~5~
街の一画、少し奥まった路地に面して建つ、少々寂れた感の否めないアパート。その二階に永らく空き部屋となっている一室がある。
「やっぱり闇雲に探してもダメなんですよ……っと」
その玄関を入ってまっすぐに続く廊下。
その半ばも行かない場所で、誠はそう言いながら白いチョークを持つ腕を動かしていく。
美月がハナに呪いを掛けられてから、丸一日が過ぎていた。
その間ハナが眠っていたという壊れた墓を中心に、そのハナが言うところの〝家族〟を探して回った美月だったが、結局手掛かり一つ得られない有り様だった。
それはそうだろうと誠は呆れた。
まず第一に、この『春日市』という町の広さ。片田舎の村じゃないのだから、一人で探して回るには単純に広過ぎる。
第二に、そもそもその家族は今もこの町に居るのか分からない点。
これに関してはハナ自身が『居るって感じるニャ! 間違いニャいニャ!』と話していたが、当然確証となるものが無い。これでハナが猫ではなく犬だったなら、〝帰巣本能〟という観点から少しは信じてみる余地もあるのだが……猫にもあるんだろうか?
第三に、美月の見立てが甘すぎること。
ハナはこの界隈では珍しい銀灰色地に黒の縞の『サバトラ』という毛並みをしている。美月はその特徴と、〝ハナ〟と名前の掘られた墓が作られていたことからその近辺で見つけられる、もしくは目撃情報でも簡単に得られるだろうと高を括っていたようだが、世の中そんなに甘いわけがない。だいたいフルネームどころか名前の一部すら判明していない上、唯一分かっていることといえば当時少女だったという点だけなのだから、これだけの情報で簡単に見つけられると思う方がどうかしている。
「それにですね……」描き描き。
そもそも美月は失念しているようだが、ハナがいつ亡くなったのか、今現在不明なのである。墓石の劣化具合から考えてここ数年内ということはないと考えられるが、そうなってくるといよいよ問題となることがあった。
それは、その家族も既に亡くなっている可能性があるということだ。
いくら人間が猫に比べ長命だとはいっても、肝心のハナが記憶を失っており、その時期が分からない以上ひょっとすると何十年と経っている可能性もあり得る。そうなれば天寿をまっとうして、いや、その前に病気や、或いは事故などで既に他界していても決しておかしくはない。それでも某かの未練をこの世に残していれば幽霊となっていることだろうから探しようもある。が、そうでなければ探し出すなど夢のまた夢、不可能だ。あの世に行ってしまった魂を探し出すことは、どんな幽霊にも叶わない。
だからこそ誠は、ひとまず数に頼るため、街に同じく屯する幽霊仲間達に応援を頼みましょうと提案したというのに美月はその提案を一蹴し、ハナとともに単身街へ捜索に出て行ってしまったのだ。
美月曰く『借りを作りたくないから』というのがその理由だったが、誠には美月が他人に協力を仰がない本当の理由に心当たりがあった。それも確信に近いところで。
だって美月姉さん〝ぼっち〟だもん!
当人が聞けば涙目で否定するだろうが、悲しいかな、これでもかというくらいに的を射ていたのだった。
「……ところでさっきからニャにをやっているのニャ?」
どこか呆れた感じのハナの質問に、誠はピタリと腕を止めるとこう言った。
「見ての通りですけど?」
「見て解らないから訊いてるニャ」
正確には〝理解〟できないというのが正解か。ハナはもう一度床の〝ソレ〟を見遣った。
肩口までの黒髪に、セーラー服を纏った少女がうつ伏せで倒れている。その体の周り、縁をなぞるようにチョークで白い線が描かれていた。
しかもその顔の横には、床に血文字で『犯人はヤス』というタイイングメッセージが残されている。
これではまるで〝殺人事件現場〟のよう――、
「って、いやいや」
ハナはそこで冷静に手を振った。
そもそもハナは美月と一緒にここへ帰ってきていたのだから、その一部始終を見ていた。
ふらふらとかなり怪しい足取りでここへ辿り着いた美月は、玄関のドアを潜るなり、
『オワッタとヨ! わたシゃもうシマエたベッチャラがね!』
くわっ、と目を見開き、口角から泡を吹きながら突然金切り声で叫びだしたかと思えば、まるで糸の切れた人形のような動きでバッタリうつ伏せに倒れてしまったのだった。
そして何ごとかと、おっかなびっくりそのまま動かなくなった美月の後頭部を肉球でタシタシ叩いていると、部屋の奥から誠が現れ『だから言ったのに』と、小さく首を振りつつ美月の隣にしゃがみ込んだ。
そのままてっきり美月の介抱を行うのかと思いきや、ポケットからチョークを取り出して……。
「やっぱり意味が分からんニャ」あとヤスって誰ニャ?
――カサッ
そこへ玄関のドアをすり抜けて何かが差し入れられた。
「ん? ニャんだ?」
ヒラヒラと舞い込んできたそれが美月の背中へ滑り込むように舞い降りる。
それは一枚のハガキだった。
「郵便ですね」
ハナは初めて見るため知り得ようのないことだが、この人間の世界同様に、幽霊たちの世界にも『配達』を生業とする職業の者達が存在する。今し方ハガキを届けに来たのもその一人だ。
幽霊は個々に『霊格』と呼ばれるものをその身に備えている。
これは生前の行い(主に善行)によって初期ランクに違いこそあるが、その後の頑張り次第では上げることも十分可能となっている。
その方法の一つが『職に就くこと』。
この幽霊社会にあっても『職』というカテゴリーは存在し、先程の『配達』もその内の一つにあたる。これら仕事を真面目にこつこつと熟すことで、霊格のランクがアップしていく。人間社会で云うところの『昇進』と同じシステムである。
これによって上下関係が成立することにより、なにかと混沌に陥りやすい幽霊社会の秩序を保つ基盤となっているのだ。
閑話休題。
「誰からだろう?」
ハガキを拾い上げ差出人を確認する誠。そこには黒々とした墨痕も鮮やかな達筆でこう書かれていた。
『美月様宛』
ごく一般的な真っ白いハガキのほぼ中央にたったそれだけ。
次いで裏側にある内容を確認する。裏返した際にふわりと〝潮〟の香りが鼻孔をくすぐった。
「……真っ白ニャ」
何が書かれているのかという好奇心から、誠の左肩に乗っかり覗きこんでいたハナが、がっかりだと云わんばかりの落胆した声でそう漏らす。
裏返されたハガキのそこには確かに何も書かれておらず、ハナが漏らした通りに真っ白な、汚れ一つ無い面を二人の前に晒していた。
「やっぱり僕は宛先に入ってないか」小さくため息を吐く。
「どういうことだニャ?」誠の妙な言い回しに小首を傾げる。
「ああ。そうかハナさんは初めて見るんですね、これ」
誠はそう言うと手に持ったハガキを頭上に掲げる。まるでそうすることでハガキに書かれた内容を透かし見ようとでもするかのように。
もちろんそんなことで、そこに書かれた内容を見ることは出来ない。現にハナの目には勿論のこと、誠の目にも、そこには何も記されていない唯の無地のハガキがあるようにしか見えていなかった。
これはいわゆる『情報セキュリティー』の類で、まずは〝宛先に指定された者のみ〟内容を見ることが可能となる。そしてその受取人が許可した相手が次いで内容を視認できるようになり、それ以外の者には如何なることがあろうと、その内容に触れることは出来ないようになっているのだった。
これは郵便物を仕分け、配達する職員にも当てはまり、配送に最低限必要とされる情報以外は他の者達同様に秘匿された状態となる。
このシステムの歴史はまだまだ浅い。『個人情報保護法』が平成15年5月に成立し、公布され、17年4月に全面施行されたのをキッカケに『日本幽便』によって考案されたのが始まりである。
それまで『情報セキュリティー』という概念にまったくもって無頓着だった――そもそも勝手気ままに壁をすり抜けたりできる彼らに『セキュリティー』などという考えがある筈もなかった――幽霊たちは、それが自分宛てではない他人宛の手紙だろうが何だろうが、好奇心の赴くままに覗き見、時には何の意味があるのか他人宛の手紙を勝手に収集しては、自分のねぐらに飾って回る輩なども居た。
そういう困った者達の中で最もタチが悪かったのが、手紙の返事を勝手に代筆する者達である。何せ勝手に行うのだから、本来の手紙の受取人による了解など得られている筈もなく、本来手紙の遣り取りをする筈だった相手とはまったく関係のない第三者と、気付かず長年文通を行っていた者さえ居たくらいだ。自分が文通していた相手が可憐な女の子ではなく、むさ苦しい40過ぎのおっさんだったと知った時のショックたるや、その場で魂が〝LOST〟したという。
このように、それらが原因で筆舌に尽くし難い陰惨な事件がいくつも起こっていたことを、仕事そっちのけで単身行った日本行脚の旅から戻ってきた時に知った当時の『日本幽便局長』の娘さんが考案したのが、今まさに誠たちが見ているハガキも含め、各種郵便物に施されたセキュリティーシステム、その名も『不可視の便り』なのである。
もっともその内容はともかく、大半の職員にはネーミングセンスがあまりにもアレ過ぎると大不評で、このシステム名を口にする職員はほんの一部のマニアだけだったが。
「ちなみにその局長さんは、その後仕事に穴を開けた責任で更迭されたらしいですよ」
「無理もないニャ」
「――ハッ! 海が呼んでいる!」
ほんのりと漂う潮の香りに反応したのか、倒れた姿勢はそのままに、かっ、とそれまで閉じていた瞼を見開くと、美月はそう叫んだ。
「あ、起きたニャ」
「姉さん宛のハガキが届いてますよ?」
「何だって!?」誠から目の前に差し出されたハガキを半ば奪うように受け取り「アノ日が決まったのかも!」と跳ね起きる。
美月のその顔は、先ほどまでの絶望感に彩られた表情はどこへやら、打って変わってクリスマスプレゼントを貰った子供が箱の中身を確認している時のような、活き活きとした期待感で溢れていた。
「甲申+壬寅! 『夏』のお楽しみ、キター!!」
やはりその内容が見えているようで、両の手で掴んだハガキを、キャアキャア黄色い声を上げながら頭上に掲げる美月。次いで頬を紅潮させ、ハガキをその薄い胸に慈しむように抱きしめるその様は、見た目通りの、まるで意中の相手からブレゼントや、ラブレターを期せずして受け取った年頃の少女のよう。驚きと喜びとが綯い交ぜになった表情に笑みを浮かべるその顔は、キラキラとした輝きに満ち溢れていた。
「ど、どんなイベント何ですか?」
そのついぞ見たことのない美月の様子に、若干引き気味で誠は尋ねる。ハナはその背中に半ば隠れるようにして、見てはいけないモノを見てしまったという風にプルプル震えていた。
「そっか~」うぇへへと気味の悪い笑みをこぼし「誠くんはこのイベントのこと知らないんだったか~……」
「は、はい……」クヒュヒュヒュと不気味極まりない含み笑いを漏らす美月に、増々顔を引き攣らせる誠。「さ、サバト的な何かですか……?」
「なぜそうなる?」
「いえ、なんとなく……」
「…………ま、いいや。これはそんな怪しげなものじゃなくてね? 毎年海で行われてる『幽霊による幽霊のための幽霊の祭典』なんだけど、これがもう結構盛り上がって面白いんだよ!」
「痛いです美月姉さん」美月に肩をバシバシ叩かれ顔を顰めつつ「……毎年ですか」
「そうなんだよ~」よほど浮かれているのか「わたしも今年で四度目になるんだけどね」と応える美月の体は実際に浮かび上がっていた。
「海水浴に来た〝リア充〟たちの中でカップルにならなさそうな奴らはさんざっぱら脅かして、そうでない有望株な奴らや、そもそも〝リア充〟ですらない寂しい奴らには〝男を見せる〟チャンスを与えて『春』を迎えさせるっていうイベントなんだよ!」
どうだ凄いだろう! とばかり、大仰に両腕を広げて見せる美月。その背中に『ババーン』という擬音が見えるようだった。
「それのどこが凄いんだニャ?」
ようやく美月の豹変ぶりに慣れたのか、ハナは誠の隣でちょこんと座り直すと顔を洗うような仕草をしつつ、どこか呆れたようにそう言った。その横では誠もウンウン、と首肯してる。
「フッフッフッフ。やはり猫とお子ちゃまでは、この凄さに気が付けないようだね!」
ふふんと薄い胸を大きく仰け反らせる。
その態度に、ハナと誠は同時にイラッとしたがひとまず我慢することにした。
「ここでカップルをどんどん作っておけば、夏の開放的な気分でお股も解放! そこでヤらなくても秋を経て親密度を深めた二人は『クリスマス』にシッポリ濡れるわけだよ! そうなれば出産率も向上して輪廻転生も円滑になって、あの世もこの世もウハウハって寸法さ!」
そんな二人の内心になど微塵も気付いている様子もなく、美月は得意気にそう言うと「ね、凄いでしょ?」と締めくくった。
「微妙ニャ……」な顔をするハナ。というか口に出ていた。その横では誠が顔を、耳まで赤らめ無言で俯ている。10歳の少年には少々刺激が強すぎる話だったようだ。
「所詮肉球には理解のできん話だったか」
「肉球言うニャ! そもそもそのイベントとやらに、ホントにそんな効果が期待できるのかニャ?」
器用に腕を組み、ハナは懐疑的な眼差しを向けた。その眼差しが、過去三回のイベントによる成果はどうだったんだニャ? と美月を追及してくる。
フッと、何をそんなバカげたことをと云わんばかりの笑みを返す。
出産率だって? そんなこと今更訊くまでもないだろう? 今のこの世界を見てごらんよ! とばかりにどこか芝居がかった仕草で腕を広げた美月は、ハナの目を見てこう言ってやった。
「だだ下がりする一方だよ!」
「ダメじゃニャいかっ!!」
ツッコミと共に誠が使っていたチョークを投げつける。
鼻頭に直撃を喰らった美月は「くふぉ~っ!?」と顔面を押さえて呻き声を上げながら転げまわった。
そんな美月を冷ややかに目を細めながら、ハナがポツリと漏らす。
「ま、そもそもその前に呪いを解かニャいとイベントもニャにもニャいけどニャ」
「そうだったぁぁぁぁぁぁっ!」ゴロゴロゴロッ。
その言葉に美月は底から響く呻き声のような声音でそう叫びつつ転がる転がる転がる……。ついには誠とハナが見ている前で、そのまま転がり続けて部屋の奥へと姿を消してしまった。
「ハァー…………」肩をがっくりと落とし、およそ10歳の少年らしからぬ深い深い溜め息を吐く。次いで訪れた静寂の中、ハナは無言でその誠の二の腕を肉球でポンポンと叩いたのだった。