端折っちゃうから誤解され易いし、またほら、それを無理に解こうともしないじゃない」

「・・・・・」

 マキは純一に慮られている事を実感し、静かに聞いていた。

「それが“らしい”所なんだけどな」

「・・・思慮深いのか優柔不断なのか何も考えて無いのか・・・ややこしいよね涼介って、まあ、間違いなく気障だけど」

 圭子は純一の後にそう続けて笑った。

「マキちゃんと御飯食べに行くって決まった時さ、そんな話を涼介から聞いてたなって、何故だかふと思い出しちゃってさ、て事は此処で待ち合わせろって事なのか?みたいなさ・・・」

 純一はマキと涼介に当時の感覚を思い出して欲しいと思っていた。二人には周囲を気にせず、変に大人振らず感情をぶつけ合って欲しいと思っていた。

「・・・じゃ行こっ、お腹空いちゃった」

 圭子はマキの感情を察し、空気も場所も変えようとした。

「・・・純一さんと電話で話した次の日、ばったり会って涼介と飲んだんです」

 マキは圭子の気遣いに気持ちを切り替えた。

「ほう」

「やるじゃん」

「ばったり会うってのが“らしい”よな」

「そうね、なかなか会わないもんね、偶然とかあんまり無いもん」

「な、奥さん、意外と何でも諦めちゃ駄目だろ?」

 純一は自分が重くした空気に新しい風を吹き込もうとしている圭子に追随した。

「・・・マキさん、彼氏居るの?」

 心にずっと仕舞っていた質問を圭子は聞いた。

「居ます・・・」

 二人の優しさに素直な瞳を向けたマキは正直に答えた。

「涼介はその事知ってるの?」

「知らないと思う・・・」

「そっか」

「言いたいけど、言えないの」

「そう・・・」

「おっせぇよ!!」

 純一の太い声にびっくりした圭子とマキは、純一が投げた視線の方へ振り向いた。

「ごめん、お疲れ」

「涼介!」

 圭子とマキは同時に声を上げた。

「やっと来たかっ!おっせぇよ涼介」

「ごめんごめん、勘弁してくれ。今日はちょっとタイトだったんだ、色々と」

 涼介はそう言いながら苦笑いと驚いた笑顔を作り、圭子とマキに会釈した。

「聞いてないよ純一・・・お疲れさん」

 圭子は態と不機嫌そうな顔を純一に見せた後、涼介に微笑んだ。

「ちょっとびっくりしちゃった・・・涼介は知ってたの?」

 マキは嬉しそうな素振りを見せていた。

「何も聞いてないよ。メールで“此処に集合”だけさ。いつもの純一じゃねぇから何かあんのかなとは思ったけど」

 涼介は話の途中でゲームセンターのフロアを2度指差していた。

「それでなのね」

「どうした?」

 涼介が突っ込んだ。

「だって純一さ、此処を出ようとしないんだもん・・・涼介待ちだった訳ね」

「ははっ、何だ皆な騙されたって事か」

「騙す?サプライズって言ってくれよ」

「サプライズ?・・・の割には雑だよな」

「純一さん、それにサプライズって・・・」

「ははっ、そうよねマキさん」

「“自分にご褒美”とか“感動をありがとう”ぐらい裏目ってるぞ」

「お前が時間通りに来てりゃ万事俺の仕切り通り行ってたんだよっ」

「もう一回確認するけど、内緒だったんだよな?」

 笑いながら涼介がそう聞いた。

「この四人で内緒って・・・」

「私もちょっとすべってると思う・・・」

 冷ややかな圭子を真似てマキも続いた。

「ははっ、いいさ、言っとけ言っとけ、びっくりして嬉しかったくせに」

 純一は少し開き直り気味に笑っていた。

「・・・ん?・・・あれだろ?」

 涼介は純一が話し終わらない内に顔をマキの首筋辺りに近づけていた。

「うん」

「いいね、やっぱり」

「・・・うん」

 マキは微笑んでいた。

「何だその暗号みたいな遣り取り」

「いちゃつくの早いよね」

 マキと涼介の会話に、二人は待ってましたとばかりに茶々を入れた。

「・・・・・」

 マキは照れ、涼介は笑っていた。

「あれだろって、何よ?」

 圭子は語る気配を見せない二人に突っ込んだ。

「・・・マキ、言っちゃう?」

「いいよ言っても」

「そっか、じゃ頼むよ」

「何よそれ、涼介が言いなよ」

「俺じゃない方が良いんじゃない?」

「だって恥ずかしいじゃん」

「おいおい、勘弁してよ」

「ははっ・・・何だか当時のあなた達三人が目に浮かぶよね」

 純一の突っ込みに圭子はそう言って笑った。

「そうだろ?手を焼かせっ放しなんだよ、昔っから」

「・・・いやさ、エタニティにすればって言ったんだよ」

「涼介ってほんとそういうとこ有るよね・・・すっごい端折った」

「いちゃつく癖に面倒臭がりなんだよな」

 純一は圭子の呆れ加減に同調した。

「まあ、らしいっちゃらしいけど、奥さんさ、勘弁してやろうぜ、涼介は嬉しくてしょうがないんだよ、マキちゃん居るし」

「・・・ずっとそれ付けてるのか?」

「うん・・・」

「また始まったよ・・・人の話聞いちゃいねぇよ」

「ははっ、行こうよ純一、私達には手に負えないかもよ」

 圭子は笑っていた。

「純一さん、行こっ!」

 マキは爽やかだった。

「そうよ、早く行こ。お腹空いちゃってんだから」

「予約してあるんだろ?」

 涼介が純一に聞いた。

「ああ」

「初めて行く所か?」

「ああ、たまには冒険しないとな」

「やるじゃん」

「お前ら二人の事言ってんだよっ」

「・・・・・」

 マキは笑っていた。


 ゲームセンターから然程遠くない場所に在る飯店の、中華風の装飾が余り施されていない少し広めの個室で談笑は続いていた。ほろ酔いの四人が囲う回転テーブルは白く、艶やかな大皿料理を引き立てていた。

「純一さ、ここだけの話、実際皆な良い待ち合わせ方だったって思ってるんだぜ」

「さすが純一さん」

 涼介の話にマキは続いた。

「ここも中々お洒落だし」

「良いお店よね」

 マキはまた涼介に続いた。

「ありがとっ・・・マキちゃん、そんな顔して見ないでよ」

 純一は愛くるしい眼差しで見つめに来るマキに照れていた。

「ね、マキさん知ってた?私達の会社相生町と尾上町なのよ」

「えーっ!」

「奥さん、俺の話もう終わりかよ」

「いいじゃない」

「そうなんだよ、めっちゃ近いんだよ」

「・・・気分よさそうね」

 圭子は自分の話しに食い気味に被せて来た涼介にそう言った。

「今夜は全く気分良いよね」

「まだビールでいいのか?」

 純一は涼介の爽やかに酔っている顔を久し振りに見た気がしていた。

「んー、冷酒にしよう・・・それでね、こいつが相生町でさ、ほら、尾上町の信号入って行くとさ、住宅設備機器の会社があるの分かる?」

「うん、大体分かるけど、そこなの?」

 マキは料理を食べながら聞いていた。

「課長なんだよ、最近は内勤専門で色々仕切ってるらしいよ。出世したよな」

「お前程じゃないよ」

 純一は笑っていた。

「純一さんなら当然って感じよね。きっともっと行っちゃうよ」

 マキはそう言って純一に微笑んだ。

「それでね、馬車道の角にさ、一際目立つ証券会社が在るでしょ?奥さんはそこなんだよ」

「ほんと!?」

「目立ってるのは本人だけじゃ無いんだよな」

「何よそれ」

 圭子が突っ込んだ。

「しかもバリバリ過ぎて後輩がびびってるって」

「へぇー、分かる気がする」

 マキは涼介の話に反応した圭子を見ながらそう言った。

「そんな話いつしたの?」

 圭子は微笑みながら純一を睨んだ。

「でさ、買っちゃったんだよマンション、根岸駅の近くにさ」

「凄い」

 マキは料理を口に運ぶのを止めて純一を見た。

「そんな事無いよ、お前だってその気になりゃ一つや二つ直ぐだろ」

 純一は美味しそうにビールを飲んでいた。

「皆なちゃんとしてるね」

「ははっ、涼介、マキさんがちゃんとしてってよ」

 圭子はそう言って笑った。

「・・・マキちゃんも今、人使ってんだってね」

「いえ、そんなんじゃないですよっ、営業であちこち飛び回ってます」

 純一の問い掛けにマキは恐縮していた。

「横浜支社のクリエイティブマネージャーだもんな」

「もう、そんな言い方しないで」

 マキは涼介に口を尖らせた。

「マキちゃんそれ可愛い」

 純一は相好を崩した。

「よかったね、二人とも横浜戻って来れて」

「そうだな、それが一番だよな」

「ほんと良かった・・・」

「だよなぁ・・・」

 圭子の言葉に三人はそれぞれ頷いていた。

「・・・あの、これからお二人に仕事の相談してもいいですか」

「お二人にって」

 突然畏まったマキに涼介が絡んだ。

「何よっ」

「ははっ、マキのちょっと怒った顔、ほんと可愛いよね、な、純ちゃん」

「純ちゃんて・・・初耳」

 圭子は飲んでいたビールを零しそうになっていた。

「ははっ、マキちゃん涼介絶好調じゃん」

「そうみたいですね」

「・・・マキちゃんさ、相談って俺達は全然OKだけど、涼介居るじゃん」

「そうよ、涼介に相談すれば?意外に役に立つよ」

「ははっ、意外にって余計なんじゃない?」」

「・・・でも今はお世話になってるクライアントの責任者だし・・・」

「で?」

 圭子が言った。

「出来ないですよ・・・」

「それで?」

 純一が後を追った。

「・・・・・」

 マキは困った様な嬉しい様な苦笑いを涼介に向けていた。


 宴席も終盤を迎えた事が分かる料理がテーブルを彩っていた。四人は時間が経つのも忘れ、それぞれ舌鼓を打ち、それぞれ好きな銘柄の酒を嗜んでいた。

「圭子さんって素敵よね」

 マキは圭子が持ったグラスに冷酒を注ぎながら言った。

「あら、嬉し」

「私もそんな上品な雰囲気身に付けたい」

 マキは純一から聞いていた話だけではなく、芯の強そうな眼差しから醸し出ている情緒に圭子の洗練を感じていた。

「こちらこそ、マキさんのような素敵な女性に出会えて光栄です・・・ね、涼介」

 圭子は素直にそう思っていた。そしてその感情は、もう二度とマキを悲しませる様な事をしないで欲しいという涼介への願いを込み上げさせていた。

「・・・・・」

 涼介は笑い、純一も笑顔だった。

「・・・ね、圭子さんとはいつ頃から一緒に遊んでたの?」

「んー、マキが居なくなって・・・1年後位だったっけ?」

 マキに聞かれた涼介は、そう純一に振った。

「そうだな・・・居なくなった1年後の夏だったかな」

「居なくなったって、マキさんが去った訳じゃないんでしょ?」

 圭子は淡々と答えた純一や涼介の無頓着に鋭い指摘を飛ばした。

「おっと、奥さん・・・」

 純一は意表を突かれていた。

「・・・そうです奥さん、俺が駄目駄目だったんです」

 純一と同じように意表を突かれた涼介は丁寧にそう答え、語気を強めた圭子の意図に意識を集中させ始めた。

「そうよ、涼介がしっかりしとけばさ、ねえマキさん」

「・・・ほんと駄目な人ですよねっ」

 微妙な空気を感じたマキは、圭子の問い掛けに態とふんわりとした言葉を選んだ。

「ははっ」

 涼介への愛情溢れるマキの許容に純一は笑いながら、圭子が投げた指摘の意味を考えていた。

「・・・私ね、いつもこの二人からマキさんの事聞かされてたんだよ、すっげぇいい女だって」

「えっ!?・・・」

 急に柔らかい口調で喋り始めた圭子が切り出した話に、マキは拍子抜けして黙ってしまった。

「でさ、この二人から話を聞く度にさ、それって良い女じゃんみたいな事、私も思い始めちゃってさ、色々知りたくなっちゃって、今度はこっちから結構聞き出し始めちゃったのよ、真似しようと思って」

「・・・・・」

 マキは黙って聞いていた。

「純一が忙しくて会えない時は涼介に会いに行っちゃったりしてさ」

「・・・・・」

 純一と涼介はそう言って笑った圭子に気付かれない様に目で合図を送り合い、今後の展開に構えた。

「純一に内緒でさ、涼介に会いに東京まで行った事もあるのよ」

「・・・・・」

 マキに向けた圭子の笑顔に、二人は黙ったまま準備を整えた。

 純一は当時の苦い思い出を、圭子が勢いで面白可笑しく語り始める事を避け様としていた。涼介はこのタイミングで圭子が語る話の内容を理解し、その意図に沿って圭子の意思を尊重しようと思っていた。

「ほら、私まだその時学生だったからさ、時間有ったのよ。夏は三人で海行ったり、冬は温泉行ったり」

「・・・変な事ばっかり聞かされてたんでしょ?」

 マキは微妙に転じ続ける空気に敏感に反応し、最悪自分を“オチ”に使って貰える様な質問をした。

「ううん、二人がね、マキさんの事が大好きなんだなって分かる話ばっかり」

「・・・・・」

 純一と涼介は、圭子の話の落ち着き先が自分達の危惧した方向では無い雰囲気に少しだけ集中を解き、静かに聞いていた。

「同じ話をね、この二人に別々に聞いても返って来る答えは同じだし、たまに嫌だった所とか聞き出そうと思って鎌を掛けても“ぶっちゃけなぁ”みたいな話全然無いし、純一なんかずっと“涼介は馬鹿だ”って言ってたもん」

「・・・・・」

 三人は穏やかさを取り戻しつつ、黙って聞いていた。

「だからね、今日は結構ハードル上がってたの」

「・・・で、どうなのよ?」

「奥さんさすがだよやっぱり。しかも今日一興味深い話だもん」

 純一が聞いた後、涼介も口を開いた。

「でしょ!・・・でもね、最初見た時に降参しちゃったもん・・・話しててもそうだけど納得しちゃったわ。あなた達の目に狂いは無かったって」

「ははっ、それってさ、やんわりと“自分も凄いのよ”って言いたかったって事なのか?なあ涼介」

「やんわりでは無いわな。結構なストレートだと思うよ」

「・・・・・」

 二人の会話に圭子は微笑んでいた。

「奥さん、今日はやるね」

「今日だけじゃないよ。当時からずっと主役だよ」

 涼介は純一の率直に追随した。

「まあ確かに俺達の事は色々と分かってるよな」

「当たり前じゃない、あなた達とどんだけ一緒に居たと思ってるの」

「ははっ・・・」

 純一と涼介は、圭子の甘噛みに完全に降参した安堵の表情で笑った。

「ね、マキさん、この二人大変だったでしょ?」

「そうね・・・純一さんはともかく、涼介は大変だったかな」

 マキは三人の間合いや話の収め方を凄いと感じていた。

「おっと、来たねジャブ」

 そう言った涼介は、もっとどんどん打ってくれという様な笑顔を浮かべていた。

「だって涼介、自分の事になると丸でガキだったもん」

「奥さん、今夜は涼介に厳しいね」

 純一もマキや圭子がパンチを出し易い様に涼介の言葉に乗った。

「いいじゃんねぇマキさん。本当の事だもん。酔ってるしね」

「奥さんの仰る通りです。なあ純ちゃん」

「だってこの四人で初めて飲むのよ。どうなのよ純一、これって画期的な事じゃない?」

「まあ、そうだな」

「・・・圭子さん大人だし、純一さん包容力有るし、羨ましい」

 マキは三人の会話に、三人が乗り越えて来たものの大きさを感じていた。同時に圭子と純一が織り成す阿吽の呼吸に初めて触れ、窺い知れない夫婦の絆を見た気がしていた。

「間違いなく奥さんは素晴らしいよな。男が鍛えられる女性って言うか、現実を肝に銘じてるって言うか、逃げない美しさがあるよね」

「どうしたのよ、そんな事言っちゃって」

 真面目な顔で話した涼介に圭子はそう言った。

「・・・いいコンビだと思ってさ」

「コンビって、何だかな」

 純一は心地良く突っ込んだ。

「でもそうよね、コンビだよね・・・最初はマキさんとトリオ組んでて、次は私とトリオ組んで、長ぁーい活動休止の後・・・まあ、それは涼介が悪いんだけど、今はカルテットって凄くない?」

 圭子はそう言って少し身を乗り出した。

「今夜はまったく奥さんの仰る通りです」

 涼介は圭子の笑顔に降参の笑顔を向けた。

「あるんだよな、こんな事って」

 純一は嬉しさを顔に出していた。

「ほんと凄いよね・・・涼介付いてるよ、此処・・・」

 マキは純一に相槌を打った後、自分の口元を指差しながら涼介の口元に付いた食べ物をそっと取った。

「サンキュ」

「奥さん、マキちゃん話聞いてないぞ」

「聞いてますよっ」

「ほら・・・だってもう何だか顔崩れっぱなしじゃん」

「どれどれ」

 純一の突っ込みに合わせて、涼介はマキの顔を覗き込んだ。

「そんな風に見ないで」

 マキは口を尖らせて涼介を押し返した。

「可愛い・・・私もそれやってみよ」

「奥さんには無理かな」

「俺もそう思う」

 圭子の言った軽い乗りに純一が突っ込み、涼介はそれに被せた。

「・・・・・」

 マキは三人の絡みに幸せそうな笑顔で答え、四人の関係が掛け替えの無い人生の一部になるだろう事に比較対照の無い優越を感じていた。


 涼介は圭子や純一の気遣いに感謝していた。過去や現在のマキの男性関係やゴールデンウィークの予定を聞き出そうとせず、 明らさまにマキとの仲を取り持とうともせず、これからも続く四人の関係に特別な感情を何一つ意識付けようとしなかった二人に感謝していた。

 純一は此の会食を催すだけで必ず二人の力になれると確信していた。圭子と共謀して何かの策を施すよりも、成り行きに任せた方が二人の相性の良さが際立つと思っていた。

 圭子は改めて涼介や純一の事を尊敬し、底知れぬ二人の包容力に敬意を込めて感慨に耽っていた。そして初対面だったマキが会食で見せた一挙手一投足に触れ、天王洲アイル第一ホテル東京シーフォートで涼介が最後の最後、首の皮一枚決断出来なかった気持ちが理解出来る気がしていた。それは圭子が、それぐらい歳を重ねた事を意味し、その現実は今夜初めて見たマキと涼介が、ある意味ずっと恋人同士のまま今に至っているという衝撃の客観を齎し、今後二人の関係に太刀打ち出来る異性など現れないという確信を生み、このまま二人の好きな様にさせる事が理想的な結末を迎える最良の後押しだという思いを生んでいた。

 マキはお酒がこんなにも美味しかったのかと感じていた。

 純一の演出に感謝していた。

 初めて会う圭子に、心を開いた親友のような懐かしさを感じていた。

 マキはずっと胸に抱いていた理想を三人からプレゼントされていた。そしてそのプレゼントには無限の愛情が詰まっている事に至福を感じていた。

 マキは四人の前で全てを曝け出せていた。そしてマキは描き求め続けて来た理想が現実のものになりつつある事を実感していた。


「5月19日だったよね?結婚記念日」

「そうだけど、どうしたの突然」

 涼介の問いに圭子が答えた。

「じゃその日に集まろうよ」

「いいねそれ、やろやろっ!」

 マキは喜んでいた。

「やるじゃない」

「いいねぇ・・・」

 この場で涼介がまさかそんな話を切り出すとは思っていなかった二人は、少し面食らっていた。

「3年目に突入だよな?」

「よく覚えてたね」

「そりゃあ、いつもお世話になってる奥さんと純一さんの大切な日ですから」

 嬉しそうな圭子に涼介はおどけた。

「涼介が仕切るのか?」

 純一は訝しげに聞いた。

「もちろん俺が仕切るさ。今夜の感謝の気持ちを込めてね」

「嬉しいけど、ちょっと心配」

「まあ奥さん、任せてみようよ」

「相変わらず信用されてないよな」

「だって何かやる時はいつも純一に任せっ放しだったじゃん」

「大丈夫だよ、な、マキ」 

「またぁ、そうやって私に振る」

「いいじゃんかさ・・・ね、一緒に仕切んない?」




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