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~7~

 救急車のけたたましいサイレンの音が辺りを包み込むように鳴り響いている。

「困りましたね……」

「ウケケケケケ」

「これからどうしましょう?」

「ウケケケケケ」

「しっかりしろニャッ!」肉球で脳天を痛撃する。

「グゲゲゲゲゲ」

「こりゃダメだニャ」

「…………」誠は顔を両手で覆った。

 ハナが深々と溜め息を吐く。

 ここは場所が打って変わって、とある大病院の屋上。

 そのへりに足をぶらんと外へ放り出す形で、美月と誠が座り込んでいる。ハナは美月の頭の上で器用に胡坐をかいていた。

 先の集会から一週間が過ぎていた。その午後。

 結局あの場で何の収穫も得られなかった三人は、他に何かいい手はないかと模索したが、これといった案も浮かばず、結局他の幽霊たちの協力の下、この間もずっと地道に捜索を行っていたのだった。

 しかし何の手掛かりも見つけることはできず、更には他の幽霊たちからもこれといった有益な情報がもたらされることも無かった。

「ウケケケケケ」

 結果三度の飯より大事な〝幽霊としての本分イタズラ〟を全うできずにいた美月は、とうとうストレスで精神的限界を迎えてしまい、誠たちがふと気が付けば、それこそ〝夢遊病患者〟のようにあっちへふらふら、こっちにふらふらと、まるで風に流される雲のように昼夜を問わず彷徨い出す始末だった。今も誠は辺りの幽霊仲間からの目撃情報を頼りに姿が見えなくなっていた美月を探し出し、寝床からは遠く離れた、ここ大病院の屋上で一旦落ち着くために座らせたところだったのだ。

「ほんとどうしよう……」

 心底困り果てたように、溜め息交じりに呟く。

 更に小さく溜め息を吐き、またどこかへ行かないようとその手に握る美月の手の甲に視線を落とし、次いでその横顔を見遣った。

「うわぁ…………」

 改めて見ても思わずそんな声が漏れる。

 そこには暗い視線で、繰り返し気味の悪い笑い声を涎のように垂れ流し続ける奇妙な笑い顔。

「…………」すすっと誠は無意識に身を引く。誰がどう見たってまともじゃなかった。だって非常に目が怖い。

 いっそのことこのまま放置して帰ろうかと思わないでもない誠だったが、美月にはこれまでに何だかんだと言いつつ世話になってきた恩がある。特に幽霊として『二度目』の人生を歩み始めた頃に起きたとある事件では、〝怨霊〟になりかけていたところを救って貰ったことさえある。それを思えば、この程度でそう易々と手放すわけにもいかないのであった。

「もう一度訊きますけど、本当に他に〝呪い〟を解く手段は無いのですか?」

「…………少なくとも、うちはそれ以外に方法を知らないニャ」

 以前訊いた時の素っ気ない返事とは違い、ハナの口から少しばかり歯切れの悪い回答が返ってくる。自分が呪いを掛けた手前、美月のこの姿に良心の呵責を覚えたのかもしれない。とはいえだからといって美月の状態が好転するわけでもなく、誠は本日何度目になるか判らない溜め息を吐いたのだった。

 それからどのくらいそうしていただろうか。

「ん?」

 相も変わらずの奇妙な笑い顔に暗い視線のまま、気味の悪い笑い声を溢し続ける美月の横で、何の妙案も浮かばず頭を抱えていた誠は、ふと背後に何かの気配を感じて振り返った。

「あれ?」

 しかしそこには誰もおらず、何も無い。ただ視界いっぱいに広がる、目にも鮮やかな赤地に白い十字架が中央に描かれたヘリポートが広がるばかり。

 誠は初め、ハナが美月の頭の上から移動したのだと思っていた。

 しかし当のハナは、今も美月の頭の上で器用にも胡坐に腕組で、無くした記憶を掘り起こそうと難しい顔でうんうんと唸っている。はて? それではいったい何の気配だろうと、不思議に思いながらも今度は体ごと振り返ると、今もまだ奇妙な気配を発し続けている場所へと意識を集中させた。

「何か来るニャ」

 ハナもそこでその気配に気が付いたのだろう。それまでのどこか人間臭い仕草から一変、いかにも猫らしい俊敏な動きで美月の頭上から、今度は誠の左肩へと飛び移ると、同じく奇妙な気配へと意識を集中させた。

「あっ」思わずといった感じに声が口を吐く。

 誠は慌てたようにがばっと自らの口元を両手で塞ぐと、息を潜めるように身を縮める。その肩の上では、こちらも声が出てしまわないようにだろう、ハナが同じように口元を肉球で押さえていた。

 それもその筈。誠たち二人が意識を集中させていた、奇妙な気配を感じるその場所から、コンクリートの面を貫くように何やら白い、まるで真綿をって作った糸のようなものが突然現れたかと思えば、そのままするすると音も無く上空目指して伸び始めたのだから。

「「………………………………」」

 口元を抑えた無言のまま事の次第を見守る二人。その眼前では今もなお糸状のものが上空に向かって伸び続けており、そうこうしている内にその先端は仰け反るほど見上げた先にまで達していた。

 こんな光景は幽霊となってからこれまでの2年間で一度も目にしたことがない。

「まるで〝蜘蛛の糸〟みたいだ」

 好奇心が警戒心を上回ったのだろう、それまで口元を抑えていた手で庇を作ると遠くを見る目でそう呟く誠。その頭の中には芥川龍之介の短編小説『蜘蛛の糸』の一節浮かんでいたが、確かに目の前のこの光景はそれを彷彿とさせるだけのものがあった。もっとも糸の向かう方向がまるで正反対であったが。

「しかし、どこから伸びてくるんだニャ?」

 こちらもまた好奇心が勝ったのか、ハナが何とも不思議そうに糸の根元を凝視する。

 一見赤い面に直に生えているようにも見えるが、実際はこの真下、階下のどこかからか天井を貫いて伸びてきているのだろう。ハナはそう考え、ヘリポートの縁から真下の階を覗き込んだ。

 そして少し後悔した。

「ぅニャ~ァ……」という妙な声が口から漏れ出る。

 好奇心のままに覗き込んだその景色は、あまりにも高かった。

 地上に止まっている車などは米粒程度の大きさしかなく、道を行きかう人間たちに至っては、皆一様にゴマ粒程度の大きさも無い。生理的な恐怖心から背中の毛という毛がぞわわと逆立つ。無意識の内に力の入った前足からは爪がこれでもかと剥き出しになり、そのまま抜け落ちてしまいそうだった。

 それもその筈。ここは元々が地上10階建てであり、ハナたちが居るその場所は12階部分相当に当たるのだから、地上からの高さなど推して知るべしである。

「…………」

 いくら幽霊の身であろうと何だろうと怖いものは怖い。確かにこのまま落下しても、既に肉体の無い身としては〝物理的な死〟はあり得ない。

 しかし〝精神〟は違う。

 高所から落ちれば怪我をするだろう。場合によっては最悪死ぬことだってある。地面に叩きつけられた瞬間、いや、その寸前に〝心〟がそれらを感じてしまった時、精神が無事だとは限らない。それにより傷ついた精神が崩壊でも始めれば、最悪〝LOST〟する可能性だってあるのだ。

 本来ならば幽霊となった時点で『肉体』という重力の枷から解放された存在となり、通常ふわふわと浮いた状態にあるのでそういった事態になることは殆どない。せいぜいがなりたて(、、、、)の新人が『羽が無いから単独飛行はできない』という生前に培った常識に囚われ過ぎて陥る程度である。

 しかしハナはその点に於いて事情を異にしていた。

 ハナは浮遊することができないのである。

 少なくとも先の常識に囚われている自覚は無い。ひょっとすると記憶の大半を失っていることに起因するのかもしれなかったが、現状でそれを確かめる術をハナは持っていなかった。

 おかげで美月を探していた時は散々歩き回る羽目になっていたし、ここへ来るのだって誠の頭の上に陣取り運んでもらったくらいなのだから。

「ぅ~っ……」

 ハナはぶるりと肩を震わせた。

『好奇心は猫をも殺す』とはよくも言ったものであると思うが、これで落ちたらまさしくそうなってしまう。何だか吸い込まれそうなその光景から視線を無理やり引き剥がすと、ぺたんとその場で腹這いになるなり匍匐前進ならぬ匍匐後退を始めた。

 と、体半分ほど後退しこれでもう安心と安堵の息を吐きかけたその瞬間――、

「うわぁぁぁっ!?」

「ニャッ!?」

 不意に背後で上がった驚愕に染まった悲鳴にハナは完全に度肝を抜かれ、反射的に飛び退いていた。

 それはもう見事な飛び退きっぷり。

 瞬間的に背丈の倍ほどの距離まで跳躍し、かつ空中にありながら体を捻り、前後を入れ替えるその動きは、まさしく猫ならではのもの。その敏捷性に富んだ俊敏な動きには目を見張るものがあった。その様を見る者が他に居たとすれば、皆が皆同じ感想を抱いたことだろう。

 ……もっともここがヘリポートの()じゃなければの話だったが。

「――ニャーーーーーーーッ!?」

 空中で反転し、まず最初に目に入った光景は誠の後姿だった。

 尻もちをついているところから先程の悲鳴は誠が発したものだろうと推測したハナだったが、次に視線を向けた先にあった光景に、目を思いっきりひん剥きそれ以上の悲鳴を上げていた。

 無かった。

 そこにあるべきモノが無かった。

 いや、正確にはある。あるにはある。実際見えてる。

 ただそれが遥か眼下、目も眩みそうな先にあるというだけの話。

 要するにハナは、今まさに地上12階相当の高さから落下しようとしていた。

「ニャヒィーーーッ!」

 二度目の叫び声とともに涙目で両腕を必死に伸ばす。その頭の中では『LOST』という文字が真っ赤に明滅を繰り返し騒々しいことこの上なかったが、今のハナにそれを煩わしく思うだけの余裕は無かった。そんな暇があれば少しでも腕を、爪を伸ばせとばかりに力を籠める。つられて全身まで伸びに伸び、後ろ脚は水中でそうするように宙を搔いた。

「――っ!? うべっ」

 それらが功を奏したのか、伸ばした爪の先に確かな感触を感じ、ハナはありったけの力を爪に集中した。

 その直後、ガリガリガリと耳障りな何かを削るような音が響き、と思った途端、ビタンと下顎からお腹に至るまでを何かに打ち付けていた。爪先が壁に運よく引っ掛かったことで落下に急制動が掛かり、そこを支点にして、振り子のように振られた体はそのまま壁面に激突したのだ。

「………………」

 ハナは体を壁面に張り付けたまま少しだけ泣いた。

 遥か下の地面に叩きつけられるよりは比べようもないほどマシな状況だったが、何だかもう踏んだり蹴ったりである。どうしてうちがこんな目に、という思いがメラメラと心の内から湧いてきたハナは、更に後ろ足の爪も壁面に食い込ませると、怒りに任せてシャカシャカと一気に壁面を登り切った。

 そして、そこにソレ(、、)を見た瞬間。

「うぴゃーーーーーーーっ!?」

 ハナは開口一番文句を言ってやろうと、開いた口から珍妙な悲鳴を上げたのだった。

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